表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

婚約破棄の宣言について事前に王様に相談する王子のお話

「婚約を破棄したいだと……!?」


 王の私室に驚きの声が響いた。

 ダイスカシオ国の王、ディエペンダル・ダイスカシオは、深刻な面持ちの息子に相談を持ち掛けられた。

 内密に話したいという願いから、メイドばかりか護衛の騎士まで席を外させた。王宮に設えられた王の私室。魔法による防諜対策は完璧であり、中での会話が漏れることはおよそありえない。

 そこで始めた相談の、開口一番に出た言葉が、婚約破棄だったのだ。

 

 思わず王子のことをまじまじと見た。

 第一王子オートランディス・ダイスカシオ。

 さらりと流れるプラチナブロンドの髪。切れ長の瞳は碧。その繊細な面貌は美しく、美姫に例えられることもあるほどだ。すらりとしたスマートな身体を王族の服に身を包んだ彼は、多くの者がイメージする「王子様」のイメージそのままだ。

 しかし彼には王族に在るべき「覇気」というものがなかった。いつもどこか自信なさげで、視線も下を向きがちだ。

 そんな王子が、今は王のことを真っ直ぐに見つめている。内容はともかく、どうやら本気ではあることは確かなようだった。


「いきなり婚約破棄などと……いったい何事だ? 婚約者との間に何かあったのか?」

「いいえ、何もありません」

「では、彼女にどこか気に入らないことでもあるのか?」

「アーサルティア嬢自身には何も問題はありません」


 オートランディスの迷いない答えに王は首を傾げた。確かに彼の婚約者は、全く問題のない優秀な令嬢なのだ。

 公爵令嬢アーサルティア・マステルピアス。燃えるような紅い髪に澄んだ蒼い瞳の美しい令嬢だ。特にその蒼の瞳の輝きは「王国で最も輝くアクアマリン」と称えられるほどの美しさだ。

 学業において優秀な成績を収めており、魔力も高い。その能力は公爵家の令嬢として申し分ないものだ。

 しかし彼女について最も注目すべきは、判断の的確さと行動力だろう。

 生徒会長を務め、学園内の諸問題を次々に解決しているという。そればかりか十代半ばの身にして領内の諸問題についても対応しているという。その判断は常に迅速で、必ず確かな成果を導き出すという評判だ。

 

 王妃教育の進捗も順調だ。教育係たちは口をそろえて彼女のことを称賛している。

 そんな優秀な令嬢だから、オートランディスが婚約破棄を思い立つなど、王は想像すらしていなかった。

 だが、オートランディスの顔には暗い影が差し、その口ぶりも深刻だった。

 

「……問題がなさすぎるのが問題なのです」

「どういうことだ?」

「父上もご存じの通り、この身は才に恵まれませんでした。昔から何をやっても平均よりやや上の成果を出すばかり。突き抜けた特技はない半端者。それがこの僕、オートランディスなのです」

「……以前から何度も言っているが、お前は自分を卑下しすぎなのだ。もっと自信を持て」


 視線を落とした王子に対し、王は慰めの言葉をかけた。

 これがこの王子の欠点なのだ。オートランディスは得手不得手はなく、その習得も早い。だがその成果は常に平均より少し上にとどまる。努力を重ねても、一定以上を過ぎると途端に成長が鈍化するのだ。

 そのせいか、オートランディスは一芸に秀でた者に憧れる。そうした者を褒めたたえ、そこに至ることのできない自分のことを卑下してしまうのだ。


「アーサルティア嬢とのつき合いで、自分の不甲斐なさがより一層浮き彫りとなりました。彼女は学業も魔法も僕より優れています。それでいて、的確な判断を下し行動力もあるという、優れた特徴を持ちます。言わば僕の理想とする人間なのです。

