19 ヒロとケインの申し出
「私はアイリス・リトラーです。この子はオリバー・スレーター。私の従弟です」
「あまり時間がないからさっさと本題に入らせてもらおうか。アイリス、俺たちの指導を受けないか? とにかく一日も早く多くの技術を身に付けたほうがいい」
養成所や王空騎士団に入れと言われると思っていたのに、技術指導を受けろと言われ、アイリスは(どういうこと?)と理解が追いつかない。軽く眉を寄せて、ヒロに問いかけた。
「急いで技術を身につける理由は、なんですか?」
「アイリスはこの先、飛ばずにいられるか?」
「それは、ええと」
「能力が開花した人間は、一度でも飛んだらもうやめられないはずだ。そうだったろ?」
「……はい」
「いずれ見つかる。絶対に。見つかれば王空騎士団付きの養成所に入ることが決まるだろう。だが君は女性だし、なんの訓練も受けていない。武器も使えないだろう。だが飛翔能力だけはとんでもなく高い。今のままでは他の能力者たちがどう思うか想像がつくだろう?」
「いえ……」
他の能力者が自分をどう思うかなんて、全く想像がつかない。アイリスは自分が『とんでもなく飛翔能力が高い』ことさえ、今初めて知ったところだ。
「まだわかんないか。開花したのはいつだい?」
「学院が始まった日なので、五月一日です」
二人のファイターがチラリと目を合わせた。ケインがゆっくり首をかしげる。(なに?)とアイリスは少しのことも不安になる。
「まだ開花して二ヶ月か。それであの飛びっぷりとは、すごいな」
ヒロはアイリスの目をじっと見つめ、少し身を乗り出した。
「いいかい? 養成所は、飛翔能力と飛翔技術に誇りをもっている少年の集団だ。そこに十五歳の、開花したばかりの少女が入ってきて、自分たちより優れた能力の持ち主だと知るわけだ。間違いなく妬む者が出てくる。空中でなにかされたら、高さによっては墜落して死ぬ。俺たちはご覧の通り移民の子だから、ずいぶん危ない嫌がらせを受けたものだよ」
黙って聞いていたオリバーが、たまらず質問した。
「アイリスがなにかされるんですか?」
「王空騎士団は大人の集団だからそれほど心配はいらない。実力が全てだと理解している。だが養成所は難しい年頃の少年の集団だ。その上アイリスはいろいろと規格外だ。飛翔能力有りの届けを出す前に、俺たちができる限りの技術を教えておきたいんだ」
「ちょっと待ってください。どうして私にそんなに親切にしてくれるんですか?」
アイリスの言葉を聞いて、ヒロの表情が急に優しくなった。
「ファイターは三十八歳が終わる日に引退する規則だ。そのあたりから急激に飛翔能力が落ちてくるんだよ。俺はあと一年。ケインは三年。その先はどうなるか決まっていない。まだ能力が衰えていないうちに、君を鍛えたいんだ。俺が引退する日までに、教えられることは全部教えておきたいんだ」
「ヒロさんも俺も、アイリスを放っておきたくない。年上の先輩のお節介だと思ってくれ」
そこまで話を聞いていたオリバーが口を挟んだ。
「アイリス、これはまたとないチャンスだよ。教わるべきだ」
「オリバー、あなたがそれを言うの? 本気?」
反対するだろうと思っていたオリバーの言葉にアイリスは呆気にとられる。
「飛翔能力者は空を飛ばずにはいられないって、本で読んだよ。アイリスはもう二人に見られている。どうせいつかは養成所に入るなら、できるだけ早く身を守る技術を教わったほうがいい。今の話を聞いて、考えが変わったんだ。男の嫉妬がどれだけ陰湿で面倒くさいか、僕は知っているからね」
「ヒロさん、私は手紙やの配達ならできるかなぁって思っていたんですけど」
ヒロが苦笑する。
「君の能力を国に知られたら、そんなわけにはいかなくなるよ。断言する」
「えええ……」
「ファイターが恐ろしいならマスターになるための訓練でもいい。マスターはファイターが落下する場合に備えていて、救助する仕事だよ」
「マスター要員は足りているってサイモンが言っていたことがありますけど」
「サイモンを知っているのか。ああ、学院か」
「はい。同じクラスです」
「てことは、アイリスは十五歳。かなりの遅咲きだな」
そう言いながらヒロはケインを見る。ケインは何度もうなずいている。ヒロは話を続けた。
「サイモンと同期になるならサイモンも引っ張り込むか。あいつは信用できそうだ」
「待ってください。お話が急すぎて……」
話について来られないアイリスを見て、ヒロがひとつ息を吸う。
「今日ここにきた一番の理由を言うよ。俺とケインは、君を聖アンジェリーナの再来だと思っている」
「えっ? は? まさか! 私は遅れて開花しただけです!」
「いや。俺もケインも本気でそう思っている。王空騎士団員なら全員知っている伝説がある。七百年前に生まれた聖アンジェリーナよりも古い伝説だ」
「伝説、ですか?」
「ヒロさんは伝説を信じていたけど、俺は信じていなかった。だけど君の飛ぶ姿を見て考えが変わったよ。君はなんの訓練もされてないのに、あれだけ飛べる。本当に我が目を疑ったね」
