34 団長からの呼び出し
元ファイターのエリックがアイリスの行動を肯定した以上、ソラルはなにも言えなくなった。唇を噛んで黙りこみ、自分がいた場所へと引き下がった。防鳥壕の中が重苦しい雰囲気のまま、それから数時間が過ぎた。事前に渡されていた水や携帯食を口にしながら、訓練生たちは先輩の活動と巨大鳥たちの行動を見続けている。
「よし、帰るぞ。二列縦隊だ」
エリックの指示のもと、訓練生たちは防鳥壕から抜け出した。あたりはもう、とっぷりと暗い。
前後を元ファイターに挟まれ、訓練生たちはフェザーに乗って低い位置を保ちながら養成所へと向かって飛んだ。アイリスのフェザーは半分に折れている。
アイリスは訓練生の最後尾で監督役エリックの前。そのアイリスが、前方にいる一人の訓練生を見つめた。
(あれ? あの人、ふらついている?)
アイリスの四人前の少年は、アイリスの隣で見学をしていた最年少のあの男の子だ。
(精神的に耐えられなかったのかな)
アイリスがそう思いながら見ていると、少年はフェザーごとパタリと倒れた。そのまま地面で動かない。
アイリスの後ろにいたエリックがアイリスを追い越し、無言で地面に転がり落ちた訓練生を軽々と引っ張り上げた。
エリックは少年を自分のフェザーに乗せてアイリスを待っているので、アイリスは低速で飛びながら少年のフェザーを拾い上げた。
「気が利くな」
「あ、はい」
後ろを守ってくれているエリックと短い会話をし、再び無言で移動する。養成所に到着すると、落下した少年は医務室に運ばれていった。
アイリスは、割れて半分の長さになったフェザーと少年のフェザーの二枚をラックに戻してから建物の中に入った。養成所の談話室は、高揚している訓練生と暗く落ち込んでいる者に分かれていた。落ち込んでいるのは下の学年がほとんどだ。
部屋の隅にいたアイリスにサイモンがスッと寄ってきた。
「アイリス、大丈夫? すごい勢いで飛んだけど、気持ち悪くない?」
「大丈夫」
「指、どうしたの?」
言われて自分の手を見ると、くっきりと歯形がついて点々と血が滲んでいる。
「巨大鳥を近くで見るのは二度目だけど、獲物を捕らえる場面は初めて見たの。それで……落ち着かなきゃと思って、噛んでた。巨大鳥、大きかったわね」
「そうだね」
「ずっとあの丸い目が忘れられなかったけど……今日見たら、覚えていた以上に恐ろしい生き物だった」
二人の会話はそこで途切れた。なぜなら、アイリスより年下の訓練生が、唸り声をあげながら頭を抱えてしゃがみ込んだのだ。その少年は、たしか十二歳。
「ううううう、無理無理無理っ! 僕、あんなでかい化け物になんか近寄れないよっ!」
そう叫ぶなり、その少年は休憩室を飛び出して行った。追いかけて行くのは寮で同室の別の少年。それを冷ややかに見送っているのは先輩の訓練生たちだ。
「あいつ、ファイターは無理だな。雑用係か?」
「安全な場所で見ただけであれじゃな。伝令係ならできるんじゃないか?」
「むしろ今のうちに諦めてくれた方がいいよ。いざ巨大鳥と向かい合ったときにあんなふうになられてみろ。アイツが餌になっちまうよ。そうなったら俺たちが巨大鳥に向かって取り戻しに行く羽目になる」
「まあ、あいつ一人が減ってもなんとかなるだろ」
やがて休憩室の中にいた訓練生たちは、アイリスとサイモンを残して自分の部屋へと戻った。アイリスはそれまで我慢していた言葉を思わず吐き出してしまう。アイリスは一人だけ自宅に帰ることが気が引けて、皆が部屋に戻るのを待っていた。
「あんな言い方しなくてもいいのにね。あの子の怖さ、私はわかる気がする」
「みんなもわかってるよ。訓練生全員が恐ろしいと思っているはずだ。僕だって恐ろしい。それでも飛ぶのは……なぜだろうね。自分のことなのに、上手く言葉にできないや。アイリスこそ、よく耐えられたね。一度襲われたんだったら、余計恐ろしいだろうに」
「私は……空を飛びたいから。自由に飛びたい。そのためなら巨大鳥の前にも飛んで行ける気がする。なんでかな。なんでこんなに飛びたいんだろう」
アイリスの血が滲んだ指を、サイモンがじっと見ている。見苦しいかと思って手を隠そうとすると、その手をそっとサイモンが握った。
「僕が開花したとき、母はずっと泣いていた。僕はまだ小さかったから、母がなんで泣くのかわからなかった。でも恐らく、母は僕がこうなることを知っていたんだ。飛翔能力者なら、命の危険にさらされても飛びたくなるって」
