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第三章5 カフェでの相談

  表通りにあるカフェに入った私とアイリーンは、お茶とケーキを注文する。ケーキはワゴンで運ばれてきて、その中から気に入ったものを選ぶのだけど、私はドライフルーツのパウンドケーキ、アイリーンはベリーのパイを頼む。ティーセットが運ばれてきて、お茶を飲みながらケーキを味わう。

「おいしいっ! アイリーン、このお店に来たのは初めて?」

 私がパウンドケーキを頬張って訪ねると、アイリーンは「二度目よ」と微笑む。

「その時、一緒に来ていた人がね……このベリーのパイを美味しそうに食べていて……その時には私はお茶だけしか頼まなかったから、ちょっと後悔してたのよ。だから、もう一度来たかったのだけれど……」

 懐かしさと痛みを含むような眼差しで、アイリーンは両手で持ったカップを見つめている。何かあったのだろうかと、私は彼女のそんな少し寂しさを漂わせた表情を眺めていた。

「ケンカ……しちゃったとか?」

 何気なく尋ねると、アイリーンが私を見る。

「そうね……ケンカというのかも。もっと、ちゃんと言葉を尽くして、伝えるべきことを伝えていればよかった……」

 窓の外に視線を移すアイリーンの表情が曇る。後悔しているのは、パイを頼まなかったことではなく、きっとそのことのほうなのだろう。それ以上、深く聞くのは、踏み込みすぎよと、私は口を閉ざす。それから、「ねえ」と顔を上げた。

「一口、食べる? このケーキもすごくおいしいから」

 私がドライフルーツのケーキの皿を差し出すと、アイリーンはパチッと瞬きして優しい表情で微笑む。

「それなら、交換しましょう」

「それはすごくいい考えだと思うわ。実はね。あなたのそのケーキを食べてみたくって提案したんだから」

 冗談めかして答えると、彼女はおかしそうに肩を揺らす。笑い方も、いつ見ても上品だ。こうして見ると、やっぱり彼女はウィリアムによく似ている。目元も口元も、話し方や、仕草までも。


 ケーキを交換してお互いに一口食べる。「うんっ、パイがサクサクでおいしい!」と私は、感動して声を上げた。アイリーンは、「このパウンドケーキもすごくおいしいわ。お酒が効いてるのね」とよく味わっている。

「アイリーン、その台詞……酔っ払いの感想みたいよ?」

「ケーキに入っているくらいのお酒で酔ったりしないわよ?」

「それはそうでしょうけど。私が作ったケーキを食べた時も同じこと言ってたじゃない」

 私が呆れて言うと、彼女は「そうだったかしら?」と首を傾げる。それから、「あの時のケーキの方が好きね」とクスッと笑った。私を見る目がからかうように煌めいていて、つい見とれてしまう。

「…………私、男の人でなくてよかったわ」

 呟いて、彼女にパイの皿を返す。彼女も私にドライフルーツのケーキの皿を渡してきた。「どうして?」と、キョトンとした表情になっている。

「だって……きっと、あなたに夢中になってたわ。多くの男の人と同じようにね。そうなったら、きっと私なんて少しも相手にされない哀れな取り巻きの一人になっていたもの」

 残りのケーキを食べると、確かにアイリーンの言うようにお酒の香りが強かった。大勢の取り巻きの一人では、こんなふうにアイリーンと向かい合ってケーキを食べることなんて許されなかっただろう。


 アイリーンは目を丸くしていたけれど、急に我慢できなくなったように笑い出す。声を抑えているけれど、近くのテーブルにいた人たちには聞こえたらしく、おばさまたちが「まあ、何かしら」というような表情でこっちを見ていた。

「そんなにおかしいことは言ってないわ」

「何を言うのかと思ったら。それなら……私が男の人だったらどうしていたの?」

 アイリーンがそんなことを面白がるように聞いてくるから、私は言葉に詰まる。その顔に、ウィリアムの顔が重なって見えたからだ。アイリーンが男だったら、きっとウィリアムのようだっただろう。

「きっと……近寄りもしなかったわね」

 私は肩を竦めて答える。アイリーンはまた、声を抑えて笑っていた。今度はなかなか笑いが収まらないようで、前屈みになって口許を手で押さえている。


「だってそうじゃない。あなたが男でも女でも、きっと大人気でしょう?」

 私は恥ずかしくなって小さな声で言う。

「そんなことはないと思うわ。それに、私の周りに人が集まるのは、公爵家のせいよ。私がどこの誰でもなかったら、きっと見向きもされないでしょう?」

 アイリーンは目尻を指で拭いながら言うけれど、私はそうは思えなかった。彼女なら、どこの誰でもなくても、きっと目を引かずにはいられないだろう。


「それよりよ! 大事なことを話さなきゃいけないでしょう?」

 私はテーブルに少し身を乗り出して、声を潜める。雑談は楽しいけれど、そのことのために今日はアイリーンに会いたかったわけではない。

「あっ、そうだったわね……」

 お茶を飲みながら、アイリーンもようやく本来の目的を思い出したようだった。

「あなたのお兄様から……昨日のことは聞いている?」

「ええ、聞いてるわ。ドリス、私はあなたに任せていったでしょう? それなのに、無茶をするんだから……」

 アイリーンは小さく溜息を吐いて、咎めるように私をチラッと見る。

「だって、あなたから何の連絡も来ないんですもの! それに……あのお店で働くことになったのは、ちょっとした偶然だったの。それに、厨房の仕事だから危ないことはなかったわ」

