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マグラス国辺境伯領ベーンブルク市街地に到着した討伐隊は休憩もそこそこに、翌朝の日の出とともに討伐対象の潜伏している西方に位置するジャラの森へと向かった。
その豊かな森には大小さまざまの動物や、栄養価の高い実のなる木、希少な薬草が広く分布しており、ベーンブルクの生活の基盤をなしているといっても過言ではない。
森の恩恵がなくならぬよう、ベーンブルクの市民は昔からこの森を大切に守り、管理してきた。
そんな場所に突如、厄災としか言いようのない恐ろしい変異種のグリフォンがおびただしい穢れとともに侵入したのだ。
これ以上人的被害を、そして清き森が穢されてしまうことを何としても阻止するために、リュート達には早急な討伐が求められていた。
ジャラ森のに到着し、森に足を踏み入れた途端にうすら寒い空気と噓のような静けさが討伐隊を包む。リュートは討伐対象が遠くないことを察知した。
それは他の冒険者たちも同様のようで、一気にその場の緊張感が高まる。
「それでは、これよりキンググリフォンの討伐にあたる。まずは事前に伝えていた2班に分かれ対象の捜索だ。馬を連れた先発隊の10分後に後発隊の出発とする。
リュート、先発隊の指揮はお前に一任する、頼んだぞ」
「わかりました」
討伐隊全体の統括を担当するのは副ギルド長であるジェスターだ。通常ならば副ギルド長がわざわざ指揮を執ることはないのだが、
今回は他国からの緊急要請でありイレギュラーな対応となるので、指揮を執る人間も討伐に参加する冒険者もこれまでにないほど優秀な面々が揃っている。
その中で先発隊の指揮という大役をリュートが任されたのは、普段からレイドに特化して依頼をこなすリュートへのギルド側の絶大な信頼の証であった。
リュートは馬の手綱を引き、先発隊となった5名の冒険者達は周囲に注意を向けながら森の奥へと歩を進めていった。
*****
出発から30分ほど歩いただろうか、未だに動物たちの声や気配はない。だが、空気の淀みが明らかに肌で感じ取れるようになってきた。
討伐対象はいつどこから現れてもおかしくない。
連れてきた馬の歩みが徐々に遅くなり、しまいには完全にその場で立ち竦んでしまった。
「まいったな、こいつもうテコでも動かないぞ。どうするリュート?」
先発隊に入っているガンツがリュートに尋ねる。
「…もう対象は近い。この場で待ち伏せする方に切り替える。後発隊にも通信機で連絡を入れてくれ」
馬の手綱を近くの木の幹に括り付け、リュート達は近くの茂みに身をひそめる。湿った地面の匂いが鼻腔をくすぐる。
しばらくするとかすかに草木が揺れる音が聞こえてきた。音の無い森の中で、明らかに異質だ。
そして、か細く高い何かの声。それはまるで人間の子供が泣いているかのような声である。それはこちらに向かってきているようだ。
(まさか、アカシ村の子供が捕まっているのか?)
