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花売りのメリル

あの花を咲かせて

作者: 安常朱音
掲載日:2026/02/13

この大陸にはほんの僅か、魔法を使える者がいる。


その魔法を用いて国に仕える者を『魔術師』と


国に属さず、市井の中で善行を重ねる者を『魔法使い』と


そして何にも属さず、誰にも与えず、

ただ利己的に魔法を使う者を、人々は『魔女』と呼んだ。

今から半年ほど前。


レイビー王国の王都を訪れていたメリルは一人、次の町へ向かうため川沿いの街道を歩いていた。

季節は初夏、その昼下がり。

大陸の最北に位置するレイビー王国であっても、昼の日差しは身に刺さる。


黄色いワンピースの上に白い長袖のカーディガンを羽織ったメリルは、そのカーディガンを脱ぐか脱がないか迷っていた。

(脱げば少しは涼しいか?いや、この暑さだと直射日光の方がキツい気がする…)


川から一段高いところにある街道は、日陰になるような木や建物が何もなく、この日は風も吹いていない。

真っ直ぐ続く一本道と雲一つない晴天は、その美しさと裏腹に、やすやすと人の命を奪いそうだった。


現に、メリルの飼い猫のチビは暑さにやられ、メリルが肩から下げたカバンの上でグッタリしている。

(一度休憩したほうが良いんだけど、川があっても日陰がないんじゃ、身体が休まらないんだよな)


どうしたものかと川辺に目を向けた時、メリルは道の端にまだ新しい二本のワダチを見つけた。

川側に向かって滑り落ちるように刻まれた短いワダチは、その幅から荷車のもののようだ。

一瞬で血の気が引いて、メリルは急ぎ途切れたワダチの先を覗き込んだ。



そこにはメリルが予想した通り、小さな荷車がひっくり返っていた。

幸い川に落ちる手前で荷車は止まったようだが、その横で男が一人へたり込んでいる。

「あっ、大丈夫ですか⁉」

これはマズイと思い、メリルは斜面を降りた。


「…あ、あぁ大丈夫。ありがとうお嬢さん」

駆け寄るメリルを見て、へたり込んでいた男がゆっくり顔を上げた。

濃い金髪に白髪の混じった壮年の男は、自らを花屋のターナーと名乗った。

「心配してくれてありがとう。

王都から帰る途中だったんだけど、ちょっと他の馬車とのすれ違いに失敗しちゃってね」

「お怪我ないですか?」

「ああ。僕は大丈夫。かすり傷だよ。

けどこの通り、相棒がね…」

そう言ってターナーはひっくり返った荷車を指した。

どうやら荷車にも大きな破損はないようだが、小さいとはいえ荷車はなかなか重い。

ターナー一人では、ひっくり返った荷車を元に戻すのも、それを街道まで引き上げるのも難しそうだ。


「馬車とすれ違ったっておっしゃいましたよね。

相手は何処に行ったんです?」

「そのまま王都に向かって行ったよ。

たぶん僕の代わりに、王都で誰かに助けを求めてくれてるんだと思うんだけど…」

状況の割にターナーは妙に落ち着いているが、その言葉の端々にメリルは不安がよぎった。


「『たぶん』ですか?

えっと…すれ違った時、相手の方とお話は?」

「いや?僕がここに転がって、それからすぐに街道のほうを見上げたんだけど、相手の馬車はそのまま行っちゃったよ。

まぁお互い、ぶつかったわけじゃないし、意外とそんなものなのかもね。

王都に向かう人は急いでることが多いから、あの人も何か急いでたんじゃかな」

へらへらと笑うターナーに不満や苛立ちが全く見られず、それがかえってメリルの不安を更に煽る。


「え…っと、もしかして相手は顔見知りの方なんですか?」

「いや、顔ははっきり見なかったけど…たぶん知らない人だったと思うよ。

…あー。

え、でも。困った時は助け合いだろ?大丈夫だよ。

きっと一度王都に行って、それから戻ってくるんだと思うから、まだ時間がかかるだろうし…。

とりあえず、もう少しここで待ってみるよ」

メリルが言わんとすることを察し、ターナーは少し困った顔をするが、しかし、それでもまだ、彼を助けもしなかった相手を信じているらしい。


「ばっ………!」

思わず素が出そうになったのを何とか引っ込めて、メリルは一度深呼吸をした。

「いえ…すみません。

ターナーさん、川沿いとはいえ日陰もないこの炎天下で、ただ待っているのは危険です。

ですから…」

そこまで言って、メリルはふと思い返した。

王都を出て、この街道に入ってから、メリルはまだ誰ともすれ違っていなかったことを。

(私がこの街道に入って、もう小一時間。…え、このおじさん、この炎天下に何時間ここにいたの!?)


メリルは突然、右手で乱暴にターナーの左手首を掴み、脈を確認する。

「え?え、どうしたの、急に?」

戸惑うターナーを無視して、メリルは空いた左手でターナーの額にも触れた。

「…脈は大丈夫、熱もなさそう。

ターナーさん、目眩や吐き気はありませんか?」

「あ、いや、大丈夫だと思うけど…」

「じゃあ一度、立ってみてください。

手を貸しますので、無理せずゆっくりと」

メリルはターナーの左手を掴んだまま立ち上がり、ターナーにも立つよう促した。


メリルに促されるまま、ゆっくりと立ち上がったターナーは、立ち上がりこそ少しふらついたが、立ち上がるとすぐ姿勢を正し、しっかりとした足取りで数歩、歩いてみせる。

「なるほど、熱中症の可能性か。心配かけたね。

でも、どうやら大丈夫みたいだよ」

「えぇ、それは良かったですが…

これ以上、ここに長居しないほうがいいですね」

ほっと息を吐いたメリルは、どこか諦めたような表情で荷車の影で休んでいたチビに声をかけた。


「チビ、上の道を見てきて。

もし道の両方に誰も居なかったら『ニャッ』って鳴いて教えて」

チビはメリルの言葉に、顔を上げ耳をピクピク動かすと、すっと立ち上がって街道へと斜面を駆け上がる。

そしてチビが街道に上がると間をおかず

「ニャッ!」

と、チビの声が聞こえてきた。

「チビ、ありがとー」

さも当たり前のようにチビとの会話を成立させるメリルに、ターナーは驚きを隠せない。

「すごいな、人の言葉が分かるのか…」

だか、メリルはターナーの声には応えず、ワンピースのポケットから小さな種を取り出した。



ノウゼンカズラの種だ。

ちょうど今の時期に赤や橙の花を咲かせる繁殖力の高いツル性の植物で、花の蜜には毒がある。

メリルはそれに魔力を込めて地面に落とした。


するとノウゼンカズラは弾けるように発芽して、伸ばしたたくさんのツルを荷車に絡みつける。

魔法で調整されているため、ノウゼンカズラの表皮に葉や花芽はほとんど付いていない。

だが代わりにツルは通常より太く、その節からは多くの付着根が伸びて重い荷車をしっかり捕らえていた。


メリルはそのままツルを上に伸ばし、荷車を街道まで運び上げると、ひっくり返っていた荷車の向きを直して、そっと街道に下ろす。

それを見届けたのか、チビがまた『ニャッ』と鳴いたのを合図に、メリルはノウゼンカズラを枯らせ、そのツルをおが屑のように粉々にして土に還した。



一連のことに呆然と立ち尽くすターナーの隣で、メリルは何事もなかったように、荷車がひっくり返っていた場所を確認する。

「あれ?ターナーさん、カバン一つしかないみたいですが、荷物はこれだけですか?」

「え…あ、あぁ。

花を卸した帰りだから、積み荷は無かったんだ」

まだ気持ちを切り替えられないのか。

抑揚のない声で応えたターナーに、メリルは少し距離ができたのを感じ、

「そうですか」

とだけ返すと、振り返らず街道への斜面を登った。


しかしすぐに、カバンを拾い上げたターナーが、メリルを追って斜面を駆け登ってくる。

「あの、メリルごめん!

