63 首領ギヨムと王太子フェリックス
クレマンス号を襲った空賊は、グラスフィールドとマウロワ間の海域を主な狩場にしている。
綿密な計画など立てず、獲物を見つけたら襲うという雑なやり方だ。
空賊にはいくつかのグループがあり、あの日クレマンス号を襲ったのは、最大規模の空賊だった。
その首領ギヨムは二十七歳。首領と呼ばれるようになって五年。空賊の隠れ家で酒を飲みながら今日の戦闘を思い返していた。
今日は運が悪かった。
見つけた獲物は高品質の石炭を積んでいる船で、当然のように王空騎士団が警護していた。『皆殺しだ!』などと号令をかけたが、長時間戦えば自分たちは絶対に王空騎士団には敵わないことをギヨムは知っている。
王空騎士団は強いから、はぐれ者の集団である自分たちは正面切っては戦えない。数で圧倒してどうにか、というところだ。
それでも戦わずに逃げれば収穫を得られない部下たちの不満が募り、首領の位置を狙う人間が出てくるから戦ったまでで、そこそこの抵抗をしたらさっさと逃げるつもりだった。その計画が使えなくなったのは、あの三つ編みの少女のせいだ。
「あの小娘、容赦なく何十人も海に落としやがって。ひでえことをしやがる」
「親分、あれ、本当に女でしたか? 俺はあいつの動きがあまりに速くて、男か女か見分けられませんでした。髪を伸ばしている小僧っこじゃないですかねえ?」
「いいや。間違いない。あれは女だ。女の飛翔能力者なんて、この世にいるんだな。しかもとんでもない能力だった。今朝の戦闘で何人欠けた?」
「落下させられたのは四十人、うち十人はなんとか救い出しました。斬られたのは十一人です。落とされた奴の中には剣の腕が立つ者もいましたから、かなりの痛手ですぜ」
「ずいぶんやられたな……」
ギヨムがドン! とテーブルを叩いた。腹心の部下マルタンがビクッと身を強張らせる。
「あの小娘、次に会ったら絶対に殺してやる。絶対だ」
「へ、へいっ!」
ギヨムの不機嫌さに恐れをなしたマルタンはそそくさと部屋を出た。部屋のドアを開ければ、目の前には夜の海が広がっている。
ここは奥まった入江に浮かぶ船の上だ。
大小の船が数十隻、小さな入り江に停泊している。その様子は一見普通の漁港のように見えるが、船の乗り手たちは漁などしない。全員が飛翔能力者であり、空賊だ。
マウロワ王国でも飛翔能力者は生まれる。
だがマウロワでは飛翔能力者はさほど歓迎されない。
歓迎されない存在だから何人が生まれているのか、統計がとられることもない。国民の間では、ごくたまに生まれる、というぐらいの認識だ。
能力者は一度飛べば飛ぶことに執着する。空を飛びたがるあまりに一般的な地上の仕事に向かないことが多いと思われている。
空を飛んで小荷物や手紙を配達する仕事もあるが、そんな仕事は希望者が多いから、とんでもなく狭き門だ。
高い場所での仕事に雇われることも多いが、仕事中に能力を使い果たして落下し、命を落とす者も少なくない。訓練など誰もされておらず、訓練してくれる場所もない。飛び方も能力の使い方も、全員が独学の自己流だ。
飛翔能力者は重い荷物を大量に運べるわけではない。そして飛翔能力の個人差はとても大きい。
飛ぶことをやめられないから、公的な組織や農業漁業林業商業のどこで働いても気もそぞろになって上手くいかなくなる者が出てくる。
結果、流れ流れて空賊になる。ギヨムがそうだった。
「何が王空騎士団だ。偉そうに!」
グラスフィールド王国は、国を閉じている。人の出入りがほとんどない。
巨大鳥が年に二回飛んでくるおっかない国、良質の石炭が量産される国、ということぐらいしかギヨムは知らない。
だが、能力者が貴族扱いされるらしいことは噂で聞いている。この国では能力者は厄介者扱いされているというのに、だ。
『ああ、飛翔能力者か。うちでは間に合ってる。悪いが他をあたってくれ』
マウロワ王国ではそう言われ、就職を断られがちだ。
グラスフィールドでの待遇に比べたら、それがなんだか途方もなく理不尽な気がして、ギヨムは余計に王空騎士団が気に入らない。
ギヨムは最初、食い詰めた能力者を集めて少人数で船を襲って食い繋いできた。
それがいつのまにか首領と呼ばれ、百人を超える能力者が集まってしまい、彼らを食べさせることに追われるようになった。
「殺したくて殺しているんじゃない。襲いたくて襲っているんじゃない」
そう自分に言い訳していたのは最初の二年までだ。今では開き直って空賊をやっている。
(それにしてもあの娘。とんでもない能力だった)
ギヨムは金色の三つ編みの少女を思い浮かべながら強い酒を飲み干した。
◇ ◇ ◇
マウロワ王家の船がグラスフィールド王国を目指してる。
王太子フェリックスが乗る大きな白い船は、何枚もの真っ白な帆に風を受けて進んでいた。
メインマストには目的地であるグラスフィールド王国の国旗が掲げられ、船尾に近い位置の柱にはマウロワ王国の三日月と長剣が刺繍された国旗、船首にはマウロワ王家の紋章が掲げられている。
『この船の国籍はマウロワ王国、船の所有者はマウロワ王家、行先はグラスフィールド王国』ということが三枚の旗が示していた。
船に乗り込んでいるフェリックスの目的は女性の飛翔能力者を手に入れ、マウロワ王国に連れて帰ること。
フェリックスは晴れた空の下、甲板に出て海を眺めている。その傍らにはげっそりとした様子の同年代の若者が一人。
「海はいい。心が晴れ晴れとするよ、テレンス。船酔いは落ち着いたか?」
「もう腹の中は空っぽでございますが、まだ吐き気が」
「そうか。慣れろ慣れろ。船酔いに薬は効かぬ。船旅は始まったばかりだ」
「はあ。わたくしは船が苦手です」
侍従のテレンスは顔色が悪い。
船長が近くまで来て、二人の会話が途切れるのを待っていた。その船長が丁重な口調でフェリックスに話しかける。
「王太子殿下に申し上げます。船は一ヶ月後にはグラスフィールド王国の港に到着の予定です。風によっては三週間ほどで到着するかもしれません」
「そうか。風は順調そうか?」
「はい。今のところ、よき風に恵まれております。あちらの陸地が見えるようになったら、到着を知らせる狼煙は上げてもよろしいですか?」
「上げてくれ。事前通告なしの訪問だ。できるだけ礼を失するようなことはしたくない」
「かしこまりました」
船長は恭しくお辞儀をして引き下がった。
「いよいよだぞ、テレンス。一ヶ月後にはグラスフィールド王国に到着だ。やっと海が穏やかになってよかった。ここ数日、強風が吹いていたからな。その上、洪水や流行り病でずいぶん足止めを食わされたが、やっと出航できた」
「出発したばかりですが、私はこれほど地面が恋しいことはございません」
「弱音を吐くな。ときに、空飛ぶ乙女はどんな顔をしているのかな」
「美しいとよろしいですね」
「そうだな」
マウロワの王太子フェリックスは、目的の少女を手に入れられることを疑わず、ご機嫌で海を見ている。