同じことを思ったのだろう、その場にいた全員が顔を見合わせる。
もしも本当に子供が捕まっているのだとしたら、一刻を争う事態である。
この場から動かない馬を使うのはもう現実的ではない。
「俺が囮になる、もし子供が本当にいたんならいつもの”砲雷”を撃つ。その子の保護を最優先にしてくれ」
「おい、ちょっと!」
リュートはガンツ達の抑止を無視して茂みから抜け出し、身をかがめたまま足音を最小限に声のする方向に走り出す。
かすかな声が次第にはっきりしてくる。
「…っ、…たす…て!」
「グルルルゥゥゥッ」
目視で50メートルほど先に、木の合間をよろけながら走る小さな女の子と、それを至近距離で悠然と追う巨大なグリフォンがいた。
通常の獰猛なグリフォンからは考えられない光景である。まさか、キンググリフォンはあの子を”面白半分で”狩るほどに知能が高いのか。
リュートは眉をしかめ、右手に魔力を集中させる。そして、その右手を空に掲げる。
「砲雷」
リュートの詠唱とともに、バリバリッというすさまじい音と、青白い電が空に向かって放出された。
少女の悲鳴とともに、キンググリフォンの歩みが止まる。音のした左方向に首をひねり、リュートをはっきりと視界にとらえた。
「デカブツ、こっちが相手だ!」
次の砲雷のために、再度右手に魔力を集中させる。
キンググリフォンは少女に一瞬視線をやり、次の瞬間リュートに向かって飛びかかってきた。
「砲雷!」
次は空ではなく、キンググリフォンに照準を合わせて電を放つ。
が、しかし。
キンググリフォンは電撃をその身に受けながらリュートへと右前足を振り下ろしてきた。
リュートは左に上半身を反らして間一髪のところで躱す。そして右手を自身の背に伸ばして握りなれた片手剣の柄を掴んで鞘からその刀身を抜き、
そのままキンググリフォンの右翼に剣を振り下ろした。
翼が赤い血で濡れていくが、見た目ほどに深い傷は与えられていない。どうやら魔法耐性だけでなく物理耐性も高いらしい。
だが、まったく効いていないというわけではないようだ。わずかに動きに鈍さが出てきている。
リュートは素早く間合いを取り、キンググリフォンの動きを牽制する。
ここでようやく他の先発隊メンバーがその場に到着し、瞬時にキンググリフォンを囲んで各々臨戦態勢をとる。
「お嬢ちゃん、もう大丈夫だ」
ガンツはその隙にその場にうずくまっていた少女のもとに駆け寄り、優しく抱きかかえて保護した。
するとその瞬間、キンググリフォンの目の色が変わり、リュート達を無視してガンツと少女の方へ走り出した。
「ガンツ、逃げろ!!」
ガンツは少女を抱えたまま森の入り口に向かって一目散に走る。
リュートは自身の足に強化魔法をかけて、一気に距離を詰めてガンツとキンググリフォンの間に割って入る。そして剣を横に大きく薙ぎ払う。
キンググリフォンはそれを自身の鉤爪ではじき、リュートの頭を狙って大きな嘴を突き出す。リュートはそれを剣で受け止めるが、9メートルもの巨体の体重が乗った突きに耐え切れず後方へと吹き飛ばされる。
地面に叩きつけられたリュートに脇目も振らず、グリフォンは前方を走るガンツに向かって風魔法を放つ。かまいたちのような鋭い風がガンツの背に直撃する。
「う”ぐッ…!」
ガンツの身に着けていたジャイアントベアーの皮の鎧に切れ目が入り、血が噴き出す。気が遠のきそうになるが、ここで足を止めることの方が危険だと直感が騒ぎ、ガンツは歯を食いしばりながら我武者羅に走り続ける。
ガンツの腕の中で少女は声にならない叫びをあげ、恐る恐る追ってくるキンググリフォンを見る。赤い瞳がこちらを真っすぐに向いていた。
「こっちに、こないで!!」
少女はあまりの恐怖にそう叫んだ。すると、その声に反応するかのように一瞬キンググリフォンはその場に立ち止まった。
リュートはその一瞬に強烈な違和感を覚えながらも、この好機を逃がすまいと自身の最大出力の雷魔法の呪文を詠唱する。
「雷霆ッ!」
ドゴーーンッと耳が割れるほどの轟音とともに、キンググリフォンにすさまじい量の電撃が降り注ぐ。
「グギャアアアアァッ!!」
さすがにこらえきれず、片膝をついてその場に崩れた。
さらに足止めをするために、追いついた先発隊の魔法を使えるメンバー達はそれぞれに高出力の攻撃魔法をキンググリフォンに浴びせる。
リュートはガンツのもとに走って、腕の中の少女を引き取る。
「もうすぐ後発隊が到着するはずだ、怪我は耐えれるか?」
「あ、ああ…なんとかな。それよりお嬢ちゃん、怪我は、してないか?」
「うん…。メルのせいで、ごめんなさい…」
メル、そう自分のことを呼ぶ幼い少女は、小さく震えながらガンツの手を両手で握り、何度も何度も謝罪の言葉を口にした。
見ているこちらが、胸が痛くなるほどに。
ほどなくしてジェスターの率いる後発隊が合流し、総員の一斉攻撃によりやっとキンググリフォンの息の根を止めたのであった。