39 ジェイデン第一王子
アイリスとギャズを乗せた馬車が家に着くと、父のハリーが出迎えてくれた。
「こんばんは。第三小隊長のギャズと申します。突然お邪魔して恐縮です」
「小隊長様……アイリスがお世話になっております。さあ、どうぞ。お入りください」
アイリスにちらりと視線を向けたハリーは、早くも心配そうな表情だ。
ハリーの後ろには母のグレース、姉のルビーもいる。居間の椅子に全員が腰を下ろしてすぐ、ギャズが話を始めた。
「アイリスが本日から囮役を務めることになりました。まだ家族に報告していないと本人から聞きましたので、小隊長の私がご挨拶を兼ねてお知らせに伺いました」
「囮役……とは、なにをするのでしょうか」
ハリーの顔に色濃い不安が浮かぶ。
この手の状況に慣れているのかいないのか、ギャズが淡々と囮役について説明した。話を聞き終えた父、母、姉の三人は、絶句して薄く口を開け、ギャズを見て、次にアイリスを見、再びギャズを見る。
「そんな。娘が巨大鳥の前に飛び出すんですか? 自分に引きつけるって、失敗したら食われてしまうではありませんか!」
「お父さん、大丈夫だから。私は王空騎士団の中でも速く飛べるし、それに……」
「アイリス、お前はちょっと黙っていなさい。小隊長様、アイリスは能力が開花したばかりです。なぜうちのアイリスなのでしょうか。ベテランの騎士団員さんたちが大勢いらっしゃるのに」
「どの騎士団員よりも、アイリスのほうが速く飛べるのです。なので、非常に稀なことですが、本日からアイリスは訓練生ではなく、王空騎士団員になりました」
ハリーは絶望したように目を閉じ、額に手を当てる。次に口を開いたのはルビーだ。
「小隊長様、それはどうやって決めたんですか? 騎士団員と訓練生の全員で競争して決めたのでしょうか? そうではないのなら、納得できません」
「お姉ちゃん、違うの。そんな失礼な言い方をしないで」
「大丈夫だ、アイリス。私が説明するから」
そこからギャズはアイリスがなぜ選ばれたのか、その経緯を説明した。母のグレースはずっと沈黙していて無表情。ハリーは納得いかない表情で食い下がる。
「では小隊長様は、アイリスがその特別な能力者だとおっしゃるのですか? 特別な巨大鳥と同時に生まれた特別な能力者だと?」
「はい。私だけではありません。団長、副団長、その他多くの王空騎士団員がそう考えています」
しばし部屋は静まり返る。ギャズは立ち上がり、「ご心配はわかります。ですが、この決定は覆りません。明日も早いので、アイリスを寝かせてやってください」と言って帰って行った。
「アイリス、早く寝なくてはね。さあ、夕食にしましょう」
「お母さん……」
「王空騎士団の団長様も副団長様もそうおっしゃっているのなら、私たちがとやかく言ったところで決定は覆らないわよ。おそらく国王陛下も同じお考えなんでしょうね。断ることができないのなら、あなたはよく食べて、よく寝て、自分の命を守るよう気をつけなくては」
「お母さん……。ごめんね」
「謝らないでいいの。あなたは胸を張って堂々としていなさい」
夕食の席で、グレースだけがいつも通りの笑顔だ。ハリーとルビーは暗い顔で、黙って食べている。アイリスも黙々と夕食を食べながら、胸の中で自分の気持ちを確認した。
(お父さんが悲しんでもお姉ちゃんが憤慨しても、私は自分に与えられた役目を果たしたい。相手は恐ろしい巨大鳥だけど、囮役は人に譲りたくない)
翌日の夜明け前。
起こしに来てくれた母の目は赤い。アイリスは(お母さん、もしかして泣いたのかしら)と思うが口には出さず、黙って王空騎士団に向かう準備をした。そこにルビーがむすっとした顔で何かを差し出してきた。
「アイリス、これ。ポケットに入れておきなさい。飛んでいるときにおなかが空いて力を出せなくなったら大変だわ」
ルビーが差し出したのは、小さなものを包んでねじってある紙の包み。開いて見ると中身は三粒の蜂蜜飴だ。姉の気持ちがありがたくて、泣きそうになる。
「ありがとう、ルビーお姉ちゃん」
「今日も必ず無事に帰ってくるのよ」
「もちろんよ。行ってきます」
アイリスはどうにか泣かずに笑顔で家を出ることができた。
護衛のテオと共に到着した王空騎士団の棟の前に、見たことがない豪華な馬車が停められている。
「テオさん、あの馬車は?」
「王家の紋章ですね。王族のどなたかがいらっしゃっているのかと」
