40 サイモンの決断
ジェイデン第一王子が王空騎士団の棟に来たとき、その目的を怪しんだのはサイモンだけではない。
ヒロとマイケルも王子の目的がアイリスの囲い込みではないかと疑った。同じことを考えたのはヒロだけではなかった。マイケルが含みのある表情でヒロに話しかけてきた。
「ヒロさん、ジェイデン王子はアイリスを第二夫人にでもするつもりですかね」
「マイケルもそう思ったか」
「それ以外にわざわざ王子がアイリスを見に来る理由が思いつきませんね。他の貴族に唾をつけられる前に、アイリスを確認しに来たってところじゃないですかね。で、恐らく合格だったと思いますよ。アイリスは美人だし」
ヒロが渋い表情でうなずく。
「アイリスが子供を産むためだけに王家に取り込まれたりしたら、あまりに……気の毒だよなあ」
「気の毒ですけど、それ以上に僕は第三小隊から囮役がいなくなったら困ります。彼女は適任ですからね。まさかとは思いますが、王空騎士団を辞めさせるなんてことはないですよね?」
ヒロは渋い表情で首を振る。
「ありえる。七百年ぶりに現れた女性の能力者だ。巨大鳥に食われたり、落ちて死んだらもったいないと思うかもしれないな」
「王家は身勝手ですからねえ」
「おいおい、侯爵家の令息であるお前がそんなことを言っていいのか?」
「侯爵家とは言っても、僕は三男ですから。能力者という点を見込まれて、侯爵家の中でも格上の貴族の家に婿入りさせられる予定です。そして男児が生まれれば実家に横取りされる身の上ですよ。ああ、でも、アイリスと結婚したら、僕が当主になれるかも」
「おい!」
「冗談ですよ。サイモンに恨まれて仕事中フェザーを落とされたらかなわない。サイモンはそんな性格じゃないとは思いますけど、僕はアイリスには手を出しません」
そこでヒロが真顔になる。
「サイモンはまだ誰とも婚約していないよな?」
「知りませんよ。本人に聞いてください」
「あいつはまだ十五歳だ。ジェイデン王子の目的に気づいていないんじゃないか?」
「ヒロさん、心配性の父親みたいになってますよ? サイモンに婚約者がいるかどうか、僕が聞いてみましょうか?」
「頼む」
「じゃあ、あのソース一本で」
「いい加減にしろ。あのソースをそんなに溜め込んだら、味わう前に味が落ちる」
「はいはい。じゃあ、その件は僕が引き受けます。あ、そうだ。ヒロさん」
「ああ?」
「アイリスは本物ですよ。あんなに速く飛べて、空中で巨大鳥に唾液を吐きかけられても、二度目はサラリと避けてました。その上、陽が出ている間中飛んでいても全く疲れを見せない。おそらく疲れを感じてもいない」
「ああ、そんな感じだな」
「あの伝説、僕は信じるようになりました。彼女は数百年先、千年先まで伝説として伝えられる存在になるでしょうね。アイリスと同じ時代に生まれて共に王空騎士団に所属していること、大変な幸運だと思っています」
「俺もそう思う。アイリスが一人で飛んでいるところに出会えたことも、たった一年とはいえ同時に王空騎士団にいることも。俺の一生の宝になるだろう」
マイケルは「では、ちょっとサイモンと話をしてきます」と言って養成所の建物に向かい、サイモンの部屋へと進んだ。
ノックをして返事も待たずに「やあ」と顔を出したマイケルに、サイモンも同室の訓練生も驚いた。サイモンはアイリスと別れて部屋に戻ったばかりだ。
「ちょっと話がある。出られるかい?」
「はい」
「ついて来て」
いわれるままにマイケルに連れて行かれたのは、王空騎士団のマイケルの部屋。騎士団員の宿舎は全員個室だ。
「サイモンは婚約してるの?」
「婚約はまだしていません。なぜそんなことを?」
「ジェイデン王子が来た目的が透けて見えた、ような気がしたからさ。早く手を打たないと、アイリスはジェイデン王子の第二夫人か、下手すると愛妾にされてしまうんじゃないかな? サイモンにその気があるなら、ジュール侯爵に相談したほうがいいだろうって、僕は余計なお世話を焼いてるわけ。ヒロさんも心配してたよ」
「そうですか。……わかりました。実はこれから侯爵様に相談しに行こうと思っていたところでした」
「あ、そうだったの? だったら余計なお節介だったね。引き止めて申し訳ない。頑張っておいで」
「マイケルさん、ありがとうございました」
マイケルは「早く行ったほうがいいよ」とサイモンを部屋から押し出すようにして話を終わりにした。
マイケルの部屋から押し出されたサイモンは、フェザーに乗って侯爵家に向かうことにした。
貴族の嗜みとして馬車を利用するよう言われていたが、今は馬車でまったりと移動する気分ではなかった。
それでもフェザーでいきなり玄関に降り立つのは門番の立場をないがしろにするようで憚られ、正門の前に降り立った。
「サイモン様ではありませんか。こんな夜分にどうなさいました」
「ちょっと侯爵様にお話があってね」
「さあ、どうぞ。侯爵様はご在宅ですよ」
「ありがとう、ガーシュ」
門番のガーシュはすぐにサイモンを母屋の玄関まで案内した。
出てきた執事にも驚かれながら、サイモンは養父である侯爵の執務室に通される。養子縁組をしているとはいえ、サイモンは養子になった時点からずっと養成所生活。養父のオーギュスト・ジュール侯爵に対して親子の感情も親子らしい交流も、今の所はない。
