七段 クノイチの目標㊀
風間中学校の水泳部は、毎年、大会で好成績を残している。それは、古い木造校舎とは違い、プールが新設された建物内にあって、生徒は放課後、自由に利用でき、一年中、練習できる環境のお陰があった。
この日の放課後、さくやと千代もスクール水着に着替えて、プールに遊びに来ていた。
「私、授業以外で泳ぐの初めて。千代ちゃんは?」
「わたしも! わたし浮き輪がないと泳げないから!」
さくやが聞くと、千代は、まるで自慢するようにカナヅチである事を吐露した。既に、ドーナツ柄の浮き輪を装備しており、可愛らしいデザインを見せるように前屈みのポーズを取る。
「泳げるように、なりたくないの……?」
「あっ、来た来た!」
「さくや! こっち、こっち!」
遊泳用のプールの方から、うめかとももが手を振っている。さくや達を誘ったのは、どうやらここの常連らしい二人だった。
「さくや、やっと来てくれたね。夏じゃなくても泳げるんだから、使わなきゃ損だよ!」
「火宮さんも遊ぼうねー。さくやったら、わたし達の誘い、いつも断るんだよ。そんなに体型が気になるぅ?」
ももに茶化され、そわそわするさくや。確かに、プールに来るのを断っていたのは、体型を気にしての事だった。
学校指定のワンピース水着はピタッとしていて、ボディラインがくっきりしてしまう。
それに加え―
「だって、風間中の水着っ。これ、鋭利すぎるでしょ!?」
何故かハイレグカットで、さくやは下腹部の布を少しでも横に伸ばそうとした。
「もうっ、変なこと意識しちゃてぇ! 泳ぎやすいように、この形なのよ!」
「うちの女子水泳部が強いのは、これのお陰よー!」
「本当かなぁ……? 多分、これもマドンナ部が選んだんでしょ……」
水着姿を見せびらかす二人が言っても、全く説得力がない。
実際、この破廉恥な水着の所為か、ギャラリーは何時も男子で賑わっている。放課後のプールは泳ぐ泳がないに関わらず、風間中の人気スポットだった。
「マドンナ部だ……!」
「ラッキー。Dパイ!」
さくやは失礼な視線を感じたが「ちよちーだ!」「かわいい!」と言う声に、嬉しそうに手を振る千代を、少しは見習おうと思った。
――いつものこと、いつものこと。あれが男子……! これがわたし……!
「でも、マドンナ部様々だよね。こうやって、さくやも脱いでくれるようになったんだからぁ!」
「大きい子は見せなきゃいけない法律があるんだよ!」
「もう! やっぱり、そういうセクハラが目当てなんだから……。早く水に入ろ!」
「だめぇー! まずはじっくり準備体操ぉー!」
確かにうめかとももの言う通り、さくやはマドンナ部に入って、少しはオープンになった気がした。
しかし、調子に乗ったボディタッチには乱れる。
「こらーっ! 変なトコ触らないっ!」
建物内に声を響かせ、練習中の水泳部まで此方を振り返るので、さくやは恐縮した。
「楓ちゃん、いたいた! おーい!」
千代が競技用のプールにいる楓に声を掛けた。
結局の所、放課後のプールに遊びに行ってみようと思った一番の理由は、やっぱり楓がいるからだった。
「……!」
さくやと千代が「練習、頑張ってねー!」と手を振っているのを見た楓は、隠れるように、さり気なく顔半分まで水に沈む。
「なんでいるの……。あの人達……ブクブク」
千代は浮き輪にも関わらず、アーティスティックスイミングの真似事はしたがったので、さくやはしばしば水中から千代を持ち上げようと奮闘した後、休憩の時間を見計らって楓に会いに行った。
「楓ちゃん、練習お疲れ様! 部長さんには優しくしてもらってる?」
「大丈夫ですよ。もう、みんなにバレちゃったみたいですし」
