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33 九月の渡り 

 その日の夜明け前、王都にある塔の全ての鐘が一定のリズムで鳴らされた。

 巨大鳥ダリオンの渡りを知らせる鐘だ。

 

 多数の鐘のが重なり合い、複雑で不穏な響きになっていく。

 人々は落ち着きを失い、不安を募らせ、建物の奥深くに引きこもる。

 大きな音を立てないようにして、夜が来るのをひたすら待つのだ。


 アイリスは鐘の音と同時に跳ね起き、すぐに訓練服に着替えた。着替えが終わるか終わらないかのうちにリトラー家のドアが叩かれる。アイリスが走って玄関のドアを開けると、いつも送り迎えをしてくれる護衛のテオが、緊張した様子で立っていた。


「おはようございます。アイリス・リトラーさんに召集です」

「今すぐ参ります」


 もう起きていた母が、青白い顔でアイリスを抱きしめる。


「アイリス。なにがあっても命を大切にすると約束して」

「大丈夫。訓練生は頑丈な地下から見ているだけだから」


 悲し気な顔で父ハリーも近づいてきた。


「アイリス。父さんにも抱きしめさせてくれ」

「お父さんまでそんな顔をして。大丈夫よ。もう行かなきゃ」

「朝ごはんは? 食べずに行くの?」

「ごめんなさい。こんなに早いとは思わなくて。食べる時間はなさそう。では行ってきます」


 笑顔で挨拶するアイリスを白い顔で見送る母。その母の肩を抱く父。なぜか姉のルビーは出てこない。アイリスはドアを閉めると小走りで馬車に向かい、飛び乗った。王空騎士団に向かう途中、馬車の窓から街の景色をじっと見る。


 ありとあらゆる建物は厳重に巨大鳥ダリオン対策がなされている。昨日まではそれでも玄関のドアは出入りできる状態だったが、今朝はもう違う。全てのドアに分厚い板が打ち付けられている。

 王空騎士団に到着し、アイリスは走って建物に飛び込んだ。事務所からマヤが顔を出して声をかけてきた。


「アイリス、急いで! ホールに集合よ」

「ありがとう、マヤさん」


 全力で廊下を走る。ドアをそっと開けてホールに入ると、騎士団員と訓練生の全員が整列していた。

 正面の檀に近いほうに百人弱の騎士団員たち。その後ろに訓練生の二十人。

 アイリスは自分の場所が集団の一番後ろであることに感謝しながら、静かに列に加わった。隣はサイモンだ。まだ団長たちは来ていない。


「おはようアイリス。間に合ったね」

「ええ。いよいよね、サイモン」

「緊張してる?」

「うん。少し。でもファイターたちの活躍が見られるのは楽しみだわ」

「そうか。怖がっていないなら安心したよ」


 前方右手のドアが開き、王空騎士団長ウィル、副団長カミーユが入って来た。ウィルが壇上の中央に立ち、話を始めた。


「諸君、おはよう。今朝、北の海岸から巨大鳥ダリオン飛来の連絡が届いた。巨大鳥ダリオンはすぐ王都に飛来する。王都に来れば、捕食の時間が始まる。いつも通り、油断をするな。極力巨大鳥ダリオンを傷つけず、殺さず、誘導せよ。諸君の健闘を期待している」


 掛け声も号令もないのに、全員がザッ! と敬礼して、短い朝礼が終わった。

 ファイターたちが小走りで部屋を出て行く。


「訓練生は私の後について来るように」 


 元ファイターのエリックが引率係だ。訓練生はエリックの後ろに続いてホールを出た。引率しながらエリックが新入りのアイリスに説明をしてくれる。


「今回の巨大鳥ダリオンは四つのグループに分かれているらしい。通常の範囲内だ。春にエンドランドで生まれた若い巨大鳥ダリオンが多数混じっている。首から胸にかけて色が薄いのが若鳥だ。成鳥になると首も胸も濃い茶色になる。巨大鳥ダリオンが一羽残らず獲物を手に入れて森に帰るまで、騎士団員は広場と市街地を監視し続ける。太陽が完全に沈んで辺りが真っ暗になるまで、交代で休憩を取りながら飛び続けるんだ」


 フェザーに乗って移動している間、訓練生たちは一人としてしゃべる者がいない。最上級生は何度も巨大鳥ダリオンを間近で見ているが、それでも緊張している。


 広場に到着した。訓練生は、王都の広場に設けられている防鳥壕ぼうちょうごうへと向かう。普段は広場の敷石になっている分厚い石の板。それで蓋をされている防鳥壕は、すでに蓋を外され、狭い入り口が横一直線に開いている。広場の地下に見学用の防鳥壕が作られているのだ。


