20 告白
ヒロとケインが帰ったあと。アイリスは夜になるのを待ってからルビーの部屋に向かった。
家族に能力のことを告白したら、姉はもう今までのように自分に接してくれなくなるかもしれない。だから告白する前に姉と他愛ないおしゃべりをしておきたかった。
「どうしたの。アイリス」
「今夜はお姉ちゃんと一緒に寝てもいいかな」
「いいけど。なにかあった? 学院で意地悪でもされた?」
「ううん」
ルビーは読んでいた本を閉じた。ベッドに腰かけているアイリスの隣に腰かけ、アイリスの顔を覗き込む。
「もし意地悪する人がいたら、お姉ちゃんに言いなさい。喧嘩はしないから安心して。その人が二度とアイリスに意地悪しようと思わなくなるように、そーっと裏から手を回すだけだから」
「お姉ちゃんたら。喧嘩するより怖いわよ。でも、ありがとう。お姉ちゃん、大好き」
「それで? 本当にどうしたの?」
「うん……」
「どうしたの。なんで泣きそうな顔をしているの? 父さんたちに知られたくないことなら内緒にしてあげるから。お姉ちゃんに話してごらんよ」
「うん……うん……」
ついにアイリスは両手で顔を覆って泣き出した。
(お姉ちゃんは巨大鳥に襲われてから、人が変わったように親の言うことを聞く子になった。そのくらい衝撃を受けた。そんなお姉ちゃんに本当のことを話したらどう思うだろう。お姉ちゃんはそれを聞いても変わらずにいてくれるだろうか。そして自分はこの家から出て養成所に入らなくてはならないのだろうか)
アイリスの心に巨大鳥の感情が読めない黒い目と、真っ赤な口の中が思い浮かぶ。
(本当に私は巨大鳥の前で飛ばなくてはならないのかな)
「あのね、お姉ちゃん、どうしよう。どうしたらいいんだろう。すごく怖いことがあるの」
ルビーに抱きついて泣き始めたアイリスをそっと抱きしめながら、ルビーは困惑した。
妹は頭が良くて陽気で誰にでも愛されて、泣いているところなんて数えるほどしか見たことがない。その妹が涙をポロポロこぼしている。
「アイリス。泣くだけ泣いたら全部話してごらん。何があってもお姉ちゃんはアイリスの味方だよ?」
「うううっ」
アイリスはルビーの室内着に顔を押し付け、声を出して泣きだした。
熱い涙が染み込んで、ルビーの服の肩の辺りがしっとりするほど泣いている。ルビーはアイリスの背中をトントンと優しく叩き続け、「大丈夫。大丈夫よ。アイリス、大丈夫だからね」と慰めた。
たっぷり泣いてからアイリスがルビーから顔を離した。泣きすぎて顔が腫れぼったくなっている。
「私、みんなに隠していることがあるの」
「聞くわ。話してごらん」
ルビーは「高価な花瓶を壊した」とか「母のネックレスを黙って借りて失くした」、という話を聞かされるのだろうと思っていた。
「私、五月に熱を出したでしょ?」
「うん」
「あれ、開花熱だった。私、飛翔能力者だったの」
眉を下げ、なんとも悲し気な顔のアイリスは、嘘をついているようには見えない。
ルビーはしばらく言葉を探したが、自分の手持ちの言葉の中に、今言うべき言葉が見つからなかった。少し考えてから立ち上がり、壁のフェザーを持ってきた。
「これに乗って飛べるってこと?」
「うん」
「見せて。とりあえず飛んで見せて。話はそれからよ」
「わかった」
言われるままアイリスは立ち上がり、室内履きの足で姉の赤いフェザーに乗った。グスグスと鼻を鳴らしながら膝を深く曲げ、伸び上がる。
フェザーはスッと浮かび上がり、ふらつくことなく床上五十センチほどの位置で静止している。
ルビーは口を半開きにしたまま近寄り、顔を近づけたりフェザーの下を覗き込んだりした。
確かにルビーのフェザーがアイリスを乗せて浮いている。
「ええと……確かに浮いているわね。動けたりもするの?」
「うん」
アイリスがフェザーをゆっくり前に進んだり後ろに下がったり、助走もなしに空中でくるりと回って見せる。ルビーの口の開きが大きくなった。
「びっっっくりした。ほんとなのね。アイリス、あなたほんとに飛翔能力者なのね。十五歳で開花したなんて、まるで聖アンジェリーナみたい」
「うん」
「ねえ、アイリス。まさかと思うけど、このことを届け出たりしないわよね?」
「なんで?」
