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5 両親の安堵 

 父のハリーは何も言わない。

(きっととんでもなく怒っているよね)と思ったアイリスは「ごめんなさい」と小さい声で謝った。

 ルビーも下を向いたまま「お父さん、ごめんなさい」と謝る。ルビーの声は震えていた。アイリスが恐る恐る顔を見上げると、ハリーは唇を噛んでアイリスたちを見下ろしている。


「よかった。お前たちが無事で本当によかった」

 

 そう言ってハリーは通路にガクッと膝をつき、両腕でアイリスとルビーの身体を抱きしめた。アイリスは父親のこんな姿を初めて見る。叱られるよりもずっと心に堪える。

 自分たちがどれだけ愚かなことをしでかしたのか、父の様子で思い知らされた。


「ごめんなさい、お父さん、ごめんなさい、ごめんなさい!」

「私もごめんなさい」


 日頃はどんなに叱られても泣かないルビーが先に泣き出した。それを見たアイリスも緊張の糸が切れて泣き出す。


「ルビー! アイリス! ああ、神様!」


 母のグレースが娘たちを抱きしめる。

 目から大粒の涙をこぼしている母は、普段の冷静沈着を絵に描いたような姿からは想像もつかない。


「こっちにいらっしゃい。明るいところで怪我がないか確かめるわ」


 鼻の頭を赤くしたグレースが二人を促して居間に連れて行く。その間もルビーはずっと泣いていた。アイリスはそんな姉を見るのも初めてで、自分たちがしたことを猛烈に後悔した。

 グレースは問答無用で二人の衣服を剥ぎ取り、ランプを近づけて娘たちの身体に怪我がないか全身を確かめた。


「よかった。どこにも怪我はなさそうね」

「お母さん、ごめんなさい。アイリスは悪くないの。私が誘ったの」

「私もごめんなさい」

「やってしまったことは仕方ないわ。落ち着いたらファイターの方々にお礼に行きましょう」


 グレースが娘二人の無傷を確認して夫に報告すると、ハリーは安堵した。そして「どうも興奮しすぎたようだ。めまいがする」と言って自室に引きあげてしまった。


 グレースは(この手を離したら娘たちがどこかに行ってしまう)というように、ルビーとアイリスを左右に座らせて抱え、ソファーに座っている。そのままずっと無言だ。

 しばらくして、穏やかな優しい声で話しかけてくれた。


「ルビー、アイリス、どうして渡りの期間は外に出てはいけないのか、これでわかったでしょう? 巨大鳥ダリオンはとても目がいいのよ。遥か上空からでも地上の獲物を見つけるの。それこそネズミのように小さな動物でも見えるらしいわ。見つけたら、翼を畳んで落ちるように獲物を目指すの。羽ばたかないから音もしない。獲物が気づいたときには、もう巨大鳥ダリオンの太い爪でガッチリつかまれているのよ」

 

 アイリスはケヤキの枝をかき分けるようにして自分たちに迫って来た巨大な鳥を思い出した。確かに、あんな近くに来るまで、アイリスは全く気がつかなかった。

 視線が交わったときの丸く黒い目が脳裏に浮かぶ。

 ルビーも同じだったらしく、母の方に顔をくっつけたままふるりと身体を震わせた。


「お母さんはね、子供のときに身近な子供が巨大鳥ダリオンにさらわれたの。実家の使用人の子供よ。あなたたちと同じように巨大鳥ダリオンとファイターの様子を見ようとしたの。いつもより早く渡りが始まった年のことだったわ。その子は、板を打ち付けるのが間に合わなかった窓の鎧扉よろいとびらを開けて、窓ガラス越しに見ていたらしいの」


 それがどういう結果を招くか、今のアイリスなら想像がつく。


巨大鳥ダリオンはガラスを突き破って頭を突っ込んで、その子の腕をくちばしで咥えて庭に引きずり出した。それから胴体をつかんで飛び立ったそうよ。あまりにあっという間のことで、ファイターは間に合わなかったの」


 グレースの話が続く。


「その子は悲鳴もあげられないまま連れ去られたそうよ。窓の割れる音で駆け付けた両親の目の前でね。その子は私の遊び相手だった。私はそれ以来、巨大鳥ダリオンが本当に恐ろしい。ルビー、アイリス。もう二度とあんな危険なことはしないと誓ってちょうだい」

「誓います。もうあんなことはしません。お母さん、ごめんなさいっ」

「私もしません。ごめんなさい」


 ハラハラと涙を流す母に申し訳なくて、今度こそアイリスは声をあげて泣き出した。

 その日以降、ルビーは人が変わったように親の言いつけを守るようになった。

 アイリスは自分を助けてくれたあの金髪のファイターや、空中を自由自在に飛び回って巨大鳥ダリオンの攻撃から自分を守ってくれた人たちのことを、感謝しながら繰り返し思い出した。


