46 王空騎士団の一員
アイリスは今、王都を目指して全力で飛んでいる。
足元に広がっていた青い海は、遠くでキラキラ光る存在になった。フェザーの下は緑色の景色に変わっている。
牧草地や森の上を飛び続けていると、ぽつりぽつりと小さな集落が見えるようになり、もっと多くの人家が集まっている村になり、さらに飛び続けていると、やっと遠くに王都の景色が見えてきた。
「あら? あれって……」
目を凝らすと、はるか前方の低い位置に数十人の人影が見えた。王空騎士団だ。
(なんでこっちに飛んでくるの?)と思いながら手を振ると、その集団が一気に加速してこちらに向かってくる。
普段はいつでも整然と位置取りして飛ぶ彼らなのに、今は位置も動きもバラバラだ。何人かは、大きな縦回転しまでいる。
その中の一人が猛烈な速さで集団から飛び出してきた。右肩を低くして前に突き出す癖のある構えには見覚えがある。
「あれは……ヒロさん?」
驚いているうちにヒロが目の前まで飛んできた。ヒロは急減速しながらくるりと宙返りをして、アイリスの隣に並ぶ。
「よかった。無事だったか」
「はい。白首は飛んで行きました」
「アイリスが墜落していないか、心配して捜しに来たんだ」
「私をですか? 皆さんが?」
「そうだよ。当たり前だろう、アイリスはだいじな仲間だ」
アイリスはグッと胸が詰まった。「えへへ」と笑って嬉し泣きしそうになるのを我慢した。
総勢百名近い騎士団員たちが奇声をあげながら、空中でアイリスを取り囲んだ。
「よお、アイリス! お疲れ!」
「食われずに帰ってきたか」
「力尽きて落ちているんじゃないかと心配したぞ」
「あんまり帰ってこないから、海に落っこちたかと思ったわ!」
たくさんの騎士団員に声をかけられ、そのたびにそちらに笑顔を向ける。
(嬉しい。嬉しい! 私、王空騎士団の一員になれた!)
アイリスが初めて王空騎士団に参加したときの、ヒンヤリした空気が嘘のようだ。
王都に近寄るにつれて、たくさんの鐘の音が響いてくる。
『渡りの終了』を知らせる鐘は、たっぷり間をあけてカーンカーンと鳴らされる。道という道は人があふれ、笑顔で会話したり、窓やドアを塞いでいた板を取り外したりしている。
王空騎士団に気づいた王都の人々が、こちらを見上げて指さしている。その顔がみんな嬉しそうだ。
(私たち、きっと野鳥の群れみたいに見えているわよね)
子供の頃、姉と二人で王空騎士団を見上げたことを思い出した。
騎士団は少しずつ高度を下げ、今は建物の上すれすれを飛んでいる。
もっと低い位置まで下がって、愛想よく手を振っているのはマイケルだ。笑顔で手を振るマイケルに気づいて、若い女性たちが黄色い悲鳴をあげて喜んでいる。
王空騎士団の訓練場に到着し、全員が整列した。
ウィルが明るい表情で団員たちの前に立った。
「無事に渡りが終わった。今回も死者が出なかったのは何よりだ。明日の慰労会は十七時開始。全員正装。遅刻せずに参加するように。みんなご苦労だった。解散!」
男たちの「うぉぉ」というドスのきいた歓声が響き、集団がばらけていく。アイリスは自分のフェザーを抱え、着替えをしようと建物に入った。そこですぐにマヤに声をかけられた。
「アイリス! 最後はあなた一人で飛んで行ったんですって? なかなか戻らないから、みんな心配で捜しに行ったそうよ」
「白首は私に興味があるらしいから、私が群れまで誘導してきました。白首は無事に帰りましたよ」
「アイリスったら。そんな危ないことを一人でやったのね。無事でよかった。本当によかったわよ。あっ、そうだ、ドレスの用意はできた?」
「はい」
「どんなドレスかしら。楽しみだわ」
「えへへ」
侯爵家が用意するから、どんなドレスなのかアイリスもまだ知らない。
「アイリス!」
「サイモン」
サイモンが入ってくるのを見て、マヤは「じゃ、私は戻るわね」と言ってスッといなくなった。
「アイリス。無事でよかった。お帰り」
