第四章1 秘密クラブの秘密
夕方、本当に馬車で迎えにきたアイリーンと一緒に、私は秘密クラブのあった建物へと向かう。細い通りにあった三階建ての店は、入り口にロープが張られていて、『CLOSE』の札がかかっていて、窓も木の板が打ち付けられていた。
「本当に閉鎖されたのね……」
私は狭い通りから、店を見上げて呟く。殺人事件が起きてスキャンダルにもなっていたのだ。店に近付く人もいないだろう。アイリーンから聞いた話によると、店主も従業員も行方がわからなくなっているという。
目立たないように、私は茶色のコートと帽子をかぶっている。アイリーンはというと、グレーのコートと帽子姿だった。蜂蜜色の髪はアップにして帽子で隠しているようだ。私は隣に立つアイリーンをちらっと見る。「なに?」と、首を傾げたアイリーンは丸いメガネをかけていた。
「そのメガネ、変装?」
「そうよ? 似合わない?」
アイリーンは両手をメガネに添えて訊く。私はプッと笑ってしまった。
「メガネくらいじゃ、あなたが美人だということは隠せないと思うわ」
メガネ姿でも、似合ってしまっているのがアイリーンだ。彼女はメガネを外すと、私の方をむいてスッとその私につける。「わっ、ちょっと」と、驚いてよろめく私を見て、アイリーンはクスッと笑った。
「あなたも似合うわ」
「余計に地味に見えるでしょう?」
「かわいいと思うわ。ずっとつけてる?」
「遠慮しておきます」
私はメガネを外して、アイリーンに返す。アイリーンももう変装はあまり意味がないと思ったのか、メガネをコートのポケットにしまっていた。
「さて、どうしよう……」
私は顎に手をやって考え込みながら呟いた。その私の袖をつかんで、「こっち」とアイリーンが引っ張る。どうやら裏口に回るようだった。
「下調べをしてきたから」
アイリーンは振り返り、ニコッと笑った。
「それは用意周到ね」
建物の間の狭い通りに入ると、ごみが散乱していて、野良猫のたまり場になっていた。猫たちに威嚇されながら、私とアイリーンは裏口に回る。従業員が利用していた出入り口のようだけれど、今はドアに錠がかかっていた。私は建物を見上げて、入れそうな窓がないか確かめる。けれど、どの窓も侵入や脱出防止の鉄格子がはまっている。
ガンッと音がして振り返れば、なんと、アイリーンが片脚を上げてドアの錠を蹴り飛ばしていた。
「えええええっ!?」
「ほら、開いた」
錠は錆びて痛んでいたのか、あっけなく外れてカンッと路地に落ちる。私はあ然として得意げな笑顔のアイリーンを見る。
「こ、公爵令嬢なのに……」
「今は不法侵入者でしょ?」
「こんな姿、誰か知り合いに見られたら、スキャンダルどころじゃない気がするわ……」
私は頭が痛くなって額に手をやり、溜息を吐いた。アイリーンは、「大丈夫。ハンカチでも巻いておくから」と、取り出したハンカチを口に巻いて顔を隠す。
「それじゃ、まるで強盗じゃない」
「そう見える?」
「ええ、立派にね」
肩を竦めて答えた私は、ドアを開くアイリーンの後に続いて建物の中に入る。一応、周りを確かめたけれど、私たちの犯行を見ているのは野良猫だけだ。急いでドアを閉めて、ひとまずホッとする。
アイリーンは壁にかけてあったランプを取ると、すぐにマッチで火を灯す。そういうところも用意がいい。手慣れていると言ってもいいかもしれない。
「ねえ、アイリーン。あなたって、もしかして……スパイ?」
私が尋ねると、彼女はびっくりしたように私を振り返り、続いてお腹を抱えて笑い出した。
「それは小説の読み過ぎというものよ。ドリス」
「だって、なんだか……」
少しも公爵令嬢らしくない。高貴なご令嬢はブーツの踵で錠を壊すなんて考えつきもしないだろう。今の姿を社交界の口うるさい人たちが知ったら、卒倒しそうだ。
「……かっこいいわ」
私はポツリと感想を述べるように呟く。アイリーンは私の顔をひょいと覗くと、顔を隠すハンカチをズラしてニコッと微笑む。
「ありがとう」
「そのハンカチ、あんまり意味ない気がするわね……」
「そうでもないわ。ホコリを吸い込まなくてすむもの。あなたもした方がいいわよ?」
確かにその通りだ。窓が閉ざされた廊下はひどくホコリ臭くて、空気が淀んでいた。私もハンカチを取り出して口許を押さえる。灯りを手に進むアイリーンの後に続いて歩きながら、ここに入り込んだ日のことを思い出す。あの日、カルマンがここで殺された。そのことを思い出すと、ゾッとして自分の腕をつかむ。