 器用なだけでとりえのない僕が、あんなにも素晴らしい令嬢と結婚してしまったら、どうなると思いますか?」

「自信のないお前をアーサルティア嬢が支えて、王国をより繁栄させてくれることを期待している。そう考え、かの令嬢をお前の婚約者にしたのだ」


 王の言葉は本心から息子をいたわるものだったが、オートランディスは悲し気に首を振った。

 

「アーサルティア嬢を王妃に迎えれば、僕は今以上に劣等感に苛まれることでしょう。いずれ耐えられなくなる。そして他の女性にぬくもりを求めることになる。様々な女性と関係を持ち、僕の血を受けた子供が何人も生まれることでしょう。

 そうしてできた子供たちは、やがて王位継承権をめぐって争うことになる。王国は戦火に包まれ、滅亡してしまうかもしれません……!」

「お前は何をバカな妄想にふけっておるのだ!」


 あまりのばかばかしさに王は思わず声を上げた。

 だが、オートランディスはひるみもせずに言い返した。


「バカな妄想ではありません。ダイスカシオ王国は大国です。王ともなれば、内部の貴族のみならず、他国からもさまざまな干渉を受けることになります。古来より、王に取り入るとなれば金銀財宝に酒と女。中でも女が問題です。他国から送り込まれた手練手管に長けた美女たちに対し、自らを信じることすらできない若造が、どうして抗することができましょう?」


 意外と筋道の通った返答が返ってきて、王は思わず言葉に詰まった。

 確かにオートランディスの懸念は正しい。王もまた、若い頃は各国から送られてくる美姫たちに心乱された覚えがある。

 

 ましてやオートランディスは、女の扱いというものをまるで知らない。

 自己評価の低さゆえに、自ら女性に声をかけることすらない。加えてオートランディスは王族の自覚が極めて強い。迂闊に令嬢と関係を持てば、王家の評判を落とすことになる立場であると理解して、自分を厳しく律しているのだ。

 今回の婚約を除けば、これまで令嬢と関係を持ったという話はなかった。


 ただでさえ女慣れしていないオートランディスが、優秀なアーサルティアを王妃に迎えて更に自信を失う。そんな状況の中、他国から送り込まれた百戦錬磨の姫君たちを相手にして、上手く立ち回れるものだろうか。

 相当難しいと言わざるを得ない。

 あちこちで子供を儲けて次代の王位継承の争いが起きるというのは、さすがに妄想が過ぎる。それでも女遊びにうつつを抜かし、身を持ち崩すというのはありうることだった。

 

「僕は王国の未来のために、婚約破棄をしなければならないのです!」


 オートランディスは断言した。

 さっきまでは笑い飛ばせた言葉が、今は苦笑すらできない。確かにこれは、王国の危機なのである。

 そうは言ってもいきなり婚約破棄と言うのは性急が過ぎる。他国への対策は別に考えるとして、王はひとまず、オートランディスの早すぎる決断をどうにか方向転換させることにした。


「だからと言って婚約破棄はないだろう。他にもっといいやり方はないのか?」

「……ひとつだけ、思いついた方法があります」

「なんだ、あるのではないか」

「『断種』するのです」

「だ、『断種』だと? いったい誰を『断種』するというのだ?」

「もちろん僕を『断種』するのです」


 王は絶句した。

 『断種』とは、子供を儲けるための器官を切除することだ。男性の場合、男にとって一番大切な部位の喪失を意味する。

 王と言う立場は、時に無慈悲な選択を要求される。重罪を犯した貴族に対し、そうした過酷な刑を下したことはある。

 だがまさか、息子が自身に対してそんな過酷な刑罰を科すと言い出す日がくるとは、さすがの王も想像したことすらなかったのだ。

 

「結婚後、なるべく早く世継ぎを儲けます。王妃が懐妊した時点で『断種』するのです。これで将来の禍根を断つことができます」

「な、なんということを考えるのだ……!」

「ええ、僕もこの手段はできるだけ取りたくありません。ただでさえ自信の持てない僕が、男の象徴を失って王を務められるとはとても思えません。そのことが知られれば他国から軽んじられることにもなるでしょう。

