一段 木曜日の習い事㊃
さくやは巫―ナデシコに変身した。
尊とおサキは待望の巫の姿に目を奪われた。悪霊でさえ息を呑んでいるようだ。
「ナデシコ……。さくや、君が……!」
「本物の……巫じゃ……!」
「尊さん……私……」
――本当に変身したんだ……!
巫に―
「きゃ、なにこれ!? 振袖!? 髪伸びてるっ!? 長っ! 髪形も変わってる!?」
ナデシコは驚きつつも、改めて別人のようになった自分の姿を確かめる。変身モノのアニメなどは子供の頃、見てはいたが、今の自分は、まさにそういった作品の登場人物のようだ。
「け、けど……」
振袖は肩の部分が大きく露出している。ミニスカートの丈もかなり短く、池の水に映る自分を見ると、布の小さな褌を穿いていた。
「ちょっと……っこの格好、破廉恥じゃない!?」
「ナデシコ。巫に変身できるなんて……君、凄いよ!」
「尊さん……っ!」
ナデシコは尊に褒められているにも関わらず、穴があったら入りたかった。
しかし、それどころではなかった。暫くこちらに見惚れていた悪霊も、我に帰って迫って来る。
「ナンダオマエハ!? ソノスガタ……カンナギィ!?」
「きゃぁああああああああああ!!」
「ナデシコっ!」
「何をしておる!? 戦うのじゃ!」
再び足が竦むナデシコに尊とおサキが叫ぶ。
「た、戦うってっ! どうやってっ!?」
ナデシコは巫が悪霊を浄化できると言うからには、何かお祓いや魔術ができるのかと思っていたが、どうやら身一つで立ち向かうしかないらしい。
「私っ、ケンカとかやらない主義なのにー!」
「ナデシコ、聞くんだ! 古文書によると巫になった者は三つの特殊な能力を賜わる。その内の一つは身体の超人化だ!」
「超人化!?」
悪霊が大きな骨の手で掴み掛かる。ナデシコは必死で震える足を動かした。
スポーツの習い事はしていないナデシコだったが、驚くべき跳躍で飛び退いた。
「うそ、私すごい! きゃあ!」
「なんじゃ、そのへっぴり腰は!」
ナデシコがミニスカートの中を見せないよう必死なので、おサキが言った。
「だって、このスカート短すぎ! っていうより下穿いていない人みたいになってるしっ!」
「ばかもん! 由緒正しき巫の衣装にケチを付けるでない!」
衣服は勿論、下着ですら、元々、身に付けていた物は全てなくなってしまっており、ナデシコの胸が揺れる。
――すごい力を賜わっても、これじゃ恥ずかしくて戦えないよぉ!
「ナデシコ、落ち着くんだ! 巫の能力はまだある! 二つ目は加護の力で、君の体は無敵だ!」
「ほ、本当!?」
衣装の欠点を克服する要素には全くならないが、尊の言葉にナデシコは勇気付けられる。
「なら、怖い物は……なにもない……!」
逃げる事をやめたナデシコに、再び悪霊が腕を伸ばした。
力が有り過ぎる悪霊は、ナデシコを掴むどころか硬い手で殴打した。ビシッという鈍い音と共に、ナデシコが吹き飛ぶ。
「きゃああああああ!? 痛ったぁ!! 全然、無敵じゃないんですけど!?」
「す、すまないっナデシコ! どうやら痛みは感じてしまうようだ!」
書物の知識しかなかった尊が、青ざめた表情で釈明した。
しかし、相当な怪力で弾き飛ばされたにも関わらず、ナデシコは無傷だった。痛みも直ぐに引き、無敵といえば無敵のようだ。
――すっごい痛かったけど……。
ホロリと涙目になる。しかし、悪霊の方は手応えの悪さに怪訝な顔をし、今度は倒れ込んでいるナデシコに、覆い被さるようにのし掛かってきた。
「なにをのろのろしとるんじゃ! 早く立つんじゃー!!」
「きゃああああああああああああああああっ!!」
おサキに言われ、ハッとするさくやだったが、もう間に合わない。
ガキンと音がする。
顔を覆ったナデシコが目を開けると、尊が悪霊の前に立ちはだかり、魔法陣でボディプレスを防いでいた。
「み―」
しかし、魔法陣は砕け散り、尊は悪霊を弾き返した反動で後方に吹き飛んだ。
「うああっ!!」
「尊さんっ!!」
当然、尊は無敵ではない。ナデシコは慌てて駆け寄った。
倒れた尊は苦悶しながらも起き上がり、ナデシコに言った。
「すまない、ナデシコ。突然の事なのに無茶をさせたね……。下がってくれ……。これは、僕がどうにかしないといけない相手だ……」
「いえ、私の方こそ……折角、力を貰ったのに、うまく出来なくて……」
ナデシコは自分の不甲斐なさを恥じる。
「ジャマアアアアァ!!」
思うようにならないのは悪霊も同じようだ。立ち上がると、品なく怒りを露わにする。
ナデシコは覚悟を決めて悪霊の前に立った。
好きな人を助けたいと思って巫になったのだ。
「淫らな行動はだめ! 目指すは大和撫子! 桜の花弁のように雅やかに……!」
悪霊が怯ませようと波動を放つが、ナデシコはミニスカートをめくられ、白い褌を露わにされてもそれに耐える。
「ならば」と悪霊が掛かってきた。今度こそナデシコを掴まえようと大きな手を伸ばす。
ナデシコは振袖を閃かせた。
「ナニッ!?」
悪霊の手がナデシコの手に払われる。
驚く悪霊が闇雲に逆の腕を振るが、これも回転しながらの払いで弾いた。
――体軸を意識して、指先を揃えて! ひらひらと……!
