心癖論からユングのタイプ論を見てみる
昨今ではMBTIや16personalitiesが話題だが、これらはもともと、ユングのタイプ論が背景にある。
ユングのタイプ論では、外向型、内向型という区別の下に、4つの心的機能を仮定している。したがって、実際には8つの心的機能が存在するわけである。その内訳は、外向的思考、外向的感情、外向的感覚、外向的直感、内向的思考、内向的感情、内向的感覚、内向的直感である。この8つの機能のうちどの機能が強いかによって、8つのタイプがユングのタイプ論では定められている。
ユングのタイプ論は、私の性格論でいう「感情の振る舞い」を捉えている。「って、いやいや、感情が関係してるのは外向的感情と内向的感情の2つの機能だけじゃん。」と思われた方もいるかも知れない。しかし、私の言う感情とユングの言う心的機能としての感情とは異なる概念であるからそこは問題ない。
そもそも、私にとって、感情とは、個人の状態という意味でしかない。つまるところ、考えているという状態も1つの感情であるし、感じているという状態も1つの感情である。
それに対して、ユングの感情というのは1つの心的機能を指している。ユングは感情機能の特徴を、快感や不快感といった価値判断の機能として扱っている。
私にとって感情とは心的な状態のことだが、ユングにとっては特定の心的な機能を指している。
すべての心的状態は、心的な機能を有しているので、ユングのいう感情は私が言っている感情の特別な例と言うことになる。
それでは具体的にユングの8つのタイプを見ていこう。
1つ目は外向的思考型である。外向的思考型は、現実的な思考に優れている。ここで言う現実というのは科学的な事象だけでなく、抽象的な概念についての思考も含まれている。私が考えるに、外向的思考型は一種体癖に近いのではないかと思う。
2つ目は外向的感情型である。外向的感情型は、現実的な対象の良し悪しを判断し、その判断をもととして他者へ尽くすことに長ける。私が考えるに、外向的感情型は十種体癖に近いのではないかと思う。
3つ目は外向的感覚型である。外向的感覚型は、事実をありのまま受け取ることに長けている。現実のアクティブな環境を指揮することが得意である。私が考えるに、外向的感覚型は、五種体癖に近いのではないかと思う。
4つ目は外向的直感型である。外向的直感型は、可能性を追いかける性格である。私が考えるに、外向的直感型は、三種体癖に近いのではないかと思う。
5つめは内向的思考型である。内向的思考型は、倫理的な思考に優れている。ユングはタイプ論の中で、カントとニーチェを例に挙げている。これまで見てきたように、私の性格論ではカントとニーチェにそれぞれ異なる体癖をあてがっている。それは十二種と十一種である。
6つ目は内向的感情型である。内向的感情型は、感情を表に出すことが苦手な性格であるが、他者の本質的な感情を読み取ることに長けている。おそらく、四種体癖に近いのではないかと思う。
7つ目は内向的感覚型である。内向的感覚型は、内側の感覚に優れている。この感覚を用いて注意深い性格になる。私が考えるに、二種体癖に近いのではないかと思う。
8つ目は内向的直感型である。内向的直感型は、主観的な鋭いひらめきを得意とする。私が考えるに、九種体癖に近いのではないかと思う。
さて、この中で、言及されていない体癖が持っている心的機能は何であろうか。例えば六種はどうだろう? 六種は感情表現が得意な内向的感情型と言えるだろうか?
じゃあ、七種と八種は?
このように、冷静に体癖との対応を考えていくとうまく行かない。それもそのはずで、体癖は十二個あるのに、心的機能は8つしかないのだから当然である。
もし、ユングのタイプ論を拡張するのであれば、ASとAOを分離して、ASとIO、GSとAOをそれぞれ対立機能にすることが考えられる。
また、内向的戦闘型と、外向的戦闘型の枠組みを設けるのが良いだろう。
中には、体癖はタイプ論ではないのだから、体癖とタイプ論を対応付けることはそもそも意味がないという考えの読者がいるかも知れない。これについて、私の意見を述べさせてほしい。
まず、ユングのタイプ論はその名の通り確かにタイプ分けの理論である。しかし、その内部をじっくりと見ると、どの機能が意識的であるか述べているだけで、劣等機能は無意識のなかに確かに存在するとユングは主張している。
これは、すべての体癖が一人の人間の中にあるという考えに非常に近いのではないかと思う。
そもそもユングのタイプ論は、個性化の理論の原点である。個性化の理論では、影やアニマといった無意識の中の抑圧された機能をもった存在達の声を聞くことによって達成されるものである。
すなわち、ユングのタイプ論ははじめから、タイプ論のより奥へと開かれているのである。




