44 守られるだけじゃなく
空賊の話を聞いたサイモンが再びウィルに質問した。
「団長、およそ六、七百羽も飛んでくる巨大鳥を、討伐派は本当に人間の手で全滅できると考えているのでしょうか。それはどのような方法でしょうか」
「一度にではなく、何回にもわけて討伐しようという考えだと思う。六十年前の悲劇は『手段が悪かった、段取りが悪かった』と考えているのかもしれない。どんな討伐計画なのかは今、情報を探っているところだ。軍の主導で動くつもりらしく、作戦の内容は団長の私も知らされていない」
そこでドアがノックされて、ケインが顔を覗かせた。
「団長、いらっしゃいました」
「入ってもらえ」
(侯爵様よりも遅れて来る人物とは誰だろう)
アイリスが不思議に思って入口を見ていると、入ってきた人物と目が合った。明るい栗色の髪を顎のラインで切り揃え、細く赤い縁の眼鏡をかけている。アイリスがよく知っている人物である。
「先生?」
「ルーラ先生!」
驚くアイリスとサイモン。ルーラは黒いセーターに濃い灰色のズボン。夜の闇に紛れ込みやすい服装だ。
「遅くなり、申し訳ございません。追っ手をまくのに時間がかかりました」
「やはり見張られているのか?」
「はい、侯爵様。男性二人組が昼夜を問わず私を見張っています。私が皆様とこうして集まれるのは、今日で最後かもしれません」
「それはどういうわけかな? ルーラ」
「侯爵様、学院長によると表向きの理由は『授業で王家主導で行われた巨大鳥討伐に関して批判的な授業をした』ということでした。近く、何かしらの正式な処分が下されるようです」
「そんな。先生は正しい歴史を教えてくれただけなのに」
「アイリス、表向きは、なの。本当の理由は、私が討伐反対派だからだと思うわ」
ルーラはそこまで言うと穏やかに微笑み、集まっている全員にむかって語り始めた。
「私は教員を辞めようと思います。このまま学院で、当たり障りのない歴史の授業をしている時間の余裕はありません。なので、表の世界から姿を消して討伐反対派の人々のために動こうと思います」
「先生、それはかなり危険なのではありませんか?」
「アイリスったら。囮役をしているあなたほど危険ではないわよ。可愛い教え子が巨大な肉食の鳥の前で飛んでいるのです。そのあなたたちの未来を守るのは、大人の私の役目だわ。アイリスは自分の仕事に専念してね」
「気をつけるんだよ、ルーラ」
「あら、団長、励ましのエールを送るときは、そんな心配そうな顔をしないでくださいな」
「とにかく用心してくれ」
「カミーユ、今以上に用心するわ。ありがとう」
侯爵がそこで話を引き取った。
「さて、全員が揃ったところで、サイモンとアイリスの婚約の話に進みたい。巨大鳥が全て飛び去れば、すぐに慰労会が開かれる。その場で私がサイモンの婚約について話を広めよう。ジェイデン王子はその場では反対できないはずだ。その日は婚約者のミレーヌ・マウロワ第二王女が隣にいる予定だからな。いくら浅慮なジェイデン王子といえども、大国の王族である婚約者の前で、『アイリスは自分が囲い込む』と言い出すほど愚かではあるまい」
そこでドアがノックされ、ケインが再び顔を出した。
「団長、討伐反対派の方々が、団長に面会を求めていらっしゃいました」
「そうか。すぐに行くと伝えてくれ。皆さん、打ち合わせ通りに動いてください。残念ですが、今夜はこれで解散にします。アイリス、サイモン、詳しいことはジュール侯爵閣下とカミーユから話を聞くように」
ウィルはそれだけを言うと大股で部屋を出て行った。
カミーユは侯爵の隣に進み、侯爵に向かって意外なことを言う。
「では侯爵様、私のフェザーでご自宅までお送りいたします。サイモンとアイリスも一緒に来い」