 『婚約破棄』か『断種』。王国の未来を考えるなら、この二つが最善の手段です。そこでまずは『婚約破棄』で可能性を模索したいのです」

 

 オートランディスの言葉には躊躇いと言うものが無かった。既に覚悟を決めている様子だった。その姿には悲壮感すらあった。

 自分のことより王国の未来を優先するその姿は、あるいは王族としてあるべき姿なのかもしれない。

 だが、その思考の方向はあまりにも異常だった。

 

 頭ごなしに否定することもできるだろう。だが、オートランディスは覚悟を決めてしまっている。立場を盾にした言葉だけで、その覚悟を翻させるのは困難に思えた。

 王はひとまず、妥協案を探ることにした。

 

「しかし、いきなり婚約破棄もなかろう。まずは公爵家に相談し、婚約を解消する方向で考えてはみないか?」


 話しながら、王は素早く考えを巡らせた。

 オートランディスはおかしな方向に考えを突き詰めているが、要は婚約相手が不釣り合いと言うことだ。それ自体はありふれた話である。相性が悪かったから相手を代えるというのは、縁談では珍しくないことだ。

 だがそんな王の歩み寄りに対し、オートランディスはまたしても悲し気に首を振った。

 

「アーサルティア嬢には何の不備もないのです。この身の不甲斐なさがゆえに婚約をやめたいなどと正直に言ったところで、公爵家は納得しないでしょう」

「本当の理由など隠せばよい。嘘も方便だ。婚約を取りやめにする理由など、いくらでも作ることはできる」

「それで公爵家は納得してくれるかもしれません。事前に話を通すこともできるでしょう。

 ですが、アーサルティア嬢は例外です。嘘を許容したりはしないでしょう。誇りを傷つけられた彼女は、必ずや致命的な一撃を返してくるでしょう」


 そう言われると言葉に詰まる。

 アーサルティアは極めて才覚に富んだ気高い令嬢であり、特に判断力と行動力の高さには定評がある。王妃として頼もしいと感じていたが、こうして相手取ることを考えると厄介極まりない。

 確かにあの優秀な令嬢なら、嘘などたやすく見破ることだろう。そしてその気高さゆえに、誇りを傷つけられて黙ってはいない。王国において公爵家の存在は大きなものだ。敵に回せば貴族社会は大きな混乱を招くことになる。対応を誤れば内戦に至る可能性すら考えられる。

 王子の懸念は、妄想と言い切れない重さがあった。

 

「……そこまで冷静に周囲を察することができて、なんでこの王子は自分を無能と思い込んでしまうのか……」


 王はおもわず、そうぼやいた。

 そのつぶやきはよく聞き取れなかったのか、オートランディスは首をかしげながら、それでも話を続けた。


「そんなわけで、婚約を無かったことにするなら婚約破棄しかないのです」

「待て待て。『アーサルティア嬢は嘘を許容しない。必ず致命的な一撃を返してくる』と、たった今お前が言ったばかりではないか。婚約解消すら難しい相手に婚約破棄を突きつけるなど、どうやってやるつもりなのだ?」

「それについては秘策があります」


 王は眉を寄せた。ひどく嫌な予感がした。自信の持てないオートランディスが、確信を込めて言う秘策。ろくでもないものに思えて仕方ない。


「婚約破棄を学園の夜会で大々的に宣言するのです」

「お、お前は何を言っているのだ!?」


 本当にろくでもなかった。

 覚悟していたよりひどい内容に、王は思わず驚きの声を上げた。


「夜会で婚約破棄を宣言するなど、市井で出回っている恋愛小説のようではないか! 正気とは思えん!」

「ええそうです。正気の沙汰ではありません。アーサルティア嬢にも、恋に浮かれた王子の暴走と思うことでしょう。そうして彼女の憎しみは王室にではなく、この愚かな王子のみに向けられることになるのです」


