15 その少女の力になりたい
ヒロは自分の部屋に戻りながら(あの少女のことを団長に報告すべきか? すべきだよな? それで、いずれ少女が養成所に入ってくるのか。少女をファイターに? いくら速く飛べたとしても、あんな少女を巨大鳥の前に出すのは気が進まないな。それより、森で死んでないよな?)と、頭の中で渦巻く心配でいっぱいだ。
部屋に入り、ベッドに腰かけて考える。
「あの少女がもしファイターになるにしろ、俺はその時はファイターではないわけだが。飛べる少女がいるってことは団長に話すべきか? だがとりあえず今は寝る。陽のあるうちにもう一度森へ探しに行こう」
ヒロは頭の中から少女を追い出し、無理にでも寝ることにした。
一方、ヒロを見送っていたマイケルは一人になると愛想のいい表情を消した。
(そんな子供が縦の三回転? ほんとに? 僕だって十五でできたときは天才だって驚かれたのに)
侯爵家の次男に生まれて飛翔能力も開花させた。マイケルの人生は称賛と羨望の眼差しに包まれてきた。ヒロが見たという子供も、きっと数年以内にファイターになって……
「いや、待って。十歳以上なら養成所にいるはずだな。じゃあ、隠れ能力者? うわぁ、国に知られたら大変だな」
※・・・※・・・※
屋敷に戻ったアイリスは、窓の外でフェザーの上に立ったまま窓を開けた。
夜に窓から出入りするようになってから、蝶番には油を小まめにすり込んである。音もなく開いた窓からフェザーごと室内に入り、まずはフェザーを壁に戻した。
「危なかったぁ。あの人、ファイターよね? 追いかけてきたけど、捕まえなかったのは手加減してくれたのかな。さっさと家に帰れっていう警告かしら。でも面白かったわ、空の追いかけっこ。それにしても私の正体がばれなくてよかった!」
アイリスは飛翔能力の開花以降、毎日のようにオリバーに記録を取られ、室内でこっそり飛び続けているうちに(こんな狭い場所ではなく、広い空で好きなだけ高く、好きなだけ速く飛びたい!)という気持ちを抑えられなくなった。
だから毎晩こっそりと窓から抜け出しては夜空を飛び、少しずつ距離と高さを増やして、今日で二週間。
縦回転は『たぶんできるだろう』という予感があったが、実際に試すまでは緊張した。
オリバーがどこかから手に入れてきたファイター用の古い教則本。それを読んで知った縦回転。やってみたら問題なくできた。それも三回連続で。
「次はどれに挑戦しようかな」
今夜もまだまだ余裕で飛べるのは、自分でわかる。
それはアイリスの限界を記録し続けたオリバーのおかげだ。何度も気分が悪くなるまで室内で飛んで、身体で覚えた。もっとも、ここ最近はどれだけ飛んでも室内で力が尽きることはなくなっている。
アイリスは寝間着に着替え、風で乱れた髪をブラッシングしてからベッドに入った。
※・・・※・・・※
翌朝、ヒロは再び森へと向かっている。なぜか仲間のケインもついて来ている。
ケインもヒロと同様に黒髪と黒い瞳だが、体格はごつい。ヒロが哲学者風ならケインは筋骨隆々の闘士風だ。
「ケイン、なんでついて来るんだい?」
「そう冷たくしないでくださいよ。同じ年寄り同士じゃないですか」
「三十七歳は年寄りじゃないよ」
「ファイターとしては俺もヒロさんも年寄りですよ。ヒロさんがフェザー片手に引きつった顔で出かけようとしているのを見て、知らん顔はできませんよ」
そこから先は無言でフェザーを飛ばす二人。
あっという間に巨大鳥の森に到着した。ヒロは木々の梢をかすめるようにしてゆっくりと飛ぶ。そのヒロにぴったりくっつくようにフェザーに乗っているケインが、小首をかしげながらヒロに話しかける。
「さっきから何を探しているんです? 落とし物でもしたんですか?」
「少女だ。いや、娘と言ったほうがいいのか? ケイン、お前も長い髪の十五、六歳の女の子が墜落してないか探してくれるか」
「ヒロさん! 墜落ってなんですか。ヒロさん、その子を乗せて落としたんですか!」
「……だから一人で来たかったんだ。乗せてないよ。その子は一人で飛んでいたんだ」
「女の子が? 女の能力者が生まれたなんて話は聞いてないですけど?」
