31 オリバーの作品
オリバー・スレーターはこのところずっとイライラしていた。
アイリスが王空騎士団の養成所に通うようになって以来、一度も彼女に会えていない。
「アイリスは僕と実験がしたくないんだろうか」
天才少年は、アイリスが実験より自由に飛ぶほうが楽しいことに気づいていない。
使用人は「今日もアイリス様は訓練ではないですか?」とやんわり「無駄では?」と匂わせてみたが、オリバーは「それでも確認してきて」と言って使用人を送り出した。結果、「今日はご在宅で、いつでもどうぞとのことでした」との朗報を受け取ることができた。
オリバーは意気揚々とリトラー家を訪れた。
「アイリス、元気そうだね」
「久しぶりね、オリバー。元気よ。フェザーで飛ぶようになってから、とても身体の調子がいいの」
「養成所でなにか新しい技術を学んだ? もし新しく学んだことがあれば、ぜひ聞きたいな」
「養成所で学んだことではないけれど、今日は最上級生の訓練生が団長さんたちとフェザーの二人乗りで、雲の高さまで昇って行ったわ。羨ましかった」
「羨ましいの? 落ちたら熟した果物みたいにぐちゃぐちゃに潰れて死ぬのに。なるほどね。開花した能力者は高さへの恐怖心が薄れるっていう噂は本当なんだな」
アイリスはオリバーの言葉を聞いて苦笑する。学問では大人顔負けの知識を持つ従弟だが、人の感情に頓着しないところは相変わらずだ。
だがアイリスはオリバーが嫌いではない。物心がついた頃から母が繰り返し「オリバーは不器用なの。あの子に他の人と同じであることを求めるのは、オリバーを否定することだと思うのよ」と言っているのを聞いて育っているからだ。
なによりもアイリスのおおらかな性格が、オリバーの少々変わった言動をもふんわりと受け入れている。
そして自分が飛翔能力者になってからは、いっそう母の言葉が身に沁みる。自分こそ、もう『普通』という範疇から抜け出してしまっている。そんな自分がオリバーを「普通と違う」という理由で非難するのは滑稽なことだと思っている。
「オリバー、今日はどんなことがしたいの? あなたのやりたいことをしましょうか」
「今日は実験じゃない。アイリスに頼みがあるんだ。もうすぐ渡りが始まるだろう? アイリスはファイター候補生だから、広場に隠れてファイターたちの仕事ぶりを見学するはずなんだ」
「そうらしいわね。それで?」
「巨大鳥にリーダーがいるのか、それはどんな働きをするのか、どうやって仲間を統率するのかを見てきてほしい」
「その三つね。わかった」
「助かるよ。巨大鳥が来ている間、僕らは外に出られないからね。図書館にもその手の資料がないから困っていたんだ。なんで国はその手の情報を出し惜しみするのか、僕には理解できないよ」
アイリスは(この子はいったいどんな大人になるんだろうか)と、しみじみオリバーを眺める。
「なんだよ。なんでそんな目で僕を見るのさ」
「オリバー、学院でうまくやっていけている? と言うより、学院にちゃんと通ってる? 困ったことがあったら、私に相談してね。私でなんとかできることなら助けてあげるから」
アイリスに対してはいつも強気なオリバーの瞳が揺れた。集団行動がなによりも嫌いで苦手なオリバーは、学院での生活が憂鬱であり苦痛だ。実際、学院を休んでばかりでほとんど通っていない。
「どうして学院に行かなくちゃならないんだろうね。あそこで学ぶことなら、僕はもうとっくに学び終えているのに」
「勉強もだけれど、人付き合いを覚えることも必要だからじゃない? 大人になったら嫌でも他人と関わらなきゃならないんだし。あそこにいる間に人脈を作るつもりで通っている生徒も多いと思うわ。フォード学院を出た人たちの人脈は、仕事をするときになにかと役に立つそうよ」
「僕は学者になるから、人脈なんて必要ないよ」
「そうかなあ。論文を発表するにしても、それを推薦してもらったり、応援してもらったりする必要もあるんじゃないの?」
オリバーがシュンとしてしまった。どうやらアイリスの言葉は大当たりのようだ。
アイリスはしょんぼりしたオリバーが気の毒になり、話題を変えることにした。
(オリバーの家族は彼のいいところを伸ばして育てる主義なのだから、私が今言ったことは余計なお世話だったかも)
「私はルーラ先生の授業が大好き。ルーラ先生は、巨大鳥と人間の歴史の専門家なの。授業が面白くて、いつだって引き込まれてしまうわ」
「へえ。早く僕もその授業を受けたいな」
「ルーラ先生の歴史の授業なら、来年受けられるはずよ。きっとオリバーもルーラ先生の授業が好きになると思う」
「巨大鳥と人間の歴史か。興味あるな。授業じゃなくてその先生と一対一で話ができたらいいのに。あっ、そうだ、僕は最近、新型のフェザーの開発をしているんだ」
アイリスは「はあ?」と言いそうになるのをグッと我慢した。
