一人称と口調について見てみる
基本的な知識も重要だが、身近な性格論を活かせる事例を扱うことも大事! というわけで、性格論の応用事例として、一人称について考えていきたいと思う。
このエッセイを読んでいる読者なら、少々退屈に思えるかもしれないが、まずは一人称の意味について確認しておこう。
一人称というのは、話者が話者自身について言及する際に使用される代名詞である。例としては、俺や私、あたし、拙者などか挙げられるだろう。
一人称は、作品の中で短いシーンでキャラの個性を印象づけたり、多数キャラのセリフを差別化したりすることに役立つ。他にも叙述トリックや状況設定を理解するのにも役立つ。
そんな一人称を私の性格論の視点から見ていきたいと思う。
一人称を決める要因は大きくわけて三種類存在する。
一つ目の要因は、TPOやジェンダーバイアスである。大抵の人物は会社の業務とプライベートの間で話し方を無意識に変化させている。また、プライベートにおいても家族に変に思われないような話し方をするというのはすくなくないだろう。
性格によらず、多くの人が私という一人称をクライアント対応や就職面接と言ったフォーマルな場で使用しているのではないだろうか。
逆に言えば、TPOによらずぶっきらぼうな口調で話すというのも一つの個性であると言える。
このような、状況に合わせた行動の切り替えは、体癖で言えば、父の命令に従順なら一種、二種、五種が得意とする。
また、エニアグラムとしては、タイプ1とタイプ6はそれぞれ真逆の目的から、場の空気に合わせた行動をすることを得意とする。
逆に、八種や九種、十種、十一種はそれぞれ別の理由から、場の空気を読むことより場の空気に抗うことにたける。
エニアグラムとしては、タイプ4とタイプ8がそれぞれ別の目的から場の空気を変えることに長けている。
一人称を決める二つ目の要因は生育環境である。親族や友人、アニメ、漫画といった身近に触れるコンテンツに感化されて一人称が影響されるということは珍しくないだろう。
一種体癖は暗示にかかりやすいことを理由に、タイプ6は側にいる人と一緒にいられることを理由に、周囲の人に影響された一人称になるというのはありうることだろう。他にも、三種の憧れや、六種の演技として、芸能人やアニメキャラに感化されるというのはおかしくないだろう。
最後に、一人称を決める三つ目の理由が性格である。
何種体癖エニアグラムタイプ何ということが直接一対一に一人称と対応しているわけではない。が、性格によって一人称が影響される部分は大いにあるだろう。
例えば、エニアグラムタイプ8は、その力への欲求から力の象徴として、俺やオレ、俺様、アタシと言った一人称を使うことが考えられる。
他にも、エニアグラムタイプ1が、その正しさへの欲求として、私や、自分、僕という一人称を使うというのはあり得るだろう。
さらに、体癖で言うと、五種が自分を大きく見せるために、私や俺という一人称を使うことがあるだろう。
ほかには、三種は素で、六種は打算的に自分を可愛く見せるために、あたしやぼくという一人称を使うかもしれない。
一人称には様々な決定要因があるため、それ単体では性格について捉えることはできない。
一方で、その様々な要因の中から実際にその一人称を使うに至った要因を捉えることができれば、その考え方の一面を掴むことができるかもしれない。
口調についても似たようなことが言える。
状況に合わせて敬語を使うことが得意な体癖は、一種、二種、五種と言った父の命令を使いやすい体癖である。
環境に影響を受けて、チャラクなったりギャルっぽい口調になったり、おどけて見たりとキャラの定まらないのは、何でも憧れがちな三種や演技の上手い六種、周囲に合わせがちな四種などはそういった面があるかもしれない。
ザ・セイカクまるだし口調としては、
一種の「で、あるからにして〜」や
二種の「もし、なったりしたら〜」や
三種の「すご〜い!」や
四種の「ふふ」や
五種の「ここだけの話〜」や
六種の「ええ、流石、知らなかったー」や
七種の「やってやるぜ!」や
八種の「な、このやろー」や
九種の「僕はどうにもー」や
十種の「よかったら、どう?」や
十一種の「どうして?」や
十二種の「あなたにわかってほしい」があげられるかもしれない。
もちろん、このような口調であるからといってすぐに体癖が定まるというわけではないが。