手がジーンとなるが一瞬だ。ナデシコは超人的な力を使い、舞踊をするが如く攻撃をいなしてみせた。
悪霊がバランスを崩して転倒する。
「グアアッ!」
「おおっ! やるではないか!」
見違える程の動きにおサキが驚く。
ナデシコは、ほっと息を吐き尊に聞いた。
「尊さん! ……巫、三つ目の力はなんですか?」
「それなんだが……いきなりできるものなのか、僕も分からない。信じ難い力なんだ……!」
「わたしやります……! 教えて下さい!」
「分かったよ! 三つ目は悪霊を浄化、成仏させる力だ。唱えて!」
技の名を尊に教えられナデシコは叫ぶ。
「巫、演舞―桜吹雪の舞!!」
ナデシコがくるりと回ると、桜の花弁のような淡いピンクの光が舞い上がる。それが螺旋を描いて悪霊を包み込んだ。
「グオオオオオオオオオオオオォォ!!!」
花吹雪が悪霊を浄化する。
「ゴ……ゴクラク……ゴクラク…………」
悪霊は使い古された言葉を言いながら、泡のように消えて、極楽浄土へと去って行った。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
技を放ったナデシコは、汗びっしょりになって膝を突いた。
しかし、見事、悪霊を退治した。
「やったぞ、悪霊を祓った! これが巫の力じゃー!」
おサキがぴょんぴょん跳ねて喜んでいる。
尊がナデシコの肩に手を置いた。
「頑張ったねナデシコ。君……とても強かったよ!」
「尊さん……」
ナデシコは恐怖と疲労、そして信じられないような出来事の連続で、今も頭が混乱してた。
しかし、尊を助けられて嬉しい気持ちが、それらに優った。
「力になれてよかった……!」
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さくやは安倍家の縁側に座り、自分の体を不思議そうに確かめていた。
尊に言われた通り、再び天貝紅を開くと変身が解除され、無事、元の姿に戻れた。衣服やブラジャー、パンツなどは、変身と同時に入れ替えで天貝紅に仕舞われていたようだ。
「よもや、これ程近くに巫になれる者がおるとはのう」
「灯台下暗しだったね」
おサキと尊が話している。
尊は屋敷に張った結界を解除していた。荒らされた庭が、結界を張る前と同じ状態に戻っていく。
「けど、今回だけだ。次に現れるであろう悪霊に備え、早く巫を探さないと……」
尊の言葉にさくやは疑問を抱く。
「どうしてですか? 私は……?」
「どうしようもなにもない! そなたには任せられん!」
おサキが答えた。
「ええっ? 私、素質があるんでしょ?」
「うむ……。じゃが、巫の実力はあんなものではない! もっと適任者がいる筈なのじゃ!」
「うそっ! 私、悪霊を浄化できたのにっ」
さくやはショックを受けた。
尊が優しく言った。
「さくや、今日は助かったよ。でも、無理はしなくていい。僕らも君に、これ以上危険な事をさせるつもりはない」
尊もあくまで、さくや以外の適任者を探すつもりらしい。さくやは縋るような目で尊を見る。
「でも、尊さんは巫が見付かっても、悪霊と戦い続けるんですよね?」
「ああ。それが僕の使命だからね」
さくやは立ち上がった。尊と向き合う。
好きな人が危険な使命に立ち向かっている。自分はそれを手助けできる力を得たのだ。
さくやはその役目を他人に譲る気はない。
「尊さん……。巫探しは不要です!」
「!」
さくやは最初に習い事をやりたいと、母に駄々を捏ねた幼少の頃を思い出す。
「巫は私がやります! やらせて下さい!!」