「へえ。私は邪魔をしないようにしていればいいですよね」
「うーん……」
口ごもるテオを気にせず、アイリスはケインに贈られたフェザーを抱えて馬車を飛び降りた。するとマヤが慌てた様子で走って近づいてくる。
「大変よ、アイリス。ジェイデン殿下が視察にいらっしゃったわ」
「ジェイデン殿下……そうなんですか」
「そうなんですかじゃないわよ。あなたを見にいらっしゃったの。早くいらっしゃい!」
「え? なんで私を?」
「もう。あなたはもう少し自分が特別な存在だという自覚を持ちなさい」
「えええ……」
(いくら私が七百年ぶりの女性能力者だとはいえ、こんな夜明け前にわざわざ王子様が来るものかしら。私たちが働き出してから見に来ればいいのに)
事情がわからないままマヤに手を引かれて王空騎士団の棟に入ると、王空騎士団の棟内はシンと静まり返り、騎士団員たちは整列している。アイリスのあとからやって来た騎士団員たちもすぐに事情を察して、整列している仲間たちの中へ加わった。
訓練生たちも整列していて、サイモンが気づかわし気な視線をアイリスに送ってくる。
第一王子のジェイデンは長身で、金色のウエーブのある髪は肩まで届き、深い青色の瞳。引き締まった体格の持ち主だ。
(たしか、年齢は十八歳だったかな)
ウィルと話をしていたジェイデンの視線がアイリスに向けられ、ピタリと止まる。カッカッカと長靴の音を立ててアイリスに歩み寄ってくる。
「君がアイリス・リトラーか」
「はい、殿下」
「これから出動するのだろう?」
「はい」
「では君の働きを見学させてもらう」
「光栄でございます」
アイリスは王子に華やかな笑顔で話しかけられることよりも、他の騎士団員が全員こちらを見ていることのほうが気になった。
短い会話を終えると、ジェイデンは裾に金糸でツタの刺繍を施された濃い赤色のマントを翻し、団長の隣へと移動した。団長と共に先に広場に出発するらしい。
アイリスは(訓練生用の防鳥壕の他に、王族が見物する場所があるのかしら)と思いながら王子を見送った。
すぐに副団長のカミーユがウィルに代わって皆に声をかける。
「あと十五分で日が昇る。準備はいいか」
「はい!」
「では出発!」
全員がフェザーを抱えて足早に棟を出て、外に出た者から次々とフェザーに乗って広場に向かって飛び立っていく。アイリスもフェザーに乗って上昇した。
その日も巨大鳥たちは獲物をつかまえては次々に森へと帰って行く。
特に群れから外れる巨大鳥は現れず、その日は平和に仕事を終えることができた。
白首も現れず、アイリスは囮役として二度ほど巨大鳥の前に飛び出して誘導したものの、白首のときのように唾液をかけられることはなかった。
人家に興味を示していた巨大鳥を上空まで誘導し、下降しながら群れの中に戻すことができた。
完全に日が沈んでから、王空騎士団員たちはやや疲れが滲む表情で引き揚げる。アイリスも皆と一緒に騎士団の棟へと帰ろうとした。
「アイリス!」
「サイモン。なんだか久しぶりね」
「ジェイデン王子と、どんな話をしたの?」
「特には何も。私の名前を確かめて、私の働きを見学するっておっしゃっただけよ。なんで?」
「少し話をできる? 心配なことがある」
「いいけど、どこで?」
サイモンが指で上を指した。
サイモンの提案で、二人は今、王空騎士団の建物の屋根の上にいる。
「話ってなあに?」
「ジェイデン王子は、君を王家に迎え入れるつもりなんじゃないかな」
「それは……ないでしょう? だってジェイデン王子には幼いころに決まった他国の婚約者がいるもの。たしか、大陸の、ええと」
「マウロワ王国のミレーヌ・マウロワ第二王女。結婚式は来年だけど、すでにお城で暮らしている」
「そうだった、ミレーヌ様」
「だから、君を迎え入れるとしたら、第二夫人だと思う」
サイモンの言っている意味が分からず、アイリスは「んん?」と首をひねった。
「僕がジュール侯爵家の養子に迎え入れられたのと、同じ理由だよ。王子は七百年ぶりに誕生した女性能力者を抱え込みたいのかもしれない。聖女への国民の信頼を手に入れたいのかも。それに加えて、ええと、言いにくいけど、飛翔能力のある子供を望んでいるんだと思う」
「そんな。私を聖女扱いするのもどうかと思うけど、子供を産むために私をって、おかしいわよ。 だって、能力者が生まれる確率は、親が能力者かどうかに関係しないじゃない。それは、みんなが知っていることだわ」
