76 巨大鳥(ダリオン)の叫び
巨大鳥は一羽ずつ広場の家畜を捕まえる。複数が同時に広場に降下することはない。獲物を手に入れる順番は、その群れの強い順ではないかと言われている。
今朝も巨大鳥が三つの群れに分かれ、順番に家畜を持ち帰った。
最後の群れの最後の一羽になったとき、アイリスは広場を挟んで城の反対側にある建物の窓が開き始めたのに気がついた。
「なんで窓を開けてるの? 巨大鳥に突入されたら危ないのに」
アイリスのすぐ下に浮かんでいたのはギャズ小隊長だ。アイリスはギャズの隣まで下りて、窓が開けられつつある建物を指さした。
「ギャズさん、あれ、なんですか? 窓が開けられていますけど」
ギャズがアイリスが指さす方を見た。
そして「ふざけんなっ!」と語気鋭く怒りを吐き出し、ファイターたちに向かって大きな声で指示を出した。
「長弓で巨大鳥を狙っているヤツらがいるぞっ! とっ捕まえろ!」
そしてアイリスに向かって「アイリスはここにいろ!」と叫ぶなり、自分も開けられている窓に向かって突進した。
ギャズの声に反応して、各小隊の一名か二名を残し、ファイターたちが無言ですっ飛んでいく。最後の一羽は残った者が対応しろ、ということらしい。全く指示がなくてもファイターたちは意思の伝達ができているかのように連携を取って動く。
最高速度で飛んで行くファイターたちは全員剣を抜いていた。
ギャズの声に驚いた巨大鳥が、つかみ上げようとしていたヤギから離れ、羽ばたきながらゆっくり上昇し始めた。
アイリスはもう一度目を凝らして窓を見る。
五階建ての建物の四階部分に窓が並んでいて、今はもう全部の窓が開け放たれていた。四つの窓から身を乗り出し、八人の射手が並び立って長弓を構えている。
「だめ! だめ! 巨大鳥を攻撃したらどうなるかわからないのに!」
ファイターたちが全速力で飛んでいたが間に合わなかった。ゆっくり上昇し始めた巨大鳥を目がけて長弓から八本の矢が放たれた。
「ああっ! ファイターもいるのに! なにやってるのよっ!」
叫んだのはアイリスだけではない。広場上空にいる王空騎士団員たちが怒りのうめき声を漏らした。
八本の矢が緩い弧を描いて飛んで来る。
建物に向かっていたファイターも巨大鳥も、身を翻して矢を避けたが、一本の矢が巨大鳥の片脚に深々と刺さってしまった。
巨大鳥の体の大きさに比べたら矢はあまりに細く小さいものに見えたが、巨大鳥は空中でバランスを崩し、広場の家畜たちの中へと落下した。
慌てふためく家畜たちの中で、巨大鳥は大きな翼をばたつかせている。
(どうしよう! 矢が刺さった!)
少しの間もがいていた巨大鳥が動きを止めた。
空に向かって首を伸ばし、全身に力を入れている。首を一周している白い飾り羽が、逆毛を建てたように立ち上がっていた。
巨大鳥が腹の底から声を絞り出すようにして、鳴いた。
「キイイイイイイイイイイイイッ!」
その声が空に向かって放たれたとたん、広場周辺に残っていた十名ほどのファイターたちは耳を塞ぎながら、身を折るようにして落下し始めた。
ゆっくりふらふらと落ちる者もいたが、一直線に落ちて石畳に叩きつけられた者もいる。
「キイイイイイイイイイイイイッ!」
巨大鳥は叫び続ける。
空中にいたファイターたちは今、全員が石畳の上でもがいている。両手で耳を押さえながら金属的な悲鳴に苦しんでいた。
アイリスも急いで耳を塞いだものの、急激に飛翔力が弱るのを感じる。ありったけの力を出してバランスを取り、落下を防ぐ。どうにか空中で踏みとどまることができた。
「痛い……痛い……痛い……」
ハァハァと荒い呼吸をしながらも、耳の奥の痛みを堪える。耳の奥が太い針を刺されたように痛む。頭の奥も殴られたように痛い。
巨大鳥の悲鳴は止まったが、空中に浮いているのは今、アイリスだけだ。
先輩ファイターたちは全員落下している。
「大変! こんな状態で巨大鳥たちが戻ってきたら、全員殺されちゃう!」
歴史の授業でルーラが教えてくれた、六十年前の討伐隊全滅の話を思い出した。