何百年にもわったって先人がいろいろ試した結果が今のフェザーだ。それを新型とは。だが、ついさっき「オリバーを褒めて伸ばそう」と思ったばかりだったから(いくらオリバーが優秀でも、無理でしょう)と思ったことは言わずにいる。
「鍛冶職人に作らせたのを持ってきているんだ。乗ってみてよ」
「今から? 私が?」
「嫌なの?」
「ううん。いいわよ。着替えるから先に行っていてね」
シャツとズボンに着替えたアイリスが庭に出ると、オリバーと御者が不思議な物を運んでいた。その物体は大きさの割に軽そうだ。銅で作られたらしいその物体は、魚から全てのヒレを取り去ったような形。
「僕さ、ずっと魚と鳥の身体を調べていたんだけど、まずは魚に似せてみた。空気は水のような物だと考えると、なるべく空気の中を滑らかに進む形がいいと思ったんだよ」
「うん……」
(能力者は飛ぶだけじゃないんだけど)と思うが、乗る前から文句を言うのはまずいかな、と我慢した。
「進むだけならこれが一番飛翔力の無駄がないはずだ」
「これは、いったいどうやって乗るの? またがるの?」
「こうするんだ」
オリバーが赤銅色の物体に近寄り、上部をパカッと開けた。中には布が貼られていて、どうやらうつ伏せで入るらしい。
「さあどうぞ。飛んでみてよ。飛んでみて感想を聞かせてほしい。改善すべき点があれば遠慮なく言って」
「う、うん。じゃあ乗ってみるね」
「中から蓋に掛け金をかけてね」
「わかった」
開口部から魚のような入れ物に乗り、うつ伏せになる。視界を遮らないよう、前方はガラス窓になっている。本体のカーブに合わせて曲げられているガラス板を見て(これは一体いくらかかったんだろう)と恐ろしく思う。
前方の左右には、軽く肘を曲げて握ることができるコの字型の金属の取っ手が取り付けられていた。前方の下側には魚のエラのように、左右に三本ずつ細長いスリットがあるのは空気穴だろうか。
オリバーが蓋をしてくれたので上半身をひねって内側から掛け金をかけた。顔の脇あたりに小さい穴がたくさん開いているのは会話用か。
「乗り心地は悪くない。飛び上がるから少し離れて」
「わかった」
「じゃ、行ってきます」
銅製の乗り物に飛翔力を流し込むと、ふわりと本体が浮かび上がる。アイリスは三メートルほどの高さの空中でいったん停止させた。(うん、操作性は悪くない。よし、飛んでみよう)
窓ガラスの向こうには、近所の家々。さらにその向こうには巨大鳥の森。アイリスは口の両端を少し持ち上げ心で念じ、力を流し込んだ。
「進め!」
金属の乗り物は猛烈な速さで森に向かって飛び進んだ。
森の上を飛びながら、アイリスはすぐに(これはない)と思った。
金属で密閉された狭い空間は空を飛ぶ解放感が全くないし、肩から後ろの視界が完全に遮られている。外の音は聞こえないのに、空気の取り入れ口から入ってくる風が「ヒョオオオオ」と鳴ってうるさい。
(少なくとも巨大鳥の前ではこれに乗りたくはない)
そう判断してさっさと自分の家に戻ることにした。
「帰って来るのが早かったね。どうだった?」
「うーん、これで飛ぶのは無理かも。とにかく視界が遮られるのが怖い。それと狭い中に閉じ込められた感じが私は苦手。風の音がうるさくて外の音が聞こえないから、仲間からの指示もわからない、スリットが笛みたいな音を立てるのよ。あ。せっかく作ってくれたのにごめんね」
「いいよ。そうか、なるほどね。参考になった」
しょんぼりするかと思ったオリバーがやる気に満ちた表情だ。アイリスにはオリバーの思考が全く読めない。
「ねえオリバー、私と一緒にフェザーで飛んでみない?」
「飛ぶのは嫌だ。僕は命が惜しい」
「高くは飛ばないわよ。私ね、同じクラスの能力者の男の子を乗せて、森で散々飛んでいるの。低い位置で木を避けながら飛ぶ練習。低いところをゆっくり飛ぶから乗ってみてよ」
「ほんとに高くないの?」
「うん」
「速くも飛ばない?」
「うん!」
「まあ、それなら後学のためにちょっとだけ乗ってみようかな」
それから三十分後。オリバーが苦しそうに吐いている。
「オリバー、まだ気持ち悪い? 酔っちゃったのね」
「吐いたら楽になった。そうか、こんな感じなのか。能力者は地上の上下左右どこへでも動けるってことを実感できた。地面に張り付いて生きている僕らとはもう、住む世界が違うんだな。夢中になるはずだ」
「住む世界は同じだってば」
「ええと、まあ、アイリスにこのことは理解できないだろうからいいよ」
「ねえ、オリバーは飛ぶことが好きじゃないのに、どうしてずっと飛ぶことに関する研究をしているの?」
「それは……なんとなくだよ」
「ふうん。よかったらまた一緒に飛ぼうね。さあ、もう帰りましょう」
リトラー家までの帰り道、オリバーはアイリスの後ろでフェザーに乗りながら苦笑する。
(なんで飛ぶ研究をするかって、それを僕に聞くのか。アイリスを喜ばせたいし役に立ちたいからに決まっているのに。アイリスは全然気づいていないんだな)