第561話 敗残の皇帝
ナポレオンは、自らイタリア駐留軍を率いてアルプスを越えてドイツに攻め込む態勢を示しつつ、西から進軍させた大陸軍八万と、単騎で密かにアルプスを越えて合流。
これを指揮してウルムでドイツ軍を破ってウィーンに迫った。
ドイツ軍本隊を率いるワイロッテル将軍はウィーンを放棄し、ボヘミアまで来ていたロシアからの援軍と合流。
アウステルリッツの戦場でナポレオンに決戦を挑んだ。
手薄と見てフランス軍右翼へ攻勢をかけた連合軍左翼隊だったが、それはナポレオンが仕組んだ罠だった。
霧の魔法で視界の閉ざされた中、フランス右翼軍を指揮するダヴ―将軍の巧みな戦力補充で、落ちそうで落ちない戦況に焦れたドイツ軍のワイロッテル将軍は、これに加勢しようと連合軍本隊を動かした。
その隙をついたナポレオン。
霧が晴れた中に姿を現したのは、移動を開始した連合軍の背後を襲わんとするフランス本隊。
「殲滅せよ!」
ナポレオンの号令の下、銃兵の一斉射撃とともに剣を抜いた抜刀隊が突撃し、背後を衝かれたドイツ軍を混乱の坩堝へ叩き込む。
乱戦の背後で態勢を建て直そうとする連合軍兵たちを砲弾の雨が襲い、騎兵部隊が突入。
連合軍司令部の将軍たちは慌てた。
「どうなっている?」
いきなりの乱戦状態、しかも味方が崩壊に瀕している状況を見て、ワイロッテル将軍がそう問うと、彼等の部下たちが報告した。
「移動中の背後を襲われたとの事で・・・」
「直ちに反転して迎撃せよ」
そうワイロッテルは司令を下すが、参謀は「この混乱下で号令の伝達なんて無理ですよ。各自の判断で抵抗するのが精一杯です」
「とにかく後退して体制を立て直せ」と、ワイロッテル。
だが、報告に来た兵たちは口々に言った。
「それが、退路を塞ごうと敵の騎馬軍団が・・・」
「どうしましょう」
おろおろ顔のテレジア女帝にワイロッテルは「予備隊のロシア近衛隊が居ます。彼らが戦況を挽回するのに期待しましょう」
予備隊として後方に陣を張るピュートル帝の居る部隊にも、盛んに砲撃が来ている。
「どうなっている?」
本営から駆け付けたクトゥーゾフ将軍にピュートル帝がそう問うと、彼は言った。
「敵右翼陣をなかなか落とせず焦れたワイロッテル将軍が、本隊で加勢しようとして移動する背後を敵に突かれたとの事です」
ピュートルは拳を握り締め、本営司令部のある方角を睨み、そして言った。
「我が軍は奴の罠に嵌められたという事か。誰だよそんな無能なドイツ人に指揮を任せるとか」
そんな彼にクトゥーゾフは「そりゃあんたでしょーが」
「ってか敵が一枚上手だって話かと」と参謀が冷や汗顔でフォロー。
ピュートル帝は言った。
「とにかく、まともに戦えるのは我々だけだ。ピュートル近衛隊がこの劣勢を覆す!」
「どうやって?」とクトゥーゾフ将軍。
ピュートルは「車掛かりと啄木鳥の戦法」
「何ですか?そりゃ」
そうクトゥーゾフが訊ねると、ピュートルは「ジパングの川中島という所でとられた戦法だそうだ」
参謀、困り顔で「それ、陛下が思ってるのと多分、違うと思うんですけど」
「それで何を・・・・・」
不安顔のクトゥーゾフ将軍に、ピュートルは自らの剣を抜いて掲げ、そして言った。
「この大剣で俺が直接、奴の首を刎ねる!」
大剣を掲げた長髪のマッチョを先頭に、騎馬の一団が混乱の坩堝と化した戦場を駈けた。
「ところでナポレオンって、どんな奴なんだ?」
馬上のピュートルが隣を駆ける参謀にそう問うと、参謀は言った。
「直接見たことはありませんが、一目でわかると思いますよ。ナポレオン帽とかいう独特な帽子を被っていて、先端の反った鍔が左右に大きく突き出た帽子だとか・・・」
魔導士官が飛ばした烏の使い魔が捉えたナポレオン直衛隊へと突進するピュートルの騎馬隊は、やがてその標的部隊を目視した。
「あそこが敵の司令部です」
前方を指してそう叫ぶ参謀に、馬上のピュートルは「それで、ナポレオンはどいつだ?」
ピュートル率いる騎馬隊の特攻に、その場に居たフランス軍の兵たちと士官たちが武器を構える。
その全員が、先端の反った鍔が左右に大きく突き出た独特な帽子を被っているのを見て、ピュートル唖然。
「ナポレオンってのは分身の術でも使うのか?」
たちまち激しい乱戦となる。
四方から斬りかかるナポレオン帽を大剣で薙ぎ倒す長髪のマッチョ。
