105 骨
王城に到着したアイリスの報告と要請を聞き、宰相のルーベンが国王の下へと走った。制服のあちこちをバッタに噛まれ、血を滲ませているアイリスを見て、ルーベンは焦っている。ヴァランタン国王は急いでアイリスの謁見を許可した。
「服や家まで? 被害はこちらの予想をはるかに超えているのだな。医者と助手を乗せられるだけ派遣する。薬品と包帯も運べるだけたっぷりと持たせよう」
「ありがとうございます!」
アイリスは焦っていた。(一刻も早く被害地区に戻らなきゃ。こうしている間にも、畑の作物が食べられてしまう)と思うとジッとしていられない。
ヴァランタン国王の指示で、ホールに人と物資が集められた。残っていた王空騎士団、待機していた軍も東へと進むべく集結する。荷物を木箱に収め、太い縄でフェザーにぶら下げる準備が終わったころ、他の五人が到着した。
「アイリス、ごめん。遅くなった!」
「気にしないで。私は先に戻るから。少し休んでから来てください。荷物は全部私が運びます。皆さんはお医者さんを乗せてきてください。じゃ、私は先に出発します!」
大量の荷物をぶら下げ、自分の前後に医者二人を乗せて飛んでいくアイリス。それを見送りながら到着したばかりの五人が絶句する。全員が考えていることは同じだ。
(アイリスの飛翔力は、尽きることがないのか?)
茫然と見送る五人を取り囲んでいる王空騎士団の仲間たちが苦笑している。
「なるべく早く戻れるといいな。もう少しで渡りが始まる。空賊退治は俺たちに任せて、超巨大バッタを一匹でも多く退治してくれよ」
「お前はあの恐ろしさを知らないからなあ。服に貼りついて噛んでくるときの気持ち悪さと痛さといったらさ、思い出すだけで鳥肌が立つよ」
「恐ろしい上に気持ち悪い。俺は空賊相手で助かった」
そんなやり取りのあとで、長距離派の五人は物資や医者と共に東へと飛び立った。
◇ ◇ ◇
アイリスたち王空騎士団が超大型バッタの駆除と怪我人の手当に奔走している頃。グラスフィールド王国の北にある終末島では渡りの準備が始まっていた。親鳥が見守る中、この春生まれた雛たちは飛ぶ練習を繰り返していた。雛たちは日々着実に飛翔距離を伸ばしている。親鳥たちは我が子を見守り、励ましながら渡りに備えた。
気温の変化、日照時間の変化、雛たちの成長、風の動き、餌の状態。さまざまな条件を総括して渡りの開始を決めるのは彼らの本能だ。
白首は群れ全体のリーダーの位置を確固たるものにしている。闘争で白首に勝てる個体はいない。そもそも戦いを挑む巨大鳥がいない。圧倒的な強者にして判断能力に優れる白首は、最近ではリーダーの座を巡って戦いを挑まれることさえない。白首は今日、何度も上空高く舞い上がり、風の動きを調べた。
雛たちは十分に大きくなった。気温が下がってきている。豊富だった餌は少なくなってきた。全ての餌を食べ尽くしたわけではないが、雛たちは若鳥になり、成鳥に近づいている。やがて餌が足りなくなる。その前に飛び立つのだ。命があふれる南の島を目指して。
澄んだ青空をゆったりと滑空しながら、白首はアイリスを思い出す。仲間でもなく、雛でもない。自分たちの邪魔ばかりする飛ぶ人間は気に入らないが、アイリスのことだけは気に入っている。
自分と同じ速さで同じ高さまで飛べる人間。今まで見てきた『飛ぶ人間』たちよりずっと小さい人間。最初は(人間の雛か?)と思ったが、どうやら雛ではない。
アイリスの声を聞き、その小さな手に触れられることは気持ちがいい。思う存分一緒に飛んで遊ぶのが、なんとも楽しい。思い出すと今すぐにでも会いたくなる。休憩地は食べ物が豊富だ。餌が集まっていて尽きることがない。腹を満たし、巨大鳥島に行くまでの元気を蓄える場所は記憶に刻まれている。
白首は一番小さな個体が十分飛べるようになるのを待って、渡りを始めることにした。言葉はなくても意思は伝わる。雛が育ち、餌が減り始める頃には、仲間たち皆がまた南の島に帰りたくなっているのだ。
白首が渡りの前の儀式を始めた。
巨大鳥島でも終末島でも、そこで命が尽きた仲間の骨を咥えて飛び立つ。肉は皆で食べた。命果てた仲間の肉は、生き残っている仲間の血肉になる。骨に残っていた肉は虫たちが食べ、大地に横たわる骨は洗ったように白い。
白首が骨を一本咥え、大きな翼を広げて飛び立った。それが渡りの開始のサインだ。
すぐに仲間が後を追う。他の巨大鳥が一羽また一羽と仲間の骨を咥えて上空に集まってくる。小さな骨も残されることはない。飛び立つ際に一羽が一本ずつ咥えていく。
白首はゆったりと大きな円を描きながら、仲間が合流するのを待った。
『南の島へ帰ろう』
集団の意思がひとつになる。すべての巨大鳥が白首の後ろに続いた。
巨大鳥たちは海の上を飛びながら骨を落としていく。それが最初の渡りで見た親たちの姿だ。自分たちも同じように骨を咥えて渡りを始める。そして海の上で骨を落とすのだ。
骨は深い海へと沈んでいく。海に消えていく骨の行方を見届けることもなく、上空の風に乗ってゆっくりと羽ばたきながら、数百羽の集団は飛び続ける。
『南の島へ』
『暖かいあの土地へ』
巨大鳥の集団は南を目指して飛び続ける。最初の目的地であり休憩地点のグラスフィールド島を目指して南下していた。





