7 フォード学院
能力判定の日から五年が過ぎ、アイリスは今十五歳。フォード学院の入学試験に合格し、今は学院の四年生だ。
フォード学院は国立で、徹底した実力主義で五年間。新学期は渡りの季節が終わったあとの五月から始まる。
各学年は三クラス。毎年クラス分けされ、実力主義ゆえに身分は関係なく、成績順にABCと分けられる。アイリスは一年生のときからずっとA組だ。
「アイリス、今日から新学期ね。もう四年生なんて、早いわね」
「お母さんたら、毎年同じこと言ってる」
「フォード学院に入学して無事に卒業したという経歴は、卒業生の人生を明るく照らしてくれるから。頑張りなさい」
生徒はほとんどが貴族で、ごく少数が平民。優秀かつ経済的に余裕のない平民の子女には王家から返還義務のない奨学金が支給される。
その代わり、卒業後は国の仕事に就くことが条件だ。「優秀な人材を見逃さないのも王家と国の役目」ということである。ルビーも奨学生だったしアイリスも奨学生だ。
新学期初日の今朝、アイリスは役所で働いているルビーと一緒に家を出た。学院の前で二人が立ち止まる。
「アイリス、行ってらっしゃい」
「行ってきます、お姉ちゃん」
ルビーは笑って手を振り、アイリスも片手を上げて別れた。
学院の教室は教壇が一番下にある階段状。
そこに三人が着席できる長机と長椅子が並べられている。アイリスは中ほどの高さの列、窓際の席に座った。
続々とクラスの生徒が教室に入って来て、みんな適当に席に着く。知っている顔も知らない顔もいる。
アイリスは放課後に家事の手伝いや父の商会の手伝いをするので、放課後に同級生と過ごすことがない。誘われたところでお小遣いを持たされていないから、どこかでお茶をすることもままならない。
だから、アイリスには友人と言えるような付き合いの生徒がいない。
アイリスの周りは空席だったが、鐘の音が鳴り始めたのと同時に最後の生徒が入って来て、アイリスの斜め前に座った。
(あっ。あの人だ)
あの人とは、判定の日にフェザーを飛ばした男の子。飛翔能力者として学院でも有名な、サイモン・ジュールだ。
(サイモンに声をかけようか。でもサイモンは私を覚えていないだろうし、いきなり声をかけて不審がられたら恥ずかしい)
迷っているうちに、始業の鐘が鳴り終わった。
鐘が鳴り終わるのと同時に、一人の女性が教室に入って来た。
栗色の髪を顎のラインで切り揃えた髪型。白い肌に赤いフレームの眼鏡。女性は、すっきりとしたデザインの上下に分かれた灰色の服を着ている。
(髪型も服装もかっこいい。うちの商会でもあの服を取り扱ったら売れるんじゃないかしら)
アイリスがそんなことを考えていると、その女性がよく通る声で話を始めた。
「Aクラスの皆さん。進級おめでとう。私はこのクラスを一年間担当するルーラです。私の授業は我が国の歴史、特に『巨大鳥とこの国の関わり方』が専門です。本日は私の授業からです」
一気にそこまで言ってルーラは生徒の名前を呼び始めた。
名前を読み上げ、一人一人の顔を確認し、教壇から指示棒を使って端から順番に生徒を座らせる。
今年も成績順に座らせるようだ。
「アイリス・リトラー」
「はいっ!」
「そこの席へ」
アイリスは学院でずっとトップの成績。最前列の窓際の席を指示された。
もはや指定席のようになっている最前列の角の席に移動し、(サイモンの席はどこだろう)と見ていると、彼はアイリスの後ろの席だ。それだけでもう、アイリスは緊張してしまう。
あの試験の日からずっと、アイリスの心には美しく飛ぶ彼の姿が住み着いている。
やがて全員が指示された席に座り、授業が始まった。
「この国の歴史を語る上で巨大鳥のことを省くことはできません。もう習っていることでしょうが、基礎のおさらいをします。巨大鳥のことで知っていることを答えなさい。ガスパー」
「はい。巨大鳥は翼を広げると、端から端まで七メートルから八メートル。肉食です。嘴の先から尾羽の先までは三メートルほどあります」
ルーラは無表情にうなずいてガスパーを座らせる。
「渡りの期間はいつからいつまでですか? オーロラ」
「巨大鳥は六百羽から七百羽ほどがいくつかの群れを作ってやって来ます。春は三月下旬から四月中旬までのどこかで、秋はだいたい八月下旬から九月上旬くらいまでの間にやってきます」
「よろしい。巨大鳥の繁殖地は?」
「終末島です。人が住んでいません。巨大鳥島も同じく無人です。ちなみに、巨大鳥は渡りの季節以外は単独で行動します」
ルーラは名簿を見ながらアイリスを見た。
「アイリス、巨大鳥はなぜ我が国にやってくるのですか」
「巨大鳥は南の巨大鳥島に棲んでいますが、繁殖期には北の終末島に移動します。グラスフィールド島は、そのちょうど中間の位置にあり、休憩地点になっています」
「彼らの寿命は?」
「過去の観測によると、少なくとも三十年以上は生きると言われています」
質問の時間はここまでらしく、ルーラは名簿を教卓の上に置いて生徒を見回した。
「よろしい。我が国は千年ほど前まで、巨大鳥を神聖視して人間の生贄を捧げていました。ですが、今はそんな野蛮なことはしていません。巨大鳥用に育てた豚とヤギを差し出して人的被害を防いでいます」
話しながら、ルーラは大昔に描かれた生贄の人間とそれを連れ去る巨大鳥の絵を皆に見せた。
描かれている場面は鮮やかな色が使われ、様式美を感じさせる古風な絵だ。それでも女子生徒の中には絵から視線を背ける者も何名かいた。
最初に見せられた絵には、巨大鳥につかまれて連れ去られる人や、地面に押さえつけられて肉を食われている人の姿が描かれている。
それが三枚、四枚と進むうちに、家畜を運んでいる様子やファイターが巨大鳥の周りを飛んで誘導している絵に変わっていく。
最後のほうに提示された絵は、画家が描いたらしい。写実的な巨大鳥が飛んでいる姿が紙一杯に描かれている。次の絵は両足を前に突き出し、翼を広げて獲物に飛び掛かる姿。アイリスはそれに見覚えがある。
自分たちに向かって、低く滑空しながら飛んでくる巨大鳥は、翼を広げてスピードを落としながら、足を自分たちに向けて突き出していた。
(あのとき、王空騎士団がいなかったら、私とお姉ちゃんは巨大鳥に運ばれ、食べられていたんだ)
そう思うとブルッと身体が震えた。
壇上ではルーラの講義が続いている。
「学習能力の高い巨大鳥は差し出される家畜の味と提供される場所をちゃんと覚えています。毎年王都の近くの『巨大鳥の森』で休憩し、餌のある広場を目指します」
一人の少年が手を挙げた。
「先生、どうして巨大鳥を王都に集めるのでしょうか。他の、あまり人がいない場所に集めればいいと思うんです」
「ええ、そうしていた時期もありました。ですが、現在、人口密集地である王都にわざわざ巨大鳥を招く場所を設けているのには理由があります」