37 制服
「行ってきます」
「行ってらっしゃい、アイリス。くれぐれも巨大鳥に襲われないように気をつけてね」
「はい、お母さん」
「アイリス」
「お姉ちゃん……」
姉のルビーがギュッと抱きしめてくれる。ルビーはアイリスが今日から囮役になることを知らないはずなのに、なぜかとても心配そうな顔をしている。
「お姉ちゃん、どうかしたの?」
「わからない。なんだか今朝は不安で胸がいっぱいなのよ。出かける前なのにごめんね」
「大丈夫だから。行ってきます」
「アイリス、気をつけて」
「うん。行ってきます」
家族に見送られ、まだ暗い街路を馬車が進む。
(なんでお姉ちゃんはあんなことを言ったんだろう。私が今までと違う雰囲気を出していたのかな)
アイリスは答えの出ない疑問を、今は忘れることにした。落ち着かなければ、と自分に言い聞かせる。
朝日が昇って少したつと、巨大鳥は群れごとに順番に広場にやってくる。
通りにはまだ、ちらほらと人がいる。みんな急ぎ足だ。まもなく朝日が昇り、巨大鳥が飛んで来る。その前に家にたどり着きたいのだろう。
渡りの時期、すべての商店は日没後に店を開け、朝日とともに閉店する。アイリスが王空騎士団に向かう今は、あちこちで商店が店じまいをしている。
そんな緊張感漂う街の様子を眺めていると、同乗している護衛のテオが話しかけてきた。
「アイリスさんは今日から王空騎士団員ですね。昨夜は護衛たちの間でも大変な話題でした。女性の能力者というだけでも貴重な存在なのに、飛び級で騎士団員に昇格ですからね」
「一番の新入りなので、とにかくファイターの皆さんにご迷惑をおかけしないよう、頑張るつもりです」
アイリスの答えを聞いて、テオが少し考え込む。それから、今までよりも柔らかい笑顔で再び話しかけてきた。
「アイリスさん、心配性の護衛の言葉だと思って聞いてくれますか」
「なんでしょうか」
「経験を積んで知識と技術を手に入れるには、生き延びてこそです。どうか、命を大切にしてください」
アイリスはハッとした顔になり、テオに頭を下げた。
「はい。必ず命を大切にします」
「出過ぎたことを言いました」
「いいえ。胸に刻んで忘れないようにします。ありがとうございます」
馬車が王空騎士団の棟に着き、アイリスはテオに伴われて建物の中に入った。今までは右手の養成所に進んでいたが、今朝は受付の左側、王空騎士団用の建物へと進む。
騎士団員用のロビーには、既に制服に着替えた騎士団員たちがちらほらと集まって会話をしている。すぐにヒゲだらけの男性が声をかけてきた。
「よお! 姫。待ってたぞ」
「ひ、姫?」
「むさくるしい野郎の集団に、こんなに可愛い女の子が入って来たんだ。そりゃ姫だよ」
「いえ、どうぞアイリスと呼んで下さい。よろしくお願いします。全力で囮役を務めます」
そこに優し気な顔立ちの男が近寄って来た。
「アイリスは俺の小隊で囮役をやってもらう。俺はギャズ。第三小隊の隊長だ。よろしくな」
「アイリス・リトラーです。よろしくお願いします」
「制服に着替えたら、囮役の動きについて説明する」
「はい。わかりました。よろしくお願いします」
「それと、もし、君が女性だというだけで理不尽な目に遭うことがあったら、すぐ俺に報告をしてくれ。君は第三小隊の囮役だ。俺が対処する」
「わかりました」
ギャズは三十歳。二十五人の第三小隊の隊長で、高い飛翔能力と温厚な性格で隊をまとめている。黒に近い濃い茶色の髪に同じ色の瞳。優し気な顔立ちに不似合いな筋肉質の体つきの男だ。
「ヘインズは気の毒なことになった。アイリスも白首には気をつけてくれ」
「白首というのは、唾液を飛ばしてきたという巨大鳥のことですか?」
「ああ。そいつの首の白い飾り羽が、他の個体よりも少しだけ長くて目立つから『白首』だ。わかりやすいだろ?」
「はい。白首には特に注意します」
「アイリス! こっちに来て」
マヤに呼ばれて行くと、ファイター用の制服を手渡される。
