35 囮役の発表
団長たちの行動は素早かった。
王空騎士団のホールに騎士団員、訓練生、訓練生の監督役の元騎士団員たちが全員集められた。
アイリスの周囲の訓練生たちが、整列した状態でヒソヒソと話をしている。
「なんで招集がかけられたんだろうな」
「今日、ヘインズさんが怪我したらしいよ」
「広場の周辺でそんなことがあったか?」
「かなり上空でのことらしい。さっき騎士団員たちがその話をしてた」
「囮役が交代てことか」
「だとしても、訓練生は関係ないのに。なんで呼ばれたのかな」
アイリスは視線を彼らの足元に向けて会話を聞いている。
これから自分の名前が呼ばれるだろう。それを聞いた訓練生たちがどういう反応をするか、想像がつく気がする。それが少し憂鬱だ。
前方のドアが開き、団長ウィルと副団長カミーユが入ってきた。ざわざわしていたホールは静かになり、およそ百二十人の視線が二人に集中した。カミーユは壇の端で足を止め、中央に進んだウィルが話を始めた。
「楽にしてくれたまえ。本日、広場の上空三百メートルほどの位置で、集団から離脱した巨大鳥を誘導していたヘインズが片目を負傷した。唾液をかけられ、眼球の表面がただれた結果、『視力を完全に回復するのは難しい』との医師の診断が出た」
すぐにホールの中がザワザワとなった。
「唾液? 巨大鳥の唾液って毒だったのか?」
「聞いたことはあるけど、毒があるっていうのはただの伝説だと思ってた」
「ヘインズさんは引退するってことか?」
「静かに!」
全員が口を閉じるのを待って、ウィルが話を続ける。
「慣例では騎士団員の中から次に速い者を囮役として選出するのだが、今回、私とカミーユは、アイリスを囮役に選びたいと考えている。アイリスは現役の騎士団員と比べても速い」
一瞬の静寂の後、騒ぎになった。アイリスの周囲の訓練生が、全員振り返って見てくる。その目に好意は感じられない。アイリスは奥歯を噛んで視線を前に向けたまま無視した。
「そういうことか。ああいう英雄気取りが、ここに結び付くわけだ」
声の主はソラルだ。ソラルはアイリスが初めて訓練に参加したときに「どけっ!」と叫び、ケインを助けたときは「英雄気取り」と非難してきた。今、彼の目には、はっきりした敵意と憎悪が露わになっている。
ウィルが話を再開した。
「アイリスはまだ養成所に入って日が浅い。しかも女性だ。納得できない者もいるだろう。私とカミーユはアイリスが適任だと思っているが、不平不満が出ないよう、立候補者がいれば受け付ける。その上で誰が一番囮役に適任か決める」
「うわ、みんなの前で速さ比べか」
「女に負けたらみっともないよなあ」
「俺はやめておく。団長がああ言うなら、きっと彼女が一番速いんだろう」
ソラルが手を挙げた。
「団長、それは訓練生でもいいのでしょうか」
「もちろんだ」
「では僕が立候補します」
おおお、という低い声があちこちから上がる。すると前方の騎士団の中からも手が上がった。金色の長い髪。マイケルだ。
「団長、僕も速さ比べに参加してもいいですか?」
「マイケル。お前はトップファイターだろうが。囮役に代わりたいのか?」
「賑やかしで参加したいだけです」
騎士団員たちから笑い声が上がるが、ウィルは渋い顔だ。
「マイケル、これは遊びじゃない」
「……申し訳ありません」
「他に立候補者はいないか?」
「はい」
訓練生の中から手を挙げたのはサイモンだった。アイリスは意外な立候補者にピクッと身体が動いたが、どうにか無表情を保った。
結局、囮役に立候補したのはソラルとサイモンだけ。
「よし、では三人は十分後に団長室へ来るように。では、解散」
多くの騎士団員や訓練生がアイリスを見ながらホールを出て行く。ソラルを応援するように背中を叩いて出て行く訓練生もいた。アイリスは床を見たまま、他の人たちが出て行くのを待った。
「アイリス」
「びっくりしたわ。サイモンはトップファイターを目指しているんだとばかり思っていたのに」
「目指しているよ。いつかはトップファイターになるつもりだ」
「じゃあなぜ」
「君と僕の二人で一人分にならないかと思った」
「それはどうかしら。騎士団側は将来のトップファイターを温存したいんじゃないかな」
「開花したばかりのアイリスに、囮役は危険すぎるよ」
「それはわかってる。間違いなく危険だと思う。でもやりたいの。十歳の私が救ってもらったように、私も誰かのためにこの力を役立てたい。それに、囮役として全力で飛びたい」
「そうか……。僕はこれから団長に僕とアイリスで一人分にしてくれないか頼もうと思う」
「サイモン、私なら大丈夫だから」
「これは僕がそうしたいんだ」
そう言うと、サイモンは十分後と言われたにもかかわらず、団長室に向かった。しかし、ウィルはサイモンの提案を却下した。
「それは認められない。囮役は各小隊に一人だ。貴重な訓練生を二名も使うことはできない」
「アイリスは貴重じゃないんですか?」
「いや。とても貴重だ。貴重な存在だからこそ、彼女には一日も早く巨大鳥に慣れてほしいと思っている」
サイモンは「え?」という顏になる。
「アイリスのずば抜けた能力は、今すぐ必要なんだ。ケインをはじき飛ばし、ヘインズの目を傷つけた巨大鳥は同じ個体だ。サイモンはあの言い伝えを知っているかい? 養成所に入って最初の座学で聞いているはずなんだが」