急なことで驚いてしまったけど、本当にありがとう。

…君、魔法使いだったんだね」

振り返ったメリルの目に入ったのは、礼を言うターナーの、あのへらへらとした笑顔だった。


メリルは立ち止まり、駆け寄ってきたチビを抱き上げると

「…いいえ。私は『魔女』ですよ」

そう、含みのある笑顔を見せた。





そして現在。


再び、大陸の最北に位置するレイビー王国。

その西端にそびえるベネデット山の、山肌にある小さな村、ダーリントン。

かつてルビーの採掘で栄えていたその村では、短い秋が終わりをつげ、既に冬支度が始まっていた。

山間部での冬支度は大仕事だ。

村の人々は冬籠りに備え家屋の補強や、薪と食料の買い出しに走る。


村で唯一の花屋を営むターナーも例外ではない。

自身の冬支度はもちろん、まだ店先に残る花を売り切り、客宅の花壇や庭木の冬支度も手伝わなければならず、この時期は春に次いで年で二番目に忙しくなる。

高齢にさしかかったターナーが妻のソフィアと二人で冬に備えるのは、年々厳しくなっていた。


そんな折、以前、配達中に知り合った少女・メリルがターナーの店を訪れた。

白いリボンで束ねた長い黒髪に、深い青の瞳。

黄色いワンピースの上に白いフード付きのポンチョ、そして斜め掛けにしたカバンの上には白地に黒いブチ模様の小柄な猫が乗っている。


彼女は流しの花売りで、珍しい植物や薬草などを売り買いしながら、大陸中を旅をしていた。

まだ若いメリルだが、一人で旅を続けているだけあって、商売っ気に関してはターナーに引けを取らない。


メリルは、店の営業と客宅の訪問時間の調整に追われるターナーから事情を聞くと、

「それなら、今日くらい店頭で客寄せしますよ」

そう言って、彼女は猫のチビと共に、花屋の店先に立って即興のパフォーマンスを始めた。



メリルは持参した小型の手回し式オルゴールをターナーに回してもらうと、その音楽に合わせて、持ち手に赤い宝石の付いた杖を強く振り降ろした。

すると白い杖の先端から色鮮やかな花弁が飛び出して、ひらひらと宙に舞う。

そのままメリルが杖を優雅に揺らして、更に花弁を振りまくと、小さなカバンを背負ったチビが、杖の動きを追うように店先を駆け回った。


チビが杖にじゃれついて飛んだり跳ねたりする度に、チビの背負った鞄から白く光沢のある紙片と、カラフルな小菊の花がぽろぽろと地面に落ちる。

そうしてものの数分で、花屋の店先に花びらと小菊の小さな花畑ができた。


それを見た通行人が物珍しげに足を止め、店先に徐々に人集りができていく。


ある程度、人が集まったのを確認すると、メリルは杖をバトンのように両手で回し、空高く放り投げた。

そしてワンピースの裾に風をはらませ、くるくると回りながら、落ちてきた杖を片手で受け止める。

それと同時に、杖の先から先程までよりたくさんの花弁が一気に溢れ出た。


観客からワッと感嘆がもれた。


続けてメリルは花弁を止め、杖の先端をチビの鼻先にすっと差し出す。

チビは差し出された杖の匂いを嗅ぐように立ち上がり、そのまま後ろ脚だけで二・三歩進んで、姿勢を維持できずコロンと背中から転がった。


転がったチビの上で、メリルがぐるぐると円を描くように杖を動かすと、チビは這いつくばったまま杖の先端を追いかけ、チビに掻き分けられた花弁がその勢いでまたフワリと舞い上がる。

猫ならではの愛らしいチビの仕草に、観客が目を細めて拍手する。


(さて、そろそろ頃合いか)

そう考えたメリルはさっと通行人を一瞥し、その中から髪に赤い花弁がついた妙齢の女性に目を付けた。


防寒具を着込む村人が多い中、その女性は濃い赤のタイトなワンピースと白いショールという軽装だ。

外巻きの金髪ショートボブと淡い翡翠の瞳に白い肌。

化粧は色気があって、まるで女優が立っているかのように、そこにいるだけで人目を集めている。

(あの人なら華があるな)


メリルはチビに杖先で合図すると、そのまま一匹で花弁を舞い上げ続けるチビから離れ、一人、杖を回して躍りながら女性の横を通り過ぎた。


そして女性の後ろに回り込むと立ち止まり、そっと髪を撫でるようにその花弁を手に取った。

驚いた女性が振り返ると、メリルは手にした赤い花弁にそっとキスをして、彼女の前に跪き花弁を優しく手のひらで包み込む。

メリルが一呼吸おいてゆっくりと手を開くと、そこには赤い大輪のガーベラがのっていた。


観客からは一際大きな歓声が上がり、女性の頬が赤く染まる。


メリルは歓声を横目に立ち上がると、手にしたガーベラをそっと女性の髪に挿し、静かに微笑んだ。

メリルが見せた、どこか少年のような振る舞いに、観客からこれまでと違う黄色い歓声が上がり、髪に花を挿された女性は、耳まで赤くして両手で口元を覆う。


それを見届けて、メリルは深々と会釈してパフォーマンスを終了した。



即興だったので派手な仕込みは無かったが、冬の始まりに色褪せていた村で、メリルのパフォーマンスは予想以上に多くの人を集めていた。

おかげでメリルは大きな拍手と多くの投げ銭を得て、ターナーはその日のうちに店の在庫を完売することができた。



「いやぁ、ありがとうメリル。冬前にこんなに早く在庫を売り切ったのは初めてだよ」

店舗兼自宅のリビングで、店を閉めたターナーは、メリルに感謝を伝えた。


「毎年この時期は入荷を抑えてるんだけど、何年やっても最終日の見極めってのは難しくてね。

今年もなかなか在庫を減らせなくて苦労してたんだ」

「お役に立てたなら良かったです。

でも、来年は来られませんよ?」

ターナーから出された紅茶を口にしながら、メリルはやんわりと釘を刺した。


実際、今回は昔この村で採掘されていたというルビーを一目見ようと、たまたま立ち寄っただけで、冬場、仕事でこの最北の地まで訪れることはない。


そして残念なことに、ルビーは採掘終了に伴い、そのほとんどが村外へ流出。

現在このダーリントンにはもう、ルビーは残っていないのだという。

メリルは、せっかくここまで来たので一応、村で店を見て回ろうと思っているが、それも望み薄だ。

だから、もしこの村にターナーがいなければ、今すぐにでも村を出ていただろう。


「分かってるよ。でも本当にありがとう」

そう言ってターナーもテーブルに着いた。

その隣ではソフィアが、チビに温めたヤギのミルクをあたえている。

『テーブルの上は…』とメリルはチビを降ろそうとしたのだが、猫好きのソフィアが『足を拭いてあげれば大丈夫よ』と、チビにテーブルの上での飲食を許可したのだ。


「ねぇメリルさん、この猫ちゃん名前は?」

「この子はチビといいます。二歳の男の子です」

「そう、チビちゃん…いえ、チビ君ね。

可愛いわねぇ、チビ君。いっぱい飲んでね」

ソフィアはテーブルに頬杖をついて、ミルクを飲むチビを幸せそうに見つめている。


「そうだメリル、今日はうちに泊まるだろ?」

「あら、それはいいわ。是非泊まってちょうだい」

夫妻の唐突な申し出に、メリルは困惑した。

「あ。今夜は…この辺りで宿を探すつもりです」

「でも、この村に猫が泊まれる宿は無いよ?」

「あー…」

(それはいつもの事だけら、チビはバッグに忍ばせて、何食わぬ顔で宿に入るつもりだった。

それに、もうターナーさんにも会えたから、なんなら、このまま村を出ても良いくらいだ)

なんてこと、この善良そうな夫妻には言いにくい。


「うちだったらチビも大歓迎だ。客間だってすぐ用意できるし、どうだい?」

ターナーはそう言って、愛おしそうにチビを見つめるソフィアを示した。

ソフィアはミルクを飲み終え毛づくろいするチビに、「チビ君も、今夜はここで泊まりたいよねぇ」

と話しかけている。

どうやらこの提案は、メリルへの謝礼に加え、猫好きなソフィアのためでもあるらしい。


メリルは知人宅での宿泊で非常に気を遣うことと、他で宿を取った時の経費に、チビの快適さ…その諸々をしばし考えして、

「…では、お言葉に甘えて」

渋々、ターナー宅への宿泊を決めた。



それから程なく。

メリルはチビを連れて、村の食堂のテラス席で遅い昼食をとっていた。

部屋を用意してもらっている間、村を散策する、とターナーに伝えてきたが、それだけではない。


ターナー宅に宿泊するのだから、おそらく今日の夕食と、明日の朝食は用意してもらうことになるだろう。

ならば、あのままターナー宅に留まって、昼食までご馳走になってしまうのは避けたい。

むろん、ターナーはあの人柄だから、食事くらい気にしないのだろうが、連絡もなしに訪ねた側としては、『遠慮なく』と言われても無理がある。

メリルは今日の昼食くらい、自腹にしたかったのだ。


幸い、チビは先ほどのヤギのミルクで満腹なので、店はテラス席さえあればどこでも良い。

メリルはもう細かいことを考えるのが面倒で、ターナー宅から一番近い食堂に入っていた。



昼時を過ぎた食堂は閑散としていて、客はメリルの他には、二人組の行商人しかいない。

この時期に村を訪れるのは、冬籠りに備えるこの村に物を売りに来る行商人ばかり。

だが、彼らのほとんどは村で宿を取らず、昼過ぎには麓のドルバダーンの町へ下りてしまう。


理由は簡単だ。

本格的な冬を前に村ではあらゆる物格が高騰し、それに合わせて、宿代や食事代も三割増は当たり前。

酒や甘味などの趣向品の中には倍近く値上がりしているものもある。


そんな状況なので、金に細かい行商人は商品を売れるだけ売って、あとは少しでも経費を安く済ませようと、比較的物価が安定しているドルバダーンへと下りて行ってしまうのだ。

