95 囚人たちを思う
アイリスはフェザーに乗ってギヨムを追いかけた。
ギヨムは全力で飛んでいるのだが、アイリスから見ればかなり遅い。王空騎士団のファイターたちと比べても、遅い。
「もっと高い場所から落としたほうが、ギャズさんは拾いやすいかな」
落ち着いて一定の距離を開けて追跡する。
ギヨムが振り返り、斜め下を飛行するアイリス、さらにその斜め下にいるギャズの二人に気がついた。
「ったく、小うるさいハエがっ! 振り切ってやる!」
ギヨムは最速で飛ぶ。久しぶりに飛ぶから気持ちがいい。叫びたいほどの解放感と高揚感。飛翔力を全放出する快感に恍惚となっていた。
「あっはっはっは、ざまあみやがれ!」
笑い声をあげながら速度を上げたギヨムを見て、アイリスも加速する。アイリスにはまだまだ余裕がある。今も半分以下の力しか出していない。
ギヨムはどんどん上昇しながら飛び続けて炭鉱から離れている。このまま飛び続ければ、もうすぐ炭鉱都市の上空に入る。
「あの迷路みたいな街に逃げ込まれたら厄介ね」
炭鉱都市を目指しているであろうギヨムの姿に、アイリスは装着したマスクの中でため息をつく。
「やっぱり逃げる気満々だったのね。それなら仕方ない。落としますか」
前のめりの姿勢を取ると同時に一気に加速する。ギヨムがアイリスの気配が近づいているのに気づいたときには、もう遅かった。
アイリスが腕を伸ばし、ギヨムのフェザーに触れると同時に大量の飛翔力を流し込んだ。すぐに黒いフェザーはギヨムの足からスッと離れた。
無言のギヨムとフェザーは一緒に落ちていく。アイリスは素早くギャズとギヨムの位置を見る。
(大丈夫。間に合う。それなら私は……)
地面に向かって垂直に飛ぶ。まっすぐ落ちていくヒロの黒いフェザーの隣に並び、両腕でフェザーを抱え込んだ。
「よし! ヒロさんのフェザーを守れた! ギヨムは?」
落下するギヨムと並んで一直線に下降していくギャズが見えた。ギャズは恐怖の表情で落ちていくギヨムの隣を、同じ速度で地面に向かいながらニヤニヤ笑って見ている。
(もう、意地悪な)と苦笑しながら見守っていると、ギヨムが地面に激突しそうになる寸前にギャズが腕を伸ばした。ギヨムを自分のほうに引き寄せながら乗っているフェザーをキュッと回転させた。
ギャズはギヨムをフェザーの後部で受け止め、急減速する。最後はふんわりと着地した。
「お前、逃げないって言ってたのに。嘘ついたんだなあ」
ギャズはニヤニヤしながら、激突死の恐怖で動けずにいるギヨムを手早く縛り上げた。
「王空騎士団をなめんなよ」
「ギャズさん……意地悪」
「そうか? こいつの骨の二、三本、いや、七、八本は折れても別によかったんだけどな」
「世話する人が必要になるだけもったいないです」
ギャズは「たしかに」と言いながら身動きが取れないギヨムをフェザーに乗せると、「おい、動くと転げ落ちるからな」と警告して浮上した。
「さあ、戻るか」
「はいっ」
二人は並んでヒロが待つ炭鉱へと飛ぶ。
炭鉱ではヒロが剣を手にアイリスたちを待っていた。縛られてうつぶせに転がされ、両脚で必死にフェザーにしがみついた状態のギヨム。その姿を見て、ヒロが冷たく笑ってアイリスを見た。
「やっぱり逃げたか」
「はい、逃げました」
「こいつは速いのか?」
「いえ、全く」
ギャズとヒロが同時に「ふっ」と笑う。ヒロが「ま、アイリスからしたらそうだろうな」と言ってからギヨムの縄をほどいた。
「少しだけでも飛べてよかったな。さあ、休憩は終わりだ。さっさと働け」
ギヨムは表情を失い、背中を丸めて石炭の山に向かって歩く。顔色は真っ青だ。ギヨムの様子を見ている囚人たちの目に、諦めが生まれていく。周囲の囚人たちに、ヒロがマウロワ語で声を張った。
「見ての通りだ。我々王空騎士団に敵うと思うなよ。飛んで脱走してみろ、そのときは追いかけて落とす。地面に激突して死んでもいいなら試してみればいい。じゃあな」
炭鉱都市へと飛び立った三人は、街の中心部に下りた。ギャズの案内で炭鉱都市の中を歩いて進む。
くねくねと曲がる道を進む。枝分かれした道の両側は店が並んでいて、呼び込みの声が賑やかだ。
「ここだ。俺のお気に入りの店だよ」
ギャズが案内してくれたのは鉄鍋専門店だ。しかも肉はウサギ、鶏、豚、羊、ヤギ、牛と様々だ。鍋を三人で取り分けて食べながら、アイリスは考え込んでいる。
飛翔能力がありながら飛べない日々。(囚人たちはどれだけ苦しいだろう)と思う。
祖父は彼らに殺された。
(だけど……)
他の人間と違うことの苦しさは、自分もよく知っている。
「女のくせに」
「英雄気取り」
言葉に出して言われたし、言わない人もアイリスの能力が高いことを知るまでは、まるでアイリスが見えないかのように距離を置いていた。
アイリスを遠巻きに見るだけの訓練生たちを思い出す。
祖父の命を奪い、リトラー家とその顧客を破産に追い込んだ空賊は憎い。その一方で飛べない人がほとんどの国で、飛ばずにいられなかった彼らの苦労を思う。
(彼らを憎んでも、過去は変わらない)
「アイリス、もっと食べろ。育ち盛りだろうが」
「ギャズさん、私ならそろそろ成長は止まりつつありますけど」
「そう言わずに食べろ」
「はいはい」
三人が頼んだのはヤギ肉の鍋。黒い鉄鍋は分厚く、いつまでも汁が熱い。ふうふうと吹き冷ましながら食べ、考える。
(あの空賊たちが飛ぶ仕事を得られる方法はないだろうか)
能力に応じた仕事があれば、彼らは空賊にはならなかったかもしれない。アイリスは煮込まれたヤギ肉を噛みながら、考え込んでいた。
その日は炭鉱都市に泊まることなく、三人は王都に飛んで帰った。
帰宅すると、サイモンの字で『明日、また来ます』と書かれたメモを姉に渡された。
「明日はデート?」
「そう、かな?」
「ちゃんとおしゃれするのよ」
「飛ばないならね」
ベッドに入り、記憶には残っていない祖父を思う。
(おじいさん、私は空賊を助けたい。許してね)
父と母には、空賊が祖父の船を襲った話を、どう伝えたものか、と考えているうちに眠りについた。