『討伐隊は巨大鳥を殺すことはできず、軍人と飛翔能力者はほぼ全員が連れ去られました』
それを思い出した瞬間、アイリスは広場に向かって突っ込んだ。
石畳の上で苦しんでいるファイターをフェザーに乗せ、見学用の防鳥壕まで運ぶ。いつもならどうってことのない大人一人分の重さが、酷く重く感じられる。
防鳥壕には今日も見学している訓練生たちがいるから、アイリスは入り口の前までファイターを運んで防鳥壕の前にファイターを転がした。
「中に入れてあげて! 飛べる人は救助に向かって!」
叫んでから気がついた。防鳥壕の中の訓練生たちも、耳を抑えて床に転がっているかうずくまっている者がほとんどだ。
「飛べなかったらせめて先輩を中に引っ張ってあげて!」
何人かの訓練生が耳と頭の痛みに顔をしかめながらも動いた。呻いているファイターに腕を伸ばし、三人がかりで中へと引っ張り込んでいる。それを最後まで確認することなく、アイリスは次のファイターを助けに飛んだ。
弓兵に向かっていたファイターたちが大急ぎで戻って来た。
戻ってきた全員が地面で苦しんでいる仲間を自分のフェザーに乗せようとしている。
アイリスも二人目のファイターを自分の青いフェザーに乗せようと転がしているとき、柵の中の巨大鳥がまた首を伸ばした。首の白い羽が立ち上がっている。
「耳を塞いで! 早くっ! 耳を塞いでくださいっ!」
自分も耳の中に強く指を突っ込みながら、全力で叫んだ。
アイリスの叫びを聞いて、仲間を救出中のファイターたちもその手を止めて耳を塞ぐ。柵の中の巨大鳥が、また金属的な声で叫んだ。
「キイイイイイイイイイイイイッ!」
耳を塞いでも侵入してくるその叫び声は、もはや声というより音の暴力だ。
今回は全員が地面に下りていたから落下する者はいなかったが、救出していたファイターたちは耳と脳の痛みで動けずにいる。
「ハアッ、ハァッ、ハァッ。痛い、痛い!」
耳の奥が痛い。だがそんなことは言っている時間の余裕がない。
アイリスは力の入らない身体で二人目をフェザーに乗せて防鳥壕へと運んだ。アイリスの後ろから声が聞こえてくる。
「くそぉぉ! 耳が痛え!」
「ケインさん」
「これだな、討伐隊を全滅に追い込んだ原因は。早くしねえと群れが戻ってくるかもしれねえ!」
返事をする時間ももったいなくて、アイリスは二人目を防鳥壕の前に転がすと三人目を救出に向かった。ケインもファイターを防鳥壕の前に転がし、訓練生たちに引き渡した。
耳を塞いでいたファイターたちは、ダメージを受けたものの立ち直り始めている。最初にもろにあの声を聞いてしまったファイターたちは、立ち上がろうとするがふらついている。
アイリスが三人目をフェザーに乗せようと大柄なファイターの身体を転がしているときだ。上空から声が降ってきた。
「アイリス! 無事か!」
「サイモン!」
フェザーに乗って駆け付けたサイモンは制服を着ていない。広場の防鳥壕にいなかったおかげで叫び声にやられなかったらしい。サイモンはすでにファイターの身体をフェザーに乗せていた。
「早くしないと巨大鳥が来るぞ!」
サイモンの視線を追って西の空を見上げると、空を黒く染めるような数の巨大鳥の群れが小さく見えた。
「大変!」
全力で先輩ファイターをフェザーに乗せようと悪戦苦闘していると、団長のウィルが飛んできた。
「私が乗せる。アイリスは防鳥壕に避難しろ!」
ウィルの命令を聞いて広場を見る。
最初に落下したファイターたちは、戻ってきたファイターたちの手によって、全員がフェザーに乗せられて運ばれているところだった。
(よし、戻ろう)
そう思ったときにはもう、巨大鳥たちが広場の上空に迫りつつあった。
「ギャアアアアッ! ギャアアアアッ! ギャアアアアアッ!」
すべての巨大鳥が怒りの声をあげながら広場の上空で渦を巻くようにして旋回しはじめた。七百羽から八百羽いる巨大鳥が全て叫んでいるのだろう、その叫び声の大きさは、もはや鳴き声というより音の嵐のようだった。