ケインが顎の無精ひげをザリザリと撫でながらそう言い、ヒロはアイリスの目を覗き込みながらゆっくりしゃべる。
「アイリス、その伝説とはね、『特別な巨大鳥が生まれるとき、特別な能力者もまた誕生する』だ」
「それが私だって言うんですか? そんな。まさか」
アイリスは信じられずに少し笑ってしまったが、ヒロとケインは真面目な顔のまま黙っている。
二人は「だいじな話は終わった」と言うように立ち上がり、ヒロは帰り際にこう言い残して帰って行った。
「強制はできないが、いい返事を待っている。それと、ご両親には早いうちに正直に話した方がいいよ。返事はサイモンに頼んでくれれば俺たちに届く。能力開花を国に届けるのは、騎士団経由の方がお咎めは少ないか、運が良ければお咎め無しになるはずだ」
ヒロとケインが帰ってから、オリバーが真面目な顔でアイリスに詰め寄った。
「アイリス、どうするの? 訓練を受けるの? 受けないの?」
「この話、私が独りで勝手に決められないわよね?」
「そうだね。ヒロさんとケインさんの親切を受けるにしても断るにしても、こうなったら叔父さんたちに話したほうがよさそうだ」
「ううう。なんでこんなことになっちゃったかなあ」
アイリスは恐ろしい。
巨大鳥に襲われたときに感じたのは『死の恐怖』だったが、今感じているのは違う種類の恐怖だ。
『実は私、飛翔能力者なの』と言ったら家族はどう思うだろうか。
告白した瞬間から、自分は『女なのに飛翔能力を持つ、とても変わっている子』になってしまうのではないか。
(自分が変わってしまっても、それでもお父さんやお母さんやお姉ちゃんは、今まで通りでいてくれるだろうか)
それは今まで経験したことのない恐怖だ。
今まで当たり前のように両親を頼って生きてきたけれど、今日の話だけは十五歳の自分が決めなくてはならない。しかも一度告白したらもう、決して告白以前には戻れない。それが恐ろしい。
(私はただ自由に飛びたいだけなのに!)とやり場のない感情が渦巻く。
(飛ぶことを我慢したらなかったことにできる?)とも考えたが、すぐ諦めた。
(きっと無理だ。自由に空を飛ぶ幸せを諦めたら、苦しくて悲しい毎日が大きな口を開けて待っている)と心の中の冷静な自分が言う。
「アイリス? 大丈夫?」
「ねえ、オリバー。あなたは普通と違って、とっても優秀よね」
「急になに?」
「普通じゃないって、寂しくない?」
オリバーの胸の辺りを見て話しかけたが返事がない。視線を上げてオリバーの顔を見ると、困ったような顔で少しだけ微笑んでいる。
「ごめん。不愉快で失礼な言い方だったわね。本当にごめんなさい」
「寂しいけど寂しくない。同年代の人とはわかり合えないから、きっと外から見れば僕は寂しい人なんだろうね。でも僕は物心ついたときからずっとそうだったからそれが普通。だから寂しくはない。それに、僕にはアイリスがいるから。全然寂しくない」
「オリバー……」
アイリスはオリバーの言葉に、思わず胸がいっぱいになった。
「アイリス、遠い南の国には僕らが見たこともない果物が実るんだよ。どれもとても美味しいらしい。そんな国に住んでいる人からしたら、僕らはその美味しさを知らない、気の毒で可哀想な人間だろうね。だけど僕らはその味を知らないから。味を知らない果物を食べられなくても別に不幸じゃない。それと同じことだよ」
「オリバー、その例え、よくわかんない」
「そう。まあいいよ。アイリスは一度も僕を馬鹿にしたり、奇妙な生き物を見るような目で僕を見たりしなかった。だから僕はアイリスに感謝している」
「感謝だなんて。私とオリバーは親戚だもの、そんなこと当たり前よ?」
オリバーはアイリスを見ていたが、眉根を少し寄せて言葉を続けた。
「そういえばこの前の夕食のとき、家族に『僕に万が一のことがあったら、僕の手に入るはずだった財産の五分の一でいいからアイリスに渡して』って言ったんだけど」
「……は?」
「両親がいきなり激怒したから驚いたよ。僕の両親はアイリスのこと気に入っているのに、なんであんなに怒ったのかな」
「オリバーは天才だけど、そこはわからないのね」
「んん?」
この何を考えているのかわからない天才は、そんなに自分に感謝していたのか。
普通、オリバーぐらいの年齢の男の子は、自分が死ぬことを想定して従姉に遺産を贈ろうなんて思ったりはしない。伯父さんと伯母さんはさぞかし驚いたことだろう。
(やっぱり同年代の友達がいないのは寂しいのかな。オリバーは絶対に認めないだろうけど)
「アイリス。もし能力が開花したことで周囲の人が君への態度を変えたとしても、僕は変わらないよ。アイリスが能力者として腕を磨いたら、僕の実験につき合ってくれれば、それで十分だから」
「……」
相変わらず自分を実験台にしようとしている天才少年をじっと見る。アイリスは笑ったらいいのか呆れたらいいのかわからなくて、力なく笑ってしまった。





