第84話 三勢力の利害
ロンドンの造船所で起った騒ぎの中、エンリ王子たちが再びイギリスへ。
それは、この事件の背景にある国家間対立のもつれを解く必要を、彼が感じたためだ。
そのため、ロンドンに戻る彼の船には、イザベラ女帝とドリアン商会のフッガー当主が同行していた。そしてヘンリー王に会見を求める。
会見の席で、エンリは言った。
「先ず、互いの立場を明確にしたいと思います。ヘンリー王、我々ポルタとスパニアは、東の海への航路を開拓し、西方大陸を発見し、産物の輸入を進め、ユーロの経済を大きく発展させました。その交易船がイギリスの私掠船による強奪を受けようとしている」
「存じません」とヘンリー王。
「そんな筈はありません」とイザベラ女帝。
「記憶にありません」とヘンリー王
(どこかで聞いたような台詞だが)とエンリは思った。
「イギリスとしてはそのような事はしていない」と、ヘンリー王はあくまで否定する。
イザベラは「王立造船所で建造しているのは、そのための武装船ですよね?」と彼を追及。
ヘンリー王は言った。
「むしろイギリスは被害者だ。ポルタとスパニアにより航海を独占して利益を独り占めにしている。挙句、我が国の国民的英雄、ドレイク提督を暗殺するため、モリアーティなる犯罪者を陰で操っているのではないのか?」
「存じません」とイザベラ女帝。
「そんな筈は無い」とヘンリー王。
「記憶にありません」とイザベラ女帝。
エンリは困り顔で「さっきと立場が逆なんじゃ・・・」
イザベラは「私掠船による被害は受けています」
「略奪の被害は軽微と聞いているが?」とヘンリー王。
「見当違いの船を襲って空振りするのですわよね。目的のお宝以外は手を付けないのが海賊の美学だとか言って手ぶらで帰る」とイザベラ。
ヘンリー王は困り顔で「全くあの男、融通が利かない」
「まるでその海賊がよく知っている人物のような口ぶりですわね」とイザベラ。
「な・・・何の事かなぁ。あは、あはははははは」とヘンリー王。
そんな彼等にフッガーが言った。
「その目的の積荷が銀という事なのですよね。西方大陸で発見されたポトシという莫大な埋蔵量を持つ銀鉱山で産出し、それを大量にユーロに持ち込んだ」
ヘンリー王は「銀船隊という輸送船団を使うという話だったが、そんな船団はどこにも無い。調べてみれば民間の交易船を極秘裏に雇って運ばせているというではないか」
イザベラは「それを横取りしようと私掠船を使って・・・」
「な・・・何の事かなぁ。あは、あはははははは」と冷や汗交じりでとぼけるヘンリー王。
フッガーは「問題なのは、この銀の大量持ち込みで、ユーロの銀貨の価値が暴落しているという事なのですよ。だから我々の立場として言わせて頂きたい。ユーロに持ち込まないで欲しいのです」
「つまりスパニアが問題の根源という事だ。このような独占を打ち破るためにイギリスが・・・」とヘンリー王。
「いや、イギリスが銀を奪ってイギリスのものにした所で、経済の混乱は同じ事です」とフッガー。
そんなフッガーにイザベラが言った。
「それって、これまで南ドイツの銀鉱山を独占していた、あなたの個人的な利益の問題ですよね?」
「いえ、この影響で物価が高騰して、庶民が苦しんでいるという事なのですよ」とフッガーは言う。
時間は一か月ほど前に遡る。
エンリ王子がポルタに帰還すると、早速イザベラの部屋に行った。
イザベラはエンリを見て「お帰りなさい、我が夫。人魚の愛人は一緒ではないのですか?」
「まだイギリスで勉強中なのでな、ところで・・・」
そうエンリが言い終わらないうちにイザベラは「向こうの食事はお口に合います? エスニックジュークでは、イギリスは食べ物がまずいって事になってますわよね?」
「お前も、この間までイギリスに居ただろ」とエンリ。
「やっぱりシーフードは地中海産に限ると思いません?」とイザベラ。
「俺はこの間まで魚は食えなかったからな」とエンリ。
「今度、美味しいレストランを紹介しますわ」とイザベラ。
エンリは「それは楽しみ・・・、ってお前、何かはぐらかそうとしてるだろ」
「いやですわ、あは、あはははは」とイザベラは笑ってごまかす。
