59 国境空域警備隊
大陸のマウロワ王国で天候の異変が続いている頃、アイリスたちの国グラスフィールド王国でも農民たちが天候の異変に不安を感じていた。
「この冬はやけに暖かいと思っていたが、一向に寒さが戻らないな」
「まだ一月に入ったところなのに草が芽吹き始めている」
「いつもより一ヶ月、いや二ヶ月近く季節が早い」
「こりゃあもしかして……」
農民たちは空を見上げて不安そうな表情になった。彼らが考えていることは、全員同じだ。
「巨大鳥も早く渡りを始めるんじゃないか」
「王都は巨大鳥の休憩地点だ。これから王都に向かうのは危険かもしれないぞ」
「聖女巡礼なら来年もできる。今年はもうやめておこう」
聖女巡礼で王都に向かう農民が一気に減り始めた。
すでに王都に到着している農民たちも、神殿でアイリスの姿を眺めながらその話をしていた。
「急いで帰った方がいいな。この冬は暖かすぎた。万が一巨大鳥が早く飛んで来たら、大変なことになる」
「渡りが始まる前に家にたどり着かなかったら、家畜の代わりに俺たちが食われる」
聖女巡礼をしていた地方の人間は、皆そそくさと帰って行く。
アイリスはいち早く信者の減少に気がついた。
「ゾーエ神殿長、信者さんたちの数が最近急に減ってきましたね」
「そうね。アイリス、あなた、その理由はわかる?」
「いえ……」
「今年の冬は暖かかった。そのうちいつもの寒さに戻ると思われていたけれど、暖かいままだわ。巨大鳥の渡りも早く始まるかもしれない。遠方から来ている信者たちは、それを恐れているの」
「巨大鳥の渡りが早まる……。それは大変なことでは?」
「ええ。巨大鳥に関して学者が書いた本には、渡りの開始は日の長さが決めると書いてある。でもね、私は学者ではないけれど、巨大鳥がエンドランドで雛を育てる以上、巨大鳥がエンドランドの餌の状態を無視するとは思えない」
「餌の状態……」
「動物は理屈ではなく、本能で動くわ。この暖かさでエンドランドの餌だっていつもとは状態が違うはずよ」
アイリスはこれまでそれほど会話をしてこなかったゾーエ神殿長が、巨大鳥や他の生き物の生態を深く考えていることに驚いた。
「神殿長は巨大鳥のことにお詳しいのですね」
「ここには巨大鳥に関して書かれた本が、ほぼ全て揃っているからね」
「そうなんですか! 知りませんでした」
ゾーエ神殿長はアイリスを促すように礼拝堂から奥の神殿長室へと歩き出した。
「エルシア教は、女神エルシアを信仰しているけれど、ここグラスフィールド王国のエルシア教は、エルシアだけでなく、聖アンジェリーナを大切にしています」
「大陸では聖アンジェリーナは知られていないのですか?」
「知られていますよ。ですが、聖アンジェリーナは巨大鳥から民を守り続けていた人物だもの。この国で神殿長を任されている以上、私は巨大鳥について詳しくないと説話はできない」
アイリスは居てもたっても居られない気持ちになった。ただの憶測であっても、今のゾーエの「巨大鳥が早く渡りを始めるかもしれない」という話を団長に知らせたかった。
「神殿長、今のお話を王空騎士団の団長に伝えてきてもいいでしょうか」
「団長さんは騎士団の建物にいるの?」
「いいえ、ええと、少し離れた場所で働いていらっしゃいます」
ゾーエが空賊と空賊退治のことを知っているかどうかわからない以上、空賊と言う言葉は使えなかった。
「今日中に戻ってこられるならいいわよ」
「ありがとうございます。全力で飛ばしてなるべく早く戻ってきます」
「あなたは空では怖いものなしなのでしょうけれど、それでも気をつけて」
「はい! ありがとうございます、神殿長様。行ってまいります」
アイリスはマスクとゴーグルを部屋から取ってくると、まだ神殿の庭に残っている信者たちの上をゆっくり大きく回って飛び、声をかけた。
「上から失礼いたします。信者の皆さま、どうぞ帰り道を安全に旅することができますように。皆様のご無事をお祈りしております!」
「アイリス様ぁ! ありがとうございます!」
「アイリス様もお元気で!」
「また来年ここに参ります!」
信者たちは笑顔でアイリスを見上げ、手を振った。アイリスも大きく手を振り、高い位置へと急上昇した。
地表にいる神殿長からはどの方向に進んだのかわからない位置まで上昇した。マスクとゴーグルを着用し、アイリスは西の海に向かって全速力で飛んだ。
「ああ、こんな速さで飛ぶのは久しぶり。気持ちがいい」
空には生き物の気配がほとんどないが、たまに普通の大きさのタカやワシが上昇気流に乗って円を描きながら飛んでいる。彼らは地表の獲物を探していた。巨大鳥がいないときのグラスフィールド王国は、自然の恵みの豊かな、平和な国だ。
それまで翼を広げてゆっくり舞っていたタカやワシは、フェザーですっ飛んで来るアイリスを見て、急いで逃げる。
「驚かせてごめんね」
鳥たちに詫びながら、アイリスは西の海を目指して跳び続けている。
高速で休みなしに飛び続けること数時間。遠くに煌めく海が見えてきた。
