107 穀倉地帯へ
空賊退治に回っていた少数の騎士団員と、東で超大型バッタ退治をしていた騎士団員が合流した。およそ百名の能力者たちが集結しているのは西の穀倉地帯。
「団長、巨大鳥たち、無事にこっちに来ますかね」
「来てくれることを祈ることしかできないのが歯がゆいよ。アイリスは今、どの辺りを飛んでいるんだろうな」
カミーユに声をかけたのはギャズ。いつもは陽気なギャズ第三小隊長が珍しく緊張している。答えているカミーユも落ち着かない雰囲気だ。
穀倉地帯の農家には既に巨大鳥を誘導していることを周知済みで、騎士団員以外の人の姿はない。
木造家屋の農家は巨大鳥が本気になれば壊されてしまうから、農民たちは今、ドアや窓を板で塞ぎ、一室に集まって自分たちの無事を祈っていた。
その頃アイリスは国の北まで群れを迎えに行き、無事に出会えた群れを誘導している。アイリスと白首が並び飛ぶ背後には、七百羽から八百羽の巨大鳥の集団が続いている。
「ルル! こっちよ! 王都じゃないの! 西の麦畑!」
「クルルルル」
高速で飛びながら叫ぶと白首が応える。背後の巨大鳥たちはいつもとコースが違うことに違和感を抱えながら飛んでいる。全ての巨大鳥は巣立った年から毎年二回ずつ通っていた広場の位置を覚えているから、別の場所を目指していることにいら立っていた。特に白首よりも年上の個体ほど強い違和感を抱えている。
だが、白首の後に続く巨大鳥たちの中で、目指す場所が違っていることへの不満より、白首に対する信頼感の方が大きい。白首は圧倒的な強者。それが群れを引っ張る力になっていた。
白首もまた仲間の不安や不満を感じ取っているらしく、何度も振り返って、「ギャッギャッ」と鳴く。『自分について来い』と言っているように聞こえる。
白首を誘導しているアイリスは今、自信が半分、不安が半分だ。白首を誘導することには自信がある。残り半分の不安は……。
(巨大鳥たちはあのバッタを食べるかしら。見向きもしないかもしれない。もし何匹か食べてから『やっぱり広場の家畜のほうが美味しい』って思ったらどうなるんだろう)
巨大鳥がバッタの味を気に入らずにイラついて攻撃してきたら、どんな事態になるのか想像がつかなかった。彼らは胃袋を空っぽにして渡りを始める。強い空腹を抱えて到着するのだ。
(女神様! 私に力を与えてくださった女神様! どうか巨大鳥たちがバッタを食べてくれるよう、お導きください!)
気を抜くと自分が背負っている責任の大きさに震えてしまう。そのたびに不安を振り払い、白首に声をかけながら飛んだ。やがて打ち合わせをしていた西の穀倉地帯が見えてきた。広大な小麦畑のあちこちが、バッタに襲われて土の色に変わっている。
「ルル! こっちよ!」
高度を下げながら背後の集団を振り返る。今のところ集団から外れる個体はいない。アイリスの心を重くしていた不安がどんどん消えていく。王空騎士団の面々が群れに気づいて一斉に飛び立った。相変わらず連携の取れた動きが美しい。先輩たちは小麦畑の一画を取り囲むように宙に浮かんでいる。この輪の中に誘導しろということだ。
アイリスが高度を下げると群れも下げる。そして巨大鳥の群れは小麦畑の中に着地した。
(お願い! バッタを食べて!)
アイリスが両手を握りしめて見守っていると、巨大鳥たちは着地した瞬間からバッタを捕まえて食べ始めた。おそらく上空にいるときからバッタに気づいていたのだろう。老いた巨大鳥も若い巨大鳥も、猛烈な勢いでバッタをむさぼっている。飛んで逃げようとするバッタがいても羽ばたいて飛び上がり、素早く捕まえて食べる。
地上に降りて食べるときは羽や脚を食べない。バッタの体だけをバリバリと音を立てて食べ、食べている最中に次のバッタを狙っている。だが数十匹のバッタが飛んで逃げようとしたときは五羽ほどの巨大鳥が全て空中で捕まえて、ほぼ丸飲みにした。
「おおおお!」
アイリス同様に手に汗を握りながら見ていた騎士団員たちが控え目な声をあげる。巨大鳥たちの食べっぷりを見ているファイターも囮役もマスターも表情が明るい。するするとフェザーごと麦畑に下りたアイリスは、力が抜けていた。
「よかったあ……」
「アイリス、大丈夫か?」
「サイモン。大丈夫なんだけど、安心したら力が抜けちゃって」
「たった一人で誘導するのは心細かっただろう? ありがとう。お疲れ様。見守るだけで申し訳なかった」
「そう言ってくれるだけで嬉しい」
いきなり大粒の涙をこぼしはじめたアイリスの背中に手を当てて、サイモンが慰める。
巨大鳥たちは家畜を食べるときより食いつきがいい。延々と食べ続けているのは家畜に比べて腹に溜まらないからか。
やがて巨大鳥たちは最初に下りた麦畑の超大型バッタを食べつくし、隣の麦畑へと移動する。満腹するまで食べた個体は、周囲の木に止まったり農家の屋根の上で休憩したりしている。
