70 薪小屋の少女
王都の街路から人の姿がほとんど消えた。
一階部分はまだ塞がれていないドアや窓はあるものの、巨大鳥が来てしまった。
どの家も、二階や三階の窓は壁に設けられている鉄のフックに分厚く重い板を次々と差し込み、手早く窓を塞ぎ終わっている。
人々は食べ物や飲み水の準備ができていない中、家の奥で静かに息を殺していた。
ファイターの一人が団長ウィルのところに飛んできた。
「報告いたします。巨大鳥の森に群れが到着しました。現在二百羽ほどです」
「最初の群れが到着したか」
ウィルが広場を険しい顔で見る。まだ家畜の数は五十頭ほど。
家畜の数がまるで足りない。
「カミーユ、家畜の手配はどうなった?」
「今、大急ぎであちこちの農場から荷馬車で集めています。もうすぐ準備が完了します」
「どうにか間に合うか」
「はい。討伐作戦も中止になりましたし、今回もいつも通りになるかと」
「討伐作戦の中止は、ありがたい。早すぎる渡りに感謝しないとだな」
「全くです。やはりこの暖かさのせいですね」
「こんなことがあったと記録しておかないとな」
あちこちから荷馬車がやって来ては家畜を広場の柵の中に入れていく。入れ終わると全員が大慌てで帰る。御者をしている農家の人々はさぞや恐ろしい思いをしていることだろう。
どうにか広場にはいつもの数の家畜が集められた。まるでそれを待っていたかのように巨大鳥の森から巨大な鳥たちが飛んで来た。
ギャッギャ、ギイイエエエと空腹を訴えながら飛んでくる。
「我らの出番だ、行くぞ!」
「おう!」
およそ百名の飛翔能力者たちが一斉に上空へと浮かび上がる。アイリスはいつも、この瞬間とこの景色に胸がいっぱいになる。
「私も飛びたいなあ」と思いながら見上げていた、あの集団に自分が入っていることに胸が高鳴る。
打ち合わせはなく、慣れた感じに団員たちが広場の上空に分散し、アイリスは囮役としてファイターたちより上空に浮かんで待機した。
(白首は……この群れにはいないのね。この後の群れかな)
そう思いながら眼下の広場を見ると、一羽の巨大鳥が住宅街へと飛んでいくのに気づいた。
すでにファイターたちが同じ方向に数名、飛んで向かっている。アイリスも高速で巨大鳥の進行方向へと飛び出した。
巨大鳥が向かう先は、平民の住む地区だ。
ファイターが巨大鳥の前に飛び出し、煙を巻いている。だが巨大鳥はあまり気にすることもなく薪小屋の上に着地した。
(あの中に人が隠れているってこと?)
薪小屋は雑に作ってある。人間が隠れたところで屋根を剥がされたら終わりだ。
「アイリス、行けるか?」
「行けます!」
ギャズの問いかけにアイリスは即答した。
「よし、俺が煙幕を張る」
「僕も行きます」
マイケルが近くに来て視線を小屋に向けたまま言う。
ギャズ、マイケル、アイリスの三人が薪小屋に向かって突進する。
他の第三騎士団の仲間が援護の位置に移動していた。ギャズの指示無しで流れるような連携で動いている。
(騎士団自体がひとつの生き物のようだわ)とアイリスは思う。
巨大鳥が薪小屋の屋根に乗って、木の板で葺かれた屋根を剥がし始めた。アイリスが加速して、ギャズとマイケルを引き離す。小屋の中から子供の「きゃあああっ!」という悲鳴が聞こえた。恐怖のあまりに子供が小屋から飛び出したら食われてしまう。
「中にいる人は動かないで! そこにいてください!」
アイリスが呼びかけると、巨大鳥が屋根にくっつけていた頭を起こした。黒い目がアイリスをヒタと見上げる。巨大鳥が薪小屋の獲物とアイリス、どっちを襲おうかと迷っているのが見て取れた。
「来い! 私はここよ!」
わざと巨大鳥の目の前でフラフラとフェザーを揺らした。
(私のフェザーの鮮やかな青い色を、巨大鳥は見分けられるのだろうか)
鮮やかな青が相手の気を引ければいい、と思う。
黒く丸い目玉を振り返って見つめながら、アイリスはいつでも飛び出せる用意をした。
ギャズが煙幕を張り始めた。
ムッとする嫌な臭いが漂ってくる。何度嗅いでも慣れることがない不快な臭いだ。
ギャズは左手に煙を出す筒、右手に剣。マイケルは万が一アイリスが出遅れた場合に備えて剣を構え、すぐ近くに浮かんでいる。
マスクの中、煙の臭いを嗅がないで済むように口で呼吸をしながら振り返る。巨大鳥がスッと翼を広げた。
(来る)
アイリスはいつでも飛び出せるように、後ろに置いてある左足をジリッと動かした。
ギイイエエエ! と叫びながら屋根を蹴って飛び立つ巨大鳥。
バッサバッサと大きな翼を羽ばたかせながらアイリスに迫る。ギリギリまで待って、アイリスは急角度で上昇した。
あまり引き離すと巨大鳥は薪小屋に戻ってしまう。なるべく近い距離で誘導するのが囮役の腕の見せ所だ。アイリスは巨大鳥の目と鼻の先でジグザグに飛んだりくるりと回転したりしながら巨大鳥を誘導する。
「アイリス、この先は俺たちがこいつを足止めする!」
「私は薪小屋に戻ります」
「頼んだ!」
新人過ぎるアイリスはまだ声をかけてもらうことが多い。
ギャズの声に送られて、アイリスはその場で急上昇した。一度かなり上空に昇ってから薪小屋へと急降下する。そのほうが今引き離した個体の興味を引かない。
下に向かいながら小屋の前の家を見ると、ドアがわずかに開いて夫婦が顔を覗かせている。早く子供を救出しないと、親が心配のあまりに外に出て来そうだ。焦る。
大急ぎで着地して薪小屋の中を見ると、白い子猫を抱いた少女が空と自分の家を見ている。少女もまた、どうしたらいいのか迷っている様子。
(間に合った。よかった!)
なるべく優しい声を心掛けて呼びかけた。少女はさぞかし恐ろしい思いをしたはずだ。
「よかった、無事ね。こっちにいらっしゃい」
少女がアイリスの声を聞いてビクッと身体をこわばらせてからこちらを振り返った。
「さあ、早く。私の前に乗って」
「はいっ」
少女が子猫を抱えて引きつった顔で走ってくる。地面から数センチ浮いているフェザーに乗り、「わっ」と小さな声を出し、アイリスを振り返って見上げた。
「もう大丈夫よ」と安心させるように笑顔を見せ、言葉をかけながらフェザーを発進させた。
一刻も早く。
巨大鳥が戻ってくる前に。
アイリスのフェザーは滑らかに進み、あっという間に玄関の前に到着した。
「キャロル! キャロル!」
父親が裏返った声で叫んでいる。アイリスは少女を抱きしめていた腕を緩めた。
「巨大鳥がいるときに外に出てはだめよ」
最後にそう声をかけてフェザーを上昇させる。広場の上空ではギャズとマイケルが巨大鳥を相手にひらりひらりと飛んでいる。
「あの巨大鳥を引き離さなきゃ」
アイリスは仲間に向かって全力で飛び出した。
プロローグ部分の、アイリス視点の回でした。