オーギュスト・ジュールは書類から顔を上げると、少しだけ驚いた顔をした。普段からあまり感情を表に出さないのだが、サイモンがこんなことをするのは初めてで、さすがに驚いたらしい。
「どうした。珍しいじゃないか。なにかあったのか?」
「お願いがあってやって参りました。急な話で申し訳ないのですが、婚約したい相手がいます」
「それはまた……急な話だね。お相手は?」
「相手はアイリス・リトラーです。平民ですが、最近能力が開花して、現在……」
オーギュストがサイモンに向かって手のひらを立てた。
「待ちなさい。アイリスっていうのは、あの『聖女の再来』と言われている少女かい?」
「はい」
「それは……。サイモン、相手の了承は得ているんだろうね?」
「はい。さきほど了承してもらいました。実は今朝、ジェイデン王子が視察としてアイリスを見にいらっしゃいました。なのでこれは急がなければならないのではと思い、こうしてお願いに上がりました」
「そうか」
オーギュストは腕組みをして「ふぅむ」と言ったきり目を動かして考え込んでいる。考えている養父の邪魔をしたくなくて、サイモンは待った。
そのまま五分ほどたったろうか。オーギュストが手紙を書き始めた。いつもはゆったりと優雅な文字を書くオーギュストだが、今夜は猛烈に羽ペンの動きが速い。
一枚目を書き終え、二枚目の中ほどまで書いてペンを置いた。流れるような動作で蝋を溶かして封筒に垂らし、印を押してから呼び鈴を鳴らす。
すぐ使用人がやって来た。
「大公閣下のところまで頼む」
「かしこまりました」
使用人は手紙を預かって出て行った。
ドアが閉まるのを待ち、オーギュストが表情を緩めて話しかけてくる。
「サイモンは、いつからアイリスと親しかったのだね?」
「話をするようになったのはフォード学院で同じクラスになった時からですが、僕は能力の判定会場で初めて会ったときから、アイリスを好ましく思っていました」
「ほう。そんなに前からか」
「はい」
堅物で真面目なサイモンにとって、自分の初恋を養父に語るなど、顔から火が出るほど恥ずかしいことだったが、耐えた。(今は恥ずかしいなどと言っている場合ではない。ぐずぐずしていたら、アイリスはジェイデン王子のものになってしまう)と焦っていた。
(今、行動に移さなければ、自分は一生後悔しながら生きることになる)
サイモンは今、切羽詰まった感情に突き動かされている。そんなサイモンを、侯爵は優しい眼差しで見ているが、その表情に困惑が見え隠れしているのをサイモンは見逃さなかった。
「ご迷惑をおかけしているのはわかっています」
「いや。迷惑というわけではないんだ。ただ、知っての通り、今の我が家には娘が一人しかいない。婿を迎えてこの家を継ぐはずだった長女は病で亡くなり、次女は生まれたときから婚約者がいる。だから君を養子にして血縁からよき年頃の令嬢を迎え入れようと考えていたのだがね。そうか。好きな子がいたんだね」
「申し訳ありません。僕の養子縁組は解消されても仕方ないと思っております。今まで母に援助していただいた金額は、何年かかろうとも必ずお返しいたしますので、どうか……」
「ああ、そんなことは気にしなくていい。ただ」
そこで侯爵は少々黒い笑みを浮かべてサイモンを見た。
「私は古い人間でね。巨大鳥を殺すなという、この国の言い伝えを尊重している。大公も同じ考えだ。だが、ジェイデン王子は、数年前から巨大鳥を討伐すべし、と唱え始めているんだ」
「それはジェイデン王子個人のお考えでしょうか。それとも王家の意向なんでしょうか」
「ジェイデン王子個人の意見だね。陛下は一度もそんな発言をなさっていない。ジェイデン王子は貴重な能力者の女性を囲い込みたいと考えているのだろうか?」
「はっきりそう決めつけるのは早計かもしれませんが」
サイモンは、華やかな見た目のジェイデン王子を思い出した。
これから命がけで巨大鳥の前で飛ぼうというアイリスを、品定めするように見にきた王子。サイモンはそんな王子をどうしても尊敬できなかった。
(まるで他人事みたいに見物に来ていたが、僕たち飛翔能力者がなんのために危険に身を晒して飛んでいると思っているのか)
「大公の五女、アガタ様が以前からサイモンを気に入っていらっしゃるそうだ。三年前にお会いしただろう?」
「アガタ様……」
「あのとき、サイモンが穏やかで物静かなのがお気に召したらしい。本来ならアガタ様との婚姻を進めたいところだが、ジェイデン王子が七百年ぶりの聖なる能力者に興味を示しているのなら、話は別だ」
「別、とは」
「大公家とのご縁を諦めてでも、サイモンとアイリスとの仲を取り持とうじゃないか。私も大公も、巨大鳥を殺すな、殺せばこの国が亡びる、という聖アンジェリーナの教えを信じているのだ」
「そうだったのですか」
「ジェイデン王子がアイリスを側室か愛妾にするつもりがあるかどうかは探りを入れよう。だがもしそうだったなら、討伐派の王子が聖アンジェリーナの再来と言われる少女を囲い込もうとするのを見過ごすわけにはいかない」
サイモンは貧しい平民出身者で、のちに侯爵家の養子になった男の子。場に応じて「僕」と「俺」を使い分けていたのですが、曖昧な場面が多く、「僕」に統一しました。過去分も統一して書き直しました。
よく考えたら、「僕」と「俺」の使い分けは日本語だからであって、グラスフォード王国の言語がどうであれ、日本語ほど使い分けはないかな、と考え直しました(*'ω'*)