おかげで日中は賑わう村の中も、昼を過ぎるともう閑散としていた。



そんな静かな食堂のテラス席で、ここのメニューで一番安かったミートソースパスタを食べながら、メリルは小さく溜め息を吐いた。


(あれは少しやりすぎたかなぁ…)


村までの山道で体力消耗していたメリルは、あの店先でのパフォーマンスの際、あまり動かなくてもいいようにと、いつもとは違う演出をしていた。


ターナーから安く買い取った処分品の花を、花弁に分けて嵩増しして、動きの少なさを花弁の量で誤魔化したり、まだ体力が有り余っていたチビの出番を増やすことで、通行人の視線をそちらに集めたり。

そして最後があの、女性に花を挿す演出である。


ああいった観客を巻き込む演出は後腐れすることもあるので、普段は極力避けているのだが、動きのある演出を減らした分、売上に貢献するような華のある演出が不足してしまっていた。

それでつい、簡単で尚且つ通行人の購買意欲を刺激しそうな、あの演出を採用したのだか…。


しかし、完売は想定外である。


まだ数日分残っていた在庫をたった半日で完売させれば、あのお人好しのターナーにかえって気を遣わせてしまう。

それに完売したという事は、メリルがこの小さな村でそれだけ悪目立ちしたということでもある。


パフォーマンスは十五分程度だったが、その間に一体どれだけの人がメリルを目にしていたことか。

ここは村人同士、皆が知り合いのような小さな村だ。

それ考えれば、もう少し行動に気を付けるべきだっただろう。


(なんて。今更考えたって、取り消せることじゃないんだけどね…)

メリルはすっかり空になったパスタ皿を眺め、また溜め息を吐いた。



その時、空のパスタ皿に小さな影がかかった。

それと同時に、メリルに声がかかる。

「ねぇ、あなた。さっきの踊り子さんよね?」


(あぁ…早速、誰か来た)

うんざりとした思いを顔に出さないよう、メリルがゆっくりと顔を上げると、テーブルの前には十歳くらいの女の子が立っていた。


艶のある手入れの行き届いた茶色い巻毛に、大きな淡い翡翠の瞳。

仕立ての良い桜色のエプロンドレスに、高級そうな白いキルトコートを身に纏った少女は、どこか良いところのお嬢様のようだ。


だが。

胸の前で腕を組んで、顎をツンと上げ、初対面のメリルを見下ろす態度の悪さからは、内面の高慢さがにじみ出ていて、愛らしい外見に似つかわしくない。


こんな鼻につく少女、普段のメリルなら無視してしまうところだが、今回はターナーの店の手伝いをした手前、メリルもターナーの関係者だ。

そうなるとターナの面子のためにも、この村の人間相手に雑な対応はできない。


メリルは今日三度目の溜め息をぐっと飲み込み、少女相手に努めて平静を装う。

「…えぇ、そうですが。何か?」

メリルが肯定すると少女は満足気に微笑み、両手を腰に当てて、メリルに命じた。


「あなたに仕事をあげるわ。今すぐうちに来なさい」


「お断りします。他をあたって下さい」


少女の言葉尻に被る勢いで、メリルは依頼を断った。

メリルの返答が早すぎて、すぐには理解できなかったのか。

少女は一瞬、目を丸くして、そして耳まで真っ赤に染めて金切り声を上げた。

「…なっ!何よ!?話も聞かずに断るなんて!

後悔しても知らないわよ!?

金貨が百枚も貰えるすごい仕事なんだからっ!!」


(金貨百枚か…大金だな。

この村なら、小さな家が建てられるかも)

だが、たかだか十歳前後の子供が提示した金額だ。

本当にこんな金額が支払われるのかどうかも怪しい。

それに、もし金額が適正価格だとしたら、それはそれで相当面倒な仕事と言うことになる。

よって。

こんな金額を提示されても、メリルの気持ちは変わらない。


「残念ですが、仕事はお引き受けできません。

どこか他で…」

「花っ!花を咲かせるの!赤いラナンキュラスよ!!」

(…ラナンキュラス?)


ラナンキュラスは、バラのような丸みのある花を咲かせる球根植物で、開花時期は主に春だ。

だが、こんな気温の低い山間部では、開花がもう少し遅れる可能性もある。


既に植えてあるのか、これから植えるのか。

その状況にもよるが、ラナンキュラスを咲かせるなら、少なくとも三ヶ月は拘束されるのだろう。

(長期案件となると、衣食住代は込みってことか?

だとしても賃金高過ぎ…まだ何か裏がありそうだ)


(…ん?

『花を咲かせる』って、もしかして…)


「…開花までの花苗の管理でしたら、私より花屋のターナーさんの方がお詳しいですよ」

メリルはそれとなくカマをかけてみた。

すると少女は食い気味に返す。

「違うわ!!今すぐ!今すぐに咲かせてほしいの!

春までなんて待てない!あなたならできるでしょ!?」

(あぁ、やっぱり)


メリルの予想は当たっていた。

この少女はたぶん、メリルの先程のパフォーマンスを魔法だと思っているのだ。

おそらく花弁を手で包んで、花に変えた演出を見て言っているのだろう。

あんなふうに、彼女のラナンキュラスも一瞬で咲かせてほしい、と。


しかし、この少女から見れば魔法のようだったのだろうが、あれは種も仕掛けもある奇術だ。

魔法ではない。

そして、いかに優れた奇術でも、仕込みもないただのラナンキュラスを咲かせることなどできはしない。


メリルはあのパフォーマンスでの悪目立ちを改めて後悔し、目を伏せて淡々と告げた。

「いいえ、残念ですがそれは無理です。

少し誤解があるようですが…私が花屋で披露したのは奇術であって、魔法ではありません。

季節外れの花を急に咲かせるなんて、咲いている花が用意できない限り無理なんです」

メリルは空のパスタ皿の載ったトレイを手に取ると、足元のチビを促して席を立った。


「……っ!

もうっ!!何よ、役立たず!

旅芸人なんて、やっぱりロクなものじゃないわ!!」

少女は金切り声でメリルを罵倒し、いまにも泣きそうな顔で食堂を飛び出した。

その大声で、厨房内の従業員と別のテーブルに居た行商人たちの視線が、メリルに集まる。


とばっちりで再び好奇の目にさらされたメリルは、少女の小さな背中を見送りながら、今日4度目の、この日一番深い溜め息を吐いた。



「あぁ、それはたぶんテメレールさんのお孫さんのサラお嬢様だね」

「お嬢様、ですか」

(お召し物の方の身分で合ってるのか)

メリルは少し意地悪い思いで、ターナーの話を聞いていた。


昼食の後、メリルは気分転換を兼ねて、ルビーを探しに村を巡ったが、また誰かに声をかけられるのではと思うと気が散ってしまい店の中に入る気にはなれず。

メリルは結局ただ村を一周しただけで、早々にターナー宅に戻ってきていた。


そして用意してもらった客間で少し寛ぎ、夕飯に美味しいシチューをご馳走になったあたりで、ようやくメリルの気持ちも整った。

が良くなったメリルは、キッチンで皿洗いを引き受けていたのだが、そこへターナーが顔をだしたことで、昼食時の一件を再び思い出し、メリルは今、心がささくれ立っている。


子供とはいえ、村の人間からの仕事を断ったのだから、一応ターナーに伝えておかなければ。

と言うのは、もはや建前で、

あの傲慢な少女の件を聞いてもらって、この苛立ちを紛らわせたい。

と言うのが本音だ。


だが、そんな思いを知るよしもないターナーは、サラの話題に優しく目を細めた。

「そう。サラお嬢様。

テメレールさんご夫妻はごく普通の平民だったんだけど、息子さんが王都で知り合ったご令嬢に見初められたとかで、そのままあちらの男爵家に婿入りしたんだ。

だから、孫のサラお嬢様は男爵令嬢だね。

サラお嬢様は小さい頃からよくテメレールさんの所に預けられていたものだから、今でもテメレールさんには本当に懐いてるんだ。

大きくなってからも、学校の長期休暇の度に遊びに来てるよ」


メリルの予想に反し、ターナーから見たサラの印象はそう悪くないらしい。

しかし話を聞いただけでは初対面での印象が拭えず、メリルはつい悪い様にサラの人物像を想像した。

(生まれながらのご令嬢、でも父親は元平民、その平民の祖父母に懐く孫。

そうなると男爵家の方はどうしたって、サラを色眼鏡で見てしまうのでは?

