第531話 階級の闘争
天候不順による小麦の不作。
その価格の高騰によるパリ庶民の困窮は、下層庶民が支持する山岳党とジロンド派が主導する革命政府の対立を激化させた。
そして、多くの群衆が、食糧を求めてベルサイユ宮殿に押しかける。
この「ベルサイユ行進」をエンリ王子の入れ知恵で切り抜けたフランス王家であったが、これによって困窮した下層民が食料を手に入れ、多くの人が餓死を逃れた件は、これを指揮した山岳党の手柄として宣伝された。
そして、その先頭に立ったロベスピエールの名声を高めた。
そんな中、1人のドイツ人が彼に面会を求めた。
自宅の客間で対応するロベスピエールに、その来客は名乗った。
「ベルナール氏の紹介で来た、マルクスと申します。あなたは抑圧された労働者階級の代弁者なのですよね?」
「大便者ですか?」
「そういう下ネタは要らないから」とマルクス、困り顔。
「いや、失礼。最近、オソマという見かけがアレな調味料の話を聞いたもので・・・」
そうロベスピエールが言うと、マルクスは語った。
「それはライ麦のオートミールの話ですよね? 悪逆非道な資本家のイケダハヤトという代弁者は言ったそうです。"貧乏人は麦を食え"と」
「元々、我々ユーロ人の主食は小麦ですけど」とロベスピエールは突っ込む。
「白パンですよね? 粗末な雑穀を食べてでも、生きてさえいればいい・・・というものでは無い。精神的な矜持が必要です。それを国王の支配下で教会の坊主を使い、人民は従順な家畜にされてきた。宗教はアヘンです。そんな洗脳から人民は、我々の指導によって解放され、労働者を搾取してきた資本家に報復すべきです」
そんなマルクスの弁舌に、ロベスピエールはドン引き顔で「それって物騒過ぎじゃ無いですか?」
マルクスは「人を人たらしめるものは反権力の矜持」
「いや、政府批判って、おかしな政治が民を害する事を防ぐためにやるんで、権力だから叩くっておかしいだろ。国民の役に立つ政治なら支持するのが民主主義ですよ」と、ロベスピエールはあきれ顔で突っ込む。
マルクス、いきなりネットサ〇クの口調で「ボロが出たね。国民社会に役に立つかどうかって国家論はヒトラーのものだよ」
「いや、国民に役立つためにやるのが政治ですよ。それとも国民を害するのが正しいってか? そもそもヒトラーって誰だよ」と、ロベスピエールは更なるドン引き顔で突っ込む。
マルクスは目を血走らせて「某半島国の反ジパングはジミントーを倒す頼もしい味方だ」
「何だよジミントーって。ってか国を害する外国の味方って、フツーに民主主義にとっちゃ裏切者なんだが。そーいうのに抗う政府なら支持しますよ。それを叩いてどーする」と、ロベスピエールは溜息顔で突っ込む。
マルクスは何か良からぬモノが憑依したような口調で「アベは総理大臣で最高権力者だぞ。叩かれたからって反論なんて恥知らずなことするなよ。そもそも昔のジミントーはどんな批判でも甘んじて受けたんだよ」
「だからアベって誰だよ。政治批判ってのは、やってる事の中身が総体的な国民としての立場に沿うかを問うんじゃないのですか? それがルソー先生の言う一般意思ですよ」と、ロベスピエールはうんざり顔で突っ込む。
「いいえ、国民の立場は反権力の矜持です。人はパンのみに生きるにあらず」
そんなマルクスにロベスピエールは「だからそれ、さっき聞いたって。壊れたテープレコーダーじゃ無いんだから。ってか"人はパンのみに"って聖書の引用ですよね? 宗教はアヘンだったんじゃ無いのですか?」
マルクスは金の冠を被った黒電話頭の豚のオーラを纏いつつ「自らが主体となった地上の楽園。それは全ての人民が白パンと肉のスープを毎日食する国です」
