第89話 聖杯の戦艦
造船所に立て籠もったモリアーティ操る海軍の反乱を鎮圧した時、ついに魔導戦艦は起動した。
中枢艦橋。そこはティファレトのセフィラに当たる。その三階の指令座に、モリアーティは居た。
発進の指令を下した彼は、戦艦が海に乗り出すべく、造船所建物が崩壊とともに、前方の壁とその向こうのダミードッグを、そこで建造中の船とともに破壊しながら前進する様子を眺めた。
その時、船が、ダアトの宝具座への侵入者を感知する。
「ルパンか。無駄な事を」
そう呟くとモリアーティは、中枢艦橋を降りてダアトのセフィラに向かう。艦橋を持たないそのセフィラの甲板下の宝具座へ。
「来たな、モリアーティ」と、ダアトの法具座に来た彼を見て言ったのは、七人の女アサシンを従えたボンド男爵だった。
モリアーティは「お前がコソ泥の真似とはな」
「ルパンが聖盃を盗みに来るのを阻止するだろうと踏んだのさ。俺がお前を倒す」と言ってボンドは身構える。
「やれるものか」
そう言うし、モリアーティは魔眼開眼の呪文を唱え、額の部分に第三の眼が開いた。
そして召喚呪文を唱えるモリアーティ。
「我が命を喰らいて育ちたる眷獣たち。約束の時は来た。顕現あれ」
魔眼が放った光が球体となり、そこから12筋の光が流れ出た。その先に現れた十二体の魔獣。
ボンドは七人のガールズに命じた。
「あれはモリアーティの使い魔だ。奴等から俺の体を守れ」
「使い魔だと? そんな低級なものと一緒にするな」とモリアーティ。
襲いかかる十二体の眷獣。これを迎え撃つ七人の女アサシン。
ボンドは魔眼開眼の呪文を唱え、額の部分に第三の眼が開いた。
そして呪文を詠唱した。
「汝、ユピテルの子にして闘う神霊。汝の名はマルス」
古代語の呪文を一言唱え、額に古代文字が浮かぶ。
「マルスに告ぐ。我が生命は汝の血。我が幽体は汝の肉なり。我が捧げし贄を以て受肉を果たし己が体と成せ。顕現あれ」
額の魔眼が発した光が球体となり、闘神の頭部となる。それに繋がるようにボンドの首と肩から光で作られた闘神の首と肩。ボンドの胸と両手から闘神の光の胸と両手が、腹が、腰が、両足が・・・。
闘神の光の肉体にボンドは魂を転移させ、ボンドの体は意思を失った。
高密度な光の塊が鎧を着た戦士の形を成した闘神。それがゴッドランスを召喚し、それを手にしてモリアーティに言った。
「この闘神マルスの肉体がお前を倒す」
「お前も魔眼を使うとはな。だが無駄だ」
そう言うと、モリアーティもゴッドランスを召喚した。
二人が槍を振るって激しく切り結ぶ中、ボンドガールズの女アサシンは必死に眷獣と闘う。
次々と倒れながら一体、二体と眷獣を倒すガールズたち。
「これで三体目」
「これで四体目」
そんな部下たちの苦戦に目もくれず、ボンドの魂が操る闘神はモリアーティを追い詰め、ついにその胸を貫いた。
闘神は消え、ボンドの体に魂が戻り、彼は立ち上がる。
ボンドガールズの犠牲は四人。眷獣は七体が残っていた。
モリアーティを倒せばこいつ等は消える・・・筈だった。だが・・・。
「何故まだ消えない」
動き続ける眷獣を見て呟くボンドを他所に、一体の眷獣の角が004の胸を貫く。
「おのれ」
ボンドは再びゴッドランスを召喚し、その眷獣を倒し、更に二体を倒す。
一体の眷獣の尾が006を叩き伏せる。ボンドがこれを倒した時、二体の眷獣が007に腕を振り上げた。
ボンドはその前に立ち塞がり、一体を仕留め、もう一体の爪がボンドを切り裂いた。
「ボンド男爵」と叫んで007が彼に取り縋る。
ボンドは弱々しい声で「ジェーン、無事か」
「何故・・・」
そう茫然と呟く007に、残る三体の眷獣が迫る。
その一体がその腕を彼女に向けて振り上げた時、入口から放たれたヒートランスがその眷獣を貫いた。
入口にはルパンが立っていた。
「よりによって、俺の目の前で女の子を殺すとはな。獣ども、覚悟しろ」
ルパンは怒りに燃える眼で残る二体の眷獣を睨み、それに止めを刺した。
倒れたボンドの傍らに座り込む、ガールズ最後の生き残り、007に、ルパンは言った。
「ジェーン、その姿で会うのは初めてだな」
「ルパン、知っていたのですか?」と007。
ルパンは「俺を誰だと思ってる」と彼女に・・・。
そしてルパンはボンドに言った。
「ザマァ無ぇな、ハーレム男爵」
「全くだ」とボンドは呟くように応える。