エンリは本題に入った。
「イギリスでドレイク提督の暗殺計画という話がある。モリアーティという犯罪者が、それに関わっている可能性がある」
「私は何も存じませんが」とイザベラ。
「実は本当の狙いは王立造船所の破壊ではないかと・・・」とエンリ。
イザベラは言った。
「イギリスは航路の支配を狙うライバルですよね? イギリス人どうしが潰し合うなら結構な事ではないのですか?」
エンリは「その背後でポルタやスパニアが糸を引いているのでなければ、だが・・・」
「その程度の戦略は陰謀学の初歩ですわ。そんな裏工作も出来ないようでは君主失格だと、マキャベリ学部長が言っています」とイザベラ。
「露見すれば戦争になる」とエンリ。
イザベラは「私は無関係です。それより王子は銀船隊を御存じですよね?」
「西方大陸で採掘した銀を運ぶ・・・」とエンリ。
「それでスパニアとポルタは大きな利益を得ています。それをイギリスが私掠船で奪おうとしている。それを王子は見過ごせますか?」とイザベラ。
「それは・・・」とエンリは口籠る。
イザベラは「これは通商破壊であり、あなたが望む交易による世界の前進を阻害するものです。そんなイギリスの策動を阻止するのは、王子にとっての正義ではないのですか?」
エンリは溜息をついた。
そして「イザベラ」
「はい」
「お前もたまにはまともな事を言うんだな」とエンリ。
「私を何だと思ってるんですか?」とイザベラは口を尖らす。
そしてエンリは「で、お前はどう、それに対抗する?」
「海軍の増強という事になりますわよね」とイザベラ。
「ドレイク海賊団は手強いぞ」とエンリ。
「タルタ海賊団より・・・ですか?」とイザベラ。
「タルタは彼を兄貴と呼んで敬服しているが」とエンリ。
イザベラは言った。
「男として主人公に見本を示す兄貴キャラって大抵は死にますよね?」
それを聞いてエンリは思った。
(まさか提督暗殺って・・・)
カルロから報告を受けるエンリ王子。
カルロは「スパニア諜報局にはそういう動きは無さそうですね」
「動きを隠蔽しているんじゃないのか?」とエンリ。
「というか、西方大陸で領主権を与えられた皇族の不正を探るのに手いっぱいなんですよ。イギリスやフランスにちょっかいを出す余裕は、当分持てそうにないですね」とカルロ。
ニケから報告を受けるエンリ王子。
「ドリアン商会はどうだ?」
そう訊ねるエンリにニケは「それは本人に確認したらいいと思って、連れて来たわよ」
「な・・・」
ニケは、連れて来た三十代の商人を紹介する。
「こちら、フッガーさん。やっぱり男はお金よね。私、愛人になっちゃおうかしら」
フッガーは困り顔で「いや、間に合ってますんで」
「ドリアン商会の当主、フッガーと申します」とエンリに名乗るフッガー。
「ポルタの王太子、エンリです」と彼も名乗る。
フッガーは「私に問い質したい事があると聞きました」
「実は・・・」
そうエンリが言いかけると、フッガーは「いえ、解っています。我が商会は南ドイツに拠点を置き、ドイツ皇帝家とイタリアの教皇庁とに多額の債権を有して、強い結びつきがあります。どちらも先のスパニア内乱でエンリ殿下の同盟軍とは敵対した立場ですので、彼等との関係で良からぬ動きに加担しているのではと懸念を持たれるのも御尤も。ですが我々はあくまで商人ですので・・・」
エンリは慌てて「いや、解ってます。あくまで関心事は商売であって、政治的なしがらみとは無関係だとおっしゃりたいのですよね?」とフォロー。
するとフッガーは「解って頂いて助かります。ちなみにドイツ皇帝も教皇庁も多額の借金を負っている我が商会には逆らえない。私共に何か不利益があれば、政治軍事の両面をもって全力で問題解決のため影響力を貸して頂ける事になっておりまして」と一転して攻めに入る。
エンリは困り顔で「政治とは無関係と言ってませんでしたっけ?」
「いや、これは失礼。それで、お願いしたい事があるのですが、西方大陸の銀をユーロに持ち込まないで頂きたい」とフッガーは言った。
「それは、南ドイツの銀山の利権を握っている、あなたの利益のために・・・ですよね?」とエンリ。