「ただいま、サイモン。今、マヤさんにどんなドレスかしらって言われたの。ドキドキしちゃった」
「ドレスはもう用意できていると思うよ。今から見に行く?」
「うん。でもその前に一度家に戻る。きっと父さんも母さんも心配しているだろうから」
「そうだった。僕も行くよ。挨拶をさせてほしい」
「うん。二人で行きましょう」
二人でフェザーに乗り、アイリスの家に向かった。
そして今、サイモンが緊張の面持ちでアイリスの父ハリーに挨拶しているところだ。
「ご挨拶が遅くなりました。サイモン・ジュールです。ご両親の立ち合いなしにアイリスさんと婚約し、申し訳なく思っています。自分とアイリスの婚約は、話が大きくなってしまいました。そのせいでどうしても急がねばならず、ご挨拶が遅れました。どうかお許しください」
そう言って頭を下げるサイモンに、ハリーのほうが恐縮している。
「侯爵家とのご縁をいただき、感謝こそすれ謝っていただくことなどございません。アイリスは能力者ではありますが、身分に問題はございませんか?」
「訓練生の場合は一度貴族家に入る場合もありますが、アイリスはすでに王空騎士団員です。騎士団員は一代限りの貴族扱いですので問題ありません。父も喜んでいます」
母のグレースがサイモンに尋ねた。
「サイモン様、ジェイデン王子殿下がアイリスを第二夫人にするつもりかもしれないというのは、本当でしょうか。もし本当なら、サイモン様とアイリスの婚約は、ジュール侯爵家が王家の不興を買うことになりませんか?」
「父の話では、慰労会にはジェイデン王子の婚約者、ミレーヌ王女が同席します。その場で婚約を報告してしまえば、ジェイデン王子は大国の王女であるミレーヌ様が見ている前で僕たちの婚約に待ったをかけることはできない、と言っていました」
「理屈ではそうでしょうが、あとからアイリスを取り上げようとはしないでしょうか。アイリスが傷つけられることはないにしても、ジュール侯爵家がなにか酷い目に遭うのではと、不安でなりません」
アイリスは、母の話が『討伐派』対『討伐反対派』という核心に迫りそうで、気が気ではない。緊張のあまり、顔も身体も動かせないまま、目玉だけを往復させてサイモンと母を見ている。
「それは父も十分考えた上でのことだと思います。それに、今の段階で詳しくはお話しできませんが、婚約を応援してくれるのは父だけではありません。ご心配でしょうが、どうか見守っていてください」
サイモンにそう言われてハリーとグレースは何も言えず、重い空気のままアイリスはサイモンと侯爵家に向かうことにした。
フェザーに乗って並んで飛びながら、二人は少しの間無言になった。
「アイリス。本当ならみんなに笑顔で祝福されるべきことなのに、ごめん」
「どうしてサイモンが謝るのよ。全部私が……私が原因だわ。だけど私、飛び続けるためなら何があってもくじけない。女なのに飛べることも、白首に興味を持たれていることも、王家に目をつけられることも、全てのことから逃げない。戦うわ」
「アイリス……」
「今一番のお楽しみはね、初めて着る正装のドレスがどんなのかしらってことよ。二番目の楽しみは、いつかサイモンと二人で海に行きたいってこと。飛べば近い場所なのに、私は初めて見たの。いつか海の中からお日様が出てくるところと沈むところを見てみたいわ」
アイリスは意識して晴れ晴れとした笑顔をサイモンに向ける。並んで飛んでいたサイモンが、もっと近寄ってきた。
フェザー同士が触れるか触れないかのギリギリの位置を保ちながら、サイモンがアイリスに腕を伸ばした。アイリスも手を伸ばし、二人で手をつないだまま飛び続ける。
王都の人々は巨大鳥が飛び去ったお祝いをしているのだろう。どの家の窓からも灯りが漏れていて美しい。
「慰労会、なにが起きても毅然と乗り切るわ」
「ああ、僕もだ」
前方に、全ての窓を明るく輝かせているジュール侯爵家が見えてきた。





