78 誘導
血が飛び散り、どうなることかと固唾をのんで見守る防鳥壕の面々。
矢が抜けた巨大鳥は「ギャアアアアアッ!」」と痛みを訴えてひと声鳴いたものの、羽ばたいた。
今までグルンと地面に転がっていたのに、今度はスッと空へ浮かび上がった。
「飛べた!」
「よかった」
「これで騒ぎが収まるか?」
人間たちは喜んだが、一向に騒乱が収まる気配がない。巨大鳥たちはまだ怒りの声で叫びながら飛び交い、早朝の餌の時間に始まった騒乱は今も続いている。
矢が刺さった巨大鳥の叫びは、他の巨大鳥を興奮させ、攻撃的にさせる役目をすることが今回のことではっきりした。
「団長、ジミーの呼吸が浅く早くなりました!」
「まずいな……。カミーユ、私がジミーを乗せて宿舎まで運ぼう。指揮は君に委ねる。巨大鳥もさすがに暗くなれば森に帰るだろう。お前たちはそれまで待機だ」
「しかし団長! 今外に出るのは……」
「来た!」
ファイターの誰かが叫び、全員がザザッと後ずさった。白首が防鳥壕の前に降り立ったのだ。他の個体より長い白い飾り羽ですぐに見わけがつく。
全員が一斉に奥の空間へと移動したが、アイリスは白首の嘴が届かないギリギリの場所に踏みとどまった。
「アイリス! もっと下がれ!」
「団長、ちょっとだけ試させてください!」
「おいっ!」
「アイリス! 危ない」
「サイモン、白首が首を伸ばすようなら下がるから」
白首は頭を下げ、顔を傾けて防鳥壕の中を覗いている。黒く丸い目を動かし、キョロキョロと中を見回していたが、アイリスを見つけて「クルルルル」と愛らしく鳴いた。
「白首、人間が仲間を傷つけてごめんね」
「クルルルル」
「もう二度としないわ。だから森に帰ってくれないかな。家畜は食べたでしょう? 仲間と一緒に森へ帰ろうよ」
「クルルルルル」
言葉が通じている気配はないが、必死に話しかけた。
そしてアイリスが一歩前に出ると、白首は太い脚をタタッタタッタタッと踏み鳴らした。喜んでいるように見えるが、興奮しているようにも見える。
白首がいきなり首を突っ込む可能性もある。防鳥壕の中の男たちは、アイリスが食べられるのではないかと手に汗を握りながら見ていた。
白首が少しだけ後ろに下がった。その分アイリスが前に出る。
白首が下がる。アイリスが出る。
何度か繰り返し、今、アイリスは防鳥壕の入り口ギリギリの場所に立っている。これ以上前に進めば、防鳥壕の外に出ることになる。
さらに白首が下がった。中の人間たちには、白首がアイリスを外に誘い出しているように見えた。
アイリスが自分のフェザーに手を伸ばした。たまらずウィルが声をかける。
「アイリス、飛ぶのか? 攻撃されるぞ」
「いざとなったら全速力で飛んで逃げます。団長、いいでしょうか」
「お前の速さならいける、か。……いいだろう。許可する。十分に気をつけろ」
「ありがとうございます!」
アイリスは地面に愛用の青いフェザーを置いた。地下の防鳥壕からグイ、と身を乗り出した。白首は両足でピョンと後ろに下がる。
上空からいきなり自分を襲おうとする巨大鳥がいないのを確かめながら、アイリスは防鳥壕から出た。
素早くフェザーの上に立ち、白首に声をかける。
「白首、私についておいで!」
そう言うなり、アイリスは広場の上へと飛び出した。地面と巨大鳥の群れの中間の高さを高速で飛ぶ。チラッと振り返ると、白首がついてきていた。
アイリスは広場から森の方向へ向かって急上昇した。モタモタしていれば他の巨大鳥に襲われる。
(上へ。もっと上へ。速く。もっと速く)
飛びながら背後を振り返った。白首がついてくる。そしてそのかなり後方に他の巨大鳥が五羽、六羽と二つの小さな群れとなってついてくる。
(やった! この時期は群れで行動するから、もしかしたらと思ったけど。うまくいった!)
このまま一直線に飛んでしまうと他の巨大鳥を置き去りにしてしまう気がして、アイリスは大きな弧を描いて広場へと戻った。白首と小さな集団二つがついてくる。
そのまま広場のかなり上を旋回した。
すると次々と巨大鳥たちが合流して来る。合流した巨大鳥たちはもう、叫んでいない。
(そうよ。心を落ち着かせてついておいで!)
アイリスは頻繁に背後を振り返りながら、上空三百メートルほどの高度で旋回を続けた。五周目くらいしただろうか。全ての巨大鳥が黒い雲のようになってアイリスと白首の後ろを飛んでいる。
(よし、行こう!)
そのまままっすぐに森を目指した。
王都の西にある森に到着したアイリスは、速度を落とすことなく木々の間に突っ込んだ。木にぶつからないようジグザグに方向を変えつつ飛び進む。
背後の巨大鳥たちは両脚を前に突き出しながら羽ばたき、速度を落として気に入った枝を選んで止まっている。
(よし! よし! よし!)
