38 囮役で初出動
団長ウィルを先頭に、王空騎士団員の集団が続々と夜明け前の外へと出て行く。
皆、一見淡々としているように見えるが、どの騎士団員の背中からも巨大鳥に向かい合おうとする気迫が伝わってくる。
アイリスもその集団に同行しようとして後ろから呼び止められた。
「アイリス!」
「マイケルさん。今日から囮役を務めます。よろしくお願いします」
「僕も第三小隊だよ。僕が食べられそうになったら、巨大鳥の引き離し、よろしくね」
どこからが本気でどこまでが冗談かわからないまま、アイリスは黙ってうなずいた。
トップファイターは巨大鳥に一番近い場所で飛び、巨大鳥の動きを封じて人間を守る騎士だ。彼らは各小隊に二名。最多でも三名。王空騎士団全体でも八人か九人しかいない最高レベルの飛翔能力者。
ふと見ると、マイケルは自分のフェザーを持っている。
(しまった! 騎士団員は自分のフェザーを使うんだった!)
アイリスは慌ててギャズのところに走った。
「ギャズさん、私、養成所までフェザーを取りに行ってきます」
「ああ、言い忘れた。それならもうケインが用意してあるそうだよ」
「用意って?」
「アイリス、これだ」
声のほうを振り返ると、杖をついたケインとフェザーを二枚抱えたヒロが立っている。
「ケインのやつが、どうしてもアイリスの初出動に間に合わせるんだと言って、昨夜大至急で塗らせたそうだ」
「それ……私のフェザーそっくりの青! 黄色のラインも入っているんですね」
「アイリスのフェザーを真似てみた。アイリスの家にあるのはさすがに小さいだろう? これを使ってくれ」
そこまで言ってケインが姿勢を正し、アイリスに向かい合う。
「囮役の初出動、おめでとう」
「行って参ります。素敵なフェザーをありがとうございます!」
笑顔で差し出されたフェザーを受け取るアイリスに、ケインが真顔で告げる。
「生きて戻ってこい。死ぬな」
「はい」
東の空が明るくなってきた。
アイリスはケインから贈られたフェザーを抱えて走り、第三小隊の最後尾に追いついた。最後尾にいたマイケルが笑顔で振り返り、「リラックスしてね」と声をかけてくれる。
広場に到着すると、全員が抱えていたフェザーを地面に置く。アイリスも見習ってフェザーを置いた。マイケルが小声で説明してくれる。
「アイリス。君は僕たちより上空で全体を見下ろしてくれ。僕たちが担当している巨大鳥の動きを見て、ファイターの制御に従わずに行動する個体がいたら、それを引き離すんだよ」
「はい。マイケルさん、ありがとうございます」
すぐに第三小隊の二十数名が掛け声もなしに一斉に飛び上がった。
第一、第二、第四小隊も、ほぼ同時に上昇した。王空騎士団はすぐに広場に到着し、これといった打ち合わせもないままに行動を開始した。
ファイターたちは広場をざっくりと四分割した場所の上空にそれぞれ陣取り、その中から一人だけが集団から離れて上空に浮かんでいる。
「あれが囮役ね」
アイリスは三人の囮役が浮かんでいる高さまで上昇し、下を見下ろした。柵の中にたくさんの家畜。その上空五十メートルの辺りにたくさんのファイターが浮かんでいる。浮かんでいる高さは微妙に違うし、フェザーの上での姿勢はまちまちだ。まっすぐ立っている人もいれば、今にも飛び出しそうに構えている人もいる。
「私、ろくな知識もないままで大丈夫なのかなぁ」