「私の母も泣いていたわ。おそらく父も見えないところで泣いていたと思う。私、ファイターとか王空騎士団て、晴れがましくて素晴らしい仕事だとばかり思ってた。でも実際はそれだけじゃないわね」
「そうだけど、飛ぶことが王空騎士団員になることなら、僕は巨大鳥の前で飛び続けるよ」
「……私も」
やがてファイターたちが帰ってきた。
帰ってきたファイターたちは、皆高揚した雰囲気で声が大きい。ワイワイと会話しながら養成所の脇を通り抜け、奥にある王空騎士団の宿舎に向かっている。フェザーに乗って滑るように進む者、ゆっくり歩いて行く者、いろいろだ。
集団の最後を歩いて来るのはヒロ、ケイン、団長ウィル、副団長カミーユの四人だ。団長の声が聞こえてきた。
「そう言わずに考えてみてくれよ、ヒロ」
「団長に声をかけていただけるのは光栄ですが、俺はマスターには向いてません。それに、そろそろ親と一緒に暮らしたいんです。両親はもういい年ですからね」
「そうか……。残念だよ」
アイリスとサイモンは互いに顔を見合わせた。アイリスは外に飛び出し、ヒロの背中に声をかけた。
「ヒロさん!」
「おや。アイリスじゃないか。さっきはケインを助けてくれてありがとう。助かったよ」
「ヒロさん、マスターをやらないんですか?」
「なんだ、聞こえたのか。そうだなぁ、マスターのなり手は足りているからな。俺はそろそろ田舎に帰るよ」
アイリスはヒロに駆け寄った。
「うん? どうした」
「私が騎士団員になるまでいろいろ教えてもらえるものだと思っていました」
「そうしたい気持ちもあるにはあるんだが。年を取った親が心配なんだよ」
「そう、ですか」
二人の様子を見ていた副団長のカミーユが声をかけてきた。
「アイリス、少ししたら団長室に来てくれるか? 話したいことがある」
「はい」
何事かと思いながらいったん訓練生用の談話室に戻った。
「アイリス、どうした? ヒロさんはなんだって?」
「ヒロさんはマスターにならずに実家に帰るって。それよりも、団長室に呼ばれたの。これから行くんだけど、きっとケインさんを助けに飛び出したことよね。叱られるのかな」
「そんなことないと思うよ。エリックさんだってマスターたちは間に合わなかったって言っていたじゃないか」
「そうだけど。怒られたら謝るしかないわよね。行ってくるわ」
「うん。後で話を聞かせて」
「わかったわ」
アイリスが団長室をノックすると「入りたまえ」と団長ウィルの声がした。アイリスは「失礼いたします」と言いながらドアを開け、一歩中に入って驚いた。
そこには団長のウィル、副団長カミーユ、引率係だったエリック、包帯姿のケイン、それと名を知らない騎士団員が一人がいた。
ケインは腕に包帯を巻いている上に杖もついていて、名前を知らないファイターは、左目を覆うように頭部を斜めに包帯で巻かれている。
「座りなさい」とウィルに言われてアイリスが座ると、すぐに話が始まった。
「アイリス、今日のケインの救出のことだが、どういう理由で飛び出した?」
「私は、三か所に待機していたマザーの位置と、六ケ所にいた救助用フェザーの位置を覚えていました。ケインさんが落下するであろう場所を見た瞬間に、間に合わないと思いました」
「自分なら間に合うと思ったのかい?」
「はい。私ならあの位置までギリギリで間に合うとわかったんです」
「わかった?」
「はい。上手く言葉では言い表せませんが、計算とかではなく、私なら間に合うとわかりました」
「ふむ」
ウィルは視線を他の人間に向ける。
カミーユ、エリック、ケイン、片目のファイターが皆、重々しく団長に向かってうなずいた。
「目に包帯を巻いている彼はヘインズだ。今日まで王空騎士団の中で二番目に高速で飛べるファイターだったんだ。ヘインズは、その速さから囮役を務めていた。ダリオンの群れを高い位置から監視して、誘導に従わず人間を襲おうとしているダリオンの前に飛び出し、囮になって自分の方に引きつける役目だ。だが今日、若いダリオンに片目を負傷させられてね。ケインを翼ではじき飛ばしたのと同じ個体だ」
「同じ個体……」
「そうだ。その若いダリオンは、首に一列ぐるりと生えている白い羽が、他の個体よりも長い。そこで見分けがついた。その若いダリオンがヘインズの目に唾液らしき液体を飛ばしてきた。わざとやったのか偶然かは不明だ。ダリオンの唾液に毒があることは非常に古い資料に書かれてはいたが、実際に毒があることを経験した者の記録はなかった。人間がダリオンを生け捕りにしたことは今まで一度もないしな。ヘインズ、この先は君が」