だが・・・・・。
「陛下、お戻り下さい。ロシアまでの退路を塞がれてしまいます」
随行する通信兵が魔導通信により受け取ったその情報により、ピュートルは戦闘継続を断念。
「仕方がない。戦略的撤退だ。兵たちに通達しろ。"自力でこの戦場を離脱せよ。俺について来れた奴だけロシアまでの道のりを守ってやる"とな」
彼は近衛隊を率いて敵陣の中央を突破し、北東方面へと騎馬を走らせた。
退路を塞ぎつつあるフランス部隊に向けて馬上から一斉射撃。そして抜剣して突撃。
フランス兵たちを馬の蹄にかけた。
ドイツ軍司令部では・・・・・。
「ロシア兵たちが散り散りになって戦場から逃れようとしています」
そんな報告を受け、ワイロッテル将軍は肩を落とす。
「畑で採れるようなロシアの兵などに期待するのが間違いだ」
「というか、ピュートル帝が撤退したものと思われます」
そう参謀が言うと、ワイロッテルは溜息顔で「後詰による反撃が失敗したという事か」
そして彼は同行していたテレジア女帝に進言した。
「我々も撤退しましょう」
「けど、どこに向えば・・・」
そう不安顔で言うテレジアに、ワイロッテルは「我が左翼隊は未だ攻勢中です。彼等と合流すれば、その先はウィーンです」
「けど、あそこはフランス軍が占領中・・・」とテレジア。
ワイロッテルは「占領しているフランス兵は最小限の筈です」
「私たちも敗残でボロボロなんですけど」と参謀が突っ込む。
ワイロッテル将軍は言った。
「奪還が無理なら、ハンガリーに逃れましょう。あそこの貴族たちを頼って再起を図るのです」
テレジア女帝とドイツ帝国軍本隊は、南西へ逃れて川を渡り、左翼隊と合流した。
そして南へと・・・・・・。
その先に広がる湿地の泥沼を見て、彼らは立ち竦む。
「ここをいったい、どうやって渡れば・・・・・」と絶望顔で呟くテレジア女帝。
背後には追撃するフランス兵たちが迫っている。
そんな中、ワイロッテル将軍は言った。
「大丈夫。我々には魔導士隊があーるじゃないか」
ワイロッテルは魔導兵たちに命じ、彼等は氷の呪文を唱え、目の前の泥沼に分厚い氷が張った。
その上を歩いて南へと進むドイツ兵たち。
だがその時、フランス軍による一斉砲撃。
ドイツ隊が渡ろうとしていた凍った泥沼に多数の砲弾が降り注ぎ、着弾の衝撃で氷が割れた。
そしてテレジア女帝含む帝国兵たちは、泥沼の中に投げ出された。
ドイツ帝国のテレジア女帝。
ロシア帝国のピュートル帝。
そしてフランス帝国のナポレオン。
三人の皇帝が一堂に会したこの戦いは、後に三帝会戦と呼ばれ、ナポレオンの完勝に終わった。
ドイツ帝国軍は壊滅し、テレジア女帝自ら捕虜となってウィーンに護送された。
そして、フランス軍占領下のウィーンの宮殿では・・・・・。
自室で軟禁状態のテレジア。
「お食事をお持ちしました」
軍服を着て食事を運ぶ男装の女性士官を見て、テレジア唖然。
「あなたはオスカル・・・・・・」
「陛下・・・」
そう言って目を伏せるオスカルに向かって、テレジアは額に青筋を浮かべてまくし立てる。
「今更どのツラ下げて私の前に・・・。私の末娘はどうしたの?!」
「スパニアに逃がし、かの国の皇太子の保護を受けています。彼はまだ10歳の子供ですが、アントワネット様の夫君のご友人です」とオスカルは答える。
「で、革命軍とかいう反徒どもの下僕になり下がった気分どうかしら?」
そうテレジアが言うと、オスカルは毅然と顔を上げ、かつての主に言った。
「彼等は同じ人間です。それが特権身分に支配され、泥を混ぜたパンを食べて命を繋いで来たのです」
「で、白パンと肉の入ったスープがあれば、こんな所に閉じ込められても地上の楽園だと言うのよね?」
そうテレジアが皮肉を込めて言うと、「ここは陛下の先代が建てた宮殿ですが」とオスカルは突っ込む。
「・・・そんな事はどーでもいいのよ! どーせそのうち、地下牢に閉じ込められてギロチンに・・・」
そう言いかけたテレジアに、オスカルは「そうはなりません!」
テレジアは諦め顔で「あなたに何の権限が・・・。まあいいわ。私は貴族。負けて落ちれば泥になるだけ。そしてここはフランスの植民地になるのよね?」
そんな彼女にオスカルは言った。
「私がそうはさせません。この国は存続します。根拠はありませんが・・・」