そう言うと返事を待たず、部屋の隅に立てかけてあった三枚の訓練用のフェザーから一枚を手にして、侯爵の足元に置いた。ジュール侯爵がそれに乗るとヒロが窓を開ける。カミーユが操るフェザーはふわりと飛び上がり、カミーユと侯爵は夜空へと滑り出した。
それを見送って、ルーラが声をかけてきた。
「アイリス、サイモン。私から最後の言葉を送るわ。『歴史は賢明な友人』です。歴史に学ぶことを忘れないで」
「心に刻みます。先生に教わったことは忘れません。ルーラ先生、私、先生の授業が大好きでした」
「僕もです。ルーラ先生、どうかご無事で」
「さあ、行きなさい。侯爵様が心配なさるわ」
「アイリス、行こう」
「うん。ルーラ先生、またお会いできる日を楽しみにしています」
二人もそれぞれフェザーに乗り、するりと窓から外へと滑りだした。
カミーユのフェザーははるか上空を飛んでいる。夜の闇に紛れて見えにくい。今夜の月は糸のように細く、もし自分たちの動きを探っている者がいたとしても、月明かりで見つかる心配はないだろうとアイリスは思った。
サイモンの隣に並んで飛びながら、アイリスの頭の中は、さっき聞いたたくさんの情報で熱っぽい。
「空賊なんて人たちがいるなんて。本当に驚いた。大陸の人たちの間にも飛翔能力者が生まれるのね。私、飛翔能力者はこの国にだけ生まれるんだと思い込んでいたの。うかつだったわ」
「僕たちは他国のことを何も知らないからね。今夜の話は驚くことばかりだったけど、僕の決心は何ひとつ揺らぐことはないよ。君を守り、国を守る。それだけだ。今夜から、剣の訓練にもっと力を入れようと思う」
「私も武器の訓練を始めようと思うけれど。今から訓練して、果たして私はどれだけの戦力になれるのかしら。不安だわ」
「君が特別な能力者なら、必ず君でなければならないことがあるはずだ。武器の訓練は慌てなくてもいいと思う。そもそも僕たちは空賊がどんな手段で襲ってくるのかも、まだ知らないんだ」
「私に求められるのは、やっぱり白首に関することなのかしら。サイモン、私のせいであなたに迷惑をかけるかもしれないけど、私の気持ちも変わらないわ。あの日、試験会場で飛んでいるサイモンを見た日から、私はずっとあなたに憧れていたんだもの」
サイモンはにっこり微笑むだけだったが、心の中では(僕たちは同じ日に互いに相手を好きになっていたんだな)と思う。
眼下にジュール侯爵家の屋敷が見えてきた。窓と言う窓が暖かい色の光に輝いていて、建物の大きさ、窓の多さが周囲の建物に比べて際立っている。アイリスは今更ながらにジュール侯爵家の財力の豊かさを思い知らされる。
(この家の家族になるのも、かなりの覚悟が必要ね)
今更ながらに貴族と平民の生活の違いにたじろいでしまう。思わず両手をグッと握りしめた。そんなアイリスの様子に気づいたサイモンが、風に髪を煽られながら笑いかけた。
「大丈夫だ。僕が必ず君を守る」
「うん。ありがとう。まずは慰労会ね。それと……私は守られるだけは嫌。私も一緒に戦う。もし私が本当に特別な飛翔能力者なら、私に与えられる課題を自力で片付けるつもりよ。家族を悲しませたし、心配させても飛ぶことを選んだんだもの。ただ守られているだけなんて、私を笑顔で送り出してくれた家族に申し訳なさすぎるわ」
「そうか。じゃあ、言い直す。一緒に頑張ろう」
「ええ。そうしましょう」
二人で侯爵家の庭先に着地した。出迎えてくれた使用人に案内されて屋敷に入り、侯爵の執務室までサイモンに案内される。絨毯は分厚く、通路には大きな花瓶が置かれている。もちろんその花瓶には、こんもりと秋の花が飾られている。
「ここが侯爵様の執務室だ」
サイモンがそう言いながらドアをノックすると、「入りたまえ」とジュール侯爵の声。部屋の中は紺色で統一した壁と絨毯。家具は白と金で統一されている。