「言い伝えと言うのは『特別な巨大鳥が生まれるとき、特別な能力者もまた誕生する』でしょうか。覚えています。では団長は、その個体とアイリスを、特別な存在だとお考えなんですね?」
「そうだ。このことはまだ公式には発表されていない。サイモンも他言は無用だ。特に特別な巨大鳥に関しては、国民の不安を煽るだけだからな」
サイモンはウィルの考えに承服できない。
(もしアイリスが特別な能力者ならば、余計に大切にすべきじゃないのか。巨大鳥の前に出すまでに、アイリスに少しでも多くの知識と技術を身に付けさせるべきじゃないのか)
「サイモン、アイリスは我々の基準で考えるべき存在ではないよ。私は彼女に、一日も早く現場に参加してほしいと思っている。それが彼女にとっても国にとっても重要なんだ」
「ですが」
「あの特別なダリオンは卵から孵って五ヶ月ぐらい。アイリスは開花して四か月。ほぼ同時に誕生しているんだよ。それに気づいたとき私は、言い伝えは真実を伝えていた、と思った」
サイモンはウィルの言葉を聞いて沈黙した。
「サイモン、アイリスの存在を面白く思っていない訓練生は、ソラルだけではない。マイケルにアイリスを排除するよう頼んだ連中が八人ほどいたらしい」
「排除、ですか? そんなこと、誰が」
「マイケルはああいう性格だからな。『その場にいた訓練生に興味がなかったから、マリオ以外は覚えていない』と言っている。マリオがマイケルにそんなことを頼む理由は、間違いなく嫉妬だ。アイリスが女性なのも、新入りなのにとんでもない能力を見せていることも気に入らないんだろう」
「それはアイリスのせいではありません」
「そうだ。彼女は何も悪くない。だが、嫉妬とはそういうものさ。我々が表立ってアイリスを守れば、いっそう嫉妬して陰で彼女に害を為すだろう。嫉妬を抑えるには、アイリスの実力を見せつけて納得させるのが一番早いんだよ」
「……」
「ファイターが仲間同士の信頼関係なしに巨大鳥の前に出れば、あっという間に命を失ってしまう。サイモン、難しいことを言うが、君はアイリスと他の訓練生との懸け橋になってやってほしい。彼女ほどの能力があれば、いずれ全員が嫉妬心を手離して納得するさ。自分の実力を自覚している騎士団員たちは、実力最優先に馴染んでいる。だが、訓練生たちはまだそこまでじゃない」
「……はい」
「我々も苦心しているよ。なにしろアイリスは我々よりもはるかに高い能力を持っている。正直、どう育てるのが正解なのか悩ましいところだ。私もカミーユも手探り状態だ。彼女のような飛び抜けた能力を持つ訓練生用の指導用の書なんて、ないからな」
「団長より高い能力、ですか」
「そうだ。全盛期でも速さでは彼女に勝てたかどうか。アイリスに知識と経験はないが、飛ぶ能力に関して、今のアイリスは俺やカミーユより上だ」
そうかも、とは思っていたが、団長の口からはっきり言われた言葉に、サイモンはたじろぐ。アイリスは飛ぶことだけで言えば、『お前よりもはるかに上だ』と言われたも同然だった。
「お前はアイリスと同期だ。これから長いことアイリスと一緒に飛ぶことになる。サイモン、アイリスを気にかけてやってくれ」
「はい」
サイモンは団長室に入る時の勢いを失い、ホールへと戻った。
「サイモン、どうだった? 団長はなんて?」
「だめだった」
「やっぱり。私なら大丈夫よ。いざとなったら全力で飛んで逃げるから」
「特別な巨大鳥のこと、聞いたかい?」
「うん。ヘインズさんの目を狙って毒の唾液を飛ばしてきたそうよ」
「ケインさんを弾き飛ばしたのも、同じ個体だそうだね」
「ええ」
サイモンはアイリスの両肩に手を置いた。
「アイリス、なにを措いても自分の身を守ってほしい。こんなことしか言えなくて僕は悔しいよ」
「ありがとう。そんなに心配しないで。そろそろ団長室に行ってくる」
アイリスが団長室に向かうと、それまで姿が見えなかったソラルが現れ、団長室へと入った。
アイリスとソラルはウィルに選抜試験のことを説明され、すぐに解散となった。ソラルはアイリスが見えないかのように、そのままアイリスに背を向けていなくなった。ホールにはまだサイモンが待っている。
「サイモン、私なら大丈夫よ。私、そろそろ帰るわね。サイモンは寮の食事の時間があるでしょ?」
「うん。じゃ、また明日」
「うん。また明日ね」
とっぷりと日が暮れた王都の通り。
アイリスは馬車に揺られながら考え込んでいる。囮役のことも特別な巨大鳥のことも、両親には言わないでおこうと思った。そうでなくとも両親は、アイリスが訓練生になったことを酷く心配しているのだ。
「これ以上心配させるのは申し訳ない、ううん、申し訳ないを通り越して、父さんたちが可哀想だわ」
その夜、アイリスは家族には何も言わず、普段通り振舞った。
囮役が簡単な役目とは思わないが、『お前にならできる』と期待をかけられたことは嬉しい。その期待に応えたい。
ケインを弾き飛ばし、ヘインズの目をめがけて唾液を飛ばした巨大鳥。
「私が女なのに飛べるのも、十五歳にもなって能力が開花したのも、他の人より速く飛べるのも、その巨大鳥からみんなを守るためなのかな」
いまだに『特別な巨大鳥が生まれるとき、特別な能力者もまた誕生する』という言い伝えを信じきれない気持ちがある。『なぜ自分なんだろう』という疑問は考えないようにした。考えても答えは出ないのだから。





