♯3 目的を定めなければ
ビル街に出て、大通りを歩く。辺りは疲れて家に帰っていくスーツ姿の人達で溢れかえっている。満員の電車が路面を滑っていく。ビル街自体は嫌いではない。この街では、私のことなど誰も気にかけない。ペキカセットの一員であった頃に住んでいた片田舎の街は、道行く人に話しかけられては差し入れを貰っていた。あれは鬱陶しくてたまらないものだった。
さて。指定した時間は「二十二時」だ。まだたっぷり時間はある。
この組織では「個人行動」を基本とする。それは先程再確認した通りだ。つまり、自分から動かなければ何も起こらない。起こらないのだ。私としても、動かずに全てが終わってしまえば良いと思うのだが――それでは、間に合わない。
私はある建造物の前で立ち止まる。
「……」
見上げると、何処までも灰色の布が広がっている。建造物、というより建造中のビルだ。「カサアオシ株式会社」と書いてある横断幕がぶら下がっている。
周囲を見回すが、誰もいない。今日は工事は休みであるようだ。本来は勝手に入れないはずだが、安全管理が甘いのか、右端の布がめくれて誰にでも入れるようになっている。私も例に漏れず、その布を潜った。床はコンクリートで、部屋は出来ておらずコンクリートの柱が何本か立っている。天井はまだ鉄骨だ。逆側の窓の外の布はめくれていて、コンビニと信号機が見えている。足音を立てながら、中央に向かって歩く。
今から行うのは、目的の再確認だ。
その為には、非常に不本意ながら手伝ってもらう必要がある。正しく名前を呼ぶ価値すらない「敵」に、だ。
改めて思い返すと、かつての私は本当に目的なく動いていた。それは、ペルプ達に影響されていたせいだ。
ペキカセットは「敵」を積極的に探しに行くことは無かった。ただ平和な毎日を過ごし、攻撃の現場を見つけたら倒す。その影で、私達の知らないうちに被害にあった人もいただろう。攻撃に屈し、闇に堕ち、「敵」の手先となった者が。その人達を助けたい? 違う。そんな高尚な望みは持っていない。
「私は皆のように、誰かを救うなんてことは考えられない。それに、自分の幸せも望まない……」
「だから、私は」
「おや、闇に堕ちている者がいるね。身体に悪いじゃないか」
目の前に、紺色のもやがあらわれる。低い声が私を捉える。現れたのは、白衣を着た体格だけがでかい医師だった。闇の心を探知するって、本当だったんだ。私は医師を睨みつける。ペルプ達とあれほどの戦闘をしておいて、まだ生きていたのか。でも、例に漏れず私のことを覚えていない。この医者も「私の存在を忘れている」はずだ。
「私は『ヤミリーズ・カンパニー』の常務ドクトル。闇の心を持つ者よ、その闇に呑み込まれて貰おう!」
私は服越しにバッジに手をやる。脳内に溜まっていた魔力が一気に身体を迸るのを感じる。手に現れたふたつの三角を――魔法アイテム「猫耳」を頭に装着する。私の魔法タイプは「猫」だ。言い換えると、猫の獣人に変化することができる。
尻尾が生えていくのをそのままに、私は爪を立て、医者に向かって飛びかかった。
「何!? 貴様、何者だ!?」
医者はふわりと宙に浮かび上がった。紺色のもやを手に溜め始める。あれは魔力ではない。「闇の力」だ。爪は白衣の裾を掠めた。着地して向き直り、無言のまま跳びあがる。足を狙う。だかまたも医者は攻撃をかわした。浮かんでいるくせに?