そんないびつな環境で育てば…道理で、サラがあんな跳ねっ返りになるわけだ)


「お知り合いということは、彼女の言うラナンキュラスは、ターナーさんが販売したものですか?」

「うん、テメレールさんちはうちが庭の管理も任されてるよ。

十年位前からかな?『もう二人とも齢なのに、一人息子が婿に出ちゃって庭仕事が大変だから』って。

テメレールさん、息子が貴族でも自分たちは今まで通りだって言って、使用人とか雇ってないんだよね。

ただ、少し前に旦那さんに先立たれて、今は奥さんの一人暮らしだから、本当は誰か若い人が家にいた方が良いんだけどね…」



「それじゃあ、ラナンキュラスの手入れもターナーさんが?」

「そうだよ。ラナンキュラスは奥さんのお気に入りでね。

特に赤いのがお気に入りで、毎年、花壇いっぱいに赤いラナンキュラスを植えるんだ。

今年なんか『できるだけ早く咲かせたい』って、サラお嬢様が花壇の上に大きな温室まで設置してね。

おかげで、あそこのラナンキュラスはもう全部芽吹いてるよ」

ターナーが手をかけ温室まで設置されているなら、最速の開花にむけて最善が尽くされている。

(そうそう魔法は使ってあげられないが、このペースなら十分早いんじゃないか)

メリルは頭の中で芽吹きから開花までの日数を、おおざっぱに計算した。

「…もう芽吹いてるってことは、上手くすれば春前にも開花するんじゃないですか?」

「う~ん、そう願いたいんだけど…ここ、冬は本当に寒いからねぇ。

うちの春の花苗は鉢植えで室内管理だろ?けど向こうは屋外温室の地植えだから難しくて。

でも何とか今回は…」

ターナーは続けて何か言いかけたが、それを喉の奥に引っ込め、そっと目をそらした。


花屋として常に早めの開花を心掛けているターナーが、『もう芽吹いた』と言う温室のラナンキュラス。

温室がどの程度の品質のものか分からないが、まだこれから寒さが深まる時期だ。

本来なら球根のまま地中で冬を越すラナンキュラスを、芽吹いた状態で管理するのは難しい。

たとえ温室内であっても慎重に管理しなければならないし、しかも、それが既に客に卸したものだというのだから、ターナーにはなかなかのプレッシャーだ。

「大変そうですね」

「本当、胃が痛いよ」

ターナーはそう苦笑いした。



事が起きたのは翌朝。

メリルとターナー夫妻が早めの朝食を終えた頃だった。


昨日、店頭の花が完売できたので、ターナーの店は例年より少し早めの冬季休業に入っていた。

あとは一部の顧客宅の冬支度と、冬越しの花苗の管理だけとなり、仕事にはかなり余裕ができている。

食後のコーヒーを飲みながらターナー夫妻は、空いた時間で自分達の冬支度しようと話し合っていた。


そんな時、乱暴に店の扉を叩く音が響いた。


「うわっ!?何だ何だ?」

手にしたコーヒーカップをテーブルに置いて、ターナーが慌てて店へと向かう。

その間も鳴り止まない音に、チビは不快そうに耳を伏せ、ソフィアは不安気に胸に手を当てた。

「休業の札をかけておいたんだけど…やだわ。こんな時間から、何事かしら?」

こんな早朝から荒々しい訪問者が来るなんて、普通の花屋では滅多に無いことだろう。

心無しか、ソフィアの顔色が青白くなっている。


「ちょっと見てきますね。奥様、この怖がりさんのことお願いします」

メリルは膝の上でうずくまっていたチビをソフィアに預け、ターナーの様子を見に向かった。



メリルが店に入ると、ターナーは既に店の扉を開け、訪問者と向き合っていた。

ターナーの背中越しに見覚えのある人影が見える。

昨日の、サラお嬢様だ。


だが昨日と同じ人物とは思えないほど、顔色は真っ青で、キレイに梳かれていた髪もくしゃくしゃに乱れ、相当取り乱しているようだ。

よく見れば寝間着姿だし、靴こそ履いているものの、この寒さの中コート一つ羽織っていない。



「お嬢様、落ち着いて!

大丈夫だから、もう一度ゆっくり話してごらん」

ターナーの腕にしがみついて興奮状態のサラが、ターナーに促されて呼吸を整える。

そして息を飲むと、サラは震える声で叫んだ。

「お願い、すぐに来て!!

花が、ラナンキュラスが溶けちゃったの!!」



サラに急かされ、ターナーは上着だけ羽織るとすぐ、サラとテメレール宅へ向かった。

寝間着姿だったサラも、ターナーが引っ掴んできたソフィアのコートを羽織らされたのだが、今のサラが大人用のコートを羽織ると、一層幼く見える。

メリルもその小さな背中を見て、少々不本意ながら、二人の後を追った。



テメレール宅は大通りから一本奥に入った、見晴らしの良い高台に位置していた。

この村の個人宅では珍しい二階建てだが、質素で飾り気のない造りは庶民的で、外見だけなら誰も男爵令嬢の親族宅とは思わないだろう。


それに合わせて、家の裏手にある庭も、ごく在り来りな広さだったのだが…

「うわっ…」

メリルは驚いた。


そこには庭を全て覆い尽くすほどの、大きな温室が設置されていたのだ。

もう庭に温室があるのではなく、温室の中が庭と言うほうが正しいだろう。

敷地を囲う柵ギリギリまで温室が迫り、柵と温室との間には猫が歩くスペースもない。

家に面する側も、居間の掃き出し窓から温室の入り口まで、三歩も無いほど家に密接している。


(これをラナンキュラスのために?個人宅だろ?

植物園でもあるまいに。

お貴族様の金銭感覚って一体どうなってるんだ)

あまりの価値観の違いに、メリルの足は温室の前で止まってしまった。



そんなメリルをおいて、サラとターナーは共に温室の中へ入っていく。

そしてすぐ、温室内でターナーの声が響いた。

「あぁ…これは…。

お嬢様これは…これは一体、何があったんですか?」

ターナーの動揺を押し隠すような声で、メリルもようやく我に返り、急いで温室へ入る。

すると温室の中は一面、雪が積もったように白く染まっていた。


しかし、ここはガラスに覆われた温室の中だ。

本来なら雪どころか、霜も降りない空間である。

嫌な予感がしたメリルはしゃがみこみ、土の白い部分を指で摘んで、軽く指先で擦ってみた。

(あ、これは…)



「…わ、分からない。分からないけど…

花を…早く咲かせる効果がある薬って言われて…

花の上に撒くと良いって、言われたから…」

コートの袖口を固く握りしめ、真っ白い地面に視線を落とし、サラが声を振り絞った。

「昨日、そこの奇術師さん?と別れた後に、二人組の男の人が訪ねてきたの。

見たことない人たちだったけど、その人たち、花が早く咲く特別な薬を売ってるって。

まだ開発されたばかりで、知ってる人も少ない、とても貴重で高価なものだって。

これを使えば、うちのラナンキュラスも、朝には花が咲いてるって言うから、それで。

それで私…」

そこまで言うと堪えきれなくなった、サラはついに泣き出してしまった。



(消石灰で騙されたか…)

温室に撒かれた白い薬に、メリルは見覚えがあった。

消石灰。

土壌改良に用いられる一般的な土壌改良用の園芸資材だが、それは種や苗を植え込む前の話。

植え込み後に撒いて、消石灰が植物に直接触れてしまうと、化学反応を起こし植物は傷んでしまう。

すぐに消石灰を取り除き、接触した部位を洗い流してやれば被害を軽減できることもあるが…。


メリルは近くの花苗の、消石灰に触れて傷んでしまった部位に触れた。

傷んだ花苗は、軽く触れるだけで薄皮が剥がれるほど傷んでいて、それが芽の根元まで及んでいる。

(やっぱり。芽だけじゃなく、球根まで傷んでる。

まぁ、一晩経ってるんじゃ仕方ないか。

しかし…高値で売りつけてきた上に、間違った使い方まで指導してくるとは。

質が悪いヤツに騙されたな)


さて、どうしたものか。とメリルが思案していると、サラの嗚咽が耳に入った。

もう一人では立っていられず、ターナーに肩を支えられて泣きじゃくるサラを見て、メリルは天を仰いだ。


(………)