「銃を突きつけられて、撃たれそうになっていたのに?」

 ジッと見つめてくるアイリーンから、私は「それは……」と視線を逸らす。

「ドリス。わかっている? 殺されそうになったのよ。どこが危なくないの? もうちょっとで、死体がもう一つ増えるところだったのに!」

「それは……ごめんなさい。心配かけて……あなたのお兄様にも迷惑をかけたわ」

 私はしょげて俯く。

 アイリーンは怖い顔をしていたけれど、ふっと息を吐いていた。呆れているのだろう。


「せめて、そういうことは相談してほしかったわね」

「そうしたかったんだけど……知ったら、あなたは止めるじゃない?」

「当たり前でしょう? 逆の立場だったら、あなたは私の振る舞いに目を瞑ってくれる?」

 アイリーンにお説教されて、私は「む、無理だと思うわ」と正直に答えた。アイリーンが娼館の厨房に潜入するなんて、考えられもしない。そんなことを彼女が言い出したら、全力で阻止していただろう。


「ドリス、約束してちょうだい。今度から、何かをする時には絶対に一言相談して。手紙でもいいわ。すぐに返事を書くから」

「でも……あなたは忙しいだろうから、そういうことで煩わさせるのは気が引けてしまうわ」

「あなたがまた、私に黙って一人で危ない場所に出入りしていないか、気を揉んでいるよりはずっといいわ。それに、今の私にあなたとの用事以外で大事なことなんてないわ。もし、約束できないようなら……」

「約束できないようなら……?」

 アイリーンの強い眼差しに気圧されて引き気味になりながら、私は聞き返す。

「理由をつけてあなたを公爵邸に移し、四六時中監視していないといけないわね」

「そ、それは……困るかも」

 何よりも、公爵家に迷惑をかける。

「じゃあ、約束してくれる?」

「そ、そのかわり……あなたもちゃんと連絡をちょうだいね。アイリーン。あなたから連絡がなくて、やきもきしていたんだから」

「それは……私も悪かったと思っているわ……」

 アイリーンはそう言ってケーキを頬張りながら、小さく溜息を吐く。

「あなたのお兄様って……あなたにそっくりなのね」

 私がふとそう言うと、アイリーンは少しむせてお茶を飲んでいた。澄ました顔をしているけれど、ちょっと慌てたようだ。

「ええ、すごく似てるわ。双子かと思ったくらい」

「よく言われるけれど……性格はそんなに似ていないのよ? お兄様は引きこもりで、人に会うのを嫌う性格だし」

 困ったように彼女は言う。私は「そうかしら?」と、彼の表情を思い出す。むしろ、女性の扱いにはとても慣れているように見えたけれど。大学の頃、遊び人だったから? 


