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九段 苦しみの先㊂

 尊は袴姿に着替え、おサキと共に千代と楓を庭の池に連れて来る。

 池の水は抜いてあり、滑らないように底を歩いて中央付近へ向かう。何時、泳いでいる鯉達は、水が残る窪みに避難していた。


 「現世(うつしよ)から異界へ行ける場所は一つ」


 中央には、普段は水底に沈んでいる鎖が巻かれた石が一つあった。


 「この町に施された結界の要だ。これを動かす事で異界への扉を開けると、我が家には伝わっている」


 安倍(あべの)家の当主は、その伝承と共に、この要石を操作する方法も伝授される。当然、実際に動かすのは固く禁じられているが、それは平時での話であり、神器同様、来るべき時には使わねばならない。

 もっとも、尊はナデシコを助ける為なら、禁忌を破る事を厭わなかった。


 「だが、長く異界の門を開けて置くのは危険だ。直ぐに戻れない時は……ここを閉ざす……!」


 尊が千代と楓に忠告する。

 二人の巫は言葉の意味を理解し、強く頷いた。    

 「絶対にナデシコを取り返す!」   


 「そして、必ず戻って来る……!」


 失敗は許されない。


 「では、行こう!」


 尊が手を翳すと、鎖が外れて要石が動き出す。

 要石が退くと、池の底に亀裂が走り、それが広がった。

 尊は初めてさくやと出逢った時の事を思い出す。


 ――さくや、君を救ってみせる……!!


 尊、千代、楓、おサキは、覚悟を決めて空間の狭間に飛び込んだ。


 ――――――――――――――――――――――


 体が地の底に沈むと、やがて重力が反転し始める。

 尊達は体を起こそうとしたが、完全に反転する前に頭側が地面に変わっていて、腹這いになって倒れた。


 「び、びっくりした……っ! もう着いたの……!?」


 「ここが、地獄……!?」


 千代と楓が不安そうに周囲を見回す。

 地獄は何となく頭にあるイメージと、相違ないように思えた。

 足下の黒い地面には、池の底に繋がる亀裂が残ったままだ。


 「下に向かったのに下から出てきた……」


 楓が不思議そうに言った。


 「むぅ、とんでもなく妖気が濃い……! 尊。これでは悪霊が居ても紛れてしまうぞ」


 「ここは奴等の巣。何処に潜んでいるとも分からないのに厄介だな。ナデシコを見付けるまでは、見付かる訳にいかない……!」


 悪霊の気配を感じ取れるおサキと尊は、勝手が違う世界である事を、より痛感しているようだ。


 「どっちへ行けばいいのかな?」


 千代が言ったが、目印になるようなものは何処にもない。


 「落ち着くのじゃ。巫には巫の気配がある。悪霊もそれを辿ってそなた達を狙って来ていたのじゃ。ナデシコの方の気配なら、わしが追えるかもしれぬ……」


 「おサキ、行けるか?」


 おサキが気配を探る為、全身の毛を逆立てた。

 長年、巫の素質を持つ者を探して来たおサキだったが、生憎、慧眼はなかったと言えた。しかし、彼女も、今は直に巫と接した事で、その本質を理解している。

 尊はおサキの能力に賭けた。


 ――ナデシコ……。わしは初め、何故そなたに巫の素質があるのか分からなんだ。だが、共に過ごして分かった。そなた達には、大切な人の力になりたいという強い想いがある。さくやは尊を、千代はさくやを、楓は千代とさくやを、それぞれ助けようとした。危険を顧みず。女神の力は慈愛の心にあるのじゃ。