場所を移し、イザベラを交えての対談となった。エンリの仲間たちも同席した。
イザベラはフッガーに言った。
「あのポトシ銀山は、現地人の奴隷を使った皇族の経営を没収して、派遣した役人で経営を引き継いでいますが、何ならドリアンに経営参加して頂く事も出来ますわよ」
フッガーは思わず身を乗り出して「是非お願いしたい。参加条件については贅沢は言いません」
エンリはあきれ顔で「軽すぎじゃないですか? 大商人」
「あ・・・いや、その・・・」と口ごもるフッガー。
そしてイザベラはエンリに言った。
「それで、その資金でイギリスの私掠船を破るための強大な無敵艦隊を建造した暁には、エンリ王子に提督をお願いしたいわ。あのドレイク海賊団を破って国民的ヒーロー」
エンリは思わず身を乗り出して「やってやる。大艦隊を率いて世界で無双する、本物の海賊王だ。スーパーヒーローに俺はなる」
フッガーはあきれ顔で「軽すぎじゃないですか? 王太子殿下」
「あ・・・いや、その・・・」と口ごもるエンリ王子。
残念な空気が漂う。
気を取り直してフッガーは言った。
「ともかく、問題は大量の銀が持ち込まれる事で銀、つまりお金の価値が下がった結果、とんでもない物価上昇が起こっている事です」
イザベラは「お金の流通量が変化して経済のバランスが崩れたのなら、いずれ流通量に見合う形で均衡する筈よ。その時、富の多くがスパニアのもの・・・という事になりますわよね」
「その物価上昇で民が苦しんでいます」とフッガー。
イザベラは感情的になって捲し立てる。
「問題は民ではなく、西方大陸に劣る鉱山を抱えるご自身なのでは? そもそも民が何だって言うのよ。生活が苦しければ頑張って働けばいいのよ。私は33人もの兄弟と戦って、今の地位を得たのよ」
「いや、戦ったのは俺なんだが・・・」と困り顔のエンリ。
アーサーは「イザベラさんって、こういう人だよね」
「怖ぇーーーーーーー」とタルタ。
「とりあえず、頭、冷やしなよ」とジロキチ。
会談は休憩となった。
エンリは考える。問題の本質は何なのだろうか。
そもそも何故、銀の産出が増えると物価が上がるのか。
その場所に住む人々は日々の糧を得るために働いて、何かを生産し、それを売って対価・・・つまりお金を得る。そのお金を使って、他の誰かが作ったものを買う。だから、そこで生産・流通する財貨と見合うだけのお金が必要になる。お金自体に価値は無い。その価値はお約束としての人の認識によって付与されたものであり、本当に価値があるのは、それによって購入する財貨ではないのか。
会談再開。
そしてエンリは言った
「そもそも、銀貨ってそんなに大事な物なのかな?」
「どういう事よ」とイザベラ。
「価値があるから、苦労して鉱山で掘り出すのですが」とフッガー。
エンリは「大量の銀が持ち込まれて困るのは、持ち込まれたユーロで銀がだぶついて価値が下がるからだよね。けど、その価値が銀本来の価値なら、多かろうが少なかろうが変わらない筈だ。価値はむしろ、それで買える商品にある・・・だよね?」
「・・・」
「西方大陸から頑張って銀を持ち込む。それで持ち込んだ銀の価値が下がる。割に合わなくないか?」とエンリ。
「手持ちのお金の価値が下がって損をするのは、誰も同じよね?」とイザベラ。
エンリは「そうかな? 物価が上がるって事は、そのお金で買う物を作る人達が儲かるって事じゃないのかな? 例えばイタリアやオランダの職工業者とか」
「・・・」
エンリは言った。
「つまり、金銀は見せかけの価値しか無い。本当に価値があるのは、それで買える財貨なんだよ。だったらお金自体より、その財貨を作る側に回ったらどうなのかな?」
フッガーは「お金の価値が見せかけだと言うなら、金銀などより、紙に金額でも印刷して、お金です・・・って言えばいいのでは?」
「俺は世界を旅して、いろんなものを見た。例えば、これは何だか解るか?」
そう言ってエンリが出したものは、小さな紙に印刷したものだ。異国の文字が書かれている。
「東洋の文字ですね?」とフッガー。
エンリは言った。
「大陸の東にミンという国がある。そこで使われている"宝鈔"という物なんだが」