「…ターナーさん。赤のラナンキュラス、在庫いくつくらいありますか?」

「え?あ、っと、店に戻れば鉢植えで十株くらい…でも、うちのはまだ芽も出てないよ」

「じゃあ、それ全部いただきます。

あと、ここの片付け…苗わ取り除いて、消石灰の付いた表層土の掻き出しもお願いします」

「ぇ!?ちょっと、メリル⁉」

メリルは、ロクに説明もせずターナーに重労働を押し付けて、温室を後にした。



メリルはサラを騙した二人組に心当たりがあった。

おそらく、昨日、食堂で居合わせた行商人だろう。


サラが早く花を咲かせたいこと、それに大金を払うことを知っているなら、まず村の人間を疑いたくなるが、この小さな村でサラが見たことのない人間となるとそうはいない。

だとしたら、あの行商人を疑いたくなる。


騙しの手口がかなり雑で、事の発覚前に逃亡する気だろう、という点でも条件が合う。

もちろん、それだけで決めつけてかかるのには無理があるが、相手が逃亡する可能性があるのだから、少々見切り発車でも足止めはするべきだ。

(とりあえず、捕まえてからどうとでもすればいい)



メリルは村の入り口まで行くと、辺りで一番高いマツの木に目を付けた。

そして周囲に人目が無いことを確認し、ワンピースのポケットから小さな種を取り出すと、その種に魔力を込めて地面に放り投げる。

すると種は地面に触れた瞬間パンっと外皮が割れ、中から勢いよくツルが飛び出した。

ノウゼンカズラだ。


ターナーを助けた時と同じ植物だが、あの時とは違い今度は伸びるツルが1本だけ。

メリルの魔力を受けて一本のツルは丸太のように太くなり、通常の植物ではあり得ない成長速度でツルを伸ばし、あのマツの先端へ向かう。

メリルはそのツルの上に跳び乗ると、更に魔力を注ぎ成長を加速させる。

ツルは付着根をマツに絡み付け、その輪郭をなぞるように這い上がりメリルを先端へと運んだ。


そうして一分とかからずマツの先端に着くと、メリルはツルを止め、眼下に広がる森に目を凝らす。

そこからは森の木々の合間に、ダーリントンから麓のドルバダーンまでを結ぶ曲がりくねった長い一本道が見渡せた。


(昨日の昼過ぎ、私と別れたあとなら、あの二人がサラと接触した頃はもう夕方だったはず。

そんな時間から町まで下りようとすれば、どんなに急いでも途中で日が暮れてしまう。

夜の山道は慣れた人間でも危険だし、二人は事の発覚まで時間がかかると考えてるだろう…。

だとしたら村を出るのは今日の朝、だぶん日の出を待ってから。

時間的に考えてギリギリだけど、運が良ければ…)


「いた!」


メリルの視界に入った馬車は全部で四台。

そのうち一台だけ、山を下って行く幌馬車がいる。

メリルはその馬車を目指し、一直線にノウゼンカズラのツルを伸ばした。




◇◇

数百年前、大陸に魔法を使える者だけを集めた小さな王国があった。

王国は魔法によって栄え、小さいながらも周辺のどの国より豊かであった。

だが。

王国は魔法の使えない者を人として許さず。

その豊かさを求めて国に踏み入る者を皆、奴隷のように扱った。


それは徐々に周辺諸国にも及んだ。

魔法の優位をもって、王国は周辺諸国を追い詰めた。

周辺諸国は為すすべなく、王国に取り込まれようとしていた。


ところがその時、王国は自壊した。


何故そうなったかは分からない。

突如、炎に包まれた王国は統制が失われ、自壊した王国から皆、散り散りに離れていった。



これを境に、王国の再建を恐れた多くの国々で、魔法を使える者は排斥されることとなる。


それは数百年の時を越えた今も。


魔法を使える者の多くは、魔法が使えることをひた隠し、身を潜めるように暮らしているという。




◇◇

伸ばしたツルで上空から一気に間合いを詰めると、メリルは幌馬車の上に、音もなく飛び移った。

そして上からそっと、馬車の御者台に座る二人を覗き込む。

(よし、当たり。こいつらだ)

そこには昨日、食堂で見た行書人の二人組がいた。

馬を繰りながら談笑している二人は、メリルに気づいた様子もない。


「あー、だいぶ太陽が上がってきたな。そろそろあの嬢ちゃんも気付く頃か」

「かもな。けど、今からじゃ追いつけねぇよ。

もし追っ手が来たって、こんだけ金があるんだ。何処へでも逃げりゃいい」

「ははっ。そりゃそうだ。

そんで、どうする?

とりあえずドルバダーンまで降りるとして、その後。いっそ王都にでも行くか?」

「あぁ、それも考えたんだけどよ?

あの金持ちの嬢ちゃん、王都の貴族令嬢だって話だ。

あんなデカい都市で鉢合わせることもないだろうが…念のため王都は避けたいね」

「マジか…それなら国外にでも出るか?

どうせだったら俺は温かい国がいいな」

「あぁ、花いっぱいの温か~い国な?」

そう言うと二人は声を上げて笑った。


(…ったく、腹立つ連中だな)



メリルはポケットからアサガオの種を取り出すと、それに魔力を込め御者台に放り投げる。

種は御者台の床に触れた瞬間、ノウゼンカズラよりずっと早い成長速度で床を這うようにツルを伸ばし、その細いツルであっという間に二人の男に絡みつくと、二人を御者台に捻じ伏せた。


突然のことに悲鳴も上げられなかった二人は、顔を床に押し付けられて苦しそうに呻き声を上げる。

二人とも拘束できたのを確認すると、メリルは御者台に飛び降り一人を踏みつけた。

ぐぇっと声が漏れて、踏みつけられた男が意識を失う。

続いてもう一人の方も鳩尾を蹴り飛ばして眠らせると、メリルは男から手綱を奪い馬を止めた。

「あとは…」

メリルは馬車が完全に停止したところで、荷台を覗き込んだ。


すると幌のせいでやや薄暗い中に、積み荷が荷台の中央に積み上げられているのが見える。

(あれ?普通、荷崩れを防ぐために、積み荷はできるだけ平らに並べるはずじゃ…)

違和感を覚えながらメリルが荷台に踏み入ると、その足に何かが当たった。

木の棒だ。

メリルの膝上くらいの高さに、直径五センチほどの木の棒が、行く手を阻むように渡されている。

「え、何これ?幌馬車ってこんな設備あるんだったっけ?」

訝しむメリルがその棒の先を辿ってみると、そこにはこの幌馬車より二回りほど小さい荷車があった。

メリルに触れたのはその引き手部分で、荷車の荷台には山積みの荷が載っている。


幌馬車の荷台に荷車。

その意外な光景に一瞬呆気にとられるも、状況を理解したメリルは眉間にシワを寄せた。

「くそっ…あの金、もう使ったのか」



おそらく、この幌馬車はサラから騙し取った金で買ったもの。

そして、この小さな荷車は彼らが村に来た時に使用していたもので、それをそのまま積み荷ごと新しく買った幌馬車に積み込んだのだろう。


多額の金を得た以上、昨夜のうちに派手に飲食して多少は使い込んでいると考えていたが、まさか幌馬車まで買っていたとは…これは流石に想定外だ。

「たった一晩で、ここまで使い込むとは。やってくれるなぁ」

メリルは頭を抱えて溜め息を吐いた。



だが、こんなところで頭を抱えていても仕方がない。

多少目減りしているだろうが、それでもまだそれなりの金貨が残っているはずだ。

せめてそれくらいは回収して帰らなければ、ここまで来た意味がない。

メリルは気持ちを切り替え積み荷を探り始めた。


積み荷の大半は手付かずの左官資材だった。

たぶん冬支度中の村で、家屋の隙間風対策などで補修用資材の需要があると見込んだのだろう。

しかし思うように売れなかったらしい。

(そういえば…他の行商人が村を発ったのに、こいつらは昼過ぎても村に残ってたんだっけ)

売り上げが奮わず、少しでも稼ごうと昼過ぎまで粘ったものの、結果はこのザマ。

苦い思いで遅い昼食をとっていた所に、サラお嬢様の話を聞いてしまったわけだ。


大人二人で商売に苦戦する中、幼いサラが簡単に金貨百枚を提示する姿を見て二人がどう思ったか…。

しかも彼らにとって都合の良いことに、左官で使う消石灰は園芸用としても転用できなくはない。

(偶然が重なってちょっと魔が差したところに、サラのあの態度でトドメさされたんだろうな。

ただ黙って金だけ騙し取ったんじゃ、気が済まなかったわけだ)



二人組の行商人に同情してやる気はこれっぽっちもないが、ほんの少し共感はしてしまう。

おかげで少々やる気を削がれたが、メリルはそのまま積み荷を探った。


すると積まれた荷物の一番下、荷車の隅にあった木箱から、大量の金貨が入った茶色い革袋が出てきた。

革袋はずっしりとした重みがあるが、その感触からやはり百枚は残ってなさそうだ。

革袋の紐を解いてメリルが中身を検める。

「んーざっと残り八十…は、残ってないな。

七十ちょっとか?随分と高い勉強代だわ」



メリルはその革袋を持ち出すと、二人を縛っていたアサガオを魔法で枯らせて粉々のおがくずにし、二人の枷を解いた。

続いて新しいノウゼンカズラの種を空になった木箱に放り込むと、伸びたツルを使って小さな荷車と男二人を馬車の外に放り出す。


そして自らも馬車を降りると、

「さ、君はお行き」

と馬の尻を叩き、御者を失った幌馬車を無人のまま町へと走らせた。

(これだけの金貨の減り具合だし、そこそこ高価な馬車なんだろうけど…。

さて。

突然、無人の幌馬車が走って来たら、町の人間はどうするかな)