 「頑張っておサキちゃん!」


 「おサキ……!」


 おサキの毛が、抜けてしまうのではないかと思う程、逆立つので、千代と楓は心配する。


 「いるぞ……ナデシコじゃ……! 微かだが感じ取れる……!」


 地獄の憂鬱な妖気や、悪霊の野蛮な気配とは全く違う、健気だが、優しさを感じる美しい花のような気配。


 「わしには分かる……! これが巫じゃ……!」


 「……よし! 案内を頼む……!」


 尊が言った。

 おサキに続き、三人は地獄の世界を歩き始めた。尊は目印として、呪符を近くの岩に貼り付けながら進んだ。

 足元が悪く、何時、悪霊が飛び出して来るか分からない道中には神経を削る。


 「あれ? あそこにもひびがある!?」


 暗がりから立ちはだかった崖を迂回した時、千代が光を放つ地面の亀裂を見付けた。


 「地獄(こちら)から見た結界の綻びだろう。悪霊はこういった場所から現世(うつしよ)に来ているに違いない」


 尊が推測した。


 「見て、あの建物。中学じゃないですか?」


 楓が指差す亀裂の中には、水溜まりに反射する景色のように、朧げに木造の建物が見えた。

 確かに風間中だ。日曜だが、部活か何かで登校していた生徒の姿も見え、逆さなのが災いして女子生徒のパンツが覗けた。


 「日が沈めば亀裂は見え難くなるのかもしれない……。悪霊が逢魔時に出現する事例が多いのも、それが原因か……?」


 「尊よ……」


 おサキが静か言った。


 「近いぞ、この先じゃ。恐らく悪霊も相当な数がいる……!」


 尊達は直ぐに物陰に身を潜めた。おサキが示す方角には熔岩が流れる山が見える。

 尊が目配せし、一向は慎重に先へ進む。

 

 ――無事でいてくれよ……。さくや……!



 「はぁ……はぁ…………はぁ………………あっ……」


 ナデシコは石を退かされ縄も解かれた。痛みは引き、脚も加護の力で無傷だ。

 しかし、心が限界に達していて、起き上がろうとしても、ワナワナ震えて立ち上がれない。


 「フッ。巫の能力に精神が追い付いていないな。それが分不相応の立場を象徴している。所詮、貴様に女神の力は相応しくない」


 シュラはナデシコの胸倉を掴み、無理矢理、立たせる。


 「貴様も辛いだろう? 手に余る力を与えられ、敵う訳もない我らを相手にしなくてはならないからな」


 手に当たるナデシコの胸にシュラが目を向ける。


 「最後だ、巫ナデシコ。その重荷から解放してやる。女神の力、俺に差し出せ。そうすれば貴様の罪、許してやろう」


 シュラの手がナデシコの帯に掛かった。


 「あっ」


 「大人しくただの小娘に戻れ!」


 帯が引っ張られ、ナデシコはくるりと回って再び倒れ込んだ。


 「きゃああ……っ!!」


 帯が解かれ、着物が前開きになり、谷間やおへそ、褌が露わになる。見物している悪霊達が大歓声を上げた。


 「拒否するなら、その脆弱な心を完全に壊してやる。どれ程、気丈な女でも、これには耐えられまい!」


 半裸になったナデシコにシュラが迫る。


 ――乱暴される……っ。


 自分の本当の姿を無理矢理、暴かれ、侵される。シュラの言う通り、そんな行為には絶対、耐えられないだろう。

 ナデシコは震えた。


 「……っ」


 しかし、ナデシコは自分の心を守るように、はだけた着物を閉じて、恐怖で縮こまり丸まっていた背筋を正した。


 「いいえ……。渡せない……!」


 「!」


 凛とするナデシコの前でシュラの足が止まる。

 向けられた瞳には秘めたる想いが宿っている。


 「女神の……この力だけは、絶対に渡せない……っ!」


 「……ほう」


 「私は……自分で選んだの! 尊さんの側に居たいって! 助けるって……っ!! なんでもするって……っ!! だからっ―」


 全ての行動原理の源になる、譲れない気持ちがナデシコを奮い立たせる。


 「巫だけは、やめないっ!!!」


 誰にも見せられない、ちょっと淫らな本当の自分。ずっと隠しているつもりの、胸の内にある、恥ずかしい恋心。

 尊を「好き」と言う気持ち。

 例えどんなに胸が苦しくても、自分は自分でいたい。

 大和撫子になりたい、ナデシコでいたい。


 「…………フン」


 シュラは、ギリギリで心折れないナデシコが気に食わなそうだ。もっとも、彼はナデシコが大人しく従おうとも、見逃す気はなかった。

 面頬の裏でほくそ笑むと、容赦なくナデシコに襲い掛かる。


 「ぃ()ぁあああああああああああああああっ!!!」


 ナデシコは必死に抵抗したが、着物を押さえる手が呆気なく引き剥がされる。

 ここまでだった。


 ――尊さん、ごめんなさい……!!


 ナデシコの目から涙が溢れた。

 シュラの手が着物に剥ぎ取りに掛かる―


 「!!」


 パッとその手が別の手に掴まれた。

 シュラが驚く。


 「貴様……! どうやってここへ!?」


 「お前にナデシコの心は壊せない。気高く美しい巫の心は……!」


 尊だった。

 ナデシコとの間に割って入り、渾身の力でシュラの腕を止めている。


 「僕だって鍛えているんだ。ずっとナデシコに居て欲しいから。彼女に相応しい、大和男児になりたくて!」

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