4 王空騎士団と巨大鳥
巨大鳥の飛来を知らせる鐘が鳴り始まった。
王都中の教会や役所の鐘がせわしなく打ち鳴らされている。たくさんの鐘の音が重なり合い、うねりを生み、不穏な響きになっていく。
鐘が鳴り始めた直後から、王都の街中から一斉に人影が消えた。
王都のほとんどの建物は堅牢な石造りな上に、巨大鳥に破られそうな窓もドアも補強済みだ。さらにこの国では、巨大鳥が室内に入る足がかりになるようなバルコニーやベランダは一切設置が許されていない。
全ての窓が塞がれているので、家の中は昼でも暗い。室内や廊下のあちこちにはランプが掛けられている。
「ルビー、アイリス、お茶にするから居間にいらっしゃい」
「お母さん、夜に起きているんでしょう? 私たちはその時まで昼寝しています」
「私もお姉ちゃんと一緒に寝ます」
「わかったわ。じゃあ、おやすみ。夜にまた見に来るわ」
母がドアを閉めて立ち去るのを確認して、姉妹はルビーのベッドに丸めた毛布を二枚仕込む。子供が二人寝ているように細工をしてから、二人は静かに部屋を出た。
ルビーが縄梯子のフックをダストシュートの枠に引っ掛け、先に下りる。続いてアイリスもグラグラする縄梯子で一階まで降りる。
「さあ、行くわよ」
「うん!」
二人は家の外に通じているダストシュートの小さな扉を開け、明るい外に出た。腰を曲げ、背中を丸めて壁沿いに進み、アイリスの身長ほどの高さの石塀を乗り越える。
家から少し離れたところに生えているケヤキの大木までたどり着いた。そこでやっと背中を伸ばし顔を上げて、広場の方向を見る。
「うわぁ」
「すごいね、お姉ちゃん」
遠眼鏡を使うまでもなかった。
家からほど近い広場の上空で、巨大鳥が乱舞している。巨大鳥たちは上空で悠然と飛びながら獲物に狙いを定め、一直線に広場へ下降していく。
周囲の建物に遮られて、獲物を捕らえる瞬間は見えない。だが彼らが地面に下りることなく豚やヤギを捕えていることはわかる。
一直線に地面に向かった巨大鳥は、次の瞬間にはもう、両足でがっちりと獲物をつかんで空に舞い戻っている。
そして悠々と羽ばたきながら王都の隣にある森へと去って行く。
百人近い騎士団員たちの姿も小さく見える。
フェザーに乗った彼らは巨大鳥の描く円のさらに外側で巨大鳥を監視している。
ある騎士団員は人家に興味を示している巨大鳥の前方でクルクルと時計のように回転し、黒い煙を撒いて煙幕を張っている。
またある騎士団員は巨大鳥の前を何度も遮るように飛び、巨大鳥に追いかけられると猛烈な勢いで飛んで逃げる。
騎士団員たちは、広場以外で獲物を探そうとしている巨大鳥が広場に戻るよう、繰り返し誘導していた。
「お姉ちゃん、騎士団員はファイターって呼ばれているけど、戦うんじゃなくて導くんだね」
「そういえば、巨大鳥の死体って、見たことも聞いたこともなかったわね」
「あの人たち、なんて美しく飛ぶのかしら。まるで羽があるみたい」
感心して見ていた二人は、五、六人の騎士団員が猛烈な速さでこちらに向かってくるのに気づいた。
「お姉ちゃん、あの人たち、なんでこっちに来るの? 私たち、見つかったの?」
「まさか」
バキバキ、バサバサという音がして、ケヤキの小枝や葉っぱが二人に降ってきた。
何事かとアイリスとルビーが同時に頭上に視線を向ける。二人のすぐ上にケヤキの枝をすり抜けようとしている巨大鳥がいた。
「キャアアアアッ!」
ルビーは悲鳴を上げたがアイリスは声を出せず、動くこともできない。
こんな大きな生き物が、いつの間にここまで近づいていたのか。アイリスは恐怖で思考が停止した。