「あなたのお兄様……他に何か言っていた?」

 私は少し気になって尋ねる。アイリーンとどんな話をしたんだろう。私のことは、何か言っていたんだろうか。

「……他にって?」

「あ、呆れていたとか……」

「そうね。無茶をする人で驚いたって言ってたわね。でも、あなたのおかげで、一つわかったこともあるわ」

「わかったこと?」

 私が視線を上げると、アイリーンは「ええ」とバッグから紙を取り出す。

「それ、シェリー=リンドの?」

 カメオの裏に刻まれていた図案を、ウィリアムが写し取ったものだ。何かわかったのだろうか。


「カルマン=アンダーソンを殺害した、娼婦のことを覚えている?」

「ええ、川に浮かんでいたという人よね……」

「ええ、あの人も月の舟で働いていて、殺されたシェリー=リンドとも顔見知りだった……それに、どうやらその女性も読書会と関わりがあったみたい」

「どうしてわかったの?」

「警察で遺留品を見せてもらったからよ。彼女のポケットから、同じ図案のハンカチが見付かってる。それは今朝、私も確かめてきたから間違いないわ……」

「ハンカチ……ということは、その女性も読書会に参加していたの?」

「そうでしょうね。偶然とは考え難いとは思わない?」

 アイリーンの言葉に、私はテーブルの紙を見ながら考え込む。娼婦が二人、読書会に参加していた。それはただの読書好きの集まりだろうか。あまり、接点が見いだせない。


「その読書会って、どこでやっているのかしら……」

 私が尋ねると、アイリーンは「そこまではわからないの」と首を振る。それから、私を見て少し躊躇するように黙っていた。

「アイリーン?」

「いえ……こんなことを聞くのは、ちょっとはばかられるんだけど……あなたの親友、ダイアナは読書が好きだと話していたわよね?」

「ええ、そうよ。学生の頃から図書室や図書館がお気に入りの場所だったわ。小説も書いていたから」

「そのエリンコット嬢から、読書会の話を聞いたことはない?」

 真剣な表情でアイリーンが訊く。私はハッとした。彼女が言わんとしていることがわかったからだ。

「ダイアナも、その読書会に参加していたというの?」

「わからないわ……でも、彼女はあの秘密クラブの場所をメモに残していたでしょう?」

「ええ……でもそれは、カルマン=アンダーソンが出入りしていたからでは?」

 私は眉根を寄せて、小さな声で話す。周りは賑やで、私たちの会話に聞き耳を立てている人はいない。おばさまたちの笑う声が聞こえてくる。


「あの秘密クラブの地下で、毎週水曜日に集まりが開かれていた……そのリストはお兄様が見つけたの」

 そうだ。あの時、アイリーンの兄のウィリアムもあのクラブにいた。

「その中に……ダイアナの名前もあった……なんて言わないでよ?」

 私は不安になって訊く。アイリーンは視線を下げて、「あったわ」と小さく答える。

「まさか!」

「他にも、シェリー=リンドや、亡くなった娼婦の名前も……」

「何の集まりだったの?」

「わからない。ただ、その集まりには女性しか参加できなかったみたい。店が閉まっている日に、女性だけが集まって、何かをしていたことは確かよ」

「それなら、店に行って調べてみたら……」

 私はテーブルに身を乗り出して、ひそひそ声で話す。

「店はあの事件で閉店になったわ。オーナーも、働いていた人たちも姿を消している」

「そんな……じゃあ、何も残ってないの?」

「店はそのままになっているとは思うけれど、証拠や足取りがつかめるようなものは何も残されていないでしょうね」

 アイリーンも前のめりになって声を潜めながら、小さく首を振る。私は通りに目をやってから、彼女に視線を戻した。

「ねえ……」

「ダメよ」

 すかさず返事が返ってきて、私は「まだ、何も言っていないわ」と答えた。


「あなたの考えていることなんて、お見通しです。店に行ってみようと思っているんでしょう?」

 アイリーンは疑うような目になっていた。私は「あはは」と笑ってごまかす。

「…………見逃してくれない? これって重要な手がかりだと思うの」

「さっき約束したことを、もう忘れてしまったの? ドリス。本当に、あなたを公爵邸に監禁しちゃおうかしら? うちは使用人が多いから、逃げ出すのは難しくてよ?」

 脅すように言われて、私は「勘弁してちょうだい!」とテーブルに突っ伏す。

 でも、ダイアナがもし――その読書会とやらに参加していて、あの秘密クラブに出入りしていたのだとしたら。これは調べないわけにはいかない。

「ダイアナは私に秘密なんてなかったはずなのよ。どんなことでも、私たち話し合ってきたんだもの……」

 けれど、彼女の口からは一度もそんな読書会の話を聞いてはいない。私に相談できないようなことなんて何もなかったはずなのに。私の知らない顔、知らない秘密があったのだろうか。私は少し寂しさを覚える。私にはダイアナに秘密にしていることなんて、何一つなかった――。誰よりも信頼していたし、大切な親友だったからだ。

(私はダイアナにとって、そうじゃなかったのかしら……)

 

 そう思いたくはなくて、私は首をフルフルと振る。温くなったポットのお茶をもう一杯、カップに注いで飲み込んだ。

「やっぱり……私自身の手で調べたい……誰かに任せるのは嫌よ……」

「そう言うと思ってたわ……」

 アイリーンは諦めたように息を吐いて、困った人ねというように微笑む。

「協力……してくれる?」

「あなた一人だと、何をしでかすかわからないもの」

「ええ、そうね……私が勝手に動くと、また死体が増えそうだわ……」

 冗談めかして言ったつもりだけれど、少しも冗談に聞こえなくて苦笑いになる。


「じゃあ、今夜……日が落ちてから落ち合いましょう。今晩はうちに泊まることにすればいいわ」

 アイリーンが人差し指を上に向けて提案する。

「あなたはお屋敷を抜け出せるの?」

 夜中に貴族の令嬢が使用人も連れずに出歩くのは難しい。屋敷の者なら、必ず止めるだろう。

「夜会に出かけると言えば、いくらでもごまかせるわ。あなたが無理そうなら……」

「いいえ、行くわ! 絶対行く。それこそ、アイリーンだけ行かせるわけにはいかないわよ」

「そう。じゃあ、今夜……そうね。あなたのお屋敷に馬車を向かわせるわ」

「いいの?」

「その方が言い訳が立つでしょう?」

 アイリーンはにっこり微笑む。

「ええ、そうね……そうしてもらえるほうが私としてもありがたいわ」

 公爵家の馬車に乗って彼女の屋敷に泊まりに行くなんて、メアリーが知ったらきっとハンカチを噛みしめて悔しがるでしょうね。もちろん、わざわざ教えるつもりはないけれど。





 

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