66 比喩だらけの本とサイモンの帰還
アイリスは空き時間のほとんどを読書に費やしている。
読みながら、ゾーエ神殿長が、なぜ最初の一冊として渡したのが『巨大鳥の恩恵』なのかを理解した。
その本は、七百年前に突如能力を開花させた聖アンジェリーナについて、『常に近くにいた人』が書き記した内容だった。
しかし、内容がとてもわかりにくい。
七百年前の文章は、とにかく比喩が多くて(結局なにがどうなったの?)と思いながらメモを書きとった。それでもわかった文も少しはある。
『アンジェリーナは特別な巨大鳥と共に終末島へ渡った』
『彼女はそこで、巨大鳥の果たしている役目を知った』
『巨大鳥がいなければ、この国は滅亡するだろう』
比喩の多い文の中で、どうにか読み取ったその三つの文に首を傾げる。
「だから巨大鳥の役目ってなによ。なんで一番大切なことをズバリと書かないのかしら。まだるっこしいわね」
『アンジェリーナがその目で見たことを王に報告するも、王は巨大鳥の討伐を命じ、結果ほとんどの能力者が巨大鳥たちに連れ去られた』
「七百年前も討伐しようとしたのね? そのあとは延々と残酷な描写が続いてる。巨大鳥にどうやって襲われたか、びっしり……」
気分が悪くなるのを我慢しながら、アイリスは羊皮紙をめくり続け、最後の最後にその文章にたどり着いた。
『巨大鳥はエンドランドで卵を産み、雛を育てる間に、膨大な数の『それ』を食べる。巨大鳥が来なくなれば、『それ』は限られた土地で増え続け、食物を全て食い尽くし、餌を求めて新たな土地へと飛び立つだろう。よって我々は巨大鳥を殺してはならない。巨大鳥は世界の均衡を保つ要である』
「この『それ』ってなんだろう。巨大鳥が繁殖時に食べるもので飛ぶって……鳥でしょうけど、世界の均衡を保つ要? それに、この本を書いた ヴィクトールって人は、どんな人なんだろう。オリバーならヴィクトールを知っているかしら」
しばらく考えていたが、もう深夜だ。アイリスは書きとったメモを折りたたんだ。
翌日。メモを申し子役の白い服の袖の中に入れて、オリバーの従者を探した。従者は壁際に立ってアイリスを見ていたので、手招きをすると、従者は急いで握手の列に並んだ。
アイリスは握手をしながら彼の手の中にそっとメモを渡した。
「必ずオリバーに渡してください」
「かしこまりました」
小声で素早くやり取りをして、アイリスは次の信者へと笑顔を向けた。オリバーの従者は何事もなかったような表情で神殿を出て行く。アイリスは女神の申し子らしい穏やかで明るい笑顔を向けながら、次の信者へと声をかける。
「ようこそグラスフィールド大神殿へ」
アイリスに会えて感動している農民らしい夫婦は握手を求めてきた。アイリスは愛想良く握手をし、「皆様を守るために、全力で飛びたいと思っております」
女神の申し子役は自分に与えられた仕事としてこなしているが、その言葉は本当の願いだ。
◇ ◇ ◇
「今日から二月だわ。メモを渡して十日になるのに、オリバーからは何も返事が来ない。どうしたのかしら。さすがの天才もあの比喩だらけの内容に苦戦しているのかしら」
真冬なのに相変わらず気持ちが悪いほどの暖かさが続いている。
アイリスはサイモンの見舞いに行きたくても行けずにいた。ゾーエ神殿長に釘を刺されている。
「あなたが見舞いに行っても怪我の回復は早まりません。マウロワの王子があなたを奪いに来る前に、あなたは女神エルシアの申し子であることを徹底して信者に印象付けるべきです。自分の役目に専念しなさい」
「はい」
アイリスはサイモンに会いに行きたいなどと申し出てはいない。だがゾーエはアイリスの様子で気持ちを見抜いたらしい。信者がいなくなった礼拝堂で、アイリスにそう注意した。
(ゾーエ神殿長は正しい。サイモンを心配しながら働いていたのを、見抜かれてしまったのね)
アイリスは胸の内を誰にも悟られないように振る舞っていたつもりだったから、お見通しのゾーエの注意に返す言葉もない。
ゾーエに注意をされた数日後、信者の握手の列に王空騎士団事務員のマヤが混じっていた。マヤは握手をしながら、小声で「サイモンが馬車で戻ってきたわよ」とアイリスに告げた。
マヤはそれだけを言って握手を終え、離れて行く。アイリスは(ありがとうございます)と心の中で礼を言い、マヤを見送った。
仕事を終えた夕方、大急ぎで食事を済ませたアイリスは騎士団の訓練所にフェザーで駆け付けた。わずかな自由時間の間に帰って来なければと焦っている。