「大丈夫?」
気づかうようなアイリーンの声にハッとして、「ええ、平気よ」と頷いた。部屋を覗いてみたけれど、家具も撤去されていて、カーテンと不要になったものだけがいくつか残されているだけだった。
「ここ、売りに出されるのかしら……」
「もしくは、新しい借り手を捜しているところでしょうね。建物のオーナーはまた別にいるようだったから」
「そのオーナーは店とは関係ないの?」
「ええ、不動産の仲介業者を通して賃貸契約を結んでいたみたい。オーナーも仲介業者も、店のことはあまり関与していなかったようね」
「人が死んだ建物なんて、そう誰も借りたりしたがらないんじゃないかしら……」
「そうでもないわよ。気にしない人は多いわ」
「そんなもの?」
「ええ。公爵家のカントリーハウスなんて、王女が幽閉されていた塔だって健在よ? 首つり塔って呼ばれてるけど……幽霊話なんていくらでもあるから、気にしていたら夜は眠れなくなってしまうわね」
冗談めかすように、アイリーンは肩を竦める。
「それは……ちょっと興味があるわね。スリリングだわ」
「よかったら、遊びに来る? 招待するわよ」
「怪談話でもするの?」
「楽しそうでしょう?」
「そうね……でも、私なんかが行ってもいいのかしら?」
公爵家のカントリーハウスに招待されるなんて、他の令嬢たちから嫉妬されるだろう。きっと、招かれたいと思っている人たちは多いだろうから。
「もちろん、歓迎するわ」
アイリーンはランプを翳して廊下を進みながら、フフッと楽しそうに笑う。
そういえば、ダイアナともよく怪談話をしたっけと私は思い出す。夜中に一緒にベッドに入って、夜通し話をした。楽しかった記憶が、どんどん遠のいていくようで一抹の寂しさを感じる。あんな日々はもう、来ないと思うと――。
不意にアイリーンが足を止めて、私の腕をギュッと押さえる。顔を上げて、「どうしたの?」と訊こうとしたけれど、その前に彼女は唇に人差し指を当てて目配せしてきた。静かにという合図だ。アイリーンが向けた視線の先には階段がある。その階段の陰に人影が一瞬、人影が見えたけれどすぐに消えてしまった。足音と床板の軋む音も確かに聞こえた。
「まさか、幽霊……?」
私は小さな声を漏らす。
「さあ、どうかしら……」
アイリーンは私の手を引いて足音を忍ばせながら進む。階段の陰まで来たところで、私たちは足を止めて顔を見合わせた。階段の下に扉があり、わずかに開いて揺れている。誰かが通った痕跡だ。アイリーンは私から手を離すと、身をかがめる。私も身をかがめて、彼女がランプで照らした床に目をやった。
「靴跡?」
それも新しいもののようで、湿った土汚れが残されていた。
「子どものものみたい」
「建物に入り込んでいたのかしら? でも、裏口の鍵は閉まっていたわよね? あなたが壊すまで……」
家がなかったり、身よりのなかったりする子どもが、寒さを凌ぐために空き家に入ることは珍しくない。ただ、どこから入り込んだのかだ。
「どこか、入れる場所があるのかも」
アイリーンはランプを手に、そのドアを慎重な手つきで開く。地下へと通じる狭い階段があった。使用人や従業員が利用していた場所だろうか。
「あなたは、ここで待っていてくれる?」
アイリーンに訊かれて、「バカを言わないで」とその提案をはねつけた。アイリーンは「でしょうね」と、諦め気味に溜息を吐いて先に進む。
階段は石造りではなく、木の階段で、踏み外しそうな簡単な造りのものだ。進むごとに、ギッ、ギッと音がする。下に降りると、石造りの狭い通路に出た。
「この通路……随分と古いものに見えるわ」
積まれた石の角が掛けたり、罅割れたりしていた。ネズミがうろついているのを見て、「ひっ」とアイリーンの袖にしがみついた。彼女の方が平気そうな顔をしている。アイリーンの視線は通路の先に向けられたままだ。また足音が聞こえて、通路を曲がる人影が壁に映る。
「幽霊じゃないみたいね……」
彼女はそう言うと、スカートの裾を上げて駆け出した。私も緊張しながら、急ぎ足で後を追う。
バタンとドアが閉まる音がして、私とアイリーンは通路の角を曲がる。そこには木の扉があった。ノブに手を伸ばしたのはアイリーンだ。勢いよく開いた彼女は、迷わず飛び込む。
