第三章4 休館日
「お帰りなさいませ」
屋敷に戻ったウィリアムを出迎えたのは、従者のエドワードだ。帽子とコートを渡し、「ああ」と返事をする。明け方近い時間だ。静まり返った屋敷に、灯りだけが灯っている。
「まだ、起きていたのか」
「仮眠は取りましたよ」
エドワードは主の夜遊びには慣れているばかりに澄ました表情で答えた。階段を上がり、部屋へと向かう。その後を一歩遅れてエドワードがついてくる。
「悪いが、これについて調べておいてくれ。ああ、休んだ後でいい」
ウィリアムはポケットから取り出した用紙をエドワードに渡す。ドリスが拾ったカメオのブローチの後ろに刻まれた紋様と文字を写し取ったものだ。それを見て、エドワードは軽く眉を潜めた後、「承知しました」と頭を下げる。
「今日はもう下がっていい。すまなかったな」
「いいえ」
エドワードは部屋の前で引き返していった。それを見送ってから部屋に入る。灯りは点いていて、暖炉で暖めてあった。テーブルには、ウィスキーボトルとグラスも用意されている。そのグラスを取り、ウィスキーを一杯飲んでから、タイを解いてソファーに腰を下ろした。
「読書会…………」
呟いて、思案するようにグラスを見つめる。
「読書会?」
「ええ、そう。最近お友達と一緒に行っているの」
「君が読書好きだったとは知らなかったな。何を読むんだ?」
「色々よ。詩を読み上げたり……みんなで感想を言い合ったり。でも、女性だけの秘密の集まりなの。だから、あなたは参加できないわね」
「それは実に残念だ」
「まあ、少しも残念そうには聞こえないわね」
そんな風に、屋敷のテラスで親友だったルナと話した記憶がふと頭を過る。
(ルナが失踪する三ヶ月前か……)
今思えば、不自然なことも多かった。読書なんて少しも興味がなかった彼女が、急に読書会に参加するようになったこと。その集まりのことも、詳しくは話してはくれなかった。どこで行っているのかも、誰が参加しているのかも。秘密の集まりだからと、笑って誤魔化してばかりいた。
「それにしても……」
まさか、ドリスが娼館の厨房で働いているとは思ってみなかった。伯爵家の令嬢なのに、まったく驚くべき行動力と無鉄砲さだ。それだけ、親友の死の真相を解明したい気持ちが強いのだろう。正義感だろうか。なんにせよ、少しも大人しくしていられない困った人だ。あまり、危なっかしいことをしてほしくはないのだけど。きっと彼女は、言っても聞かないだろう。ウィリアムは頬杖をついて夜に染まる窓の外を眺めながら目を細めた。
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夜遅くに屋敷にこっそり戻った私がベッドに入り、目を覚ましたのは翌日の昼前だった。すっかり寝坊してしまったようで、窓の外は明るくなっている。廊下で遭遇したメアリーの「夜遊びでもしているんじゃないでしょうね。随分といいご身分だわ」という嫌みを笑って受け流し、食堂に向かう。朝食を食べながら、目を通した朝刊には娼館の殺人事件のことは載っていなかった。昨晩のことだから、記事が間に合わなかったのかもしれない。それとも、よくある事件として片づけられており、記事に載るほどでもなかったのか。
私は「何も分からないじゃない」と、溜息を吐く。
(今日は、アイリーンに会って話をしなくちゃ……)
アイリーンの兄であるウィリアムは、彼女に頼まれて娼館を調べてくれていたのだろう。きっと兄から、昨晩の出来事は聞いているはずだ。私が厨房で働いていたことも話しているかもしれない。とはいえ、公爵家に知らせもなく訪れるのは無作法だと思われるだろう。手紙を書いてもいいんだけど。少し行儀悪くフォークを揺らして考えていた私は、カップに残っていた紅茶を飲み干してから立ち上がった。