「何かの証紙ですか?」とフッガー
「紙に金額を印刷した、お金だよ」
エンリにそう言われて「な・・・・何ですとーーーーーー」とフッガー唖然。
茫然と椅子に座ったまま天を仰ぐフッガーは、焦点の定まらない眼で「苦労して掘り出した金銀が実は紙切れと同じ。ちょうちょが一匹、ちょうちょが二匹・・・」
その夜、ロンドンに居る人魚姫から連絡が来た。
そして「魔法を使った軍艦を造っているらしいんです。それにモリアーティが絡んでいるらしくて」
魔法を使った危険な兵器の建造に、犯罪の天才と呼ばれた男が関わっているという。
彼がイギリスに益する目的でこれを行っているとは思えない。
そしてヘンリー王がこれを止めないのは、軍事力による交易路の支配・・・というより持ち込まれる銀に対する戦略を優先しているからだろう。
エンリは再びイギリスに渡る決意をした。
「ヘンリー王を止めなければ」
そして三勢力の会談が始まった。
目の前に三者の代表。イギリス王とスパニア女帝、ドイツと教皇庁をバックにしたドリアン商会。
虚実を交えたやり取り。腹の探り合い。
そうした中で「いえ、この影響で物価が高騰して庶民が苦しんでいるという事なのですよ」
そう訴えるフッガーに対して、エンリは言った。
「問題は何故、銀の持ち込みによって物価が高騰するかという事なのですよ。人は特定の金属にお金としての価値を認め、取引の媒体としてきた。お金は、それで買う事の出来る、人々が生活の中で生産し使用する財貨の価値を表すもので、財貨の総量とお金の総量は常に見合うものである筈です。そして財貨の総量は一定数の労働者が一定の効率で生産する限り、基本的に大きく変わらない。金属の埋蔵と採掘も大きな変化は無かった。それが新大陸の発見と、そこでの鉱山採掘で、大きく変化した。これが問題の根幹です。結論を言います。ポトシの銀はこれまでのようにはユーロには持ち込まない」
ヘンリー王は「冗談ではない! ユーロに持ち込む所を私掠船でごっそり頂く計画がパーだ」
「私掠船でごっそり・・・何ですって?」とイザベラが突っ込む。
「あ・・・」
ヘンリー王に疑念の視線が集中し、残念な空気が漂う。
「ですがエンリ王子。あなたは我が夫ではないのですか? 私の国の財産を使うな、とでも言うのでしょうか?」
そう訴えるイザベラに、エンリは言った。
「ポトシの銀は東方との交易の支払いに使う。オケアノスの海の向こうには、私たちが求める産物が多くある。銀は確かに価値そのものではない。狭いユーロではそれによる矛盾がすぐに現れる。だが、広い世界では、同じく銀をを通貨として使う。だから銀そのものではなく、それで買うことの出来る海外の財貨を持ち込む事で、本当の意味で豊かになる」
フッガーは「確かに東洋にはユーロの民が欲しがる産物は多い。あたかも石を削り出したように固く光沢のある陶磁器、滑らかな絹や肌触りの良い木綿、胡椒のような香辛料。ですが、いずれ鉱山は掘り尽くします」
「そうなる前に、私たちでそれらを作る技術を身に着けるのですよ。そして、更に彼等も作れないような優れたものを開発する。世界は不思議に満ちています。それには全て理由がある。それを極める科学によって、私たちはどんな物だって作れる筈だ」とエンリは言った。
ヘンリー王は思った。
ボルタは小国だ。そのポルタが世界に出て交易を主導している。
かつてこの目の前に居るエンリ王子に、自分が国教会の構想を口にした時、彼が言った言葉を思い出した。
(イギリスに出来る事は自分たちにも出来る)と・・・。
同じように、ポルタに出来る事はイギリスにも出来る筈だ。
だから、強力な戦艦を造って世界の海を支配しようとしたのだ。
だが、この男はその先まで考えているというのか。
外から産物を買い入れるのではなく、自らの手で生産する・・・と。
ヘンリー王は言った。
「解りました。エンリ王子。確かに交易は自由であるべきです」
「解って頂いて、何より」とエンリ王子。
「ですがイギリスは、これからも、あらゆる手段で豊かで強大な力を目指します」とヘンリー王。
エンリは「それはお互い様です」と言って笑った。