 自分の胸に手を当て、微笑みすら浮かべてオートランディスは言い切った。

 それはまるで避けられぬ運命を前にした殉教者の姿だった。


「お前は自分を憎しみの贄にするつもりなのか……」

「全ては王国の未来のためです」


 オートランディスの覚悟は本物だった。その真摯さに王は胸を打たれた。いつまでも自信なさげで頼りなく思えていた王子が、王国のためにここまでするとは。息子の成長ぶりに、思わず目頭が熱くなった。

 

 だがすぐに思いなおした。そもそも前提がおかしい。全ての原因は、オートランディスの自信のなさなのだ。その彼が自らを改めず突き進んだ結果、おかしな方策を立てて自分のすべてを投げ打とうしている。

 それに感動している自分は何なのか。ちょっと冷静になると、たちまちバカバカしいことに思えてきたのだ。

 頭が冷えると、ふと、大事な要素が欠けていることに気づいた。


「しかし、恋愛小説の婚約破棄を模倣するというのなら、相手が必要なのではないか……?」


 王は思わず頭に浮かんだ疑問を口に出していた。

 だが口に出してみて、これは重要なことだと思った。王も少しは恋愛小説についての知識がある。王妃がそういうものが好きで、話のタネにいくつか聞かされた。自身も何冊か読んだことがあるのだ。

 婚約破棄ものの多くは、男が他の令嬢との恋仲に落ちた結果、元々の婚約者に一方的な婚約破棄を宣言するのである。

 オートランディスもおそらくそうするはずだ。なぜなら彼は、婚約破棄の本当の理由、自分の劣等感について話すつもりはないのだ。嘘もつかないとも言っている。ならば恋愛を理由とするほかない。

 だが、こんな酔狂なことに付き合う令嬢がいるだろうか。ましてやオートランディスは引っ込み思案で女慣れしていない。当てがあるとも思えなかった。

 

「それならすでに交渉済みです」


 当たり前のことのように答えるオートランディスに、王は目を剥いた。

 

「お、お前と真実の愛を誓おうという娘がいるというのか!? い、いったい誰だ……!?」


 王の脳裏を様々な情報がよぎる。王子の婚約相手として候補に挙げた名家の数々。何人もの令嬢のプロフィール。果たしてこんなおかしな考えに同調するような令嬢がいただろうか。

 目まぐるしく考えが巡る中、オートランディスは静かに告げた。

 

「男爵令嬢イフォルティア・ハルドシープです」

「だ、男爵令嬢だと!? 男爵令嬢を王妃として迎え入れるつもりか!?」


 王が驚くのも無理はなかった。

 男爵は貴族の爵位としては低い方だ。通常は王妃に選ばれることなどありえない。国によっては能力を重要視して平民を王族に迎え入れる例もある。だがこの王国の歴史において、男爵令嬢を王妃として王室に迎え入れたことはなどないのだ。


「よくお考え下さい。仮に僕がアーサルティア嬢とは別の、王室に相応しい爵位の令嬢を娶ろうとしたとします。これはすなわち、アーサルティア嬢のマステルピアス公爵家と敵対することを意味します。そんな豪胆な貴族などそうはいません。仮にいたとしても、いらぬ確執を生むことになります。それは王国の未来を考える僕の望むことではありません」

「ううむ……」


 王は唸った。確かにオートランディスの言うことは一理ある。マステルピアス公爵家に比肩する貴族は他にもいるが、アーサルティアを差し置いてその家の令嬢を娶るとなれば……大きな亀裂が生じることになるだろう。複雑な貴族の争いは、この亀裂をきっかけに加熱して加速することは間違いない。国内政治は混乱し、事を収めることは難しくなる。扱いを間違えれば内戦のきっかけになりうる話だ。

 

 男爵という爵位なら、大半の力ある貴族にとって脅威とならない。物語では王子が平民を娶ることもあるが、それに比べれば貴族たちの抵抗も少ない。恋に溺れた王子が娶る相手の中では、比較的マシと言えるかもしれない。

 