その場所は、石積みの壁や天井の小さな聖堂のようだった。祭壇に蝋燭の燃え尽きた燭台が置かれていて、祈りの像が佇んでいる。「ご、ごめんなさい、ごめんなさいっ!!」と、泣き叫ぶ声が聞こえた。見れば、アイリーンが祭壇の裏に隠れていた子どもを取り押さえている。粗末な靴と服を着た十歳くらいの女の子だ。私はアイリーンと少女に駆け寄る。
「こんなところで、何をしてるの?」
私が身をかがめて尋ねると、少女は怯えたように涙をいっぱい溜めた目で私とアイリーンを見る。痩せ細っていて、足や顔には痣もあった。
「な、な、なにも……してたの……悪いことしてないの……だから、許して……っ!!」
少女はうずくまりながら、必死に請うように声を上げる。アイリーンは困ったような顔をして少女から手を離していた。
「大丈夫よ。私たちはあなたを捕まえに来たわけじゃないわ」
私が手を伸ばして少女の頭に触れると、彼女は殴られることを警戒するように身を竦める。けれど、私がすぐに手を引っ込めたのでオドオドした様子でこっちを見ていた。
私はアイリーンと顔を見合わせる。アイリーンは自分には子どもの相手は向かないとばかりに、肩を竦めていた。私に任せるつもりなのだろう。私は「そうだ」と、スカートのポケットをさぐる。飴をいくつか入れていたことを思い出したのだ。それを、「はい、どうぞ」と少女の手に握らせる。
おっかなびっくりしたようにその飴を見ていた少女は、「食べて……いい?」と私たちの様子を伺いながら訊く。「ええ、もちろん。全部あげるわ」と、私は警戒させないように笑顔で頷いた。
包みを開いて飴を頬張った少女は、その甘さのおかげで涙が引っ込んだようだった。夢中で飴を口の中で転がしている。少女が落ち着くのを待ってから、私たちは話を聞くことにした。
「それで、どうしてここにいたの?」
「…………他に行くとこ……ないから」
少女は恥ずかしそうに俯いて、小声で答える。
「そう……ずっと、前からここに住んでるの?」
私の質問に、彼女は素直に頷いた。
「…………ここにはどうやって入ったのか教えてもらえる?」
「そこ……」
少女は祭壇の裏を指差した。アイリーンが立ち上がり、祭壇の裏を覗く。それから私の方を向いた。
「子ども一人なら通れそうな穴が開いてるみたい。壁が崩れたのね」
ということは、そこから通りに出られるのだろう。
「ここは……どういう場所なのか、わかる?」
「お祈りの場所……時々、女の人たちが来るの……司祭様みたいな人のお話を聞きに」
少女はおずおずと答える。
「どんなお話をしてたか……あなたは聞いていた?」
少女は少し考えてから、首を横に振る。子どもには難しい話だったのかもしれない。
「他に、何か見たことは?」
「男の人たちがやってきて……床に何か入れてた……大きな袋みたいなもの……」
「どこか覚えている?」
「うん……そこ……」
女の子は古い木のチェストが置かれている場所を指差す。私とアイリーンは立ち上がると、チェストのある場所まで移動した。棚に入っているのは、祭祀で使う道具のようだった。開いて見たけれど、大きな麻袋が入るような場所はない。少女は「違う、床」と、駆け寄ってきて言う。怖いのか、ギュッと私のスカートをつかんでいた。
私は少女に少し離れているように言ってから、アイリーンと一緒にチェストを押して横にずらす。絨毯の一部をめくってみれば、取ってのついている木の扉があった。私が手を伸ばそうとすると、アイリーンがそれを止めるように腕をつかむ。
「アイリーン?」
「あなたもちょっと下がっていて……ほら、ネズミが飛び出してくるかもしれないでしょう?」
彼女の言葉に、私はうっと顔を強ばらせる。それは確かにちょっと嫌だ。けれど、アイリーンだけに任せるわけにはいかない。手伝おうとしたけれど、それよりも先にアイリーンは取ってをつかんで躊躇なく扉を開いていた。その途端、ひどい悪臭がして私もアイリーンも咄嗟に手で口許押さえた。
「これ……」
顔をしかめて、むせそうになりながら口を開く。暗い穴を見つめるアイリーンの表情は、今までみたことがないくらい険しかった。だから、私は声をかけられず、しがみついている少女の体を抱き寄せる。
「………………警察を……呼んだ方がいい…………」
かなり時間が経ってから、アイリーンが掠れた声で言う。私は恐る恐る穴に視線を向ける。黒く変色した麻袋がチラッと見える。それが何なのか――今は考えるのが怖かった。




