第497話 女帝の想い人
フェリペ皇子を追ってポルタ大学人文学部に入学した三人の幼い令嬢たちの従者として、ともに大学に通うベルナーとロンドが、王室騎士団で出会った女性騎士ケイナ。軍人を継ぐため男として育てられ、二人の男性に言い寄られているという彼女の自分語りを、ロンドは芝居の主人公に自己投影した妄想であると見抜いた。
だがそれを真に受けたベルナーは、ケイナの父親のノービル子爵が持ち込んだ、気の進まぬ見合い話を止めるよう説得するつもりで、彼女が男性から言い寄られているという妄想話をノービル子爵に話してしまう。
ノービルは思った。
「あいつを想ってる二人って、きっと彼等自身だ。で、そのうちの一人がイザベラ様の想い人? 王太子妃にしてスパニア女帝の寵臣。これって凄い人脈じゃないか!」
ロイドとベルナーがケイナの父のノービル子爵と面会して以降、二人はしばしばケイナの実家に招かれ、ノービル子爵の歓待を受けた。
そんな状況について、あれこれ話すベルナーとロンド。
「何だか気に入られちゃったみたいなんだが」
そうベルナーが言うと、ロンドは「それだけじゃ無いような気もするんだが」
食事に招かれて屋敷に行き、ベルナーとロンドはケイナを挟んだ席に座らされる。
食事を終えると、子爵と夫人は「後は若い三人で・・・」
屋敷の庭を散歩しながら、困り顔でベルナーは「もしかしてお父さん、ケイナさんと俺たちをくっつけようとしてる?」
ケイナは「何だか誤解しちゃったみたい」
「変な妄想話するからですよ」とロンド。
「仕方ないじゃない。酔うとああなっちゃうんだから」とケイナ。
そんな中、陸軍局長官の要望で、エンリ王子が軍の視察に来た。陸軍次官のノービル子爵も同席している。
将軍たちが居並ぶ練兵場。
長官と並ぶエンリをチラ見しながら、ノービルは思った。
(俺がイザベラ様の愛人とズブズブ関係とかバレたら、不倫に加担したとか言われて、ただじゃ済まないだろうな)
「騎士たちの訓練の成果を先ず、御覧頂きたいと思いまして。今なら殿下の炎剣兵団に負けない出来かと」
そう自慢げに長官は言うと、向うに居る士官に合図を送る。
プレートアーマーを着た一団が、号令とともに隊列を組んで行進して来る。
「ご覧ください。この一糸乱れぬ統率のとれた動き。これなら集団戦に十分対応できるかと」
そう能書きを垂れる長官に、エンリは「それはいいが、こいつ等どこまで歩くんだ?」
「鎧の重さに対応出来ず動きが鈍かったせいで、殿下の直属兵団に採用されなかった彼等ですが、その弱点を克服すべく血のにじむような努力を」
そう語る長官の台詞に、何やら会話が嚙み合っていないように感じつつ、エンリは「重い鎧なんて脱いで身軽になった方が合理的だと思うが」
「それで毎日、騎士たちは筋トレの日々。その成果です」
そんな長官の能書きにエンリは溜息を洩らしながらも、あくまで前向きに考えようと自らの思考のコントロールを試みる。
(まあ、確かに出来なかった事が出来るようになったというのは、それはそれで凄いと思うぞ。相当頑張って滅茶苦茶マッチョになったというなら、見てみたいかも)
「本人から話を聞きたいんだが」
そうエンリが言うと、長官は騎士の一人を呼んで来るように部下に命じる。
整列する騎士たちの中から、鎧姿の騎士が一人、先ほどの長官の部下に連れられて、エンリの前に・・・。
「とりあえず、鎧を脱いで楽になるといい」
エンリにそう言われて、彼は鎧を脱ぐが、たいして筋肉はついてない。
「もしかしてこの鎧、軽量化の魔法とか使ってる?」
そうエンリが長官に問うと、彼は誇らしげに「身軽になった方が合理的ですから」
(体を鍛えた訳じゃないのかよ。俺の感動を返せ)とエンリは脳内で呟く。
「剣術とかはやってるの?」
そうエンリが長官に問うと、彼は誇らしげに「全ての基本は体力ですから」
「けど、体力で動けるようになった訳じゃないよね?」と突っ込むエンリ。
エンリは溜息をつき、長官に言った。
「とりあえず他国の軍から学んでみたらどうだ? 例えばスパニアとか・・・・・」
「イザベラ陛下の国ですか?」と陸軍長官。
ノービル子爵、会話に出るイザベラの名前に、思わず冷汗。
「いや、別に嫁が居るからって訳じゃなくて、同盟国だし軍事大国だし。あそこの騎士はかなり鍛えられて・・・」
そうエンリが言うと、長官は「それで脳みそまで筋肉に、とか。イザベラ様はそういうのがお好みとか?」
ノービル子爵、思わずビクッと反応。
「だから嫁は関係無いから・・・・・」
そう言いながら、ふとエンリは、長官の横に居るノービルが何やら冷汗顔なのに気付いた。
「どうした? ノービル子爵」
「なななな何でもありません」と慌て口調のノービル。
そんな彼を見て、ふと思い出したように、エンリは「そういえば陸軍次官」
「何でしょうか?」
そう平静を装いつつ言葉を返すノービルに、エンリは「イザベラと仲のいい・・・・・」
そう彼が言いかけ、ノービルは(ギクッ)
「・・・・・お前の奥方なんだが、ドイツの女帝をからかうネタを思い付いたから協力者が欲しいと、嫁が言っててな」
そう続けるエンリ。ほっとするノービル子爵。
そんな不自然なノービルの安心顔に、エンリは「どうした? ノービル子爵」
「いえ、ご婦人方の女子会の事は無関係なので」とノービル。
「お前、何か変だぞ」
ますます訝しんでそう言うエンリに、ノービルは「ななな何でもありません」
「ってか、女子会の事は無関係って事は、それ以外とは関係してるのか?」
そうエンリに突っ込まれ、ノービルは「べべべ別に私はイザベラ様の想い人とズブズブ関係など」
それを聞いて、エンリは思った。
(イザベラの想い人って、アラゴン公の事だよね?)
