プロローグ/ラッパの音
ーー天よ。世界を救い給え。
ーー天よ。世界を苦しめる魔王を沈め給え。
ーー天よ。天使よ。神の使いよ。人に魔と戦うだけの力をーー
「ーーなら、君がその番だ」
脳に響く声。子供のような大人のような、男のような女のような形容しがたい声が頭の中で直接聞こえる。
これは天啓。世界のごく一部の人に訪れる奇跡。この声を聞けるものは王でもなく奴隷でもなく、分け隔てることなく平等に機会が訪れる。
そのものは奇形が故に見世物になっていたり。身売りで体で金を稼ぐ娼婦だったり。すべてを手に入れていた王だったり。もしくはその側近であったり。場所も性別も歳も能力も考慮されることはなく、まさしく命の上で平等に降り注ぐ。
ーーいや。俺の場合は、それは洪水のような、豪雨のような、瀑布のような、嵐のような、脳の容量を遥かに決壊するほどの情報量と共に墜落した。
「ーー耐えれたね。さすがは【勇者】の素質を持つだけある。ボク/ワタシの目利きもここまでくれば万能だ。ごめん今のは忘れて。万能は■の領域、そちらの要領を得る権限はない。浮かれすぎた、申し訳ない」
命を潰すほどの情報ーー世界の歴史と魔王の所業、虐げられた人々の苦痛ーーに頭が割れそうになり嘔吐と脂汗に溺れた俺の中にまた声がした。その主が誰かは、おおよそだが想像はつく。歴史が教えてくれた。
「ああ、言わなくていいよ。今の君は適応に時間がかかる。それに君の考えていることも手に取るように理解できる。君が思っている存在で相違ない。この存在に名詞はないが、君たちの言葉で表すならまさしくそうだ」
その言葉から始まった。俺のーー勇者としての道程は、今目の前にいる存在を打ち破ることで完結する。
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「……こんなときに、思い出に没入か。ワタシも舐められたものだな、……勇者ジョン」
魔王とはーーこの世界を悪で侵略する魔の王。人の王とは違い、一柱で世界すべてを支配するほどの力を持ち、それが従える魔族・魔物は魔王の言葉一つで命を投げ捨てるほどの尽力をする。魔の圧倒的なカリスマであり、人が打ち破らないといけない宿敵。
そんな存在が、いま命の火が消えようとしている。四本生えていた角は三本が折られ、巨大な翼は千切れ、三度変身したことで得られた力の解放も今では脅威に感じない、それほどの満身創痍となっている。
それを同じようにボロボロになっても剣を構えた勇者ジョン様。この戦いが終わったら私の夫に、王都の騎士になるお方。私と一緒に王である父から王都のすべてを継承するお方。
これまでの戦いを微力ながら支え、多くの試練を共に乗り越えてきた。戦士も聖職者も、私も最後の戦いでの負傷でもはや動くことはできない。
その中で、勇者ジョン様だけが、笑うほど震える膝を奮い立たせて、宿敵である魔王を討ち取るために剣を握っている。
「……ワタシの提案を断り、この世界とともに滅ぶとばかり思っていたが、怨敵よ。貴様の強さは本物だった。貴様に討たれるなら、悪くない」
「黙れ! 魔王になんて褒められたくもない! それで人々の苦しみが晴れるものか! この一閃は、世界すべての恨みだ! この一刀でーー」
「やれ。使命を果たせ。これはその戦いだっーー」
魔王の言葉が終わる前に、勇者ジョン様の白刃は魔王の首を刎ねた。最期の表情は、どこか笑って見えた。
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「ーー姫。いかがなされた」
「……いえ、思い出していただけです。あなたとの、最後の戦いを」
大勢の人が私達を見ている。それもそうだ。今日は戴冠式。王である父が王政を退き、そのすべてを娘である私が引き継ぐ。父が繁栄させたこの都を、魔王軍の侵略を耐え、復興したこの国を、この式典を経て、私が担う。
その圧力は尋常じゃない。私を見ているすべての目が、私を測る。私を監視する。私を評価する。今ここにいない民のものまで父は背負っていたのかと恐怖する。儀式用の杖を握る手に汗が滲んだ。被ったティアラが首を折るほど重いと錯覚する。コルセットの苦しさなど忘れるほどの未来が押し寄せる。
「姫。安心してください。あなたの側には、このジョンがいる」
普段と違う言葉遣い。魔王との戦いが終わって五年。彼と出会ったのはもっと前。町中で俺は勇者だと宣う浮浪者が、洗礼の鏡が勇者の素質を証明したことで、王都の古い言い伝えに従って一緒に旅をした。
乱暴な言葉遣いに何度喧嘩したことか。何度も口を利かないと言い合い、背を向けて座り、けどまたすぐに正面を向いた。たくさんの思い出が、彼との絆だと、この場でかけてくれる言葉で感じられる。
ああ。私はジョン様が好きだ。そう思って、けど結ばれることはないと思っていたのに、旅の途中で気持ちを確かめ合い、父に許しを得て、ーーこうしてこの日を迎えた。
「ええ、……勇者ジョン。そして騎士ジョン。剣を」
軽く、けどはっきりと「はい」と言葉を紡ぎ、ジョン様が跪いて剣を抜いた。刃を軽く掴み柄をこちらへと向ける。それを受け取り、寝かせた刃を彼の肩に置く。
一連の儀式で、私は女王となり、ジョン様は騎士であり王配となった。この国は今日から、また新しく始まる。父に恥じぬよう、勝ち取った平和を噛み締めながら、私とジョン様でーー
世界にラッパの音が響いた。