「結局、食べ物にありつくのが正義ですか?」
そうロベスピエールが問うと、マルクスは「歴史は誰が腹いっぱい食べる事が出来るかで決まるのです」
ロベスピエールはあきれ顔で呟いた。
「こいつ、頭ダイジョーブかよ」
そんな彼の反応を全く意に介さず、マルクスは言った。
「神という権威にひれ伏す人々は、不合理な教義によって隣人を抑圧します」
その言葉を聞いた時、ロベスピエールの脳裏で一片の記憶が蘇った。
「あいつは姦淫の子だ」と悪意に満ちた言葉を吐く人々の嫌悪の視線。
真剣な表情となった彼を見て、マルクスは「思い当たる事があるようですね?」
俯き、沈黙するロベスピエールに、マルクスは畳みかける。
「神など存在しない。世界は物質が全てです」
「解ります」とロベスピエール。
マルクスは「人民の精神的な拠り所は思想的指導者」
「・・・・・・・」
更にマルクスは「巨大な像を建設し、死した後は水晶の棺に納めて人民が祈る聖遺物となり、指導者の語録を人民が学習する」
ロベスピエール唖然。そして彼は呟いた。
「それって一種の宗教なのでは・・・・・・」
そんな彼の反応を全く意に介さず、マルクスは「指導者が人民の先頭に立って指導するのが階級闘争です。資本家を打倒し、生産手段を国有化して管理する。全ての国民は労働者として仕事を与えられ、貧富の差の無い平等な社会を創る。あなたの著作を読みました。生まれによる不平等はあってはならない」
「本人の努力によって金持ちになった者も居ますが?」
そうロベスピエールが突っ込むと、マルクスは「彼等は子に遺産を残し、彼等の子は生まれながらの資本家として、労働者を搾取する存在になります」
「生産手段って農地とか工場ですよね?」
そうロベスピエールが問うと、マルクスは「その全てを国家が管理する。ですが、議会で法律ひとつ作るにも、それは大勢の合意を必要とします。なのでそれを排し、1人の指導者が全てを決し、人民がそれに従う。労働者は自らの代表として彼を支持する義務を負う」
ロベスピエール唖然。そして彼は言った。
「それは権力への迎合なのでは?・・・。さっき言ってたのと逆ですよね?」
「確かに指導者が個人的に嫌いなタイプだと言う人も居ますが、それは個別意思であり、労働者としての全体意思では無い」
そんなマルクスの主張に、ロベスピエールは脳内で呟く。
(それって、ルソー先生が言っていた一般意思? けど、あれは国家に属する全ての人の意思なのでは?)
そして彼は言った。
「そういう感情論は別の話だと思うのですが。そもそも指導者に対する好き嫌いでは無く、その政策が社会を益するか害するかの問題ですよ」
「いいえ。"アベが嫌いなタイプだから改憲の手柄を与えたくない"というのは、憲法改正に反対する十分な理由になります」
そうドヤ顔でマルクスが主張する謎論理を前に、頭に?マークを浮かべるロベスピエール。
「いや、政策の是非を決めるのは感情では無く、客観的論理ですよ。批判とは論理を以て相手の主張や行動の是非を問うものです」
「いいえ。感情が全てです。我々外国人を批判するのは全て外国人に対する嫌悪に依るもので、その批判の客観的論理など、マスコミが認識しないので存在しません。だからマスコミはそれを"嫌ベイ"もしくは"嫌カン"と定義する。」
あくまで感情論前提なマルクスを前に、ロベスピエールはあきれ顔で呟いた。
「こいつ大丈夫かよ」
そして「そうやって支持を強要するのは、自由に対する侵害なのでは?・・・」
するとマルクスは言った。
「あなたは既に、多くの人民から支持を得ているのではないですか?」
「確かに・・・・・・・・・・」と呟くロベスピエール。
