七段 クノイチの目標㊂
大会前日の練習は軽めになっていて、水泳部員は明日に備え、早々にプールから上がっていた。
一方、楓は少しでも不安を払拭したくて、最後の一人になるまで練習していた。
「すげーハイレグ!」
水着目当ての男子の視線に苛立ちながらも、楓は負けじと泳いだ。明日はもっと大勢の観客がいる筈なので、この程度で恥ずかしがっている訳にはいかない。
――いや、大体なんで女子だけこんな水着なの……っ!!
プールから上がった後、シャワーを浴びようとしたが、個室の曇りガラスは、どれも使用中の方のシルエットが浮かんでいて、満室だった。
――これもなんで外から分かるっ?
着替えを済ませた頃には、楓は本当に一人になっていた。
「……」
それでも、誰もいなくなるとプールは静か過ぎて、楓は寂しさから、また不安になった。
さくやと千代が一緒に練習してくれた日を思い出し、二人が恋しくなる。居れば気恥ずかしくなるのに不思議なものだ。
「明日は拍手されながらのゴールかも……」
心の不安が投影されるかのように、水面に波紋が広がる。
「え?」
おかしい。
窓やドアは閉まっている。風が吹き込む場所はない筈……。にも関わらず、波紋は徐々に大きくなり細波が立った。
室内に強風が吹き荒れていた。
「これって……悪霊のっ!?」
露わにされた縞パンを素早く隠し、楓は気付いた。
水が洗濯機のように渦巻くと、プールの真ん中に稲妻が走り、水面に亀裂が入った。
そして、そこから悪霊が飛び出した。
「ギョオオオオオオオー!!」
巨大な怪魚だ。
飛び出た無数の目を持っていて、それらをギョロギョロ動かし、周囲を見回している。
「!!」
それらが一斉に楓の方を向いた。
楓はカバンから天貝紅を取り出す。
「巫、舞初め―秋もみじ!! 月夜の疾風、クノイチ! 参上仕りました!!」
楓は素早くクノイチに変身した。
「悪霊っ! こんな所に……っ!」
「ヤハリ、キサマ巫ト言ウ奴カ! 何トナク、気配デ分カッタゾ!」
怪魚悪霊が、嬉々としてクノイチに向かって泳いで来た。
巨大な身体が押しやった大量の水が、へりを越えて激しくプールサイドに流れ込む。クノイチは飛び退いてギャラリー席へ上がった。
「プールを壊さないで!!」
学校の人気スポットが壊されでもしたら、生徒達はショックを受けるだろう。水泳部も練習ができなくなってしまう。
クノイチは水が引いたプールサイドに再び下りる。怪魚悪霊はプールを我が物顔で泳いでいた。
「それなら!」
クノイチは勢いを付け水へ向かって走った。
すると、そのまま水面を走ってみせる。
「ナニっ!?」
忍法、水上歩行だ。普通は沼地くらいでないと走れないのだが、巫の脚力が水の上を走らせた。
「やあ!!」
「ギョエエッ!!」
水の中では手が出せないと踏んでいた怪魚悪霊に、クノイチはスリットスカートを活かした蹴りをお見舞いする。水から上げてしまえば、こっちのものだ。
打ち上げられた怪魚は、バタバタとプールサイドを跳ねる。
「暴れないで! 今、浄化して上げる!!」
クノイチが言った。
その時、怪魚悪霊の口から、何かキラキラした物が出ているのに気付いた。
――糸!?
