85 空中戦
ジュール侯爵が「自分も巨大鳥島に行く」と言う。
アイリスとサイモンは思いがけない言葉に驚いた。
「アイリスとサイモンが優れた飛翔能力者でも、帰路も飛ばねばならんのだ。船を出そう。船足の速いのがあるぞ。それならば飛べない学者も連れて行ける。船ならば万が一怪我人が出たときに備えて医者も連れて行けるというものだ」
「学者……」
思わずそうつぶやいたアイリスは(巨大鳥島に行けるとなったら、オリバーがどれほど喜ぶだろう)と思う。
「巨大鳥がエンドランドに行けば王空騎士団員のアイリスは動きやすくなるはずだ。渡りが終わり次第、うちの船を出そう。それまでに急ぎ各所に話をつける」
「父上……」
「うん? なんだね、サイモン」
「ものすごく嬉しそうですね。父上がそんな冒険を望まれるとは意外でした」
「冒険? ふふふ。ああ、そうだな。冒険でもある。だが、誰も人が入っていない島だ。それも、島と言っても我が国と同じくらい広大。何が存在するかわからんではないか」
ジュール侯爵が含みのある笑みを浮かべた。それを見てサイモンとアイリスが同時に気づく。
「鉱石、とかですか?父上」
「それとも役に立つ植物とかでしょうか」
「どちらもあり得る。未知の病気の可能性もあるが、太古の昔から巨大鳥が行き来していてもこの国は滅んでいない。それは明るい材料だな。何も見つからなくてもいい。あの島に人が入ることが重要なのだ」
侯爵は立ち上がり、いつもよりずっと活気に満ちた表情でサイモンに告げる。
「そうと決まったら忙しいな。出かける前に婚約式を済ませておこう。ではちょっと出かけてくる。君たちはゆっくりしていきなさい」
侯爵は二人を残して足早に部屋を出た。廊下で侍従にあれこれ指示を出す声が遠ざかっていく。
「びっくりしたわ。賛成されるとは思っていなかったの」
「僕もだ。てっきりやめろと言われるとばかり。しかし、巨大鳥島か。アイリス、誰も入ったことがない巨大な島に足を踏み入れるなんて、よく思いついたね」
「私が、ではないの。過去の学者さんの願いを本で読んだのよ。神殿には巨大鳥と聖アンジェリーナに関する本がたくさんあったから」
(神殿預かりの期間を無駄にせず、民に慕われ知識も蓄える。そして飛翔能力は俺よりはるかに上……くぅっ。頑張れ俺!)
サイモンが自分の両頬をパチンと叩いた。
「な、なに? どうしたの? 傷が痛痒いとか?」
「気合を入れただけ。気にしないでくれ」
二人がそんなやり取りをしている間に、ジュール侯爵は馬車で出発していた。行き先はエーリッヒ・グラスフィールド公爵邸である。先触れもなしに訪問したジュール侯爵の話に、大公は二つ返事で協力を申し出た。
「資金も人手も協力しよう。この話、兄上にどう伝えるべきか。他国との交流は国王の許可が必要だが、巨大鳥島は国ではない。無断で行っても文句は言えないはずだが」
「大公様、あえて軋轢を生むことは避けましょう。いずれディラン様がこの国の王となるのです。ディラン国王の時代に『抜け駆けした者』として記憶されるのは避けるべきです」
「そうだな。ディランは聡明だ。兄上とディランの双方に話を持っていくとしよう」
侯爵が大公に話を持って行った結果、巨大鳥島行きはとんとん拍子に話が進んだ。
王国軍の軍船一隻、ジュール侯爵家の船が一隻と学者と医者、大公家からは費用の援助。それぞれの役割が決まり、渡りが終わったらすぐに出発する手配が進められた。
重鎮たちが『巨大鳥島調査』に動いている間も、王空騎士団は働いている。
今日は若い巨大鳥三羽が王都の外れにある貧しい家に集まった。しかも三羽が面白半分に窓の鎧戸を壊し始めた。
金属ではなく木製、それも年季が入った古い木製の鎧戸は、巨大鳥の嘴の力で少しずつ壊れていく。
すぐにファイターが煙を撒き、囮役も気を逸らせ、誘導した。白首が途中からそれに参加しようとした。アイリスもすっ飛んで行く。三羽いるから囮役も三人、ファイターは十人が駆け付けた。
「ルル、おいで。こっちにおいで」
白首がアイリスの声に反応すると同時に、他の若い二羽もアイリスに興味を示した。
「キエエエエッ」
「ギャギャギャ」
他の二羽が興奮した声をあげながらアイリスに向かって飛び掛かろうとした。それを想定していたアイリスは、全速力で上空へと向かう。あまりに急角度に飛んでいくアイリスを見て「へっ? 垂直に上昇している?」と周囲のファイターたちが二度見した。
アイリスはほぼ垂直に近い角度で空気を切り裂きながら上昇し、それから下を見た。
「あっ!」
白首が二羽を相手に空中戦を繰り広げていた。
腹側の柔らかい羽毛を飛び散らせ、空中で蹴り合いをしている。二対一の戦いでも、白首は負けていない。素早く向きを変えながら二羽に向かって繰り返しぶつかるように向かって行く。
(あの鋭い爪だもの、強く蹴っただけでも肉が裂けるんじゃ)
止めに入りたくても、体格も力も違いすぎて人間では無理なことは一目瞭然。
アイリスは唇を噛みながら、オリバーが以前『肉食の動物は相手を殺すまでの戦いはほとんどしない。どっちが上かがわかればそこで終わりなんだよね』と話してくれたことを思い出した。
(どうかオリバーの話の通りでありますように!)とハラハラしながら見守ることしかできない。
そこへスッとマイケルがアイリスに近寄ってきた。
「アイリス、これはいいきっかけかもしれないよ?」
「あんな激しい喧嘩が?」
「あれで勝てば、白首はあの二羽に対して上位に立つ。アイリスを守ろうとして戦う白首が、群れの中で順位を上げてくれたら助かる。ファイターとしてはね」
「なるほど……」
「巨大鳥が人間を守るために戦う姿。それをこの目で見られて、僕らはついてる。こんなこと、この七百年間にはなかったことだ」
一切鳴き声を出さずに続けられていた空中戦は、突然終わった。
アイリスに飛び掛かろうとした二羽が逃げ出したのだ。白首はそれを途中まで追いかけたが、すぐに引き返してきた。
「ルル! よかった! 怪我はない?」
「クルルルル」
心配になったアイリスが広場に誘導し、白首の腹をじっくりと見た。
「裂けてる! どうしよう!」
「クルルルル」
腹の下のほうがパックリと四十センチほど裂けている。そう深くはないが、血が流れ、羽毛がべったりと濡れて貼りついていた。だが、白首はさほど気にしている様子はない。
「ごめんね、ルル。でも、私を助けてくれてありがとう」
「クルルルル」
そっと腕を伸ばして白首の羽に触れると、白首は力を加減しながらアイリスに頭をこすりつけた。最近では、くちばしを撫でることもできるようになっていた。
それを見ているファイターたちは「アイリスが巨大鳥のくちばしに手を伸ばすたびに、腹のあたりがぞわぞわする」「俺も」「心臓に悪い」と言い合っている。