 しかしそれはオートランディスにとって都合のいいことではあるが、令嬢にとっては違うだろう。公爵家を敵に回すことになるのだ。王家の庇護を受けるとは言え、それも万全ではない。公爵家からにらまれて恐ろしくないはずがない。そんな困難を前に、オートランディスの伴侶になろうという令嬢がいるとは驚きだった。


「まさかそこまで深い関係を築いた相手がいたとはな……お前は恋愛とは縁遠い男だと思っていたぞ」

「いいえ、恋愛などという不確かな関係ではありません。イフォルティア嬢と結んだのは、純粋な利害関係です」

「り、利害関係だと?」

「イフォルティア嬢は、男爵と言う爵位に在りながら、国政に関わりたいという強い向上心を持っていました。そこで僕は、魔法の契約書で他言無用と誓わせた上で、事情を話しました。そして新たな婚約者になる事を提案したのです。彼女は快諾してくれました。

 僕はイフォルティア嬢がいるおかげで婚約破棄できる。彼女は王室との縁故ができて国政に関わることができる。対等な契約です。

 そうした彼女なら、僕も劣等感を抱かずに王妃として受け入れることができると思うのです」


 貴族の結婚は家のため。そこに恋愛感情の入り込む余地はない。これが貴族社会の常識だ。王族であろうと例外ではない。

 だが当事者同士が自らの意志でここまで割り切った判断をするのは、貴族社会においても異常なことだった。

 

 オートランディスは随分と入念な準備を進めていたようだ。そこまで用意を進めておけば、婚約破棄自体はできるだろう。だが、そのあとに大きな問題がある。


「お前はわかっているのか……公爵令嬢に婚約破棄を突きつけ、男爵令嬢を娶る。どう言いつくろったところで、貴族たちの反感を買うだろう。それを収めるために、お前の王位継承権を取り上げねばならなくなるかもしれない」

「もちろんわかっています。今回相談の機会を設けてもらったのは、実はそのことをお願いしたかったからなのです。

 僕は一か月後の夜会で婚約破棄を宣言します。それはもう決断したこと。父上にいかに説得されようと、変えるつもりはありません。だからその事後対応をお願いしたいのです。僕が王位を継げなくなれば、第二王子のルオバストが候補に挙がるでしょう。弟は武勇に秀でていますが、内政においては心もとない。問題なく王位を継げるよう、今のうちから準備をしておいていただきたいのです」

「そこまで考えておったのか……」


 オートランディスは覚悟を決め、予想し得るあらゆる事態を考えてここに来たのだ。

 その発端は自らに自信が持てないという、情けないとも言えるものだ。だが、王家に連なる者としてのとしての覚悟は本物だったのだ。

 しかしそれは悲しいことでもあった。その在り方は、あるいは王族として称えられるべきものかもしれない。しかしオートランディスの決断には、自分の幸せというものが勘定に入れられていないのだ。


「お前は本当に、それでいいのか……?」

「はい、それが王国のため。王子としての務めです」


 呆然と問いかける王に対して、オートランディスは即答した。

 オートランディスは冷静だった。揺らがなかった。そこに感情はなく、ただ決意と覚悟だけが重くのしかかっているかのようだった。

 これほどの決意を前に、もやはオートランディスは止められないことを覚った。そして王は、彼を止めないことを前提に、方策を講じることにした。

 

 

 

「公爵令嬢アーサルティア・マステルピアス!」


 王との面談から一月後。

 色とりどりのドレスに身を包んだ令嬢。洗練されたスーツに身を包む子息。若き貴族たちの集う学園の夜会。その会場の喧騒の中で、ひときわ大きな声が響いた。

 喧騒は鎮まり、参席者たちの視線が集まる先。そこには三人の男女の姿があった。

 

 プラチナブロンドの髪にすらりとしたスタイルの美青年、王国第一王子オートランディス・ダイスカシオ。

 その傍ら寄り添うのは、艶やかな金の髪、慎ましい白のドレス。可憐でかわいらしい男爵令嬢イフォルティア・ハルドシープ。

 