「もう? もうできたんですか?」
「ええ一番小さいサイズの制服を、四人がかりでサイズ直ししたらしいわよ。とりあえずしばらくはこれで我慢してね。今、すごい勢いであなたの制服を仕立てているらしいから」
「ありがとうございます。着替えてきます」
「あっ、アイリス専用の更衣室はこっち、案内するわ。昨夜のうちに片付けておいた部屋があるの」
「マヤさん、着替えのためだけに部屋を用意していただかなくても」
「なに言っているの」
マヤは「めっ!」と睨むような表情になった。
「あなたの後にも女性の能力者が誕生するかもしれないじゃないの。その日のためだと思って、堂々と使えばいいのよ」
「そうか……そうですよね。はい、堂々と使います。ありがとうございます、マヤさん」
案内された部屋は狭く、おそらく今までは倉庫か資料室に使われていたようだ。壁紙が戸棚の形を残して日焼けしている。がらんとした空っぽの部屋には、小さな机と椅子、洋服掛けが置かれているだけだ。
机の上には、マヤの配慮だろうか、一輪挿しに秋の野花が挿してあった。
「ありがとう、マヤさん。私、頑張る」
アイリスは受け取った制服に袖を通した。
王空騎士団の制服は、風の抵抗を受けないように身体にぴったり沿うように作られていて、肘と膝には余裕が持たせてある。上は青色の詰襟、下は白いズボン。靴は膝下までの黒いブーツだ。
正式な場ではマントを羽織るが、飛ぶときは当然マントは外している。
「ぴったり。たった一晩でここまでサイズを合わせてくれたのね」
おそらくは徹夜作業だったであろうお針子さんたちに感謝をして、アイリスは先ほどのロビーに戻った。
ロビーにたむろしていた騎士団員たちは、アイリスが入ってくるのに気が付くと、「ほう」というような顔をしたが、ほとんどの者がちらりと見るだけで話しかけてくることはない。それがどういう意味か、アイリスは測りかねた
「似合うな」
「ギャズ小隊長、よろしくお願いします」
「ギャズと呼んでくれ。小隊長は四人いるから、名前でいい。じゃあ、さっそくヘインズと一緒に囮役の仕事について説明する。ヘインズ!」
「はい」
ヘインズがゆっくり歩いてきた。その姿を見てアイリスは息をのむ。
昨日は左目を覆うように包帯が斜めに巻かれていただけだが、今日は包帯の下の皮膚まで赤紫色に爛れている。
驚くアイリスの視線に気が付いて、ヘインズが優しく微笑んだ。
「ちょっと見た目は悪いが、それほど痛くはないから大丈夫だ。君は気をつけろよ」
「はい」
「白首が近寄ってきたり、交差するように飛んできたら、素早くルートを変えろ。風を読め。俺はヘマをしたが、君ならきっと避けられる。第一は白首に気を付けることだ。それから二つ目。君はファイターたちがどう動いているのかをよく見て、ファイターの仕事を邪魔しそうな巨大鳥がいたら、そいつの前に飛び出すんだ」
「はい」
「そいつが君を追いかけてくるように仕向け、つかず離れずの距離を保ってファイターたちから引き離せ。十分引き離したら、全力で逃げる。それで一件落着。囮役が覚えなければならないのは、この二つだ」
アイリスは(これは、あまりに簡単な説明では?)と思うが、ギャズが真面目な顔で補足した。
「相手は生き物だ。個性もある。仕事の前にどれだけ言葉で説明したところで、同じ状況なんて二度はない。君は自分の判断で飛び、自分の判断で身を守る。囮役は能力者の個性と能力によって巨大鳥への対応が違ってくる。君は速さを武器にしろ」
「わかりました」
「すべての囮役に共通する最重要事項は、囮役自身が食べられないようにすること。落下して死なないこと。それだけだ。飛翔能力者は貴重なんだ。死ぬな」
「はい!」
ギャズがそこまで言ったところで、団長のウィルが続々とホールに集合していた騎士団員たちに声をかけた。
「さあみんな、行くぞ!」
「おうっ!」
全員の声がひとつになり、くつろいでいた男たちの表情が引き締まる。
アイリスの初出動である。