この怪魚は釣られた魚のように、釣り糸がくっ付いている。糸は最初に悪霊が現れた空間の亀裂から伸びていて、その所為か、亀裂は今回も塞がっていない。
「ナルホド。クノイチ、ヲ名乗ルダケハアルト言ウ事カァ!」
「わっ!?」
怪魚悪霊が口を開くと、釣り針が無数に飛び出してきた。
クノイチは咄嗟に水に飛び込み躱す。巫の力ならかなり速く泳げるが、水の抵抗で地上より動きが遅くなってしまうのは変わらない。クノイチは底を蹴って、早々に浮上しようとした。
しかし、その前にカラダが水から勝手に引き上げられた。
「えっ!? きゃあああああああああああっ!!」
クノイチが自分の体をよく見ると、着物、帯、手甲、足袋と、至る所に釣り針が引っかかっているの気付いた。どうやら、水中に予め仕掛けられていたようだ。
「フン!!」
怪魚悪霊が口を閉じて糸を引くと、クノイチがプールサイドに釣り上げられる。
「ああっ!! 嫌っ!! ああん……っ!!」
釣り針を取ろうとしたが、手甲に掛かっている糸の所為で、手が上手く使えない。じたばたしたが脱出できず、クノイチはなす術なく糸を巻かれて、轢き擦られた。
「ギャハハハハ!! マズハ一匹!!」
巫を捕らえ怪魚悪霊が歓喜する。
釣り針が衣装の至る所に穴を開け、ミニスカートを捲り上げて、クノイチのハイレグ風の褌を白日の下に晒す。
「ちょっと……っ!! 見ないでっ!!!」
ギョロ付く幾つもの目が、敗北し醜態を晒す自分を容赦なく監査してくるので、クノイチは恥辱に耐え切れず哀願した。
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さくやが悪霊の出現を知ったのは、丁度、和琴の稽古で苦戦している最中だった。
当然、部屋にやって来た尊に呼び出されたので、他の生徒達がざわめき立った。さくやはそそくさと抜け出す。
「どうやら気配は学校のようじゃ!」
さくやと尊は千代と合流し、気配を辿るおサキに付いて行って、急いで学校までやって来た。敷地内には一見、悪霊はいないように見える。
「あの建物から妖気を感じる!」
「プール!?」
「もしかして楓ちゃん……っ!」
尊がプールの建物を指すので、さくやと千代に緊張が走る。楓には既に連絡を入れていたのだが、返信がなかった所だ。
「結界を張る! 二人は構わず突入してくれ!」
尊が叫んだ。
さくやと千代は変身してプールの建物に突っ込んだ。ガシャーンと窓ガラスを割って入り、ナデシコとカグラが突入した。
「クノイチ、大丈夫っ!?」
「ああっ! やられちゃってるっ!」
クノイチは釣り糸でプールの天井から吊り下げられ、晒し者にされていた。二人が現れ、一瞬、安心したような表情を浮かべたが、直ぐに怒った表情になった。
「先輩達……。お、遅いです……っ!!」
「ご、ごめん!」と謝る二人だったが、敵がクノイチを倒す程の強敵であるという事実に、身を固くする。
後から来たおサキと尊も怪魚悪霊に注視する。
「あれを見るのじゃ尊。空間に入った亀裂が塞がっておらんのじゃ」
「この間の悪霊の時にあったという現象か。……あの糸は一体、何処に……。いや、何者かが引いているとでもいうのか……?」
尊は連続で現れた特異な悪霊の存在に、文字通り「糸を引いている者」の存在を感じずにはいられなかった。
「新手カ!? 観察対象ハ多イ方ガイイ!!」
怪魚悪霊が巫を迎え撃つ為、再びプールに飛び込んだ。
「どうしようっ、わたし泳げないのに!」
その時、カグラは閃いた。
「あっ! そうだ、わたしにはこの技がある! 秘技―ねずみ花火!!」
カグラが発明した浄化技の応用法は「秘技」と名付けられた。省エネで放たれた火炎が、輪っかを描きながら飛んで行く。
しかし、当たり前だが水に浸かるとジューと音を出し、ねずみ花火は消滅した。
「しまったー! ねずみさんも泳げないみたいっ!」
「ギョホホホホー!!」
怪魚悪霊が飛び跳ね、着水で高々と飛沫を上げた。イルカショーのように、ナデシコとカグラに水が掛かる。
「きゃあっ! なにするの!」
「ぐしょ濡れだよー!」
振袖は水に弱い。濡れた二人はかなり動きが鈍くなった。
「グヘヘ!」
「危ないっ、避けて!!」
敵の狙いに気付き、クノイチが警告を発する。怪魚悪霊は口から釣り針を乱射した。
二人は懸命に避けた。しかし、並の人間の動体視力では、釣り針が見え辛い。
「わっ! 引っ掛かっちゃった!」
「カグラっ! 外してあげる! 痛っ」
カグラの袖に掛かった釣り針を、ナデシコが外そうとしたが、返しがあって上手く行かない。糸を引き千切ろうともしたが、こんなに細いのに、鋼鉄のワイヤーのように頑丈だ。
そこへ、躱した釣り針が引き戻され、背後から二人を襲った。変則的な軌道を見切れず、二人の衣装に次々と引っ掛かる。
「ああっ! だめっ!!」
「きゃああああっ!!」
糸が引っ張られると、二人は水中に引き摺り込まれてしまった。
クノイチが叫ぶ。
「ナデシコっ!! カグラっ!!」