「まさか……わざと闇の心を増幅させたというのか! 興味深い! 矢張り人間の心理状態というものは利用価値が高いね!!」
医者が両腕を持ち上げると、闇の旋風が巻き起こる。顔を庇いながら地に着地する。腕を外すと、医者の背後に看護師が並んでいた。ゆらゆらと揺れている。応援を呼ばれたか。
「ふははははは! 荒療治を開始しよう! さあ行け! ゲキテキシフトズ!!」
看護師どもが走り出す。私は態勢を整えた。医者本人の攻撃はまだ「闇」しか見ていない。だが、このままでは数の力で押されてしまうだろう。考えているうちに、看護師の幾人かはもう目の前まで来ていた。私は身をかがめて四つん這いになり、看護師の合間を縫うように走る。
――ゴッ
「つっ」
鈍い音と共に、背中を思いっきり何かが叩いた。その場に頽れる。まずい。咄嗟に横に転がって起き上がろうとする。肩に何かがぶつかった。看護師の足だ。
「「アラアラ、オトナシクシマショウネ~」」
二重に聞こえる声。反射的に、その足を爪で裂いた。うめき声をあげる看護師の服の裾を掴み、全体重をかけながら股の間をくぐる。
「おやおや、暴れてはいけないよ……!」
勢いのまま立ち上がった。医者はポケットに両手をあげて浮遊している。ジャンプでは届かない。どうする。
「猫」の魔法自体は、ただ私の身体の機能を猫に変えるだけだ。逆に捉えると、猫としての身体の動かし方であればなんだってできる。ならば……私は息を吸い、左方向に向かって走った。看護師達が私の前に立ちふさがる。なんとか左方向に避ける。跳び上がり、柱を蹴ってジャンプする。
「何っ!?」
不意打ちだ。目の前で歪む医者の顔。やれ。私の心の中で私が叫ぶ、いや呟く。私は、医者の顔を三本の爪で思い切り引っ搔いた。
「ぎゃああああっ!!」
医者の咆哮。そのまま私は落下する。右足が滑り、その場に尻餅をつく。やった。やっ、た。背後の壁を使って再び立ち上がろうとしたが、目の前に針が現れて止まる。足音が消えている。見上げると、看護師に囲まれていた。上からいくつもの白衣帽が私を覗き込んでいる。何本もの針が私の方を向いていた。
「っ、う……は、ははは……」
辺りを漂っていた闇が医者に纏わりつく。
「はは、ははは……」
闇が晴れると、医者につけた傷跡は消えていた。医者に治癒能力があることは予想がついていた。体格も、おそらく薬かなにかで調整しているのだろう。だが、これほど早いとは。しかも、あの不意打ちでも、看護師が霧散することはなかった。
「褒めてあげよう。私に単身で傷を負わせるとは、相当の手練れだな」
まだ三分も経っていないが、もう決着をつけていいだろうか。「アレ」を使うには早すぎるが、大人数で来るなら使うしか無さそうだ。戦闘が熱されていないうちに。その為には――
「私をおびき寄せて倒そうという魂胆だったのかね? だが、無駄足に終わってしまったようだ。この『ノクタンハッサン』を注射すれば、貴様は体外に闇の力を発散した上で呑み込まれるのだよ!」
看護師が一斉に注射器を構えた。一本一本の注射器の中で、どす黒い液体が渦巻いているのが見える。
私は一歩ずつ後ずさる。
「おやおや、注射を怖がっていてはいけないよ」
後ずさる。少しずつ。動きすぎてはならない。心臓の鼓動が、耳の奥から聞こえ始める。
「ちょっとチクッとするだけで、君も闇の中に」
左手が壁に触れる。手だけで探る。そこにあるはずのものを。あった。私は思い切りその紐を引いた。
――ガゴゴゴゴゴ……
地震が起こっても鳴らないような音を立てて、天井から大きな灰色の塊が降ってくる。看護師達の叫び声が聞こえた気がしたが、それもすぐにかき消された。私は次に、その場で足を高く上げると、一気に踏み下ろす。コンクリートが割れる――足元が崩れて私は下に落ちる。自然生成の暗闇の中へ。私は咄嗟に目を閉じ、体を丸めた。やがて、再び背中を地面に打ち付ける。
この罠は次からは没だ。仕掛けるのには数日を費やした。まず工事が二日間休みであることを確認して忍び込み、比較的幅の広い鉄骨の上に岩を設置した。そして、紐を引くことで岩が降ってくる仕組みにしたというわけだ。コンクリートの下に脱出用の落とし穴を掘る時間の方が短かった訳だが、後者だけでも良かったかもしれない。
「ぐ、ぐああああああぁっ!!」
上の方から野太い声が聞こえてくる。その声は段々か細くなって、やがて何ともつかない言葉を発して消えていく。薄目を開け、息を吐いた。耳をそばたてるが、もう音は聞こえない。あとで殺ったかどうか確認しなければ。バッジに手を当て、魔法を解除する。ひとまずはこんなところか。脳内にはもう、別のことが渦巻いていた。
今までの戦闘では、ペルプの「夢」の魔法の浄化力で戦闘した場所が修復されていた。私の魔法にその力は無い。私が崩したビルの工事は中止になるだろう。もしかしたら、既に入居者が決まっていたかもしれないのに。工事をする人達も、仕事がなくなって困るかもしれない。引っかかっていたのは、大体そのような点だった。
だが、今回の戦闘をもって確信に至った。私は自分の手を闇に染めることが可能であると。私が闇に手を染めて、悲しむ仲間はもう居ない。ビルの損壊がバレた先で人々が非難するのも、正しく私と敵だけである。
私の目的は、あの四人の幸せを守ること。そのために、攻撃日までに戦力を削る。注意をこちらの街に引きつける。災厄が降りかかる前に、敵を――ヤミリーズカンパニーを倒す。その為なら、自分が不幸になっても良い。他人が不幸になっても。勢力でも闇でも何でも利用してやる。
「……はは」
背中がまだ痛い。乾いた笑い声が漏れ出すのを、造りものの耳で聞いた。