 そして向かい合って立つのは、公爵令嬢アーサルティア・マステルピアス。

 燃えるような紅い髪。美しい顔立ちの中、ひときわ目を引く蒼い瞳。ワインレッドのドレスを纏い悠然と立つ姿は、気高く美しい。

 

 会場の者たちは王子と公爵令嬢が婚約関係にあることを知っていた。そして、王子と男爵令嬢が、近頃いっしょにいるという噂も耳にしていた。

 だから、続く展開を誰もが予想できた。これはあれだ。恋愛小説や舞台演劇で何度となく目にした、婚約破棄の宣言に違いない。

 

「僕は真実の愛を見つけた!」


 続くオートランディスの言葉に、参席者たちの期待はどんどん膨れ上がっていった。

 だが唐突に、その期待とは異なることが起きた。王子の言葉を遮るように、アーサルティアがずいと踏み出したのだ。

 そのタイミングは絶妙であり、その歩みは相手に動く隙を与えぬほどに速かった。

 そうしたアーサルティアの行動は、学園の生徒にとってなじみのものだった。彼女は学園の生徒会長を務めている。抜群の判断力と行動力を持つ彼女は、学園の諸問題に対し、いつもこうして機先を制して鮮やかに解決してしまうのである。

 

 それでも、期待が高まっている中、あまりに予想外の動きに、会場の参席者たちは戸惑った。当事者であるオートランディスにしても、絶妙に機先を制されたことにより、続く言葉を紡ぐこともできなかった。

 その間隙にアーサルティアは動き続けていた。彼女はオートランディスの元まで来ると、彼の顎を取り、クイッと自分の方へ向けさせた。そして呆けたようにわずかに開く王子の口に、叩きつけるように自らの唇を重ねた。

 

 深く長い口づけだった。衝撃的で電撃的で、なにより情熱的な口づけだった。

 やがて、アーサルティアの唇が離れた。急な始まりとは対照的に、終わりは静かでゆるやかで、まるで離れることを惜しんでいるかのような艶やかさがあった。


 オートランディスは呆けたように口を開いたまま、顔を真っ赤にして固まった。アーサルティアは頬を赤く染めて、きらめく蒼い瞳でそんな彼を見つめた。


「他の女に惑わされてはいけません。真実の愛がご所望なら、結婚してから教えて差し上げます。今宵はここまで。それでは失礼いたします」


 一方的に告げると、アーサルティアは颯爽とその場を後にした。その歩みはあまりにも迷いが無く、会場の誰もが声一つ上げることすらできなかった。

 オートランディス王子は、アーサルティアが会場を出てもなお、固まったままでいた。




「なるほど。それでは婚約破棄の宣言は、不発に終わったわけか……」


 あの夜会の翌日の昼下がり。王に招かれ、オートランディスは再び王の私室へと訪れていた。

 この面談自体は一か月前から予定していたものだ。本来は婚約破棄の宣言の事後対応を相談するはずだった。

 夜会の出来事のあらましについては、事前に他の者を通して聞き及んでいた。その上で、オートランディスの口から改めて話を聞いたのだった。


「それで、お前はこれからどうするつもりだ?」

「どうもこうもありません! アーサルティア嬢が卓越した令嬢だとわかっていたつもりでしたが、僕の見立ては甘すぎました! あの口づけをされて以来、寝ても覚めても彼女の事しか考えられません!