「そんな事かよ。奴の事なら俺も知ってるぞ」
そうエンリに言われ、ノービルは意外そうに「彼を御存じなんですか?」
「幼馴染なんだろ?」とエンリ。
「そうだったのですか」
そう相槌を打ちつつ、ノービルは思った。
(けど待てよ。二人とも女帝より十歳くらい年下の筈だが)
「しかし意外だな。あの公爵とどこで知り合ったんだ?」
そう、何やら興味深げに問うエンリの台詞を聞き、ノービルは脳内で(公爵って、仕えてる主の事かな?)
そして彼は「ポルタに来てますけど」と答える。
エンリは更に興味深げに「何時のまに」
心配事が杞憂に終わったとの安心感が、ノービルの口を軽くする。
「実は彼、私の娘と交際していまして」
エンリはますます興味深げに「お前の娘ってまだ二十歳前だよな? あいつも隅に置けない・・・。けど、確か結婚してる筈だぞ」
「彼が既婚者だと?」
唖然顔でそう返すノービルに、エンリは「だって入り婿だぞ」
「入り婿って・・・」
暫しの絶句状態で、ノービルは思考を巡らせた。
(そういえばベルナーが付き添いで来たロゼッタ嬢は彼に随分懐いているとか。つまり令嬢の許嫁? そんな立場にありながら娘に言い寄ったという事は、単なる遊びか?)
そんなノービルを他所に、エンリは「これは面白いネタだな」と楽しそうに呟き、通信魔道具を取り出した。
「イザベラか。今、面白い話を聞いたんだが」
魔道具の向うのスパニア宮殿に居るイザベラが「何かしら」と興味深げに・・・・・。
「アラゴン公なんだが、彼が二十歳前の女の子と交際中だって知ってるか?」
そうエンリが言うと、イザベラは「初耳ですわね。フェルデナンド兄様にそんな器用な真似が?・・・」
そんなエンリ王子の会話が耳に入って、ノービル子爵、唖然。
「あの、エンリ王子。もしかして殿下の言ってるイザベラ様の想い人って、アラゴン公の事ですか?」
そう、おろおろ声で問うノービルに、エンリは「そうだが」
「ベルナーという若者の事では・・・・・」
そう、おろおろ顔で言うノービルに、エンリは「誰だよそれ」
ノービル子爵顔面蒼白。
そして(つまり勘違い?)と脳内で呟く。
そんなノービルを他所に、通信魔道具から楽しそうなイザベラの声。
「実はここに兄様が居て、若い浮気相手について追及しても、なかなか口を割らないんですけど、何か動かぬ証拠って無いかしら」
「エンリ王子、私は無実です」
そう悲痛な声で訴える、魔道具の向うのアラゴン公に、エンリは「これからデマの発生源を出すから、聞きたい事はそいつから聞け」と言って、通信魔道具をノービル子爵に渡した。
ノービルは魔道具の向うのイザベラとアラゴン公に汗だくで弁解。
そんな彼を眺めつつ、エンリは思った。
(そーいやフェリペの妃候補の付き人に、そんな名前の奴が居たっけ。で、イザベラがそいつにご執心?)
そんなエンリに陸軍長官は言った。
「あの、エンリ王子、何だか楽しそうなんですけど」
「そう見えるか?」とエンリ。
「これ、下手をすれば不倫なのでは?」
そう疑問顔で言う長官に、エンリは言った。
「だって想い人だぞ。イザベラが若い燕を追いかけたってだけで、向うがそれに応えた訳じゃない。そいつにとっちゃ十歳年上のオバサンだ。それに、あいつには散々からかわれて来たからなぁ。仕返しする絶好のネタだろ」
長官は困り顔で「いや、西片君とかいうどこぞの男子中学生じゃないんですから」
後にエンリはベルナーら三人を呼んで話を聞き、全てが勘違いと知って、がっかりした。