白首は腹を満たすとアイリスと遊ぶ。一緒に飛んだり、地面に下りてアイリスに撫でられたりしている。白首とアイリスの距離が近い。
「ルル、バッタは美味しかった? あなたたちがあれを食べてくれて、本当に助かったわ。仲間を連れて来てくれてありがとう」
白首は「クルルルル」と鳴いてアイリスに撫でさせている。時々目を閉じて、気持ちよさそうだ。今回はトップファイターの出番はなく、マイケルがフェザーごとサイモンに近寄ってきた。
「ねえサイモン、小麦畑の周囲に木を植えた方がいいと思わない?」
「僕もそう思いました。巨大鳥は地面で眠ることはないから、農家の屋根の上で休憩していますからね。あれはあれで遊び半分に屋根を剥がされたら危険です」
「提案してみるよ。木が育つまでは巨大鳥用に止まり木を立ててもいいね」
「来年もバッタが現れるようなら、それがいいかもしれませんね」
カミーユの隣にはアイザックがスーッと寄ってきた。
「団長、なんだか豚やヤギより食いつきがいいですよね」
「こんなにバッタを喜んで食べるとは驚きだったよ。食べ慣れているように見える」
「終末島で食べているんじゃないですかね。バッタを見つけて食いつくまでに迷いがありませんでした。渡りのあとで終末島に行くなら、自分も参加します。アイリス鉱も拾いたいですし」
巨大鳥島で収集したアイリス鉱は大変な高値で輸出され、国内にも金と同じ値段で出回っている。「現地で割れたアイリス鉱のかけらをもらった」とマイケルが口を滑らして以降、団員たちの多くは次の探検があるなら自分も参加したいと思っている。訓練や巨大鳥の誘導で怪我が多いファイターたちは、アイリス鉱を携帯して飛びたいと願っている。
夜になり、穀倉地帯の農民たちが恐る恐る外に出た。「念のために灯りはつけないように」とカミーユたちに言われているから、農民たちは月明かりを頼りに麦畑を見に出てきた。麦畑は踏み荒らされてはいたが、バッタが麦を食べるシャクシャクという音は消えていた。
「ありがたい。あいつらが卵を産んだら、来年も再来年も麦の収穫は望めなかった。倒れた麦は手間がかかるが収穫はできる。なんてありがたい」
農民たちは野営している騎士団員たちに汁物を振る舞いながら、そう繰り返し礼を述べた。こうして巨大鳥たちは二週間で麦畑の超大型バッタを食べ尽くすと、上空を集団で回り始めた。アイリスがそれを見上げながら、近くにいるサイモンに話しかけた。
「王都の広場にも念のために家畜を用意してあるそうだけど、ルルたちはこのまま旅立つみたいね」
「そうしてくれるとありがたいよね」
「農家の人たちは、やっと外に出られるわね」
「不自由だったろうけど、誰も襲われなかった。それが一番よかったよ。これで農家の人に被害があったら、現場を見ていない偉い人たちがまた文句を言っただろうし」
「うん。私もそう思う」
そこにギャズが寄ってきた。
「アイリスとサイモンは終末島に行くのか? 俺は行くつもりだが」
「もう行くことは決まったんですか?」
「団長の実家の伯爵家が中心になって、船団を作って探検に行くらしいぞ」
「私も行きたいです。どんな島なのか見てみたいです」
「僕も行きたいです」
二週間と数日が過ぎた朝、巨大鳥の集団が南を目指して飛び始めた。
「ああ、どうやらこのまま故郷に帰るようだな」
「麦畑は散々な有様ですけど、バッタの姿は見なくなりましたね。ギャズさん、私たちが必死に斬り伏せるより、巨大鳥が食べてくれる方がずっと効率的でしたね」
「全くだ」
王空騎士団が見守る中、巨大鳥の群れは南を目指して消えていった。
◇ ◇ ◇
渡りが終わってすぐ、終末島探検隊が結成された。前回、飛翔能力者の参加はわずか四人だったが、今回はなんと王空騎士団の全員が参加だ。船も四隻。王国軍の軍船が三隻とカミーユの実家のガルソン伯爵家の船が一隻。軍人は立候補して参加する者が三百名。物資も豊富に用意されて、前回の巨大鳥島探検とは大違いだ。
「みんなアイリス鉱の効果を知っているからね。なにしろ金と同じ値段だから」
マイケルが苦笑している。
船旅が続き、やがて前方に終末島が見えてきた。甲板の上でカミーユが団員たちの前で声を張り上げる。
「王空騎士団はここから飛んで向かう。現地の安全を確認し、野営地を探すぞ。今回は一ヶ月の長逗留だ。慌てずに調査をしよう」
「おうっ!」
アイリスがニコニコしている。子供のころからの夢である「空を飛んで遠くの景色をみてみたい」が巨大鳥島に続いてまた叶うのが嬉しくてたまらない。
「出発!」
カミーユの号令で約百名の飛翔能力者が一斉に浮上した。空を飛ぶ男たちの中に混じって、アイリスが笑顔で飛んでいる。