「あなたは正しい。だから多くの民があなたを支持する。そんなあなたに敵が居るのは何故ですか? 彼らは正しい筈のあなたに何故敵対するのか。それは彼らがあなたにとって、正しさにとって、そして国家にとっての敵だからです。世界には二種類の存在しか居ない。即ち、敵と味方。その二者の闘争こそが世界の原理だ」
ロベスピエールを全肯定するマルクスの言葉は、麻酔のように彼の脳裏を染めた。彼の目から光が失われ、別の光が宿る。
そして彼は呟いた。
「そうだ。私は正しい」
山岳党の集会が開かれ、ロベスピエールは演台に立つ。
「我々は階級闘争を開始する」
いきなりの物騒な彼の宣言に、山岳党のメンバーたちは唖然。
「闘争って、軍隊を動員すると?」
そう疑問声で言うメンバーたちに、ロベスピエールは「そんなものはハリボテだ。我々はベルサイユ行進で実力により食を獲得したではないか。温情などというものは空想だ。科学的社会主義こそ世界を動かすのだ」
メンバーたちは脳内で呟く。
(いや、科学ったって・・・・・)
一人の会員が「温情だとは思いませんが、階級を超えた国民の結束による国家の統合を実現するのが民主主義ではなかったのですか?」
「むしろ国境など取り払い、万国の労働者と団結する。これこそが革命だ」とロベスピエール。
彼は山岳党のメンバーたちの前で熱弁をふるい、マルクスの勧める政策を語る。
それに多くの人たちが疑問を感じた。
「それで関税を撤廃すると? イギリスに職場を持って行かれますよ」と反論するメンバーたち。
「そうでは無い。安く輸入品を手に入れて、消費者としての我々が豊かになる。かの列島国はトランプ帝国から外交による輸入拡大を求められた。それは消費者の利益に叶うものとして、リベラルの勧めに従って要求は受け入れられた。半導体の二割を輸入品で賄い、行政指導による輸入部品使用率の拡大を強制した事で、強欲な資本家は壊滅した。このように世界と手を携えたグローバルな階級闘争の勝利により、人民は外国が作った安価な製品で豊かになり、物価高は解消されたのだ」と受け売りな強弁を続けるロベスピエール。
何人ものメンバーがそれに反論する。
「いや、あの時の為替変動で輸入品は値下がりしましたけど、それまで経済を支えた工業は外圧で強制された行政指導により、不慣れな輸入部品の使用を強制されて不良品が続発したんじゃ無かったでしたっけ?」
「国産品は外国とその同調者に強いられた政治的な強制で取引先を失い、生産設備は廃棄を強いられた。多くの企業が倒産して新卒者は就職先を失う就職氷河期が訪れた。被害者であるその世代にとって反グローバル主義は正義であり、そんな不当な政治介入で勝利したのは外国企業ですよ」
「生産が海外に移転し、技術も外国人にただ同然で差し出す事を強いられた。強盗に遭ったのと同じだよ」
「それでGDP比率が下がり続けたのが、10年後になってから"何故?"だとか解り切った問いを連呼して、見当違いな犯人捜しを始めたのは、そのリベラルカルトでしたよね?」
そんな疑問の声をスルーして、更に演説を続けるロベスピエール。
その内容にも、頭に?マークを浮かべて質問するメンバーたち。
「軍事費を削減して大丈夫なの? 外国が介入戦争を仕掛けて来ますよ」
「それは話し合いで解決すればいい。何のための外交か」とロベスピエール。
「不当な要求を突き付けて反論に耳を貸さないような、話し合いの通じない国があるから問題なのでは? そんな国から国民の自由を守るための軍隊ですよ」
そう反論するメンバーたちに、ロベスピエールはなお主張する。
「軍隊は王が人民を弾圧するためにあるのだ。王とは我々の敵だ。革命とは王政の廃止を目指すためのものであり、それを守ろうと足掻くジロンド党の奴らを排除すべき。革命とは即ち階級闘争だ。国家の主役は人民なのだ」