片目を包帯で巻かれたヘインズがそこから話を引き取った。
「ゴーグルをしていたが、隙間から唾液が流れ込んで目に入った。飛翔中はすぐには洗えないから、我慢したのがよくなかった。目に入って少ししてからえらく沁みて目を開けられなくなった。巨大鳥から逃げ切ったあとで慌てて洗ったんだが、結果、眼球がただれてしまったんだ」
(巨大鳥の唾液に毒? 初めて聞いた)とアイリスは驚いた。
「どうにか失明は免れたが、左目の視力は相当落ちるかもしれないそうだ。空中で全方位の巨大鳥を見る騎士団員としては、残念ながらもう働けそうにない。私は、あの若い奴が私の目を狙って唾液を飛ばしてきたと確信している。急接近してきて、すれ違いざまに唾液を飛ばされた。しかもじっとこっちを見ていて、唾液を飛ばす方向とタイミングを計っていたように感じた。あんなことをする巨大鳥は初めて見た」
再びウィルが話を始めた。
「今までは次に速く飛べるファイターがヘインズの役目を引き継ぐのが慣例だったが、次に速いマイケルはトップファイターだ。飛翔能力が高く、万が一に備えて戦闘もできるマイケルは囮役をさせられない。次に速いのは……我々は全員一致でアイリスだと判断している。ただ、君は訓練生とはいえ、飛翔能力が開花してからたった四か月しかたっていない。だから、皆決めかねているんだ」
次に副団長カミーユが口を開いた。
「我が国に飛んでくる巨大鳥とファイターの数は、比率で言うとおおよそ六対一か七対一。騎士団員は圧倒的に少ない。速いだけなら君なんだが……。この役目はひとつの小隊から一人しか人員を割けない。一人で判断して動き、一人で自分の身を守る。君にその役目を引き受ける覚悟があるかどうかを聞きたい。保護対象者から巨大鳥を引き離し、対象者の安全が確保されたのを確認したら、全力で逃げる。もし巨大鳥に追いつかれたら食われてしまう。そういう役だ」
アイリスは思ってもみなかった話に驚いたが、慌てることはなく逆に冷静になった。
「不勉強で申し訳ないのですが、ヘインズさんがなさっていた囮役というのを、今初めて知りました。団長さんや副団長さんが私に務まると判断なさったのなら、お引き受けしたいです」
「そうか。引き受けてくれるか」
「はい。巨大鳥は恐ろしいですが、その恐怖以上に、私は空を飛びたいのです。今日、ケインさんを助けなければと思い、全力でフェザーを飛ばしました。あんなに速く飛べたのは初めてでした。そしてあそこまで速く飛べたことに、自分で驚きましたし……」
そこまで言って、その先を言おうか言うまいか迷う。なぜなら、その先は、自分でもよくわからない感情だったからだ。団長のウィルが言い淀んでいるアイリスを促した。
「なんでも言いなさい。この集まりは非公式だ。記録は残らない」
「では、本音を言います。今日、全力で飛んだあと、私は生き甲斐を感じました。私はもっと飛びたいです。もっと速く、もっと高く、もっと遠くまで飛びたい。それがなぜかは自分でもわかりません。でも、私はひたすら空を飛びたいのです。囮役を任せていただけるなら、全力で務めます」
少しの間、部屋がシンとなり、団長のウィルが次の言葉で会議を締めくくった。
「ではこうしよう。君を囮役の候補者として全員の前で発表する。その際、他に希望者がいないか確認する。他に立候補者がいた場合は、君と立候補者で速さを競ってもらって決める。我々はそんな手間をかけずとも、君が一番速いのはわかっているんだがね」
副団長のカミーユが苦笑しながら続きを語る。
「なにしろ君は飛べるようになってまだ四か月だし、王空騎士団と養成所を含めて唯一の女性能力者だ。そういう手順を踏まないと、あとあと不満が出るのは目に見えている。囮役は飛翔能力者たちにとって、トップファイターとは別の意味で憧れの役目でもあるんだ。王空騎士団は徹底した実力主義だが、嫉妬の感情は理屈じゃない。もめ事の芽は潰しておきたい」
「わかりました」
会議に参加していた全員がうなずき、会議は終わりになった。アイリスが養成所に戻ろうとして歩いていると、後ろから声をかけられた。
「アイリス」
「ケインさん。お怪我の具合はいかがですか」
「地面にぶつかったときに膝の関節をひねったらしくて、少々痛い。でも、生きているだけでありがたいよ。アイリスのおかげだ。ありがとう。礼を言うよ」
ケインは深々と頭を下げ、慌てているアイリスを見て笑った。
「なにかあったらいつでも相談してくれ。力になる。君は命の恩人だ」