 訓練生は、人は入れるが巨大鳥ダリオンは入れない程度のすき間から、滑り込むようにして防鳥壕に入る。入ると中は奥行きがある。

 たとえ巨大鳥ダリオンが首を突っ込むことがあったとしても、訓練生が引きずり出される心配はない。


「来た!」


 誰かの声で皆が空を見あげた。

 頭上には乱舞する二百羽ほどの巨大鳥ダリオン。最初の群れだ。


 アイリスはこれほどの数の巨大鳥ダリオンを、こんなに近い距離で見るのは初めてだ。訓練生たちは一様に硬い表情で、上空や広場で繰り広げられている景色を見つめている。

 アイリスの前方で、巨大鳥ダリオンが家畜をつかみ上げた。


(ああ、こうやって豚やヤギを持ち上げるのね……なんてすごい力だろう)


 巨大鳥ダリオンは旋回している上空から一直線に下降してくる。

 地表近くで翼を広げて速度を落とすと、逃げ回る家畜を逃がすことなくつかみ上げ、すぐさま力強く羽ばたいて上昇していく。

 バサッバサッという羽音と家畜の悲鳴がいくつも折り重なるように聞こえてくる。


 アイリスの隣の少年が「うううっ」という声を出した。彼は一番下の学年でアイリスより年下だ。アイリスも彼に声をかける余裕がない。さっきからずっと右手の人差し指を曲げて、関節を噛み続けている。指の痛みが恐慌に陥りそうな自分を落ち着かせてくれる。


 巨大鳥ダリオンは、一羽が飛び去ると、次の一羽が降下してくる。繁殖期以外は単独で行動すると言われる巨大鳥ダリオンだが、繁殖期には群れが作られ、リーダーが現れる。


 真っ黒なフェザーに乗ったヒロが長剣を構えて、はるか上空を飛んでいる。ケインは長い棒を持っていた。マイケルも剣を構えて巨大鳥ダリオンの集団の外側を飛んでいる。

 距離があるから表情までは見えないが、ファイターたちの飛翔は華麗な舞のようだ。


「きれい。ファイターって、なんて美しく飛ぶのかしら」


 思わず声を漏らしたアイリスを、隣のうめき声の少年が別の生き物を見るような表情で見た。アイリスはその視線に気づかないまま、ファイターたちを見上げている。巨大鳥ダリオンが近くを低く滑空していくときは、声を出さないように再び指の関節を噛んだ。


 やがて全ての巨大鳥ダリオンが獲物を手に入れ、王都の隣にある『巨大鳥ダリオンの森』へと飛び去った。

 引率役のエリックが説明を始めた。


「今のグループは集団から外れて行動する巨大鳥ダリオンがいなかったが、これは珍しい。たいてい一羽か二羽はこの広場以外に興味を持って飛び出してしまうんだ」

 

 訓練生たちは皆無言。アイリスは恐怖心が半分と、ファイターの華麗な飛翔にうっとりする気分が半分だ。


 巨大鳥ダリオンの第一陣が全ていなくなって少しすると、第二陣が飛来してきた。

 第二陣の巨大鳥ダリオンも次々と家畜を捕まえては、森へと獲物を運び去っていく。第三陣までは同じことの繰り返しだった。

 事件は最後の第四陣が来たときに起きた。


 一羽の若い巨大鳥ダリオンが広場の獲物には興味を示さず、上空に昇っていく。すかさず追いかけていくファイターが二人。巨大鳥ダリオンに比べて圧倒的に数が少ないファイターたちは、全員が追いかけるわけではない。その時その時で動ける者が対応する。


(ヒロさんとケインさんだ)


 繰り返し練習を指導してもらったから、アイリスは飛ぶときの姿勢でヒロとケインだけは距離があっても見分けがつく。


「あっ!」


 何人もの訓練生が同時に声を漏らした。

 群れから離れて上昇していく若い巨大鳥ダリオンが、前方で円を描いて行く手を阻んでいたファイターの一人に高速で体当たりした。正確には体当たりというより、翼で叩いたような接触だった。


 巨大な翼で叩かれたファイターは、まるで布で作られた軽い人形のように弧を描いて斜め上に飛ばされ、それから落下し始めた。

 アイリスはフェザーを抱えて防鳥壕から飛び出した。


「アイリスッ!」

「止まれっ!」


 背後の声は聞こえたが止まらない。(あれは間違いなくケインさんだ。救助役は間に合わない)と心が叫ぶ。


(ケインさん! ケインさん! ケインさん! ケインさん!)


