四段 絵巻のはじまり㊀
ある春の日、六歳のさくやは、お花の稽古を始めた母親に連れられて、安倍家へやって来た。
その日はお試しの見学で、親子は直ぐに帰る予定だったが、母親の井戸端会議が始まってしまい、さくやは暇を持て余した。
「大きなおうち……」
さくやは誘われるように、庭に足を踏み入れた。
庭には美しい桜の木や花々が咲き、池には色鮮やかな鯉が泳いでいる。さくやは物珍らしさに目を見張った。
「?」
鯉を目で追っていると、さくやは池の底に何かがあるのに気づいた。鎖が巻かれた岩が沈んでいる。それとも底から突き出ている?
さくやは気になって水面に顔を近づける。
池に映るもう一人の自分が、徐々に近づいて来る。
「きゃっ」
「危ない!」
さくやはバランスを崩した。
しかし、池に落ちる前に体を支えられて、事なきを得た。
「……」
助けてくれたのは年上の男の子だった。「よかった」と安堵の表情を浮かべている。
幼いさくやは男の子の顔をまじまじと見つめた。
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「どうぞ」
さくやが茶室で千代と楓に茶を振る舞っている。
千代は和菓子を笑顔を頂戴したが、抹茶を飲んだら苦笑いになった。楓は「良いお点前で……」と、ぎこちなく言った。
「教室じゃないんだから、そんなに畏まらないでよ。ほら、足も崩して」
さくやが笑いながら二人に言った。
三人は暇を見て、改めて巫の役割、活動について話し合う事になり、安倍家に集められた。私服でのお茶は戯れだ。
「さくや先輩は普段、ここで茶道を習っているんですか?」
「うん。お茶は五年生から習ってるの。おかわりいる?」
「は、はい」
抹茶が嫌いではなさそうな楓に、さくやはもう一服点ててあげた。
「お花のお稽古もしてるんだよね。後、書道と踊りと……」
「お琴を習ってるよ」
指を折って数える千代にさくやが言った。
「お花が四年生から。書道が一番最初で、舞踊が二年生。琴は三年生。……わがまま言ってどんどん増えちゃった。大体は隣りの大きなお部屋を使うの。講師の方を招いたり、尊さんのお母さんやお婆ちゃんが教えてくれるんだ」
楓は感心する。
「じゃあ、もう八年もこの家に通っているんですね」
「うん。大体、放課後はここに来て、家にいる時間の方が短いかも……なんてことはないか。でも、これだけ広いお屋敷でも迷うことはなくなったよ。あっちが居間で隣りが台所。あっちが着物を着付ける衣装部屋。奥にはお客さん用の大きなお風呂があって……。あっ、御手洗いはあの角を右ね」
さくやは縁側から見える、大体の部屋の位置を示して言った。
「さくやちゃん、まるでこの家の人みたいだね」
「詳しいですね」
「お邪魔します」と尋ねた時、尊のお母さんに「部屋を自由に使っていい」と言われていた事もあり、千代と楓はそう感じた。
「い、家の人みたいなんてっ。あははは、変なこといわないでよっ。私、茶道具返してくるね!」
何気ない言葉に過剰反応してしまうさくやが、縁側に出る。しかし、部屋へ入ろうとしていた尊とぶつかった。
「きゃあっ」
「ごめんさくやっ、大丈夫かい?」
尻餅を付いたさくやに尊が手を差し伸べる。
「大丈夫です。私の方こそ……」
さくやは尊の手を取ろうとしたが、ミニスカートの中が丸見えであることに気付く。
尊の目に、桜餅のようなピンクのパンツが映る。
「きゃあああっ! ご、ごめんなさぃっ!」
さくやは慌てて隠し、茶器を持って退散した。千代と楓が呼び掛ける。
「さくやちゃん!」
「そっち、お風呂って言ってませんでした?」
「こんこん! では、面子が揃った所で諸々の話をしようぞ。改めて自己紹介からいくかの。わしはおサキ。陰陽師に使える使い魔じゃ」
尊と一緒に部屋へ入ったおサキが言った。
「僕がその陰陽師の安倍尊。陰陽師っていうのは、陰陽道……魔法みたいなものと言えばいいのかな、を使える人間の事さ。よろしくね」
尊は特に初対面の楓に対して言った。
「初めまして、服部楓です。巫のク、クノイチです」
楓は少し恥ずかしそうに源氏名を名乗った。
「クノイチは有能じゃ。わしが保証する」
おサキが自慢気に言った。触発された訳ではないだろうが、千代は名乗りに振り付けを入れた。
「わたしは火宮千代です! 巫女さんやってます! 巫カグラです☆」
最後に先程の醜態を引きずっているさくやが、申し訳なさそうに名乗った。
「木花さくやです。巫、ナデシコです……」
「―以前、巫の役割は悪霊を祓う事と説明したけれど、その役割が何時からあって、どういった活躍をしてきたかについて、我が家には足跡を追える書物が幾つか存在する。今日はみんなにも、それに目を通して貰いたいと思ってね……」
尊は蔵から持って来た巻物を三人に見せた。
「この絵巻は遥か昔の出来事を描いた物だ。空想とも考えられるけど、我が家は代々、天貝紅と共にこれらを大切に保管してきた。今、悪霊が復活し、巫の伝承が真実だった事を考えると、重要な参考資料に成る筈だ」
三人は広げられた絵巻を見たが、古い文字で書かれてあり読む事ができない。
「何が書いてあるんですか?」
さくやが聞いた。
「古の世界の成り立ちと、そこで起こった戦い。そして、僕らが立ち向かわなければならない、ある脅威について……」
尊が真剣な表情で言った。
「おサキ頼む」
「任せよ」
文字が読めるらしいおサキが語り始めた。