「あまり時間がない。本来ならアイリスの両親も呼んで華やかに婚約式を開きたいところだが、そんなことが王子の耳に入れば横槍が入るかもしれない。今、ここで書類にサインをしてくれるか。すまないね、アイリス」
「いえ。覚悟はできています。不満は何もありません」
オーギュスト・ジュール侯爵は、眩しいものを見るように目を細めた。
「サイモン、お前は偉大な能力と強い意志の持ち主を射止めたのだね」
「はい。侯爵様」
「今後は父と呼びなさい。今まではほとんど顔を合わせることもなく過ごしてきたが、巨大鳥が全てダリオン島に飛び立ったあとは、もっと親子としての時間を持とう」
「はい。ありがとうございます……父上」
「うむ。それでアイリス。君は慰労会のドレスは用意できているのかね?」
アイリスは少し顔を赤くしながらも、正直に答えることにした。
「ドレスは友人に貸してもらうよう、頼んであります。我が家は今、そんな余裕はありませんので」
「では我が家がドレスを用意しよう。靴とアクセサリーの心配も無用だ。安心しなさい。妻が見立てる」
そんなに甘えていいのだろうかとためらうアイリスに、侯爵が柔らかく笑いかける。
「なに、ドレスの十着や二十着で我が家は傾かない。安心したまえ。では、婚約の書類にサインを」
「はい」
サイモンに続いてアイリスも「婚約の誓い」と書かれた書類にサインをし、侯爵に渡す。ちょうどそのタイミングでドアがノックされ、優雅な雰囲気の女性が入ってきた。
柔らかそうな金髪に青い瞳の、少しふくよかな女性だ。
「フラン。ちょうどよかった。このお嬢さんがアイリス・リトラーさんだ」
「アイリスさん、初めまして。フラン・ジュールです。サイモンからあなたのことを聞いて、お会いするのを楽しみにしていたの。巨大鳥の前で飛ぶ能力者と聞いていたから、どんな勇ましい人かと思っていたけれど、可憐な方ね。とても魅力的だわ」
「ありがとうございます」
「フラン、慰労会で婚約を広めることになった」
「慰労会だと、もうすぐですわね」
「そうだ。その慰労会にアイリスが着るドレスと靴と……」
「あなた、靴もバッグもアクセサリーも、私が全部手配いたします。ご安心くださいな」
「そうか。頼んだよ」
フラン・ジュール夫人はツッとアイリスに近寄り、自分と身長を見比べ、アイリスのウエストに手を回す。
「ふんふん。だいたい分かったわ。明日の夜までには一式揃えましょう。サイズ直しは急げば大丈夫。任せて。あなたが一番輝くような品を揃えます」
「ありがとうございます。お世話になります」
最初は気が引けたアイリスだったが(ここで遠慮しても仕方ないわよね。我が家とは財力が違いすぎる)と思い直した。
「サイモン、素敵な人を射止めたわね」
「はい!」
「アイリスを誰かに横取りされたりしないようにしなくちゃね。ではさっそく、ドレスの手配をするわ」
柔らかな外見とは違って、夫人はきびきびと段取りを組んで部屋を出て行った。
「アイリス、君は明日も仕事だ。もう寝たほうがいい。家まで送るよ」
「フェザーに乗って帰るから、送ってもらわなくても大丈夫」
「ダメだ。君は狙われていると考えたほうがいい。家に着いた瞬間を狙って拉致されないとも限らない」
「まさか」
そこで侯爵がサイモンに味方した。
「アイリス。世の中には『まさか』と思っていたことが、往々にして起きるものだ。送ってもらいなさい。サイモン、今後は常に剣を携えるように」
「はい、父上」
侯爵が壁に歩み寄り、壁に飾られていた由緒ありそうな剣を外してサイモンに差し出した。サイモンがそれを受け取り、ベルトに装着する。剣を佩いたサイモンが少し緊張した表情でフェザーを手に取った。
「さあ、送るよ、アイリス」





