84 アイリスが行きたい場所
「私をどうしたいの?」
アイリスのその言葉が合図だった。
漁村の小さな家々に、敵味方一緒にすし詰めになって避難していた男たち。
その中の王国軍と王空騎士団の男たちが一斉に空賊に飛び掛かった。
すぐに逃げ込める場所にあった数十軒の家は、立っている者同士が押し合うほど混みあっている。空賊たちは剣を振り回すこともフェザーに乗ることもできなかった。
そして圧倒的な数の差。
抵抗する間もなく、空賊たちは全員が押さえつけられ、縛り上げられた。
オリバーはそこからてきぱきと通訳し続けた。
「あの子が私以外の人にあんなにしゃべるの、初めて見たわ。オリバーも成長したものね。よかったよかった」
アイリスが感心して見ていると、ウィルが話しかけてきた。
「よくやったな、アイリス。村人を一人も死なせずに制圧できた。怪我人は出たが、全員命に別状はない」
「白首がおとなしく私について来てくれて、本当によかったです」
「白首が来なければ、多くの被害が出るのを覚悟で戦闘を始めるところだった。あっ!」
ウィルが少し慌てた。白首が村長の家の屋根に飛び乗ったのだ。村で唯一の二階建ての家だ。
「退屈しているのかもしれません。あの子は遊びたいんだと思います」
「このまま王都まで白首を連れて帰れるか?」
「はい。大丈夫です」
「アイリスはサイモンと一緒に帰れ。お前たち二人は、今日はもう仕事は終わりだ」
「はい。わかりました」
アイリスは白首が止まっている村長の家の屋根に飛び乗った。
「ルル、一緒に帰ろう。あなたの仲間のところへ。一緒に来てくれてありがとう」
「クルルルル」
「さあ、行こう。お前は大活躍だったのよ」
「クルルルル」
アイリスはフェザーで白首の前に浮かんだ。遅れてサイモンも少し離れた場所に上昇する。
「僕はまだ働けるけど」
「私も。だけど、サイモンは王都まで往復したし、ここは人手が足りているわ。それに、帰るころにはどっちにしろ夕方。言われたとおりに帰りましょう」
白首が大きな翼を羽ばたかせ、飛び上がった。
アイリスが誘導して二度三度と村の上空を回り、それから王都へ向かって飛んだ。白首がアイリスを追いかけ、サイモンは少し距離を置いて白首の後方を飛んでいる。
アイリスは飛びながら、くつろいでいる。
来るときは呼吸が苦しくなるほどの高速で飛んだが、帰りはゆっくりだ。暖冬とはいえ、二月の空気を切り裂いて飛ぶと、かなり寒い。
(寒いけど、気持ちいい!)
アイリスは目元を緩ませながら飛んでいる。
アオリ村の人々は巨大鳥に話しかけ誘導するアイリスを眺めながら、感動している。全員が家の外に出てアイリスと巨大鳥が見えなくなるまで見送った。少し寂しそうなオリバーもまた、アイリスを見送っていた。
(アイリスに懐いている巨大鳥があんなに大きいなんて。アイリスは空を飛べるようになって、変わった。すっかり僕の手が届かないところに行ってしまった)
アイリス、サイモン、巨大鳥がもう見えなくなった。
オリバーは自分の初恋が相手に気づかれないまま終わったことをやっと受け入れた。
「すごかったなあ」
「こんな光景を見ることができるなんて」
「巨大鳥が飼い慣らされたように従っていたな」
「あのお方が女神の申し子のアイリス様か」
「美しいお方だったわねえ」
「なんと勇ましく尊いお姿だろう」
誰からともなく皆が祈り始めた。
村人たちに祈られているとも知らず、アイリスはゆったりした速さで飛び、王都の隣にある巨大鳥の森へと白首を送り届けた。白首は名残り惜しそうにアイリスの周囲を回っていたが、やがて巨大鳥の森へと帰った。
「サイモン、これからどうする?」
「少し話をしたいんだけど、いいかな」
「ええ! 私もゆっくり話をしたかった。神殿で暮らし始めてから、ずっと会えなかったものね」
二人は王都に戻り、巨大鳥を監視していたカミーユに帰還を告げてから、ちょうど仕事が終わりになった王空騎士団と一緒に広場から離れた。
「オリバーが頑張っていたわね。今も大忙しなんじゃないかしら」
「そうだね」
「私の中のオリバーは気難しい天才少年なんだけど、いつの間にか国のために活躍していてびっくりしたわ」
(アイリスはオリバーが自分をどんな目で見ているか、気づいていないのか。あれは従弟の目じゃない。彼はきっと……。いや、余計なことを言うのはやめよう。オリバーに失礼だ)
「アイリス、これからジュール侯爵家に行こう。父に今回のことを説明したいし、僕たちの今後のこともある」
アイリスは少し恥ずかしそうに微笑んでから、今度はサイモンの先導でジュール侯爵家に向かった。
「おお、サイモンとアイリスじゃないか。どうした? なにかあったのかい?」
「父上、本日、空賊がアオリ村に上陸しました」
「なっ! それでどうなった?」
サイモンが順を追って事の次第を説明した。アイリスを要求されたこと、白首を連れてアイリスが現地に向かったこと。白首を同行したことでウィルの思惑通りの展開になったこと。
「そうか。ついに空賊がこの国の民に見られてしまったか。国はどうするつもりだろうな。他国にも飛翔能力者がいると知られてもなお、王空騎士団は存続できるのだろうか」
「僕は、他国出身者であっても、王空騎士団に迎え入れたらいいと思います」
「それはどうかなあ」
黙って聞いていたアイリスが何か言いたそうなのを見て、侯爵が声をかけた。
「アイリス、言いたいことがあるなら言ってごらん。改めて両家が参加して婚約式をするつもりだが、アイリスはどんなドレスがいいかね?」
「私は……」
「うん? なんでも言ってごらん」
「私は、巨大鳥島に行ってみたいです。空賊が大勢捕まった今、空賊退治に人手を割く必要は大幅に減りました。今がチャンスだと思うんです」
部屋の中がシーンと静まり返った。最初に口を開いたのは侯爵である。
「巨大鳥島に? なんのためにかね?」
「本当はエンドランドに行ってみたいのですが、これから巨大鳥が向かうから行けません。逆に、巨大鳥島は今、空き家状態です。巨大鳥のことを知るために、巨大鳥がどんなところで暮らしているのか、見てみたいんです」
神殿で読み漁った本に、それを願う学者の言葉が書いてあった。
『巨大鳥の生態を知らずに巨大鳥と共存することは困難である。グラスフィールド王国の未来のために、彼の地まで足を運び、調査の必要がある。だが、誰の賛同も得られず、資金も調達できない』
(私は聖アンジェリーナ以降、七百年ぶりに女性として能力を開花した。特別な巨大鳥に懐かれた。飛翔能力も豊かにある。まだ若く、能力が豊かなうちに、やれることは全てやってみたい)
「私ならたぶん、千キロの距離を飛んで行けます。行ってみたいのです。巨大鳥の群れがエンドランドへ渡ったら、本拠地である巨大鳥島に向かおうと思っています」
「それなら僕も同行するよ」
「待て。待て待て。考えもしなかったな。巨大鳥島か。ふむ……面白い。私も同行しようではないか」
侯爵の言葉に、サイモンもアイリスも(え? 侯爵様が? どうやって?)と目を丸くした。