007は「何故ですか。私があなたの楯になる筈なのに」とボンドに・・・。
「俺は任務に失敗した。そんな資格は無い」
そう言うボンドに007は「だからって・・・」
ボンドは言った。
「俺は国家を守るために生きて来た。そのために全てを犠牲にした。愛する女も、そして自分自身も。この魔眼を得た者は長くは生きられない。それでいい。人生なんて要らない。ただ、誰かを守りたかった。国家ではなく、目の前の誰かを。その望みがようやく叶った。ジェーン、守らせてくれてありがとう」
007は「生きて下さい。すぐ回復を」
「手遅れだ」とボンドは呟く。
そんなボンドに007は涙を込めて言った。
「私の中に子供が居ます。占いでは男の子と出ました」
「そうか」とボンド。
「名前をつけて下さい」と007。
「俺にそんな資格は無い」とボンド。
「なら、あなたの名前、モーリスを」
そう言う007にボンドは「いや、どうせなら君と同じジェーン・・・、いや、男の子だったね。ならジェームズだ」
そしてボンドはルパンに言った。
「ルパン、頼みがある。この二人を守ってやってくれ」
「そりゃ困る。俺を好きになった女はみんな死ぬ」とルパン。
ボンドは「いや、そうはならんさ。ジェーンは俺の女だ」
「そうだったな、なら、任せておけ」とルパンは言った。
「頼んだぞ」
そう呟いて静かに目を閉じたボンドに縋って、007・・・ジェーンは「モーリス!」と叫び、号泣した。
ルパンはジェーンの肩に手を置き、ボンドの亡骸を見て言った。
「モーリス・ボンド。それがこいつの名か」
「そうです。コードネーム、ミスターМ」とジェーン。
ルパンは聖杯が置かれた台の前に立つ。そして右手でそれを掴もうとするが、聖杯は彼の手をすり抜けた。
「そういう事か」
そう呟くルパンに、ジェーンは「ルパン、これは」
「こいつの本体はこの世界の裏側の精霊の世界にあるのさ。そしてあらゆる願いを叶える願望器。誰かの願いを叶えるまでは、触る事も出来ないって訳かよ」とルパン。
ルパンは呼びかけた。
「おい、聖杯」
「何でしょうか」と聖杯は応える。
「お前が叶えているのは、モリアーティの願いか?」
そう問いかけるルパンに聖杯は「そうです」
「奴は何を願った」とルパン。
「イギリスの滅びを」と聖杯。
ルパンは「虐殺かよ。悪魔にでも手を貸す気か?」
「いえ、これは正義です」と聖杯。
「人殺しが正義かよ」と、ルパンは怒りを込めて叫ぶ。
「願望は叶うべきです」と聖杯。
「あーそーかよ。どーせ古代に滅ぼされたブリタニア人の恨みとでも言うんだろ」とルパン。
聖杯は「いえ、これは個人の願望だから。人が望んだ事は叶うべきだ」
「そんな理屈があるか!」とルパンは叫ぶ。
聖杯は語った。
「ではルパン。真実とは何か。その答えはどこにありますか? 古代の先哲ですか? 違います。未来です。人が思考を巡らせ思想として発展を遂げた先にあります。そして500年後の未来、フランクフルトに集う哲人たちは言いました。人には権利がある。その望みを叶える権利が。人が不快だと感じた時、それは権利が侵されている状態なのだと」
ルパンは言った。
「それじゃ、そいつが何もしていない他人を殺したいと思ったら、そいつを殺すのか? 生きたいと思う奴の願いはどうなる」
「彼は願う者に共感すべきです。そして寛容を以て、それを受け入れ、自らの命を捧げるべきです。それが道徳です」
そう語る聖杯にルパンは怒りを込めて言った。
「そんな道徳があるか! 俺は俺も、俺を愛する者も殺させるつもりは無い」
聖杯は「あなたは不寛容です。自らの利益に固執するエゴイストです」
「エゴイスト上等だ! だったら、そんな人殺しを願う奴を殺したいと俺が言えば、そいつは死んでくれるのかよ」とルパンは言った。
聖杯は語った。
「願望器に願いを託す者は弱者です。自らの力で願いを叶える事が出来ない。だから彼の願いを代わりに世界が叶える。そのために私が居るのです。即ちリベラル。それこそ人が求めたる自由。リベラリスト達は言った。人の権利即ち"人権"とは彼等に対する"寛容"の事である。"対等"ではなく"寛容"であると。それに寄り添う私は正義。私は神の意思」
「だったら神様が死ねよ!」
ルパンはそう叫んで、宝具の座を剣でたたき割った。聖杯の姿は消えた。