メリルは木箱から伸びたノウゼンカズラも枯らせて自らの痕跡を消すと、足早にその場を立ち去った。



「戻りました」

メリルの声に、全身土まみれになったサラとターナーが顔を上げる。

メリルがいない間、二人はずっと温室に撒かれた消石灰を取り除いていたようだ。

おかげで土は少し目減りしたが、もう表面に消石灰は残っておらず、温室内には黒い土が広がっていた。


「メリル、一体どこに行ってたんだい?」

ターナーの声に責めるような感じはないが、思ったよりも除去作業が進んでいたので、メリルとしては少々心苦しいものがある。

「あ…すみません。思ったより手間取ってしまって。

代わりと言ってはなんですが、ソフィアさんにサンドイッチを作ってもらってきました。

ひとまず昼食にしましょう」

手にしたバスケットを掲げ、メリルは苦笑いした。



土まみれのサラとターナーだが、よほど疲れているのか、着替えることもなく手だけ簡単に拭い、そのまま温室の中で昼食をとった。

しかし、サラはあまり食欲が出ないようで、手渡されたサンドイッチを一口かじっては、それをひどくゆっくり咀嚼して、無理やり飲み込んでいる。

朝、青かった顔色も、まだそのままだ。


(これは相当落ち込んでるな)

メリルもさすがに可哀想に思うが、

(でも出来ることは精々『どうにもならない』ことを『いくぶんマシにする』程度のことだけだ)

そう感情に線を引き、メリルはターナーに問いかけた。


「それで、ターナーさん。

テメレール夫人の容体は、今どんな感じですか?」


予想もしていない問いかけだったのだろう。

ターナーがサンドイッチを飲み込み損ねて咽返る。

その横ではサラが、手にしたサンドイッチを膝に落としてしまっていた。

「…え!?ちょっと待ってメリル。

僕、君に何も言ってないよね?」

「ええ、何も。

でも『春を待てば咲く』ラナンキュラスの開花を急がせて、急ぎすぎるあまりにこの騒ぎです。

いくらなんでも急ぎ方が異常過ぎます。

なので、ある程度の想像はつきました」



ターナーは『赤いラナンキュラスはテメレール夫人のお気に入り』と言っていた。

しかし実際に開花を急いでいるのはサラの方。

既に球根は植え付け済みで、温室まで設置し、ターナーもでき得る最善を尽くしているにも関わらず、だ。


では、それほど急ぐ理由は何か。

そう考えた時に思い浮かんだのはテメレール夫人だ。

夫に先立たれていて、壮年のターナーがその一人暮らしを案じていたことを考慮するなら、夫人もそれなりに高齢であろう。

そして迎えた、この冬だ。

メリルはその命の灯を案じた。


「で?どうなんですか?」

ターナーはサラに目を向け、サラが唇を噛んで頷くと、サラに代わって言葉を続けた。

「…うん。実は、あまり良くなくてね」


ターナーの話によると、テメレール夫人はもう冬を越せるかどうかの状態らしい。

そのため、サラもラナンキュラスを早く咲かせることに躍起になっていた、と。


サラは学校が肌に合わないらしく、行き渋っては両親にたしなめられているそうだ。

そんなサラにとって唯一の拠り所である父方の祖母。

冬季休暇直前に、その夫人が春を迎えられるかどうかと言われ、サラも追い詰められていたらしい。



「なるほど。それで『今すぐ咲かせろ』と」

少し意地の悪い言い方だが、サラは反論もせず素直に謝罪した。

「…ごめんなさい。

せめてお婆様に何か、お婆様が喜ぶことをしてさしあげたかったの。

でもお婆様、もうお食事も楽しめなくて…もともとお洋服や宝石を喜ぶ方ではないし…。

だから大好きだったラナンキュラスならと…。

もう一度、庭いっぱいにラナンキュラスが咲いてるところを見せてさしあげたかったの」

サラは膝の上で小さな拳を握りしめ、唇を噛む。

ぐっと涙を堪えるサラの背中を。ターナーが優しく叩いて慰めた。



その雰囲気を打ち壊すように、メリルが少し低い声で…今までの余所行きの声を地声に切り替えて、沈黙を破った。

「ターナーさん。実は店にあった培養土と腐葉土、赤玉土なんかも、いくつか買い取りました」

言葉こそ選んでいるが、今のメリルの話しぶりには少々冷たいものが宿っている。

「…え”⁉」

「土の配合は不得手なので、全てお任せしますから、この温室内の土、減った分の補充をお願いします。

もちろんラナンキュラス用で」

「あ…いや。それは、もちろんやるけど…」

ガラリと雰囲気が変わり、有無を言わさぬメリルの様子に、ターナーがたじろぐ。

「それと。

サラお嬢様は温室内の飾りつけをお願いします。

もう飾りは全て用意してありますから、そちらの箱の中のものを使って下さい。

あ、なかにはガラス製のものもありますから、割らないよう気を付けて。

数はあまり多くないので、センス良くお願いしますね」

「あ…は、はい!」

サラもこれに気圧されたか、涙を止めて頷いた。



日が暮れる頃になってようやく全ての準備が整うと、温室にテメレール夫人が招かれた。

もう立って歩くのは難しいようで、夫人は車椅子に乗っている。

寒さを心配したサラが、コートと分厚い膝掛け、それにマフラーとニット帽まで夫人に着用させており、夫人はまるで車椅子に乗った雪だるまのように着ぶくれしていた。


「こんばんは。これから何が始まるのかしら?」

帽子の下で、やや落ち窪んだ目を優しく細め、夫人は温室内を見渡す。


すると温室の一番奥にいたメリルが前に出て、丁寧に会釈した。

「寒い中お越しいただき、ありがとうございます。テメレール夫人。

今宵、サラお嬢様のご依頼で、この温室に花を咲かせに参りました。

皆様のおかげで準備が整いましたので、これより仕上げをご披露いたしましょう」

そう言ってメリルが杖を振り上げると、夫人の横に立ったターナーがオルゴールを回し音楽を奏でた。


音楽に合わせて、真っ赤なマントを羽織ったチビが温室の中を駆け回る。

するとチビの走った地面から、濃い緑色のラナンキュラスの新芽が生えてきた。

芽はみるみる成長し、カエルの手のような葉を広げ、たくさんの花芽を伸ばしその先に蕾を宿らせる。

と同時に、キラキラと葉や茎が発光した。


植物は成長の際、ほんのわずかに光を発するが、それはあまりに儚くて人の目には映らない。

しかし、今回はメリルが魔術で急激な成長を促している。

そこに魔力そのものの作用も相まって、それは人の目に認識できるほど強い光となっていた。

その光を受けて、サラが飾り付けたガラスや貝の細工、それらを結び付けた光沢のある白いリボンがキラキラと光を反射して、殺風景だった温室の中に幻想的な光景が広がった。


そしてチビが一通り走り終え、温室がラナンキュラスの葉で満ちると、

「さて。それでは、お見逃しなきように」

そう言ってメリルは杖を薙ぐように振る。

すると、それを合図に温室中の蕾が一斉に膨らみ、硬く青かった蕾の中心から赤い花弁が顔を出す。

赤い花弁は、外側を覆っていた硬いガクを押し出すように、内側から幾重にも溢れ出てその真っ赤な花が温室の地面を覆った。


テメレール夫人の望んだ、庭一面の赤いラナンキュラスだ。

「まぁ…」

夫人が小さく息を飲む。

その横で夫人を介助していたサラも目を丸くしていた。


メリルは満開と当時に杖を大きく横に振り、杖の先端から赤い花弁を大量に舞い上げると、深々と終りの会釈をした。



翌朝。

メリルはまだ眠そうなチビを胸に抱き、日の出とともにターナー宅を出て、村の入り口へ向かう下り坂を歩いていた。

その隣には見送りに来たターナーもいる。


「朝食くらい食べてからにしたらよかったのに」

「そうもいきませんよ。何せ私は魔女ですから」

「そんなこと皆気にしないし、それに君は魔法使いだろ?魔女なんかじゃないよ」

「どうでしょう?それにターナーさんの性善説主義はいささか行き過ぎだと思います」

「性善説なんて…考えたこともないんだけどなぁ」


メリルが昨夜、魔法で花を咲かせた時、立ち会ったのはターナーとサラ、テメレール夫人の三人だけだ。

その三人にはメリルの魔法のことを口外しないよう、念を押してある。

が、なにせ狭い村だ。


朝になり人の往来が増えれば、温室の中の満開のラナンキュラスに気付く者も出るだろう。

一応、『ターナーが開花済みの花を仕入れた』と言うことで口裏を合わせることにしているのだが、折り悪く、メリルがターナーの店前でパフォーマンスを披露したばかりだ。

それらを関連づけられて、メリルが魔女だと気づく者があるかもしれない。

そのため、メリルは人気のない早朝に村を発つことにしたのだ。



「まぁ、朝食はまたソフィアさんにサンドイッチ作っていただきましたし、あとチビの分の干し肉も。

ありがとうございました」

そう言って、メリルが肩にかけたカバンを軽く叩く。

「いや、お礼を言うのはこっちの方だよ。

僕がお礼をしたかったのに、結局また助けられちゃったね」

頬をかいて困ったように笑うターナーに、メリルも笑顔を返した。


「あぁ、そうだ。

ターナーさんにお願いしたいことがあります」

メリルはカバンを叩いたその手で、カバンを開けて中を探り始めた。

「なんだい?