     ※・・・※・・・※


 姉妹が巨大鳥ダリオンに襲われてから三週間が過ぎた。

 巨大鳥ダリオンたちは捧げものの家畜を食べ、グラスフィールド王国から去って行った。

 王都の人々には、再び平和な暮らしが戻っている。


 渡りの時期、アイリスはいつも不思議に思う。

 巨大鳥ダリオン島、グラスフィールド島、終末島エンドランドの三つの島の西には巨大な大陸がある。


 三つの島は大陸に寄り添うように並んでいて、大陸との間の距離は、どの島もおよそ千キロメートル。三つの島同士の距離も、それぞれ千キロだ。だから巨大鳥ダリオンたちは、大陸へ飛んで行こうと思えば行けるはず。


「お母さん、なんで巨大鳥ダリオンは大陸に行かないのかしら。大陸に行った方がよっぽど広々していて餌だって豊富でしょうに」

「それは大昔からの謎なのよ。私も子供の頃、それが不思議だったわ」

「大陸の人は巨大鳥ダリオンがいなくていいわよね」

「そうね」

巨大鳥ダリオンなんて、滅びればいいのに」

「みんなそう思っているわ」

「なんで巨大鳥ダリオンを殺さないの?」

「この国には『巨大鳥ダリオンを殺してはならない』という昔からの言い伝えと、聖アンジェリーナの同じ遺言があるからね」


 今、アイリスと母のグレースは二人で刺繍をしている。

 グレースは貴族の出身だ。実家は伯爵家で、グレースは三女。グレースの実家である伯爵家は経済的に苦しい。


 グレースは当時豊かだったリトラー商会に嫁いだが、アイリスが生まれてすぐにリトラー商会は破産した。祖父の所有していた船団が、商品である石炭を積んだまま、八隻も行方を絶ったからだ。祖父も船と一緒に行方知れず。

 ハリーは「遭難したのだろう。それ以外考えられない」と言う。


 グレースの実家の伯爵家はリトラー家からの資金援助を期待していたので、『破産した夫とは離婚し、子供を置いて戻ってくるように』と言ってきた。だが、ハリーと二人の娘を愛しているグレースは、親を説得して今に至る。

 二人の結婚がそのまま許されたのは、グレースの姉がとりわけ裕福な貴族と結婚して実家を支えたからだ。


 グレースはいかにも貴族らしい金色の髪に青い瞳。

 優雅で上品で、姉妹の自慢の母親だ。その母が布の上で丁寧に針を運びながらアイリスに話しかける。


「世間には、『女の子に学問など不要』という意見もあるけれど、私はそうは思わないわ。知識は人生の羅針盤よ。自分がどこを目指して進めばいいか、蓄えた知識が必ずあなたを導いてくれる。人生はね、生まれ持っての才能だけで泳ぎ切れるほど甘くはないの」

「ふうん。お母さんも羅針盤を持ってるの?」

「ええ、ここにね」


 グレースは細く白い人差し指をこめかみに当てた。


「お母さんの頭の中の羅針盤が、お父さんの方を指したの?」

「そうよ。お母さんが十五歳の歳には八人の貴族の求婚者がいたわ。でもね、その中に、あなたのお父さんほど頼りになりそうな人はいなかった。他の求婚者の身分が霞んで見えるほど、お父さんは有能だったの」

「ふうん。でもうちは貧しいじゃない?」

「それはおじい様が乗った船が行方不明になって一度は破産してしまったからよ。あなたのお父さんは、それをここまで建て直したすごい人なの」


 夫を大好きなグレースが、いかにアイリスの父が才能にあふれていたかを語ろうとしたところで、来客があった。アイリスの従弟いとこのオリバーだ。窓から彼の姿を確認したアイリスは手早く刺繍の道具を箱にしまうと、椅子から立ち上がった。


「じゃあ、オリバーと遊んできます」

「頼むわね。優しくしてあげてね」

「はい」


 アイリスは自分の部屋のクローゼットの棚から麦わら帽子を手に取ると、玄関に向かった。オリバーは外でアイリスとおしゃべりするのが好きなのだ。


「お待たせ、オリバー」

「うん」

「今日はなんの話をしてくれるの?」

「僕、空気について考えたんだ。そしてわかったことがあるんだよ」

「待って。どこに行く? 馬小屋? お庭?」

「裏庭のベンチがいい」

「わかった。じゃ、行きましょう」

「うん」



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