 彼女は口づけ一つで、未来の憂いを粉々にしてしまったのです……何年経ってもあの日の口づけは僕を縛ることでしょう。他の女性に心乱されるなどとんでもない! 今なおこの胸を焦がす熱さは、まるで呪いのようです……!」

「なるほど、それでは婚約破棄は……」

「もはや不可能です!」

 

 熱っぽく語るオートランディスの顔は、見ていて恥ずかしくなるほどに赤かった。

 

「それでは、例の男爵令嬢との関係はどうなったのだ?」

「イフォルティア嬢は……。

 『完敗しました。わたしは王子に頼らず、自力で国政に関わる努力をします。王子はどうぞ、婚約者とおしあわせになってください』

 そんなことをとてもいい笑顔で告げると、颯爽と僕の元を去っていきました」

 

 男爵令嬢イフォルティア・ハルドシープ。潔く負けを認めながら、それでも将来の夢を諦めてはいない。なかなか有能な人材のようだ。王はその名を頭の片隅に記憶しておくことにした。

 

「父上、ただでさえダメだった僕は、更にダメになってしまいました。国よりも、王家よりも、彼女のことを大切にしたいと思ってしまうのです。こんなことでは王族失格です……」


 そう言って、オートランディスは肩を落とした。

 王は息子の肩に手をかけると、穏やかに語った。


「オートランディスよ。若き王子よ。それでいいのだ。王妃を愛し、国民を愛し、国を愛する。愛した全てを守るため、王として全力を尽くす。それこそが王の正しい在り方なのだ」

「……はい! 非才な身なれど、これからはアーサルティア嬢の隣に立つために、精進していきたいと思います!」


 息子の力強い決意を、王は満面の笑顔で受け止めた。

 

 

 

「失礼します」


 オートランディスが去ってしばらく後のこと。

 王のもとにやって来たのは一人の令嬢だった。燃えるような紅い髪に、宝石のように輝く蒼い瞳。公爵令嬢アーサルティア・マステルピアスだった。

 

 王はテーブルをはさみ、差し向いに座った。

 凛とした蒼い瞳に見つめられると、どこか息苦しさを感じる。得体のしれない圧迫感があった。

 清らか過ぎる水に魚は棲めない……そんなことを想起させる、それほどまでに澄んだまっすぐな瞳だった。

 王は気を取り直すように咳払いすると、アーサルティアをねぎらった。


「今回は、よく事を収めてくれた。そなたに事前に相談しておいてよかった。感謝する」

「もったいないお言葉です」


 王の感謝の言葉に、アーサルティアは恭しく頭を下げた。

 王はオートランディスの決意を挫くことは難しいと判断した。そのため、予めアーサルティアに事情を話し、穏便に事を収めるよう頼んでいたのだ。

 アーサルティアは期待以上に働いてくれた。これ以上ないほどにいい結果を導いてくれた。それでも、王はどうしても聞かずにはいられない疑問があった。

 

「それにしても、ずいぶんと大胆なことをしたのだな。そなたがあのようなことをするとは思わなかったぞ」

「……事前にお話しした通り、当初は言葉で諫めるつもりでした。ハルドシープ男爵家を封じる用意はしてありましたし、王子の決意を挫く言葉はいくつも考えていました。あんなことをせずともことを収める自信はありました。

 ですが、あの場ではあれが最善と判断したのです」

「ほう……それはどうしてか、教えてもらえるかな?」


 抜群の判断力と行動力を有するアーサルティアが直前になって行動を変える。実に興味深いことだった。

 公衆の面前で口づけをするのは、やはり非常識なことだ。実際に目にした者のほとんどが称賛していると聞いてはいるが、それでも令嬢としては不作法なことに変わりはない。一歩間違えば、王族に対する不敬な行いとして処断しなくてはならなくなっていたところだ。

 

「私の瞳は『王国の最も輝くアクアマリン』などと呼ばれていますが、実際はそんなにいいものではないのです。私の眼光にさらされて平静でいられる者など、そう多くはおりません」


 王は頷いた。王というものは、鋭い視線にさらされることが日常だ。その王にして、先ほどは圧迫感を覚えた。彼女が本気で睨めば王でも平静ではいられないだろう。並の者では腰を抜かしてもおかしくない。

 魔力は感じられない。いわゆる魔眼の類ではない。ただその瞳の美しさと、奥に秘めた意志の強さで相手を屈服させる。彼女は生まれながらにして、人の上に立つ素養を持っているのだ。


