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「さて、メルと言ったか。君はアカシ村の子で間違いないかな?」
リュートから簡単に状況説明を受けたジェスターは、片膝をついてメルに目線を合わせながら優しく問いかける。
しかし、メルはアカシ村という名前に聞きなじみがないようで、困惑の表情を浮かべながら首を横に振る。
「ふむ、アカシ村以外にも被害があったのか?メル、君のお家はどこだろうか」
「おうち…、わかんない」
「…怖い思いをしたからね。少し混乱しているのかもしれない。ゆっくりでいいから、思い出せたらお兄さん達に教えて欲しい。じゃあメル、お父さんとお母さんの名前は言えるかい?」
「…いない、メルがもっと小さいときに死んじゃった」
ジェスターは幼い少女の過酷な生い立ちに同情を寄せる。
「すまない、つらいことを聞いてしまったね。最後の質問にしよう、歳はいくつかわかるかな」
「…メル…。ごめんなさい、わかんない」
薄茶色の澄んだ瞳に、涙の層が溜まっていく。
「謝らなくていい、大丈夫。ゆっくりでいいからね」
ジェスターはメルの頭を優しく撫で、大丈夫だと何度も語りかける。
メルが少し落ち着きを取り戻したところで、その様子を見守っていたリュートの方に顔を向けた。
「リュート、しばらくこの子の世話を頼めるか?」
その声色には少し心配の色が滲んでいた。ジェスターの言わんとすることを察したリュートは問題ないと頷く。
ジェスターはほっとした表情を浮かべて、討伐隊の指示に戻っていった。
リュートとメルの間に沈黙が流れる。
歳はおそらく、8歳前後であろうか。腰まである長い栗色の髪の毛に、零れんばかりに大きな薄茶色の瞳、顔立ちはあどけなさが残りつつもかなり整っている。
身を包むなんの特徴もない白いワンピースには土の汚れが散在しており、裾から延びる手足は年齢を差し引いても細すぎる。
3年前に他界した年の離れた妹も、最期は骨の形が分かるほど痩せていたことが脳裏に浮かんだ。
リュートは小さく首を振って、メルに向き直る。
「俺はリュート。リュート・ボルターだ。しばらくの間、よろしくな」
リュートはメルに握手の手を差し出す。
メルは目線を上げてリュートの顔を伺う。リュートは害意はないと表情を緩める。
恐る恐るリュートの手を取り、弱く握り返した。
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討伐隊はグリフォンの骸とともにベーンブルク市街地へと戻った。
メルの面倒を見なければならないリュートは、汚れた服のままではいさせられないと露店の並ぶ大通りにメルを連れ出した。
「メル、好きな服を何着か買おう。どれがいい?」
「…メル、お金持ってない…」
「子供に買わせるわけないだろう。俺が買うから、好きなの選びな」
するとメルはリュートを見上げ、驚きと困惑の表情を浮かべる。
「メル、助けてくれた人にけがさせたよ…?わるい子だよ…?」
メルの年齢くらいの子供であれば、何かを買ってもらうということを嬉しがるものだ。
急激な状況の変化に気持ちが追いついていないのもあるのだろうが、自分のことを”わるい子”と表現する姿に、彼女がこれまで身を置いていた環境の劣悪さを垣間見た気がした。
「あれはメルのせいじゃない。それにガンツの怪我は今きちんと治療してもらっているから大丈夫だ。さ、選びな」
メルは露店に並ぶ色とりどりの古着に視線を注ぐ。しかし、やはり困った顔をしてリュートに向き直る。
「なに選んだらいいか、わからない…」
遠慮をしているのかと思ったが、メル声色からは一切の欲が見えない。本当にどうすればいいのかわからないといった様子だ。
「わかった、じゃあ適当に選んでいいか?」
メルはほっとしたようにこくりと頷く。