この前、白首を群れに戻すために飛んで見た海は、グラスフィールド王国の東に位置する海で、暖流が南から北へと流れている。
今見えているのは王国の西側と大陸の間の海で、北から寒流が南へ向かって流れている。
「海の色が少し違うのね」
初めて見る西の海は東の海より濃い色に見えた。
街道沿いに点在する集落が見え、次第に海辺の大きな街と港が見えてきた。団長にゾーエ神殿長の言葉を伝えるのももちろんだが、アイリスは騎士団のみんなに会いたかった。
「船がたくさん出入りしてる。王空騎士団の詰め所はどこだろう」
高度を下げながら、アイリスは港の周辺を探して跳んだ。
すると一人の飛翔能力者がアイリスに向かって飛んできた。知らない男性だ。着ている服は騎士団の制服ではない。デザインは同じだが、服地は薄い水色一色だ。年齢は三十代半ばくらい。赤みの強い茶色の髪の、たくましい体格だ。
アイリスは空中で急停止した。
「国境空域警備隊のジェイコブだ。君はもしかして……」
「王空騎士団のアイリス・リトラーです。団長にお伝えすることがあってまいりました」
「そうか、君が。団長は現在空賊退治の指揮をとっておられる。つまり海だ。君はとりあえず詰め所まで一緒に来てもらいたい」
「はい」
連れて行かれた詰め所には団旗もなく、一見普通の商会のような建物だった。
だが中に入ると、フェザー用のラック、予備のフェザー置き場、武骨な椅子が並ぶロビー、救護室の存在が王都の王空騎士団とよく似ていた。
ジェイコブがアイリスに椅子を勧め、自分も向かい側に座った。
空中で顔を合わせたときから気づいていたが、ジェイコブは右腕が肘の少し上からなかった。制服のその部分ははためくことがないよう、短く切り詰められ、袖口は縫い留められていた。
そのことに意識を向けては失礼だろうと、アイリスはジェイコブに視線を向けていたが、ジェイコブのほうから腕の話題を出してきた。
「腕は空賊にやられたんだ。彼らは粗削りで力任せの戦い方をすることがほとんどなんだが、俺のミスだよ。その結果、俺は王空騎士団を退団し、今は国境空域警備隊に所属している。見張りと連絡が主な仕事だ」
ジェイコブはいかつい見た目に反して、とっつきやすい人だった。
「そうなんですか。知りませんでした」
「この警備隊の存在は隠されてはいないが、積極的に知らせてもいないからね。王都の人間はまず知らないよ。それで、団長に知らせたいこととは?」
アイリスはゾーエ神殿長の話を伝えた。ジェイコブは口を挟むことなく最後まで聞いてくれた。アイリスの話が終わると、自分の顎をさすりながら考え込んでいる。
「確かにこの冬の暖かさは異常だ。そしてこの天候の異変は、我が国だけでない。マウロワの船乗りたちから聞いた話では、大陸では豪雨、川の氾濫、不衛生になった被災地での流行り病と、酷い状況らしい」
「マウロワでそんなことが……」
(なら、王太子が自分を連れ去りに来るどころの騒ぎじゃないわね)
「王空騎士団は陽が沈んで空賊が撤退するまでは帰ってこないんだ。君は今夜はこちらに泊まるんだろう? 女性用の部屋がないから、近くに宿を確保しよう」
「いえ。今日中に帰るよう言われていますので、皆さんがお帰りになるのを待って、お話をしてから帰ります」
アイリスがそう言うと、ジェイコブは眉間にシワを作り「ん?」とわずかに首を傾げた。
「いや、陽が落ちてから報告して、今日中に帰るのは無理だろう。朝早くあちらを出たんだろうし、飛んでいる最中に力が尽きて落下してしまうよ」
「いえ、王都を出たのは昼過ぎで、陽が落ちてからここを出ても、今夜中には王都に戻れます。それに、この程度なら力が尽きることはありませんので、大丈夫です」
顔から表情が消えたジェイコブが、壁の時計を見た。時刻は午後の三時過ぎ。時刻を確認してから、ジェイコブはアイリスの顔をジッと見つめた。
「あの、すみません、私、飛翔力の量が多いらしくて」
「プッ」
「え?」
「いや、失礼した。そうか、王都で女性能力者が誕生した、聖アンジェリーナの再来だ、という話はここにも伝わっているんだ。君が飛び級で王空騎士団所属となったこともね。だがそこまでとは思っていなかった。正直、大げさな話になって広まっているんだとばかり。そうか。昼過ぎに王都を出て、この時間に着くのか。いや、すごいな」
「なんというか……恐縮です」
ジェイコブはそんなアイリスを見て、また笑った。
「じゃあ、ここで待っていてくれ。俺は仕事に戻る。お茶は事務員に頼めば出してくれる」
そう言ってジェイコブはフェザーを抱えて外に出て行った。
しかし、陽が落ちる少し前にドヤドヤという足音と共に帰ってきた。
団長と並んでケインが入ってきた。ケインは誰かを抱きかかえていて、ケインも抱きかかえられている人も血だらけだ。
思わず立ち上がったアイリスがケインに駆け寄り、口を手で覆った。
抱きかかえられ、血まみれで目を閉じているのはサイモンだった。