迷っているより、図書館に行ってみるのが早そうだ。アイリーンも私と話がしたくて、訪れるかもしれない。私はメイドさんに出かけることを告げて着替えをして、コートを羽織って屋敷を出る。今日もメアリーと叔母様は、買い物に出かけるようで、私がどこに出かけるのかは詳しくは聞いてこなかった。きっと、今日買うドレスのことで頭がいっぱいで、私のことなんて少しも興味がないのだろう。それはそれで、干渉されないだけ気が楽ではあった。
公園の隅にあるいつもの図書館に行くと、今日に限って休館になっていた。「うそ……お休み!?」と、私は「CLOSE」と書かれたプレートのかかるドアの前でがっくりする。これでは、アイリーンが来ていたとしても帰ってしまっただろう。困ったなと、私は落ち葉の舞う公園を眺める。仕方ない。今日のところは手紙を書いて、また明日にでも来よう。そもそも、今日だって会う約束があったわけではない。私が勝手に会えるかもと期待してやってきただけだ。社交界でも引っ張りだこのアイリーンが、私のように暇であるはずもない。なにせ、彼女は公爵令嬢だ。王宮のお茶会にだって、誘われるような人である。それなのに、私のような田舎者のしがない貴族令嬢の友人でいてくれるのが不思議だ。普通なら、話しかけられもしない。彼女の取り巻きの一人に加えてもらうことだって、簡単ではない。
アイリーンがあまり、身分や格式を気にしない人だからっだろうか。ああいう人こそ、本物の貴族令嬢というのだろう。
「私は幸運ね……」
呟いて公園内を歩く。枯れ木ばかりとなった園内は散歩する人もほとんどいなくて、物寂しさが漂っていた。小さな池があり、その周りに遊歩道が整備されている。私がふと足を止めたのは、ベンチに座って本を読んでいたアイリーンの姿を見つけたからだ。寒いからか、コートを着て、マフラーも巻いている。私には気付いていないようで、視線は本に向けられたままだ。
私は悪戯を思いついて、彼女に気付かれないように白樺の木立の間を迂回するように移動する。そして彼女の背後に回りこみ、身をかがめながら足音や物音を立てないように気をつけながら近付く。後ろから、ベンチに座っているアイリーンを「わっ!」と驚かして抱きついた。けれど、反応はない。
(あれ? ダイアナはいつもこの手で驚いてくれたんだけど……アイリーンには効かなかった?)
私は抱きついたまま戸惑って彼女の横顔を見る。
「…………もしかして、気付いてた?」
「ええ、とっくに。あなたが移動しているのもちゃんと見えてたわ。何をしてるのかと思ったけど」
アイリーンは茶目っ気のある表情で、私と目を合わせる。私は「なんだ……」と、拍子抜けして息を吐いた。アイリーンは本を閉じてクスクスと笑っている。驚かせようとしたことは怒っていないようで、不快にも思っていないようだった。むしろ、楽しそうだ。私はそのことにちょっとホッとした。嫌がられたらどうしようって、少し思ったから。
私はパッと腕を果たしてベンチの裏を回り、彼女の隣に腰を下ろす。
「いつから来ていたの?」
「三十分ほど前かしら。図書館に行ったのだけど、休館だから……ここで待っていたの」
「……私を?」
私は驚いて自分の顔を指差す。
「他に誰を待つと思うの?」
「……うーん、デートのお相手?」
「残念。そんな相手は今のところいないわね。あなた以外は」
アイリーンは前を向いて微笑む。その頬がほんのり赤くなっていた。私は無意識に手を伸ばして、ピタッと彼女の頬に当てた。びっくりした顔をして、彼女がこっちを見る。
「頬、冷たくなってるわ。冷えたでしょ?」
三十分もこんな寒風の吹く中で待っていたのだから当然だ。彼女が風邪をひいてしまっては、責任を感じる。
「平気よ?」
「そんなわけにはいかないでしょ。温かい紅茶を飲めるところに移動しないと!」
私は彼女の手を引っ張って立ち上がる。
「そうね、その考えには賛成だわ」
アイリーンは私に手を引かれながら笑って答えた。