不安に思い始めた頃、西の方からたくさんの巨大鳥が飛んでくるのが見えた。「ギャアッ、ギャアッ」「ギイィィィィッ!」という大きな鳴き声を響かせながら、巨大な鳥の集団がどんどん近寄って来る。
ファイターたちは巨大鳥が獲物を捕まえる邪魔をしないように、家畜の上からパッと散った。
巨大鳥たちは、慣れた様子で広場の上をグルグルと回りながら飛んでいる。なにかしらのルールがあるらしく、一羽ずつ降下して家畜をつかんで飛び上がる。同時に複数が下りて行くこともあるが、同じ家畜を奪い合うことはしない。
見ていると、一人の囮役がスッと下に向かう。
(なんで?)とアイリスが目で追っていると、広場の上空を回って飛んでいる群れから一羽が外れて市街地の方に向かおうとしていた。
下りて行った囮役の他に、第一小隊のファイターが四人、巨大鳥に近づき、その個体の進路を妨害し始めた。
他の巨大鳥を散らばせないよう、まだ煙は使っていない。忌避煙幕を使わずに四人のファイターが上手に誘導し、その個体はまた集団に戻った。それを確認して囮役も上空に戻って来る。
(なるほど。あの四人でも手に負えなくなったら、囮役の出番てわけね)
納得しながら見ていると、群れの中から一羽が急上昇してきた。あきらかにアイリスに向かって来る。
(私の出番だ)
ぐわっと湧き上がりそうになる恐怖心には無理やり蓋をして、自分を奮い立たせる。
フェザーの上に立った姿勢から腰を落とし、いつでもうつ伏せで飛び出す準備をした。
「目を狙ってるぞ!」
巨大鳥が自分とすれ違う直前、誰かの叫び声。ゴーグルをしていても、隙間から目に入れば、自分もヘインズと同じになってしまう。アイリスはいつでも顔を背けられるようにしながらも、巨大鳥から目を離さずにいる。
その巨大鳥が、アイリスのすぐ近くの少し上を通りすぎる。アイリスの脇を通り過ぎざまに、ピッと首を振った。急いで顔をそむける。ピシャッと液体が首の後ろ側にかかった。
ぴったりした制服の襟から中に、温かい唾液がわずかに入って来るのを感じる。アイリスが顔を戻すと、その巨大鳥が上空で向きを変え、もう一度アイリスに向かって来た。
(二度も同じ手はくわない!)
フェザーの上に立ち上がり、自分目がけて急降下してくる巨大鳥に向かい合う。そのダリオンがまた、アイリスを追い越しざまに首をピッと振ったが、アイリスはその場でくるりと小さく縦に回転して唾液を避ける。
(私にちょっかいを出したいの? それなら私を追いかけてくればいい)
フェザーにうつ伏せになり、斜め上に向かって上昇する。飛びながら振り返ると、すぐ後ろに巨大鳥がいる。どんどん上空に向かうと、あっという間に広場にいる家畜もファイターも小さくなっていく。
「ギィィィエェェ」という鳴き声が、すぐ背後から聞こえてくる。
(どこに逃げればいい? もっと上? それとも森のほう?)
頭の中に片目を負傷したヘインズの言葉が甦る。
『囮役の一番大切な役目は死なないこと』
アイリスは全力で上に昇った。次第に空気が薄くなっていくのがわかる。
(息苦しい。空気が冷たい。でも減速したら巨大鳥に捕まる)
アイリスは大きく縦に旋回し、逆さまになりながら相手の位置を確認しようとした。
(あれ? いない?)
急いで周囲を見回しても、巨大鳥はいない。王都の街並みははるか下にある。
(こんなに高くまで昇って来ていたのね。あの個体は戻った?)