これだけ助けてもらったんだし、僕にできることなら何でもするよ」

「では、これを。

サラお嬢様が騙し取られた金貨です。

お嬢様に返しておいてください」


目の前に金貨が入った重そうな革袋を突き出され、ターナーは目を白黒させる。

「え…えぇっ!取り返せたのかい!?」

メリルが片手で取り出した袋をターナーは両手で受け取り、その重さを実感して更に動揺する。

「ちょっ、ちょっとまって、メリル!

それじゃあ、君は一人で犯人を…?」

「あー、まぁ。捕まえたは捕まえた、んですが…。

捕まえてもあまり意味がなさそうだったので、犯人は道端に捨ててきました」

メリルはターナーから目を逸らし、苦笑いした。


「え、なんでそんな…」

信じられないと青ざめるターナーに、メリルが立ち止まって肩をすくめる。

「彼らが売りつけたのは消石灰です。

確かに、馬鹿みたいな高値で売り付けてますが、消石灰は自体は本物でしたし、正しく使えてさえいれば、普通の園芸用資材です。

そう考えると…今回、騙されたのはサラお嬢様ですから。

彼ら商売をしていたので金の出どころはどうとでも誤魔化すでしょうし、消石灰の使い方に関してはお嬢様が子供だったことを理由に、適当に言い逃れされるのがおちでしょう」

「あ…」

「まぁ個人的には…サラお嬢様は年の割に意外としっかりしてますし、使い方については犯人の伝え方に悪意があったんだと思います。

けど、そこはもう言った言わないの水掛け論で…」

メリルは肩をすくめた。



実は他にも理由がある。

男爵令嬢であるサラが、騙されたとなればどうなるか、だ。

貴族というのは皆、プライドが高い。

話を聞く限り、サラの家はあまり居心地の良い家庭ではなさそうだ。

そんな家庭で、サラがあんな高額を騙し取られたとなれば、サラは家族から責められるかもしれない。

近く、頼みの祖母も失ってしまうであろうサラを、これ以上追い詰めるというのは酷な話だ。

金貨百枚がどういう出処の金か不明だが、サラが一人で隠し通せるのなら、その方が良いだろう。


逆に、サラが責められない場合。おそらく、その怒りは全て犯人に向くだろう。

しかし、犯人を捕らえ裁判にかけても、重い刑は望めない。

そうなれば裁判官に金でも握らせ、犯人が必要以上の刑罰を受けるよう、誰かが手を回すかもしれない。

あるいは、そもそも正式な裁判にはかけず、犯人に密かに制裁を加えるかもしれない。

どちらも、身分の高いものにとっては容易だろう。

同情すべき犯人ではないが、そうやって権力が奮われるなら、それはメリルが気に入らない。


ならば、と。

盗んだ金で買った幌馬車と、その金の残りとを引き換えに、メリルはチャンスを与えた。

騙し取った金と幌馬車が忘れられず、村に戻って捕らわれるか。

あるいは、金のことは全て忘れて犯した罪と罰をから逃げおおせるか。

(もしくは。ドルバダーン町で逃げた幌馬車を見つけて、騒ぎを起こして自滅するってのもあるな)


これなら自滅が一番面白いな、とメリルは内心ほくそ笑んだ。



「そう、か。…まぁ、そうだよなぁ。

あれだけの大金だったけど契約書一つ交わしてないみたいだし、サラお嬢様の言い分だけじゃ犯人を罪に問うのは難しい、か。

…うん。でもお金が戻って来ただけでも良かったよ」

少し安心したように、ターナーが金貨の入った革袋をぽんぽんと叩く。

それを見て誤解を察し、メリルは表情を変えずに続けた。


「そのお金ですか…」

「ん?」

「既に犯人達がかなり使い込んでまして…」

「え…!」

「あと、そこから、ターナーさんの店から買い取った花と土のお代、それに温室に使った吊るし飾りとかの装飾品代も頂いたので…」

「…え、え!?ちょっと待って!」

「それ、もう七十枚くらいしか残ってないです」

「ウソ!?いや、待って本当…うわっ!

…あ、そうだ!うちは代金貰えないよ!?

ほら、テメレールさんのところは年間契約だし」

うろたえるターナーに、メリルは冷静に返す。

「ソフィアさんに確認しましたよ?

庭の手入れって草むしりや害虫対策の事で、新たに花や土を買い入れる場合は、別途費用を頂く契約になってるそうじゃないですか?」

「うっ…」

「今回は事情が事情ですから、代金を請求しにくいというお気持ちも分かります。

でも、ここでターナーさんに『お人好し』されると、私まで経費が請求できなくなるので止めて下さい。

私、この件に関しては完全にただ働きです。

お金を取り戻して、魔法で花まで咲かせたのに、銅貨一枚すら貰ってないんです。

そのうえ経費も請求できないんじゃ、私はとんだ大赤字です!」

「………っ」

「この寒空の下、チビと私にひもじい想いをさせるおつもりですか?」

「…」

「…ターナーさん?」

「………わ、わかったよ」


メリルにこんこんと詰められ、ターナーは折れた。



ターナーの度が過ぎた人の良さは、近しい者にほどシワ寄せが来る。

この村の中でそれは美徳なのだろうが、外から来たメリルからすれば危なっかしくて仕方ない。

もともと花屋なんて儲かる商売ではないのだから、こうして無理にでも代金を受け取らせないと、ターナーの手元に現金なんて残らないだろう。

(これはソフィアさん、相当苦労してるんだろうな)


「あぁそれと、あのラナンキュラスですが。

庭を埋め尽くすには数が足りなかったので、魔法で成長させて球根を株分けしました。

それをまた魔法で咲かせたので…咲かせるまでは問題なく成功しましたが、どれだけ持つか。

二世代に渡って魔法をかけた花の経過は、私にも予測できません。

魔法の影響で二・三日は確実に咲いていますが、その後は…。

一週間持たず枯れるかもしれませんし、その逆もありえます。

今後の花の管理は難しくなるかもしれません」

「そうか、魔法ってそういうものなのか。

いやでも、ここまでやってもらったんだ。この先のことは僕が責任を持って面倒見るよ。

テメレールさんとサラお嬢様のためにも、一日でも長く咲かせておきたいからね」

ターナーは胸を叩き、力強く言い切った。



その時、坂の上から誰かの足音が聞こえきた。

もう人が動き出す時間かと視線をやると、そこにいたのはこちらに向かって走るサラだった。

「メリル…さんっ!!」

今日は深緑の厚手のコートと同じ色の帽子を身に着け、きちんと防寒している。

起き抜けに飛び出してきたわけではなさそうだ。


メリルはサラにバレないよう、小声でターナーに文句を言う。

「言ったんですか?私が今日発つって」

「うん。黙って居なくなるのは良くないなぁ」

「…」

同じく小声で返すターナーの横顔は微笑んでいた。

メリルはそれが少々面白くない。


ほどなく、息を切らせて駆けつけたサラは、メリルの前で姿勢を正して頭を下げた。

「あ、あの…。

お花、本当にありがとございました」

「…」

「それと、色々生意気なこと言ってごめんなさい…」

昨日の朝以降、すっかり人が変わってしまったサラを見て、メリルは深い溜め息を吐いた。

そして腕の中のチビにそっと顔を寄せる。


するとウトウトしていたチビが顔を上げ、サラの顔を覗き込むと、

「えっとねぇ。『サラ、ばいばい。またね』だよ」

まだ眠たげな眼でそう告げると、チビは大きなあくびをしてまた目を閉じた。


「………え」

「チ、ビ………喋れたの?」

サラとターナーは目を丸くして驚いている。

二人の驚きぶりに満足したメリルはニヤリと笑って、

「それじゃあ、これで失礼します」

村の外へと歩いて行った。


それはメリルが犯人から金貨を取り戻して村に戻り、ソフィアから花苗と土を買い取った後のこと。

メリルは村の宝飾店を訪れていた。



魔法でラナンキュラスを咲かせるのは、もうこの際仕方がないとして。

問題はテメレール夫人だ。


あれだけサラが焦っているのだ。

サラからすれば『これが最後』と思うような状況にあるのではないか。

むろん十歳そこそこのサラが抱く印象と、正確な容体には相違があるだろうが、依頼主がサラである以上、サラの意向をできるだけ尊重すべきだろう。


(まぁ、正式に引き受けるわけじゃないから、ある程度、好きにやらせてもらうけど…)