(サイモンは無事に治ったのだろうか。飛べるのだろうか。傷は全てちゃんと塞がったのだろうか)
王空騎士団の建物に駆け込み、マヤに声をかけた。
「サイモンに会えますか?」
「会えると思うわよ。ちょっと待っていてね、声をかけてくるから」
マヤが宿舎へと向かってサイモンが来るのを待つ間、心配のあまりに手のひらに汗が滲む。
(まだかしら。なんでこんなに時間がかかっているんだろう)
不安で胸がいっぱいになりかけたころ、杖をついたサイモンがドアを開け、ゆっくりとロビーに入ってきた。その顔を見て、アイリスの胸がギュッと締め付けられる。
サイモンの顔の傷は無事に塞がってはいるものの、新しい赤い傷口はわずかに盛り上がり、眉間から口の脇までくっきりと残っている。深く斬られた腿の傷はズボンを履いていて見えないが、杖をついてゆっくり歩いているところを見ると、まだ思うようには動けないらしい。
(歩くと痛いんだろうか)
「サイモン! よかった。歩けるようになったのね?」
「ああ。どうにか。だけど、まだうまく飛べないんだ。飛翔力の制御が上手くいかなくてさ。でも、僕が王空騎士団に入団するまでにはたっぷり時間があるからね。元通りに飛べるよう、頑張るよ」
自分を励ますような言い方をして、アイリスに笑って見せるサイモンが切ない。アイリスの目に涙が滲む。
「心配かけたね。ごめんね、アイリス」
「ごめ……ごめんね……涙は安心したからだと思う」
本当はそれだけではない。
わずかな数の飛翔能力者で巨大鳥を制御しなくてはならないこの国の状況も、船を守るために自分が空賊たちを海に叩き落したことも、空賊には空賊の事情があることも、大好きなサイモンが大怪我を負わされたことも。
十五歳のアイリスが受け入れるには複雑で大きくて、解決の糸口が見つからない。気を緩めると絶望で押し潰されそうになる。
「なに……なにもかも……複雑で……難しい」
「空賊の存在のこと? それともマウロワの王太子のことが不安なの? 落ち着いて。君が連れて行かれたりしないよう、僕は手を考えているし、みんなも考えている」
アイリスは小さく頭を振った。
「それもあるけど、それだけじゃなくて。いろんなことがありすぎて、私、いっぱいいっぱいなんだと思う。サイモンがこうして王都に戻って来てくれて、ちゃんと生きていて、嬉しいと思ったら気が緩んだの」
「そうか……。アイリスは能力が開花してからは、ずっと怒涛のような毎日だったからね」
「うん」
サイモンはロビーを見回し、周囲に人がいないのを確認してからひそひそ声で話しかけてきた。
「アイリス、よく聞いて。次の渡りで『巨大鳥討伐隊』が動くらしい」
「王空騎士団はどう動くの? サイモン、なにか知っているの?」
「僕は昨夜ここに戻ったんだけど、すぐに父に知らせが行ったらしく、父が見舞いの名目で宿舎に来た。討伐反対派は、巨大鳥討伐隊が動いたら、その瞬間に制圧に動くそうだ。もちろん軍の討伐反対派も動く。君は巻き込まれないよう、隠れていてほしい。君は討伐反対派のシンボルだ。絶対に敵につかまってはいけないよ」
アイリスがぎこちないながらも笑ってみせた。
「いざとなったら空高く逃げるから私は大丈夫よ。それより、今の王家を倒して次は誰が王様になるの?」
「王家を倒すのではないんだ。国王陛下は討伐反対派だそうだが、ミレーヌ様の手前、表立ってはジェイデン王子を廃することができない。だから、反対派がジェイデン第一王子を廃して、ディラン第二王子を王太子の座に就ける計画だ」
「そんなにうまく行くのかな。マウロワ出身のミレーヌ様が怒ってマウロワに告げ口したら、戦争になるんじゃないの?」
「父は自信があるらしい。僕はこの有様だから、大人しく引っ込んでいるしかないのが悔しいよ」
アイリスが気になっていることを尋ねる。
「ねえ、サイモン、渡りはこの暖かさのせいで早まると思う? 私、神殿長の予感が当たるような気がしてならないの」
「僕たち、学院で『渡りの開始時期は日が出ている時間の長さが決める』って習っただろう? だから僕はまだ半信半疑だけど」
「そう……」
「南の海岸を担当している国境空域警備隊からの知らせを待つしかないよ」
「白首もまた来るんでしょうね」
「だろうね。団長たちは、もう少ししたら早めに帰ってくるはずだ」
団長たちが帰ってくる。ヒロもケインも。それだけで心強く感じる。
「ごめん、サイモン。私、こっそり出てきたからもう帰らなきゃ」
「わかった。会いに来てくれてありがとう」
アイリスはサイモンをそっと抱き締め、神殿へと戻った。