「なんでって! 届け出たら養成所に入らなきゃならないのよ? 十八歳になったら巨大鳥と戦わなきゃならないのよ? あんた剣なんて握ったこともないでしょうよ! 食べられちゃうわよ!」
「そうならないように、いろんな技術を教えてくれるって。今日、ファイターが二人来たの」
「なんでファイターがうちに来るのよ。なんでもう知られちゃっているわけ? あんたあの日のこと、忘れたの? 巨大鳥がどれだけ大きくてどれだけ恐ろしいか、私は今でも夢で見るわ。一日だって忘れたことない。なのに、ファイターに飛べますよって、自分から教えたの?」
「お姉ちゃん、落ち着いて」
「これが落ち着けるわけがないでしょうっ!」
ルビーはどんどん興奮し、声も大きくなっていく。するといきなりドアが開き、母のグレースが顔を覗かせた。
「大きな声ねえ。どうしたの? 喧嘩でもし……」
「あっ」
姉妹が同時にそう声を出して固まった。
母はアイリスが浮いているところをジッと見たまま動かない。その白い顔は無表情で、アイリスはこのまま母が気を失うのではないかと思った。
「ごめんなさいお母さん」
「アイリス。それ、いつから?」
「えっと」
「ちょっと待って。座るわ」
グレースはドアをゆっくり閉め、ルビーのベッドに腰を下ろした。「これって」と小声でつぶやき、何度か瞬きをしてから浮いたままのアイリスに話しかけた。
「あれは開花熱だったのね。そっくりな症状だとは思ったけれど、まさかあなたが能力者なわけがないと私は……」
「お母さん、黙っていてごめんなさい。私、怖くて言えなかったの。本当にごめんなさい!」
「アイリス、とりあえず下りてくれる? ルビー、お父様を呼んでいらっしゃい。お仕事中だと思うけど、私が『今すぐ来てと言っている』と伝えなさい」
ルビーが無言で走って部屋を出ていく。アイリスはフェザーを静かに床に着地させ、とぼとぼと母に近寄った。こんな形で告白することになるとは考えていなかった。
「ここにいらっしゃい」
母が自分の隣をポンポンと叩くのを見て、うなだれたまま座る。これからどんなことになるのか不安で涙も出ない。暗い表情でうなだれているアイリスを、母のグレースはギュッと抱きしめて頭をなでてくれた。
「私にもお父様にも言えなかったのね。可哀想に」
「ごめんなさい」
「謝らなくていいわ。そうよね、あなただってまさか飛翔能力が開花するなんて思わないものね」
「うん」
「もう空を飛んだの?」
「うん。ごめんなさい」
「そう……もう飛んでしまったのね。楽しかった?」
「うん」
「そう。アイリス。私の可愛い赤ちゃん」
母が自分の頭に顔をくっつけて、震えるような吐息を吐き出した。
走って来る足音が聞こえ、勢いよくドアを開けて父とルビーが部屋に入って来た。
「どうしたグレース。何があった?」
「あなた、アイリスが」
「うん?」
「アイリスが飛翔能力を開花させていたの」
ハリーはしばらく無言だったが、アイリスに顔を向けた。
「アイリス、本当か?」
「はい。黙っていてごめんなさい」
「父さんに見せてくれるかい?」
アイリスはもう一度ルビーの赤いフェザーで浮かんで見せた。さすがに「こんなこともできます」と見せる気にはなれない。
「これは……驚いた。そうか、あれは開花熱だったのか……だからファイターがうちに来たのか。もう、王空騎士団に報告したんだね?」
「ううん。まだ。夜、一人で飛んでいるところを、あの人たちに見られたの」
「夜? 一人で? アイリス、なんてことを」
そこでハリーは目をつぶった。
「ごめんなさい」
「謝らなくていいんだよ、アイリス。能力の開花はおめでたいことだ」
「でも」
「言い出せなかったんだね?」
「うん」
ハリーはアイリスに近寄り、ギュッと強く抱きしめた。
「私のアイリスは能力者だったか。そうか。さぞかし不安だったろうな」
「お父さん、ファイターの人たちは、訓練をしてから養成所に入ったほうがいいって。それと、王空騎士団から国に報告すれば、お咎めなしになるかもしれないって言ってたわ」
「そうか。開花を隠していたことになるのか。それは今からグレースと父さんが話し合うよ」
ハリーとグレースは深刻な顔をして部屋を出て行った。