「あの夜会の場。オートランディス王子のことを本気で睨みました。あの方は私の眼光を前にして、震えてはいても一歩も退きませんでした。それどころか宣言を続けようとなさいました。それはまぎれもなく王の資質です。公爵家の令嬢として、あの方を何としてもつなぎ留めねばならないと思い、唇をささげたのです」


 なるほど、と王は頷いた。

 オートランディスの話を聞いた限りでは、唇を「ささげた」というより「奪った」と言った方が適切に思えたが、それはあえて指摘しなかった。

 自分より王国の未来を優先するオートランディスは、確かに王の資質がある。それを対峙したわずかな時間で確信し、口づけを断行するとは凄まじい。アーサルティアの判断力と行動力は、噂以上のものだったようだ。

 だが、アーサルティアの話はそれで終わりではなかった。

 

「それに、面白くなかったのです」

「……面白くなかった?」

「だってあの方、私のことを恋愛対象として全然見ていなかったということじゃないですか。それはとても面白くありません。何としても振り向かせたいと思ってしまったのです」


 そう言ってそっぽを向いて、小さく頬を膨らませた。

 その様は年相応の娘のそれだった。王は思わず苦笑を漏らした。




 数年後、オートランディスとアーサルティアは正式に結婚式を挙げた。

 オートランディスは王に即位してからも、相変わらず自信を持てなかった。しかしあらゆる分野を並以上に理解し、その道の専門家に敬意を示した。先入観にとらわれず有能な人材を重用する彼は、次第に国民の信頼を得ていった。

 王としては非情な決断を迫られることもある。そうしたときは、アーサルティアが鋭い判断で王の治世を支えた。

 

 優れた王と王妃によって、ダイスカシオ王国はかつてない繁栄を遂げることとなった。王の歓心を得ようと様々な国から美しい姫君たちがやってきた。彼女たちは側室の座を得ようと必死になったが、オートランディス王は王妃を深く愛しており、その色香に惑わされることは一度としてなかった。

 

 オートランディス王とアーサルティア王妃は、王国の発展に大きく貢献した功績者として、末永く称えられたのだった。




終わり

「後先考えずに宣言される婚約破棄だけど、事前に関係者に話を通しておいたらどうなるだろう」

そんなことを思いつきました。

事前に相談したらどう考えても止められることになるので、

それでも止まらないようにキャラや設定を詰めていったらこういう話になりました。


恋愛もののはずなのに、王様と王子の会話が大半を占めてしまいました。

やっぱりお話づくりは難しいです。


2024/1/22 18:50頃

 誤字指摘ありがとうございました! 読み返して気になった細かなところも修正しました。

2024/1/23、24、25、31、2024/7/3

 誤字指摘ありがとうございました! 反映しました!


2024/1/26

 瞳を「アクアマリン」に例えたことについて指摘をいただきましたが、意図的なのでそのままにしています。

 『蒼』でアクアマリンでだとちょっとイメージが違うかもしれませんが、石言葉で「勇敢」「聡明」という意味があり、それになぞらえて呼び名がついたという設定です


 ……などと語っておりましたが、実は一か所「サファイア」と書き間違えてたいたのです。「アクアマリンの方が間違いなのでは?」という誤字報告でした。今頃になって気づきました。申し訳ありませんでした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] この父子ってば2人とも、公爵令嬢の気持ちやこれまでの労力(王妃教育も受けてるでしょうに…)を結局考えてないじゃーん、王子色々考えて自傷方向は想定してもやっぱり婚約者のこと考えてないしある意…
[一言] 生真面目純情男をキス一発で落とした公爵令嬢の男前さがカッコイイ。かと思ったら可愛いしw
[一言] 真っ赤になって固まるオートランディスが可愛いです^^ 傲慢より自信が無いくらいの方が間違いを起こしにくい気がしますし、アーサルティアが一緒にいれば困難も乗り越えてくれそうです。 これどうなる…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