89 黒い塊は
夜、カミーユが焚火で簡単な夕食を作っている。手伝っているのはアイリス。
オリバー、サイモン、マイケル、クレイグ医師、学者アルトは「料理は全くダメ」とのこと。ガルソン伯爵は言うまでもない。サイモンは「味を気にしないなら作れます」と自己申告したが、全員が「いや、いい」と断った。
カミーユは伯爵家の令息だが、野外料理は趣味だ。
「空賊退治の拠点では、団員たちに魚介料理を食べさせるのが私の楽しみなんだ。漁師たちの料理を、見よう見まねで覚えた」
「副団長、手際がいいです」
「ありがとうな、アイリス。オリバー、その辺の枝を少し削って、肉を焼く串を作れ。わかるな?」
「わかりますよ」
鉈を手にオリバーが木の枝を叩き切り、端を尖らせようとして……手を切った。親指の付け根がスッパリ切れ、結構な血が出た。
「痛っ!」
「血が出てるじゃないの。オリバー、いいわ、私がやる」
「このくらいできるって!」
「うん。わかってる。でも私がやるから。手を洗っておいでよ。傷口が腐ったら困る。それからちゃんとクレイグ先生に診てもらってね」
「わかってる。母親みたいな言い方しないでくれよ」
しょんぼりしながらオリバーが木箱の上に置かれた水樽に近寄り、栓を抜いて手を洗い始めた。水はアイリスが川から汲み上げて運んだものだ。
「アイリスは重い物を運ばせたら王空騎士団一だな」とマイケルがひやかしていた樽だ。
黒い塊を眺めていたアルトが「水がもったいないな」と言って、オリバーが手を洗っている下で黒い塊をこすり洗いし始めた。
「うん? 少しぬるぬるするな」
「えっ。僕にも見せてください!」
オリバーがアルトから黒い塊を受け取り、眺める。手を洗っている途中で傷を放置しているオリバーを見かねて、サイモンが包帯を差し出した。
「オリバー、まずは傷口を押さえたほうがいい」
「ああ、そうだった。痛くないからつい忘れた」
「痛くないわけがないよ。結構スッパリ切れていたじゃないか」
「そうなんだけど……。おかしいな。やっぱり痛くない。さっきまでズキズキしていたのに」
金属の皿を並べていたアイリスが焚火の近くにオリバーを引っ張ってきて傷を検分する。
「嘘! 血が止まっているし、開いていた傷がくっつきかけている。ついさっき切ったのに」
それを聞いたクレイグ医師が覗き込む。
「本当だね。数日前に切ったみたいになってる。君、体質的に普段からそうなのかい? 王都に帰ったら少し研究させてほしいな」
「いいえ。僕、こんなに早く傷口が塞がったのは初めてですし、痛みがないってどういうことですかね」
「それ……もしかしてこれのせいってことはないよな?」
アルトが黒い塊を持って焚火に近づいた。黒い塊は水に溶けるらしく、アルトの手は赤く濡れている。
「この赤い水に傷を早く治す働きがあったりして。もしそうだったら大発見だな」
そこでオリバーがアルトの手から塊をもぎ取るようにして、そこから滴っている赤い水を自分の傷に垂らした。
「オリバーったら! 巨大鳥の排泄物から出たものかもしれないのに! 傷が腐るわよ!」
「無茶するなあ」
アイリスとマイケルが驚き呆れるのを無視して、オリバーは自分の傷に塊が溶けた水を擦り込む。眉をひそめるクレイグ医師。何やってるんだと見ているカミーユ。
「見てよ。傷がどんどん治っていく」
「は?」「ほんとか?」「俺にも見せろ」「私にも見せなさい」
マイケル、クレイグ、カミーユ、伯爵がオリバーを取り囲む。アイリスも男たちのすき間から焚火に照らされるオリバーの親指を見た。何も変化はないように見えるが、何十秒かたつと傷が目立たなくなっていくのがわかる。皆が無言で見つめる数分間で、オリバーの傷はくっつき、赤い線が残るだけになった。
クレイグがオリバーから塊をもぎ取った。
「これ、なんだ? こんな効果があるものなら、とんでもない値打ちがあるぞ」
全員が興奮しているところにオリバーの冷静な声がかけられる。
「皆さん冷静に。この塊に傷を素早く治す働きがあるかどうか、今からもう一度試してみます」
言うなりオリバーは地面に置きっぱなしにしていた斧を手に取って自分の手のひらに滑らせた。
「おいっ!」
「やめてっ!」
「オリバー!」
周りの人間が叫んだが遅く、オリバーの手が切れて血が流れだした。そこに自分で黒い塊を擦りつける。すぐに出血が止まり、ゆっくりゆっくり傷口が中から塞がって行く。
「これは……とんでもない発見だぞ」
「クレイグ先生、そういえばルルのおなかの傷も、次の日にはくっついていましたっけ」
アイリスの言葉を聞いてマイケルも思い出す。
「討伐派の矢に射られた個体も、次の日にはどれがそれなのか全くわからなかったな」
「マイケルさん、そういえばそうでした!」
「てことは……」
カミーユが口を開いた。
「てことはだぞ、巨大鳥の体には傷を早く治す力があって、これはその塊ってことか? じゃあ、なぜ我が国の森にはこれが落ちていないんだ?」
動物学者のアルトがオリバーの傷を見ながらカミーユの言葉に応じる。
「もしかしたら、長期間かけて体内に体液のなにかがこうして溜まって、渡りの前に排出するとか?」
「副団長、それなら一羽につき一個なのかもしれませんね」
「カミーユ、この島に滞在するのはあと九日だ。この塊を探すことに注力すべきではないか?」
「そうですね父上」
カミーユと父親の会話にオリバーの言葉が続く。
「その塊が溶けた水を垂らしたとたん、傷の痛みが引くのは間違いない。そして、見てよ。傷はもう、ほとんど治っている」
「時間がたってもオリバーの身体がなにごともないといいけど」
マイケルが怪しむようなことを言い、オリバーは微笑みながらマイケルを見る。
「なにか副作用があるのなら、自分の身体でそれを確かめられるからありがたい。詳細に記録に残せる」
「オリバー……あんたって」
アイリスは呆れたが、オリバーの目はキラキラしている。