慌てて高速で降下する。囮役の自分がいないと、ファイターたちに余計な負担がかかってしまう。急降下しながら見回しているうちに、自分に二度唾液を吐きかけた相手を見つけた。
冷静になって見ると、首を一周している白い飾り羽が確かに他の巨大鳥よりも少し長い。
「白首! あれが特別な巨大鳥……」
もし白首が特別な巨大鳥なら、どれだけ特別でどれだけ危険なのか。アイリスは白首を観察することにした。
白首は家畜を捕まえる順番を待っているようで、今は大人しく広場の上を旋回している。ホッと安心してから、自分が細かく震えていることに気がついた。
目の前に手を持ってくると、自分の意思とは無関係に手が震え続けている。
「うん、仕方ない。仕方ないわよ。巨大鳥に追いかけられたんだもの」
やがて白首も豚をつかまえて巨大鳥の森へと飛び去った。
次々と巨大鳥の群れは入れ替わり、全ての巨鳥が獲物をつかんで帰ったときには、太陽はずいぶん昇っていた。
残りの巨大鳥が全部獲物を手に入れて戻るまで、ファイターたちは油断なく監視していたが、団長ウィルの「撤収!」という声がかかり、初めての仕事は終わった。
騎士団の建物に入り、歩いていると小隊長のギャズがアイリスのところにやってきた。
「よくやった。アイリスが上空まで誘導してくれたおかげで、白首はおとなしく群れに戻ったよ」
「よくわからないままでしたが、あれでよかったんですね」
「ああ。初出動なのに冷静に対処できたな。合格だ」
アイリスは気になっていたことを質問することにした。他のファイターに迷惑をかけないよう、知らないことは遠慮せずに聞いておこうと決めている。
「昨日はすごい数が来ていましたけど、今日、そんなに来ていませんよね?」
「そうだな。一度家畜を食べると、数日はここに来ない。来るのは獲物を消化し終えて腹が減ったやつだけだ。あれだけの数が毎日家畜を食べにきたら大変だよ。巨大鳥たちはこの国で休んでいる間、広場に来るのは数日に一回だ」
なるほど、とうなずいていると、「ああ、そうか」とギャズが納得した様子。
「アイリスはまだ座学を受けてないのか」
「養成所の講義は、渡りの季節に私だけまとめて受けることになっていたんです」
「講義を受ける前に囮役が決まったか」
「はい」
そこでやっとアイリスは後頭部と首の違和感に気がついた。
「ギャズさん、あの、白首に唾液をかけられた場所がヒリヒリするので拭きたいです。どこに行けばいいでしょうか。女性用の浴室はないんですよね?」
「かかったのか! ちょっと見せてもらっていいか?」
「ここです」
後ろを向いて騎士団服の首のボタンを外し、襟を緩めて見せると、ギャズが慌てだした。
「かなり赤くなっている。すぐに医務室に行こう」
「それほど痛くはないんですけど」
「ヘインズの顔を見ただろう? そのままにしておくと広い範囲がただれるぞ」
そこから先は結構な騒ぎになった。
アイリスの首の後ろを見た医師が濡らした海綿で唾液を拭きとり、「唾液がしみ込んでいる衣服を着替えなさい」と言う。
着替えた後は赤くなった肌をさんざん調べられる。やっと解放されたときにはもう、へとへとだった。最後に医者が軟膏を塗ってくれた。
再びギャズが様子を見に来てくれた。
「アイリス、肌は大丈夫か?」
「はい。今は少しだけヒリヒリするだけです」
「今日はよくやった」
「明日以降のことで、なにか注意すべきことはありますか?」
「いや。初日にしては上手く囮役をこなせた。明日もあの調子で頼む。囮役に選ばれたことはもう、ご両親には伝えてあるんだろう?」
アイリスは思わずギャズから視線を逸らせてしまう。
「いえ。まだ……」
ギャズは驚いた顔になり、それから小さくうなずいた。
「言い出せなかったか」
「はい」
「わかった。じゃあ、俺から話をするよ。君の直属の上司として君のご両親に報告しよう」
「お手数をおかけして、申し訳ありません」
「アイリスはまだ成人してない。俺の役目だ、気にするな」
こうしてアイリスはギャズと一緒に家に帰ることになった。馬車の中のギャズは無言で、アイリスもこれから両親がどれだけ驚くかを想像すると気が重い。
(ギャズさんが囮役の話をしたら、お父さんもお母さんもショックを受けるんだろうな)
アイリスは初出動の晴れがましさよりも、両親や姉の悲嘆を思うと申し訳なさに胸が痛い。