リュートは一番近くの古着屋に入り、女店主にメルの背丈に合う服と下着を5着ほど見繕ってほしいと頼む。
女店主は愛想よくテキパキと数着服を取り出し、メルの身体にその服を当ててサイズ感を確かめる。
「この服もいいね、よく似合うじゃないか。じゃあ、これも追加して全部で銀貨4枚でどうだい?」
けして安いわけではないが、高くもない。妥当な価格だとリュートは思った。リュートは銀貨を懐から取り出す。
「わかった、その中の一着は今着替えさせてくれ。着ていた服は処分してもらえると助かる。」
「はいよ、まいどあり。お嬢ちゃん、あっちで着替えておいで」
メルは服を受け取り、部屋の隅にある簡素な試着室に入った。
「あとこの子の靴も買いたいんだが、この辺でいい店はないか?」
「そうだね、子供用ならこの通りの突き当りを右に行ったところにある靴屋がいいよ」
「わかった、ありがとう」
ほどなくして、薄い若草色のワンピースに身を包んだメルがおずおずと試着室から出てきた。
「思った通りだ、お嬢ちゃんには明るい色が良く似合うね」
壁に立てかけてある全身鏡に映る自分を見て、メルは不思議そうな顔をしていた。
靴屋でも同様に、リュートが店主に頼んでメルの足のサイズに合う靴を選んでもらう。メルの身に着けていたボロボロのサンダルは破棄してもらった。
その他にも小さな女の子に必要な生活用品を適当に買いそろえているうちに日がかなり傾いてしまっていた。
少し早いが夕飯にしようと、リュートは一応メルに食べたいものはあるかと尋ねる。だが、やはりメルは首を小さく横に振るだけだった。
これだけ体が細いのだ。いきなり重たい肉料理を食べさせると胃が驚いてしまうだろうと、リュートは露店で野菜がたっぷりと入ったスープと、素朴な黒パン、
そして主に自分用の兎肉の串焼きを10本買って宿屋に戻った。帰還の際にジェスターから聞いていたとおり、リュートの泊まっていた部屋は二人部屋へと変更されていた。
幼いとはいえ初対面の女の子と同室なのはいかがなものかと思ったが、他の利用客もいるので一人にしておく方が色々と危ないとのことで渋々了承をしたのだ。
部屋に置かれている小さな丸テーブルの上に買ってきた料理を並べる。スープから湯気が出ていない。かなりぬるくなってしまっているようだ。
「じゃあ、食べようか」
メルは椅子に座ると静かに自身の手を胸の前で組み、目を閉じて祈りの姿勢をとった。
「地におわす神よ、御恵みに感謝します。願わくば我が身と精神を清め賜わんことを」
その一連の所作があまりにも洗練されていて、リュートは思わず見とれてしまった。聞きなれない祈りの言葉であったが、「地におわす神」というワードから
おそらく生き神信仰の一派の食前の祈りなのだと考察する。メルはしばらく呼吸の音も聞こえないほど深く祈り続ける。
思ったよりも長いので先に食事に手を付けようかと迷い始めたころに、ゆっくりと瞼を開き組んでいた手をほどいた。
リュートはすっかり冷めたスープに硬い黒パンを浸しながら、大きめのスプーンにスープを掬って黙々と食べ進めていく。
メルはその様子を見て、まずはスープを一口飲んでみる。
「…おいしい」
ふっと緊張の緩んだ表情から、気遣いでも何でもない本心から漏れた言葉だということが分かる。
「大層なものじゃないが、口に合ってなによりだ。肉も食べれそうだったら食べてみな、結構いけるぞ」
木串にささった兎肉は少し癖があるが香辛料でうまく臭みは消してあり、噛むと肉汁がじゅわっと溢れてくる。塩気も程よい。
冒険者という職業は常に体力勝負だ、人並み以上に食べるリュートの腹の中に次から次へパン、スープ、兎肉が収められていく。
メルはその様子に感化されたように、兎肉の串焼きを一本手に取りあむっと頬張る。しっかりと咀嚼して飲み込む。次の一口へのペースが速くなっていく。
口いっぱいに頬張る姿にやっと歳相応の姿が見れたと少しだけ安心したのだった。