そのまま森を突っ切り、かなり離れた場所まで飛び続けた。それからやっと上昇して王都の広場を目指して引き返した。
「やった! 群れを誘導できた! 白首のおかげだわ」
アイリスは仲間のところへ戻るために最高速度で飛んだ。顔が自然と笑ってしまう。
◇ ◇ ◇
アイリスを先頭に、全ての巨大鳥が森へと戻った。防鳥壕の中に避難していた訓練生と王空騎士団は、これで宿舎へと戻ることができる。
一番最初に怪我人が医務室に運ばれ、診察され、幸い誰も命に別状はないと診断された。
王城で一部始終を見ていた国王ヴァランタンが、戻ってきた王空騎士団団長のウィル、招集した軍務大臣のダニエル、トップファイターに制圧された第一王子ジェイデン、国王と一緒にいた第二王子ディラン、宰相のルーベンの合計六人で集まっていた。
ジェイデンは王子でありながら後ろ手に縛られており、殺気立った顔をしている。
「ジェイデンよ。謹慎中の身で、あのような事態を招いた罪は重い。第一王子の身分を剥奪し、今後は南端の領地で謹慎せよ。命ある限り指定された地区から出ることを禁ずる。従者たちと共に暮らすが良い。この国の次の王はディランとする」
ジェイデンは暗い眼差しで父を見た。
「父上、そんなことはできませんよ。大陸の覇者、マウロワ王国の王女を平民の妻にさせるわけにはいかないでしょう。フェリックス殿下もマウロワ国王も黙ってはいないはずです」
「残念だが、そうでもない。フェリックス殿下も巨大鳥の騒乱を見て大変に驚いていた。『あのような鳥と共存しているこの国に妹を置いては帰れない』とおっしゃってな。ミレーヌ王女を連れ帰るそうだよ」
「そんなっ!」
ヴァランタンは憐れみの滲む表情を一変させて息子を怒鳴りつけた。
「自分がどれほど民を危険に晒したかわからんのかっ! あれほどの興奮状態では、軍は言うに及ばず王空騎士団も動くことができなかった。恐れをなした民が皆家の奥深くに隠れていたからよかったものの、万が一子供や具合の悪い民が外にいたら……」
「渡りの季節に外に出る者が悪いのではありませんかっ!」
声を裏返して叫ぶ息子を、ヴァランタンは冷たく見返した。
「やはりお前は王になる器ではなかったようだ。残念だよ、ジェイデン。衛兵、ジェイデンを北の塔に幽閉せよ。ジェイデン、窓には鉄格子がはめられておる。もう逃げ出せないぞ」
「巨大鳥は弓矢で討伐できます! もっともっと弓兵を養成し、一度に殺せばよいのです! 父上! 考え直してください!」
「衛兵、連れ出せ」
「父上!」
もう自分を見ようとしない父の様子に怒りと絶望を表しながら、ジェイデンが部屋から連れ出された。
「陛下、軍の弓兵の行動は私に責任があります。弓兵は死罪とし、私はこの場に辞職の覚悟で参りました。私もこの命をもって、お詫びいたします」
「ダニエル。弓兵たちはジェイデンに命じられて断ることができなかったのだ。最大の責任はジェイデンを育てた私にあるのだよ」
「しかし、討伐は中止と伝えてあったにもかかわらず、軍に無断であのようなことをしたのですから、何かしらの処罰は必要です。他の者への示しがつきません」
「ふむ」
考え込むヴァランタンにウィルが発言を求めた。
「陛下、我が王空騎士団の訓練生も、ジェイデン殿下の脱出に協力しました。私の責任です。団長の座を辞して……」
「待て。二人ともそう慌てるな。これからジェイデンを持ち上げてきた討伐派の貴族たちへの処罰を決め、そやつらの貴族籍を剥奪するのだ。新たに他の貴族たちの爵位を上げる仕事もある。今、お前たちに去られては困る。我が息子の愚行ではあったが、討伐派の貴族を一掃するきっかけになった」
そこでヴァランタンは軍務大臣ダニエルに顔を向けた。
「ダニエル、空賊退治は今まで王空騎士団が中心になっていたが、今後は弓兵を増やして使ってみるのはどうだ。接近戦が苦手な弓兵だが、試す価値はある。死刑にするよりそのほうが有効というものだ。そしてルーベンよ」
「はっ」
「慣習に従えば、その訓練生の少年は片足を切断、だな。だが、まだ十五歳だ。国境空域警備隊に所属させるのではどうだ? あそこで徹底して鍛えさせよう。ただし、その者の家族は王城の下働きとして監視下に置く。再び国の指示に逆らえば、家族全員が処罰を受ける、と伝えよ」
「はっ」
「その少年はジェイデンが国王になれば重用されると思ったのだろうが、もうその望みは消えた。その上王空騎士団にも入れない。その上十五歳の足を切るのは、恨みの火種を残すだけだろう。かと言って死刑は気が進まぬ。我が息子の育て方に失敗した身ではなおさらだ」
ヴァランタンは独り言のように語り出した。
「それにしても……すべての巨大鳥を引き連れて飛ぶアイリスは、まこと、女神のようだったな。人間にあのようなことができるとは……」
その場にいた全員が無言でうなずいた。
実はこの日、あまりにすさまじい巨大鳥たちの声を聞いて、数十万の王都の人々は「なにが起きているんだ!?」と窓やドアののぞき窓から必死に外を見ていた。
七、八百羽の巨大鳥を森へと誘導するアイリスはまさに女神の申し子であり、聖アンジェリーナの再来に見えた。
「女神の申し子、アイリス様!」
どの家でも民たちがそう呼び、感謝の祈りを捧げていた。