「ケイン、しゃべるか探すかどっちかにしろよ」
「じゃあ、しゃべるほうです。こっちに来て説明してください」
そう言うとケインはこの辺りで一番背の高い杉の木の枝に近寄り、階段を一段下りるような気楽さでフェザーから杉の枝に片足を移した。片足でフェザーの端をトンと蹴り上げ、空中でパシッと右手で抱える。ヒロも続いて同じ枝に下りた。
生きている木の枝に飛翔能力は使えない。細身のヒロはともかく、ケインは大柄だ。木の枝が折れないか二人でしばらくじっと立ったままで様子を見ていたが、折れないと判断して腰を下ろした。
ケインも移民の子だ。出身国は違うものの、二人とも黒髪に黒い瞳。年齢はヒロが三十七でケインは三十五。そんな共通点もあって昔から仲がいい。
「ヒロさん、最初からわかるように説明してください」
「茶化さないと約束するなら」
「俺のお袋とフェザーに誓います。茶化しません」
地上から数十メートルの枝に腰かけ、ヒロは昨夜自分が見たことを淡々と話した。大げさな表現は使わず、事実だけを正確に。
「ふうん。で、ヒロさんは墜落して息絶えている少女を探さなきゃと思っているわけですね」
「ああ。追いかけた責任がある」
「俺が思うに、その子は生きています。そしていずれまた飛びに来ますよ」
「実は俺も生きているような気はするんだよ。それよりケイン、お前は俺の話を信じるのか」
「ヒロさんは俺がついて来るのを嫌がっていたから。信じてもらえないと思ったんでしょう? 水くさい」
「女が飛ぶ話なのに?」
「神の使いと言われた聖アンジェリーナがいるじゃありませんか。七百年前に一度飛べる女性が生まれたんです。再び生まれる可能性はあります」
そう話すケインの顔が嬉しそうだ。その顔を見ながらヒロが尋ねる。
「また来ると思うか?」
「来ます。その年頃でそれだけ飛べるんだ。家の中で大人しくなんかしてられませんよ。血が騒いでうずうずして、三日も我慢できないに決まっています。俺がそうでした。よし、しばらくは毎晩その時間にこのあたりを見張りましょうよ。思いっきり上空で」
「冷えそうだな」
「年寄りくさいことを言わないでくださいよ。ヒロさん、少女が現れたら俺たちはどうするんです? むさ苦しいおっさんが二人で追いかけたら、逃げる理由がなくてもたいていの少女は逃げ出しますよ?」
ヒロはしかめ面でうなずいた。
「たしかに」
「なんにも考えてなかったんですか? その少女にひと目惚れでもしましたか?」
「ケイン、気持ち悪いことを言うな。ただ、その子があまりに楽しそうに飛んでいてさ。俺が知っている誰よりも速かった。あそこまで秀出た能力を見せられたら、なんていうか……」
「『魅せられた』ですか?」
「だから気持ち悪いことを言うのはやめろよ。俺はあと一年でファイター引退だ。その前に……」
「知っていることを全部教え込みたいんですね? そんなにギョッとしなくても。わかります。今、俺もそう考えているところです」
二人で口を閉じ、空を見上げる。
ヒロもケインも同じ苦労をしてきた。飛翔能力者だから大切に扱われてきたが、見えない壁は常に身近にあった。この国ではとても珍しい黒髪、黒い瞳、平坦な顔立ちが『よそ者』『移民の子』であることを証明しているからだ。
能力者が平民であれば、貴族は先を争うようにして養子に迎えたがる。
だが二人には養子縁組の話は来なかった。二人の家は家族ぐるみで親しい。どちらの家の親も「気にしない」と笑っていた。だが、期待が外れたであろうことは確かだった。我が子の能力で豊かに暮らす夢は叶えられなかったのだ。それが愚痴として親の口から出ることは一度もなかったが、ヒロもケインもわかっている。
だから二人はファイターに支払われる報酬の大半を親に仕送りしてきた。
「この国は渡りの季節以外は平和で豊かないい国なんですけどね」
「ケイン、島国だから閉鎖的なのは仕方ないさ」
「その子もきっと……」
「ああ、間違いなく苦労する。どんなに能力があっても、いや、能力があればあるほど男たちに嫉妬され、嫌われ、憎まれ、こっそり攻撃されるだろうな」
二人は同時に同じことを考えていた。『その子の力になりたい』と。





