98 長距離向き能力者、出発
グラスフィールド王国の海岸線を巡回している元ファイターから異様なものが届けられた。
テーブルの上に置かれたバッタの死骸を見つめているのは王空騎士団団長ウィルと軍務大臣のダニエルだ。
「ウィル、これは……バッタ、だな?」
「バッタではありますが、ここまで大きな種類がいるとは。驚きました」
バッタの死骸を運んできたウォルトは、ここまで話が大きくなると思っていなかった。念のためにと思って届けたバッタの死骸を見たウィルが「君も来い」と言って急いだ先は軍部の建物だ。
「大臣にお会いしたい。大至急だ」
ウィルの言葉に下士官が走って建物の奥に消えていき、すぐに大臣の部屋に通されて今である。軍務大臣ダニエルが淡い水色の瞳をウォルトに向けて矢継ぎ早に質問してくる。
「東海岸に打ち上げられていたこれの数は?」
「数千……くらいだと思います。分厚く積み重なって打ち上げられていました」
「これまでにこれを見たことは?」
「自分たちは初めて見ました」
「全部死んでいたんだな?」
「いえ……生きているのもいました」
ウィルとダニエルが同時にギョッとした顔をしてウォルトを見る。
二人の表情を見たウォルトは、「久しぶりに王都の酒場に行きたいから、俺が届けるよ」と安易に運び役に立候補したことを後悔している。
「生きている個体がいた? なぜそれを早く言わない!」
「申し訳ありません!」
「生きているバッタは始末したんだろうな?」
ウィルの声が低い。ウォルトの全身に鳥肌が立った。
「いえ、その、何匹も飛んでいってしまいましたので……。申し訳ございませんっ! 殺すことは思いつきませんでした!」
身体を二つに折り曲げて謝罪するウォルトを二人の責任者は見ているが見ていない。ウォルトが顔を上げると、二人の偉いさんは遠くを見ているような目つきだ。
最初に我に返ったのはダニエルだ。
「ウィル、これは一刻を争う事態だ。地元の全ての人間に『超大型のバッタを見つけたら捕まえて殺せ』と触れを出さなければ」
「ええ、これは大変な事態です。指示を周知させるために、うちの団員を出します」
「そうだな。そうしてくれるか。私は陛下に触れの一文を書いていただいてくる。我が軍も東海岸方面に出発させる。到着は遅れるが、しらみ潰しに捜索させるには数がいるからな」
「お願いします。それと、昆虫に詳しい学者も派遣したほうがいいでしょうね?」
「そうだな」
部屋を出ようとしたダニエルが足を止めてウィルを振り返った。
「アイリスは学者を乗せて海まで行けるか?」
「行けます。アイリスなら二人乗せても余裕でしょう」
無言でうなずいたダニエルが勢いよく部屋を出て行き、ウィルはウォルトに視線を戻した。何も言われていないが、ウォルトはまた頭を下げた。
「申し訳ございませんっ!」
「ウォルト、国境空域警備隊の任務はなんだ?」
「国外からの攻撃に備え、海岸線を警備することです!」
「そうだ。国に害を為す存在が人間だけじゃないことは、王空騎士団に所属していたお前なら気づくべきだった。これはとんでもない災害になりうる」
「申し訳ございません!」
ウィルは立ち上がり、バッタが入っている木箱を抱えて王空騎士団の建物へと足早に向かう。残されたウォルトも慌ててその後を追いかけた。
王空騎士団事務員のマヤは、血相を変えているウィルを見て立ち上がった。
「団長、どうなさいました?」
「アイリスは?」
「本日は神殿です。呼び戻しますか?」
「大至急で頼む。それと、カミーユ……は西海岸か。マヤ、すまないが小隊長全員に伝えてほしい。『長距離が得意な団員を集めろ。東海岸まで飛んで、そこからまた集落を回る任務』と」
「すぐ伝えます」
国王のお触れ用の書面が届けられ、各小隊長たちが長距離が得意な団員を集めてホールに集合した。長距離が得意な物の中にはサイモン以下、数名の訓練生が混じっている。
アイリスが風を巻き起こす勢いでフェザーで戻ってきた。
「遅くなりました!」
「いや、十分早い。全員聞いてくれ」
大きな声を出したウィルの手には木箱。
「これを見てほしい」
木箱を覗き込んだ全員が、驚きと嫌悪の混じる顔になった。
「見ての通り超大型のバッタだ。東海岸に打ち上げられた。発見した国境空域警備隊員の話では、その数は最低でも数千。おそらく嵐で吹き飛ばされ、流れ着いたのだろう」
ウィルは皆を見回し、全員が事情を飲み込んだのを確認してから話を続けた。
「打ち上げられた場所が一か所とは限らない。何か所にも打ち上げられていたとすれば、万単位のこれが流れ着いた可能性がある。しかも、生きているバッタもいた。飛んで逃げたそうだ」
話の途中だったが、ヒロが手を上げながら口を挟んだ。
「たとえ十匹でも生きたままこの国に入り込んだら、とんでもないことになりますよね? 穀倉地帯でこれが繁殖したら、国が滅びかねない」
「そうだ。今、一気に殲滅しておかないと我が国の民が餓死する事態になる。君たちの役目は、東海岸まで飛び、東海岸一帯の集落に『超大型バッタを見つけ次第、殺せ』と伝えることだ」
団員たちが事態の深刻さを噛みしめているところに、動物学者のアルトが駆け込んできた。
「遅くなりました! 動物学者のアルトと申します。昆虫専門の学者は野外調査に出ていて所在が分かりません。代わりに私が参りました。よろしくお願いします!」
「よし、ではさっそく出発してもらおう」
「すみません! 私の他にもう一人連れて行きたい人物がいますが、無理でしょうか? 巨大鳥島の調査に参加したオリバーも同行させたいのです。彼はその辺の学者より役に立つはずです」
ウィルがアイリスを見た。アイリスが小さくうなずいた。
「私がオリバーを乗せて皆さんの後を追いかけます」
「頼んだ。ヒロ、高度は百でいいか?」
「はい。百で。アイリス、百メートルの高さで追いかけて来い。俺たちを見つけて合流すればいい」
「わかりました!」
アイリスがオリバーの家に向かって飛び去り、アルトはギャズが乗せて飛ぶことになった。
簡単な装備と剣を身につけた王空騎士団員たちが建物から外に出る。外に出た者から次々と飛び立ち、空中に浮かんでいる。全員が宙に浮かんだのを確認し、小隊長が先頭になって飛び去った。
飛んでいく部下を見送るウィルにマヤが歩み寄った。
「団長、そのバッタ、どこから来たのでしょう。そんな大きなバッタの話は聞いたことがありませんよね」
「海流は巨大鳥島から北上してくるが、あの大風だったからな。もしかしたら終末島の可能性もある。だが、終末島の生き物だとしても、なぜ今まで知られていなかったのか。嵐は毎年繰り返されているのに」
「ですよね……」
ウィルは晴れた空を見上げてつぶやいた。
「間に合うといいのだが」
「巨大鳥が来るだけでも大変なのに、こんなものが我が国で繁殖したら……」
今年は気味が悪いほど暖かかった冬を越し、いつもよりひと月以上も早い巨大鳥の渡りがあった。巨大鳥はグラスフィールド王国に滞在してから終末島へと旅立った。
春を一気に通り越したような暑い夏も今は終盤で、もうすぐ巨大鳥の渡りが始まる。
「巨大鳥の渡りと同時ではなかったのが、せめてもの救いだな」
「そうですね」
ウィルとマヤがもう一度空を見上げるが、空飛ぶ男たちの集団はもう見えない。