「そうだけど、それでも君を欲しいんじゃないかな。だって……聖アンジェリーナは結婚する前に死んでいる。この国の歴史に残っている限りで、能力者の女性が子供を産むのは……アイリス、君が初めてだ。それがどれだけ貴重なことか、わかるだろ?」
アイリスはサイモンの顔を見つめる。
「ジェイデン王子とミレーヌ様がとても仲睦まじいこと、国民のみんなが知っているわよ。そんな二人の間に私が割り込んで子供を産むなんて、あり得ない。ううん、それ以前に、私は人気取りの道具とされるのも、子を産むことだけを期待されて王家に入るのも、絶対に絶対に嫌。それじゃまるで家畜と同じじゃないの。でもどうしよう。もしそんなことを言われたら、うちは断れないわ」
サイモンは気づかわしげな表情で夜空を見上げていたが、なにか決心したようにアイリスを見つめ返した。
「この件に関しては、団長も副団長も逆らえない立場だ。王家に忠誠を誓う騎士団員だからね。だけど、僕はなにか手がないか考えるよ」
「待って。あなたが王家の意向に逆らうようなことをしたら、ジュール侯爵家にいられなくなるわよ。ジュール侯爵家に迷惑をかけたら、田舎のお母さんが困るわよ。侯爵家の援助を受けているんでしょう?」
サイモンはそれを聞いて視線を下に向け、数秒ほどためらってから口を開く。
「アイリス。僕と婚約してほしいと言ったら、驚くだろうか。正式に僕と婚約してジュール侯爵家の庇護下に入れば、王家も気楽には手を出せないはずだ」
アイリスはなにを言われたのか理解するのに、少々時間がかかった。理解すると同時に心臓の動きが早くなる。
「ええと、それは私が王家の第二夫人にならないように、便宜的にということ?」
「便宜? いや、違うよ! 僕がアイリスと婚約したいんだ。ジェイデン王子に君を奪われたくない。僕は王空騎士団員になってから正式に申し込もうと思っていたけれど、そんな悠長なことを言っていられないから。アイリス、僕と婚約してほしい。僕じゃ……だめか?」
サイモンが不安そうな目でアイリスを見る。サイモンのそんな表情を見るのは初めてだ。
「それ、本気で言っているの? 急な話ですごくびっくりしたけど、もちろん嫌じゃない。私、身分が違いすぎて無理だと思って諦めていたけど……ずっとサイモンのことは大切に思っていたわ。だけど私、片思いだとばかり思っていたの」
「本当に? 本当か? 本当だね? ああよかった! ありがとう、アイリス。嬉しいよ」
サイモンはアイリスを抱きしめようとしたが、アイリスが待ったをかけた。
「待って。でも、サイモンは貴族の養子だもの。婚約を勝手に決めることはできないでしょう?」
「今夜のうちに侯爵様に頼む。いや、なんとしても説得する。アイリス。唐突な話に思えるだろうけど、僕はアイリスがお菓子をたくさん抱えて俺に話しかけてくれたときから……君のことがずっと好きだった」
「あのときから? だってサイモン、そんな雰囲気、今まで全然出さなかったじゃない」
そう言われてサイモンはグッと詰まり、次にガックリした。
「そう見えていたのか。僕、全力で好意を示していたつもりだったんだけど。そうか……」
「あっ、ごめんね。私が鈍感だったのかも。ごめん」
「ああ、ええと、そのことはまた後で話そう。とにかく、僕は侯爵様に話をするよ。君は明日も早いんだ。もう帰って寝たほうがいい」
「わかったけど、サイモン。ことを荒立てないでね?」
そこまで言って、アイリスがふんわりとサイモンを抱きしめる。サイモンは少し固まってからアイリスを力強く抱きしめ返した。しばらくして二人で恥ずかしくなり、そそくさと離れる。
「アイリス、また明日」
「ええ。また明日」
アイリスがフェザーで滑り出すのを見てから、サイモンはフェザーに乗って養成所の玄関へと向かった。
「婚約……」
アイリスは家に向かいながらも、急な婚約話を頭の中で整理しようとするが、心がふわふわして考えがまとまらない。
「第二夫人なんて物騒な話が出ているのに。ふわふわしている場合じゃないわよ。とにかく明日に備えて寝なくちゃ。こんなふわふわしていたら巨大鳥に食べられちゃうって。今夜はさっさとベッドに入って、しっかり眠ろう」
頬を赤くして独り言を言いながら、自分を待っている馬車に向かってフェザーを飛ばした。
しばらくの間、月曜・木曜の更新になります。話に齟齬が出ないよう、書いては見直し、見直しては書き進め、の作業中です。