巨大鳥は地面に下りずに二人を襲おうとしているらしい。そのせいで、張り出しているケヤキの枝に大きな体と羽が邪魔され、地面にいるアイリスたちにたどり着けないでいる。
枝に邪魔されながら近づこうとしている巨大鳥の視線とアイリスの視線がぶつかった。
巨大鳥の丸く黒い瞳孔。鋭い鉤のような嘴の側面についている細かい傷まではっきり見える。
アイリスが思っていたよりもはるかに大きい巨大鳥。
(食べられる)
アイリスの頭皮を含めた全身の皮膚が、恐怖でチリチリする。
アイリスと視線が合うなり、巨大鳥は鋭い嘴をカッと開いた。
真っ赤な口の中に、丸く厚みのある舌が見える。
自分の髪が逆立っているのにも気づかず、アイリスは巨大鳥と目を合わせたまま固まった。
巨大鳥はケヤキの枝の中でもがいていたが、別の方向から二人を捕まえることにしたらしい。一度枝から抜け出して上空に舞い上がり、ヒラリとターンした。アイリスたちに向かって、今度は地面の上を滑るように、低い位置をゆっくり羽ばたきながら近づいてくる。
ルビーは腰を抜かしたらしく、地面にへたり込んだまま無表情に接近してくる巨大鳥を見つめている。
(このままじゃ食べられちゃうよ!)
先に冷静になったアイリスがルビーの腕をつかんだ。
「お姉ちゃん! 逃げよう! 立って!」
相変わらず固まっているルビーの腕を引っ張り、引きずるようにして家に向かおうとした。
「動くな! そこにいろ!」
上から男性の声が降って来た。
ビクッとなったアイリスとルビーが声のする方を見上げると、一人の騎士団員がケヤキのすぐ近くまで来ていた。
「こっちに戻れ!」
二人は慌ててケヤキの木まで戻る。
既に数人の騎士団員がフェザーの上に立って、ケヤキの上を旋回しながら黒い煙を撒いている。下まで漂ってきた煙は、吐き気を催すような、なんとも嫌な臭いだ。
アイリスたちを狙っていた巨大鳥は煙から逃げて上空に向かったものの、姉妹をまだ諦めきれない様子だ。大きく円を描きながら留まっていて、飛び去らない。
姉妹はどうすることもできない。そこにさっき声をかけてきたファイターが滑り込むように着地した。
「今のうちに逃げるぞ。抱えるから大人しくしていろよ!」
そう言うと腕を伸ばして自分の前にアイリスとルビーを立たせてフェザーを離陸させる。「家は?」と聞かれたアイリスが黙って目の前の家を指差した。それを確認して、騎士団員は地面の数センチ上を移動する。
フェザーのスピードが速く、アイリスの顔に風がぶつかってくる。
家の角を曲がるとき、フェザーは急減速した。姉妹は前に倒れそうになったが、太い腕が二人をがっしりと支えていて、落ちる心配はない。
騎士団員は裏口の鉄格子の前にフェザーを着地させ、鉄格子をガンガン叩きながら声を張り上げた。
「子供を連れてきた! 開けてくれ!」
ルビーとアイリスをフェザーの上に立たせたまま、大声で救出を知らせる。騎士団員は刈り上げた短い金髪、緑色の瞳。逞しい身体。
鉄格子の奥、裏口のドアが細く開いて誰かがこちらを覗き、すぐにドアが開いた。父のハリーが飛び出してくる。ハリーは鉄格子の閂を大急ぎで外して扉を開けると、ガッと両腕で姉妹を抱きしめた。
「子供を外に出さないでくれ」
男性はフェザーから下りることなくそう言うと、再び巨大鳥のいる空へと飛び去った。
軽く膝を曲げた姿勢で立ち乗りしている姿がどんどん小さくなる。
アイリスとルビーはハリーに引きずられるようにして家の中へと運び込まれ、裏口のドアは素早く閉められた。