 いつフェザーに乗ったのか覚えていない。気がつけばアイリスはフェザーにうつ伏せになって、広場の家畜たちの上を飛び越し、ケインが落ちるであろう位置を目指していた。

 遠くで誰かが叫んでいる。


(知るものか。今行かなければ間に合わない)


 ケインが落ちてきた。間に合うか? 間に合わなければケインは死ぬだろう。


「うああああああっ!」


 自分が叫んでいることにも気がつかず、アイリスは高速で突き進む。目にぶつかる風が痛くて自然に涙が出てくる。

 ケインが落ちてきた。落ちてくるケインは目を開き、無表情に自分が落ちる先を見ている。


 ドンッ!


 ケインがアイリスのフェザーの上に落ちた。その衝撃に備えるべく、アイリスはありったけの力をフェザーに流し込んだ。それでも落ちてきたケインを受け止めた瞬間、アイリスのフェザーは大きな衝撃を受けた。

 アイリスとケインを乗せたまま、フェザーは後部から広場の敷石にぶつかった。

 ケインの身体は一度跳ね上がり、それから再び地面に落ち、動かなくなった。


「ケイン無事か!」

「ケインッ!」


 ケインの周囲を数人のファイターが取り囲む。アイリスは肩で息をしながらケインを見ている。

 ケインをファイターの一人が引き起こした。ケインは目をつぶったままだ。ケインはフェザーに乗せられ、高速で運ばれて行く。


「来たぞ!」


 広場に影が差した。アイリスが上を見上げると、ケインを翼で叩き落した若い巨大鳥ダリオンがアイリスを目指して下降してくる。

 アイリスは慌てて起き上がり、フェザーを手に取る。丈夫なはずのフェザーは真っ二つに割れていて、持ち上げた途端に、わずかに端の方で繋がっていた部分も折れた。折れたフェザーが落ちて、カンと音を立てた。一番近いファイターが叫ぶ。


「アイリス、乗れ!」


 自分のフェザーに乗れと言っている。それが間違いであることを、アイリスは直感で理解した。

 アイリスは半分の長さになったフェザーにのり、低い姿勢で防鳥壕に向かって飛び出した。

 それを確認してファイターたちが散らばる。黒い煙を撒く者、ダリオンの前をジグザグに飛んで巨大鳥ダリオンがアイリスを襲わないよう妨害する者。


 若い巨大鳥ダリオンは急角度で方向を変え、再び空へと上昇していった。

 一方、アイリスは飛び込むようにして防鳥壕の中へと転がり込む。


「はあっ、はあっ、はあっ、はあっ」


 静まり返った防鳥壕の中に、アイリスの荒い呼吸音だけが響く。


「アイリス!」


 サイモンがガッとアイリスを抱きしめた。


「サイモン。あの、私なら間に合うと思って、勝手なことしちゃったね」

「無事でよかった」


 背後からソラルの低い声が聞こえてきた。


「どういうつもりだよ。お前ごときが勝手な行動を取りやがって。先輩たちにも迷惑をかけてさ。女のくせにフェザーに乗っているだけでも目障りなのに、今度は英雄気取りか? お前、そうまでして目立ちたいのか。胸くその悪い女がいたもんだな」

「英雄気取りだなんて。そんなつもりじゃありません」

「口答えをするな! お前が助けなくても、マスターが助けに向かっていたんだ」

「いいえ。あの位置からでは、どのマスターも間に合いませんでした。ケインさんは石畳に激突して死んでいたと思います」

「はあ? 訓練生のくせに、マスターより自分のほうが速いって言いたいのか?」

「生意気なのはわかっています。でも、さっきは私の方が先に落下地点に到着すると判断したんです」

「ふざけんなっ!」


 ソラルが右手を振り上げた。

(ぶたれる!)

 アイリスは目をつぶったが、避けるつもりはなかった。自分は間違っていない。あの時自分が飛び出さなかったら、ケインは死んでいた。自分の直感がそう叫んだのだ。

 しかし、頬に衝撃は来なかった。


「ソラル、私もアイリスの意見が正しいと思うよ。待機していたどのマザーも救助役のフェザーも、ケインの墜落に間に合わなかったと思う」


 ソラルの腕をつかんでいるエリックの声は落ち着いていたが、その目は冷たくソラルを見据えている。



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書籍『王空騎士団と救国の少女1・2巻』
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