サラはメリルのパフォーマンスを見て依頼をしてきている。

そうなると、おそらくサラは、ただ花を咲かせるためだけにメリルを選んだのではない。

これから咲かせるラナンキュラスを、咲いて終わりではなく、何か特別なものとして二人の記憶に残るものにして欲しいのではないか。

だったら特別な演出が必要だ。



その特別な演出のため、メリルは使えそうな飾りを探し、この宝飾店に辿り着いた。



サラの被害額を考えるとできるだけ出費は抑えたいが、安価な雑貨店では良い飾りが見つけられず、結局こんな高価な店まで来てしまった。

少し気は引けたが、小さな村ではもう他に店もない。

メリルは店の扉を開けた。


店の中は温かく、紅茶のような良い香りがしていたが、メリルの他に客はおらず、女性店員が二人、来店したメリルに「いらっしゃいませ」と声をかける。

どうやら奥のカウンターで店員がティータイムを楽しんでいたようだ。

(なるほど。この店は店員が客にがっつかないみたいだ。商品が見やすくて助かる)

カウンターから出てくる気配の無い店員に会釈で返し、メリルは一人、商品棚を物色した。


高価な宝飾品をメインに扱う店だけあって、棚に並ぶ商品はどれも品質が良い。

それに店にはアクセサリ以外の商品も豊富だ。

指輪やネックレスなどのアクセサリはカウンター周りに、それ以外の置時計や照明は入り口近くのテーブルと壁周りの商品棚にまとめられている。

(宝飾品店っていうとアクセサリメインの所が多いけど、ここは充実してるな。

まずい、目移りしてると時間ばっかりかかりそうだ)


メリルは演出のため温室の中でも使いやすそうな吊るし飾りに的を絞った。

(シャンデリアとか理想に近いんだけど、もう少し安いので……あ…これだっ!)

メリルが選んだのはガラス製の吊るし飾りだった。


淡い青色のガラスで星や雫を立体的に形作った、長さ一メートルほどの飾りだ。

その隣には似たデザインの貝細工の吊るし飾りもある。

どちらも温室の天井から吊るすのにちょうどいい長さだし、光を反射するので昼の温室でも映える。

店員に確認すると在庫も十分あったので、メリルはこれらをあるだけ買い占めた。



吊るし飾りの梱包のため、カウンターで商品の受け渡しを待っている間。

メリルはふと自分がルビーを探していたことを思い出した。

この村ではもう採れないと聞いて半ば諦めていたが、まだ宝飾品店で尋ねたわけではない。

(まぁ、ここでなければ麓のドルバダーンか王都…)


「あ」

カウンターの右隅、あまり目立たないところにメリルは赤い宝石を見つけた。



たった一点だけ。小さな箱に入れられた宝石はとても小さい原石で、小指の爪ほどしかない。

これをアクセサリとして研磨すれば、更に小さくなってしまうだろう。

だがこれがメリルの探していたルビーだった。


(ルビーの中でも一際、深い赤。けど小さいし、少し内包物もありそう?どうしよう…)

ダーリントン村のルビーは全て流出したといわれるだけあって、このルビーの品質は良いとは言えない。

しかし、逆を言えばこれが最安値。他で探せば倍以上の値段になる可能性もある。

(いや、それでも高い。予算オーバーだ。

昨日の投げ銭を全部差し出しても足が出るし、これを買えば、この先の路銀がなくなる。

けど、これから魔法を使うし…そしたら、この村には当面来れないんだよなぁ)

メリルが値段の高さに葛藤していると、背後から声がかかった。



「いらっしゃい…って、あら?あなた昨日の…」

振り向くと、そこには妙齢の女性が立っていた。

蜂蜜のような金髪のショートボブに、赤くふっくらとした唇、やや薄い翡翠の瞳。

上下濃紺のパンツスーツという仕事着姿であるが、その魅力はまるで舞台女優のようだ。

そんな彼女に、メリルは見覚えがあった。


(まずい。昨日の…よりによって私が花を挿した客だ)


メリルは驚きつつも、緊張は見事に押し隠し、彼女に挨拶をした。

「昨日はありがとうございました。

美しい方がいてくださったおかげで、ショーも大変盛り上がりました。

…ところで、御婦人はこちらのご主人でしょうか?」

(昨日の話は深めたくない!

少しでも話をそらして、早めに退散したいんだけど…)

「あらやだ、御婦人なんて。ここは私の夫の店よ。

だから、そうね。私はここの女主人ってとこね」

女主人は少し頬を染めて、にっこりと微笑んだ。


「それで、お嬢さんは今日何をお求めなのかしら」

「あ、先ほどガラスの吊るし飾りを。

今、梱包していただいているところなんです」

(失礼ながらてっきり夜の蝶かと…参ったな。

このタイプの人に商売モードに入られたら敵わないぞ)

こんな高価な品ばかりの店で、商品を売りつけられるわけにはいかない。

メリルは、ここで負けじと笑顔で返して、購入済の良客であることをアピールした。


「あぁ、あの。

吊るし飾りの在庫を全部買ったって、貴方だったのね。

あんなにたくさん、また何かショーがあるのかしら?」

(それとなく探られてる?いや、考え過ぎか?)

ことがことだから正直に話すわけにはいかないが、嘘を言ったところで、この手のことはすぐバレる。

だからメリルは正直に、けれど詳細は曖昧に応えた。

「いえ。実はサラお嬢様から、温室の飾り付けのご依頼をいただいたんです。

花屋のターナーさんと二人で、何やらお祖母様を驚かせる計画を立ててらっしゃるようですよ」


するとメリルの予想に反して、女主人は顔を曇らせた。

「あら…そう。そうね。

それじゃ私も何か、お力にならないとね」

真剣な表情でつぶやく女主人を見るに、どうやらテメレール夫人の容体は本当に深刻なようだ。

(こんなところで確信を得るとは。

けど、どのみち。

これ以上、私にできることないんだよな)



「あ、サラちゃんが男爵令嬢だからっていうわけじゃないわよ?

テメレールさんって本当に面倒見が良い方でね。うちも昔からお世話になってるから」

そういって女主人はメリルの手元を見る。

「そうねぇ…吊るし飾りはもう、お会計はお済みなのかしら?」

「え?えぇ」

「じゃあ、その代金を割引させていただくわ」

「いいんですか?」

「もちろんよ。ちょうどその宝石分ね」


「………え?」

(話が見えない、どういうことだ⁉)


「そうしたら貴方、その宝石を買えるんじゃない?」

柔らかな微笑みはそのままに、女主人のいうことだけが不穏になっていく。

「いえ、飾り代は経費で、私のポケットマネーでは…」

「あら、欲しそうにしてたわよ?

知ってると思うけど、もうこの村でルビーは採れないの。

昔、採掘されたものは村の外に売られてしまったし、残ってるのはもうこれだけ。

この機を逃したら、ルビーの原石なんて手に入らないのよ?」

「それは、そうだと思いますが」

「そりゃあ高いと思うでしょうけど、アクセサリとして加工されれば、更に小さくなるのに値は上がる。

この値段で手に入るのは今しかないわ」

(それはそう。それはそうなんだけど…この話、ルビーは割引になってないっ!)


メリルは今、理不尽に押されているが、最初に下手に出てしまったせいで反撃の一手が出しにくい。

それをいいことに、女主人の押しはどんどん強くなる。

「吊るし飾りを割引した差額で希少なルビーが手に入るなら、安いものでしょ?

あ、もちろん。領収書は元値で書いてあげる」

内緒とでもいうように、女主人は立てた人差し指を口元にあて、微笑みを深くした。

「いえ、それは…」

(テメレール夫人の力になりたいって話はどこ行った⁉)

「固いこと言わない。大丈夫よ、この話は墓場まで持っていってあげるから。ね?」

「………っ」



メリルは結局押し負けて、ルビーの原石を買わされた。


ただ、最後の良心で、サラに渡す領収書は割引価格を記入してもらった。



「あら?本当にいいの?

貴方って結構可愛いのね」


女店主の笑顔の裏に、昨日のパフォーマンスの一件があるのでは?

と、メリルは今でも疑っている。

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