「主役は国民なのでは?」と一人のメンバーが突っ込む。
「いいえ、人民です」
そう言ってドアップで迫るロベスピエール。
集会は議論の噛み合わぬまま終わり、多くの人たちの疑問は解消されなかった。
だが、ロベスピエールの支持者たちは・・・・・・。
「さすがは俺達の指導者だ」
「ロベスピエールさんの完勝ですよね。まさに俺達の論破王だ」
「いや、あれって論破って言えるの? 全然議論が噛み合っていない気がするんだが」
そう疑問声で突っ込んだ者も居たが、周囲の支持者たちは彼を取り囲んで声を荒げる。
「お前はもっと認識を深めるべきだ。パッションだよ! バイブスだよ! 集会ってのは激論の場じゃ無い。認識を深める場なんだぞ」
「いや、議論ってか理屈で相手の間違いを正すから論破なんじゃ・・・。ってか議論と激論って違うの? 認識を深めるって何だよ」
そんな疑問を呈する彼に、周囲の支持者たちは「我らが正しく、そして救済され加害者を打倒し報復すべき被害者であるという認識をより深く心に刻む事だ」
「・・・・・・・・」
彼は思った。
(それじゃ、まるで石頭のススメだよ)
パリの貧民たちの間でも、集会が話題になる。
貧民街の街角にたむろする人たちが、山岳党の集会を話題にあれこれ・・・。
「ロベスピエールさんがそんな事を?・・・」
「大丈夫なのかな? 工場が輸入品に潰されたら、俺達って失業者だよね?」
数人でそんな事を言い合う中、一人の男が言った。
「いや、俺たちが貧乏なのは金持ちが居るからだぞ。上級国民は敵だよ」
「そ・・・そうだよね」
男は更に「みんな怪獣映画で洗脳されてるんだよ。海から上がって来て町を破壊するのが敵で、それを自衛隊が撃退して町を守るとか思ってるけど、それは違うんだよ。敵は海外じゃなくて国内に居るんだ。経済発展の頓挫が外国による押し売り貿易外圧のせいだ・・・なんて思っちゃいけない」
「そーなのかなぁ」
そう別の一人が疑問を呈すると、男は「俺達が貧乏なのに、たらふく食ってる奴らが居るんだぞ。お前ら、許せるのか?」
国内の資本家への敵対心による同調圧力が、その場の雰囲気を流す。
そして、場がロベスピエール支持で盛り上がると、その男はそっとその場を離れる。
彼は物陰に居る別の男から、数枚の銅貨を受け取った。
ロベスピエールは下層民の中から賛同者を集めた。彼らはサンキュロットと呼ばれた。
彼らを使ってロベスピエールは二つの組織を立ち上げた。
彼に対する支持を盛り上げる親衛隊と、標的となったジロンド派を攻撃する突撃隊だ。
親衛隊は、数人のグループ単位で町を練り歩いて「勝手街宣」なるものを行った。
内容が薄いが刺激的な単語を並べた単調な歌を歌いながら練り歩く。
そして彼らは連呼した。
「ロベスピエール氏には愛がある。彼の存在そのものが正義。彼への支持を強いるズ!」
突撃隊もまた数人のグループ単位で町を練り歩いて釘バットを振りかざして人々を威嚇する。
ジロンド派の集会の参加者をつけ回して人気の無い所で囲んで袋叩きにする。
そして彼らも連呼した。
「奴らは俺達人民の敵だ。あいつらをしばきたいよね」
マルクスは通信魔道具で彼のスポンサーに報告する。
「経過は順調です。奴は完全に我々の手駒。今や立派なエージェントですよ」
「大丈夫なんだろうな? 裏に我々が居る事が公にでもなれば、全ては水の泡だ」
魔道具の向こうでそう言う声に、マルクスは「御心配には及びませんよ。エージェントには、他国の操り人形としての自覚はありません」
通話の魔道具を切るフリードリヒ王。
彼は脳内で呟いた。
(いよいよ次の段階に移行だな。国王の亡命に・・・・・・)