水から上がって濡れた前髪を拭う、ハイレグ水着姿の楓はエネルギッシュで、練習を頑張っているようだった。水泳部自体も、和気藹々とした楽しそうな雰囲気がある。
「一年生なのにB……!」
「将来有望だね!」
人の友人に興味を持って付いて来た、うめかとももが、楓の隣に並び、自分達とサイズを比べていた。当然、楓は「な、なんなんですかっ!? この人達っ!」と真っ赤になる。
「楓ちゃんも大会に出るの? やっぱり運動神経すごいなぁー!」
ベンチに座り、カナヅチの千代が感心した。
「部員は全員、なにかしらの種目には出るんですよ。それにあたし、運動神経良くても……水泳だけは得意じゃないんです」
「ええ!? もしかして泳げなかったの!?」
「泳げましたっ! 苦手だっただけですっ!」
「でも普段は忍者みたいに動けるのに!」
「水の中じゃ、忍者みたいに動けないからです」
楓がもどかしそうに言った。近くのベンチに男子部員が座った所為か、意識してちょっと距離を取る。
「じゃあ、苦手なことに敢えて挑戦してるんだ」
さくやも少し驚いた。
うめかとももが「やっぱそういうのってぇ、却って意識しちゃうモノよねー!」「そして好きになっちゃうっ! 恋の始まり!」とか言い出すので、少しお下がりして頂いた。
「でも、どうして? 陸上部とかに入れば、一番になっちゃいそうなのに?」
千代が率直に言った。
「あたしが運動得意なのは、パパに忍術を勝手に仕込まれた所為っていうか……。元々はそんなに、運動には興味がないんです。だから泳げなっ―苦手でもいいって思ってたんです。でも……」
楓は理由を余り話したくなさそうだったが、話してくれた。うめかとももは、近くの男子部員に話し掛けに行ってしまった。
「去年の夏のことです。うちは毎年、夏休みに海に出掛けるんですけど、そこで―」
楓は、家族で海水浴なんて子供みたいだから「あたし、もう行かない」と断ったのだが「中学生になったら行かなくてもいいでござるから、最後に一緒に行こうでござる〜っ!」と父親に泣き付かれ、渋々、一緒に出掛けのだった。
案の定、水遁の術など、恥ずかしい事をやり出す父親と弟に呆れながら、楓は浮き輪(泳げますけど、海は波があるんで!)で泳いでいた。
その時だった。
「溺れている人がいたんです。……あたし、結構近くだった……」
――助けなきゃ……っ!!
直ぐにそう思った。
「でも……どうすればいいか分からなくなっちゃって……。それに、勘違いだったらどうしようとか、余計なこと、考えて……」
行動する事が出来なかった。
一方、気付いた父親は直ぐ様、助けに向かった。そして、ライフセイバー宛ら、溺れた人を救助して見せたのだ。
「パパは迷わなかった……。元々パパってあんなんだから、人にどう思われるかとか考えない。でも、だから一番やらなきゃいけないことが、ちゃんとできる……!」
さくやと千代も、あのニンジャマスター服部師範(何故かブーメランパンツ)が「今行くでごさる!」と溺れた人を救助する姿が、簡単にイメージできた。
「あの時、あたし……初めてパパがすごいなって思ったかも……」
父親は海水浴場で称賛された。その時、弟の佐助が「流石は父上でござる!」と言っていたが、楓も心の中では同じ事を思っていた。
「あたしも、泳ぎが上手になったら……そういった、もしもの時、人を助けられる様になれたらなって……! それで水泳を始めたんです」
楓は照れながらも、二人に胸の内を打ち明けた。
「楓ちゃん……すごい! 立派な人助け精神だね!」
「流石は楓ちゃん!」
千代とさくやは、そんな優しい心を持つ楓のお陰で、何度も窮地を救われている。
正直―
――あ、頭が上がらない……。




